« 東北13 斜陽館 | トップページ | 東北15 三内丸山遺跡2 »

2013年7月25日 (木)

東北14 三内丸山遺跡1

三内丸山遺跡

Dscf7968_2 いよいよ最後の訪問地の三内丸山遺跡である。ここでも車から降りると、雨は小降りからやがてあがっていった。恐山のお地蔵様のご加護であろうか。
 ここはなんと入場無料であった。青森県が管理しているので、「青森県、太っ腹!」ととりあえず言っておくが、施設の維持管理だけでも相当のお金がかかっているだろうから、ある程度は取った方がいいのではとも思う。

 ミュージアムの建物を抜けていくと、見えてきた。もっとまわりを圧倒するようにそびえ立っているかと思っていたが、まわりの森の樹が大きく、遠くからでもすぐわかるというほどではなかった。
 白いドームが縄文の建物には不釣り合いで、ちょっと不思議な感じがする。あれは何だと思ったら、遺跡のあった場所に保存のためのドームをかぶせてあるのだった。そしてその近くの遺跡がなかった場所に、復元された建物が建ててあるというわけで、この公園内、あちこちに白いドームと復元された住居などが並んでいるのであった。

Dscf7970 Dscf7971_2

Dscf7980_3 これの正式名称は大型掘立柱建物(おおがたほったてばしらたてもの)という。色気も何にもない、なんだ、そのまんまじゃないか、という学問的な名前である。公募でもしたら、縄文タワーとか、さんまる砦とかいう名前にでもなるだろうか。
 直径1メートルのクリの木を6本、深さ2メートルに埋め、高さ約15メートルに建ててある。
 これはいったいなんだったのか。
 その前に、この復元が正しいのかどうか、はっきりしないところもあるらしい。とにかく穴と埋められた木の一部が残っていただけなのである。約5,500~4,000年前の遺跡なので、参照できるような絵も文献も何もないのである。

 
 グラフィックデザイナーだという岡田健二氏の巨石巡礼というホームページにある「三内丸山遺跡」というページには、こう書かれている。(岡田氏がどういう立場にある人なのか知らないが、このページにある写真はみなきれいだ。)

 遺跡のシンボルともいえる大型掘立柱建物は、佐賀県の吉野ケ里遺跡(弥生時代)の物見やぐらを2m近く上回る高さ14.7mの三層構造の高床式の建物として復元された。巨大柱の性格については、「建物説」と木柱列論に立つ「非建物説」の2つの流れに分かれ、「物見やぐら」「神殿」「灯台」「ウッド・サークル」など様々な説が唱えられ大論争に発展するが、いまだその用途を特定するには至っていない。
 6本柱建物跡を復元するに当たり、青森県は屋根付きの建物を想定したが、「非建物説」を主張する小林達雄(國學院大學教授・考古学)、佐原真(元国立歴史民俗博物館館長・'02年没)、佐々木高明(国立民族学博物館名誉教授・民族学)らの反論で、結果的には屋根なしの三階建てという中途半端な復元になった。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/038_sannai/038.htm

 はたして中途半端であるのかどうか。学問的にどのような根拠で今の形に復元したのか、素人にもわかるように書かれたものを探してみたが、今のところ見つからない。
 IPA「教育用画像素材集サイトというページには、こんな写真と解説があった。

Hukugenjcd1_2
大型堀立柱建物の復元模型[静止画/600×400ピクセル/99KB]
6本の巨大木柱を用いた大型掘立柱建物は、専門家の間でその用途や構造等について様々な論議があるが、大きく非建物説(写真左)と建物説(写真中・右)があり、その結論はまだでていない。三内丸山遺跡では建物説に基づいた復元が行われている。(写真提供:青森県教育庁文化課)
出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/

 学問的には柱が六本あった以上のことは言えない、という立場もあるだろう。
 しかし上の写真の左側のようにただ建てただけで縄文人は満足しただろうか。こんなでかい柱を建てられる土木技術があったのだから、やっぱり結んだり、何か乗せたりしたのではないか。そして当然登り降りしただろう。床を復元しておきながら、はしごも階段もないのはいかにも不自然である。

 実際にこの復元に携わったらしい(遺跡の説明文にも名前があった)小山修三という文化人類学者が、『梅棹忠夫語る』(聞き手小山修三、日本経済新聞社、2010)という本を出している。亡くなる前の梅棹忠夫からの聞き書きをまとめた本である。そこにこんなおもしろいページがある。これは活字の大小があるので、画像で読んでもらおう。(P172)

T_3

 梅棹忠夫曰く、縄文時代の衣服が出てこないからといって、みなスッポンポンで歩いとったのか。遺物第一主義はバカげているというわけで、そうだそうだと思う。そうなると、やっぱり屋根とかあったんじゃないかと思うが、実際に復元するのは大変そうだ。
 下の左はドームの中のようすで、下の右のように、穴に木が少し残っているだけなのである。これだけで、三階建てとか、トンガリ屋根とか決めろと言われたら、考古学者も大変だ。
 

Dscf7982  Dscf7981

|

« 東北13 斜陽館 | トップページ | 東北15 三内丸山遺跡2 »

窮居堂旅日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東北14 三内丸山遺跡1:

« 東北13 斜陽館 | トップページ | 東北15 三内丸山遺跡2 »