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2013年7月17日 (水)

東北8 恐山1

恐山

Dscf7850   むつ市の市街を抜けて恐山への山道にかかってもまだ雨は降っていた。
 恐山へたどり着く少し前に、恐山冷水があった。水が湧き出している。延命水だとのことなので、ちゃんと車を止めて、みんなで飲んだ。
  義父が、亡くなる二、三年前に同窓会で八ヶ岳へ行って、みんなで延命水を飲んだという話をしていたのを思い出す。今のわたしくらいの歳だったのではないか。
Dscf7853 東北の山らしくヒバ(アスナロ)の木が多いようだ。
 恐山という個別の山はなく、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)の外輪山を総称して恐山というらしい。最高峰は釜臥山(かまぶせやま)で、878.6mある。
 ウソリというのはアイヌ語で入り江を意味する言葉で、これがなまって「おそれ」になったという。

 恐山にはおどろおどろしいイメージがある。わたしもまず思い浮かんでくるのは、吹きすさぶ雪の中、髪振り乱した老婆のイタコが、岩山で何かをおらびあげているような場面である。
Img  青森出身の寺山修司が、恐山を舞台にしてつくった、映画『田園に死す』でも、イタコが出てきたり、こんなシーンがあったりしたらしい。(寺山修司『田園に死す・草迷宮』、フィルムアート社、1983改訂版より)
 わたしはこの映画を見ていないので、この写真だけ引用するのは気が引けるけれど、他に適当なものが見つからなかった。
 こういう物の怪みたいなのが出没する岩山が恐山である、というのが一般的なイメージではないか。

 若い頃、寺山より上の世代の詩人、長谷川龍生(はせがわりゅうせいの詩「恐山」を読んだ。「君もわたしも恐山」という語句が何度も繰り返されることだけ覚えていた。
 ところが今回確認してみると、これは「きみも、他人も、恐山!」の間違いであった。わたしの記憶はあてにならない。非常に長い詩なので、ごく一部のみ引用する。

きみも、他人も、恐山!
白い人骨の風化していく砂漠
賽の河原の小石が、足のうらがわで、
こまかく踏みつぶされていく自然淘汰
どうしようもない老人が
その山頂にまでのぼりつめ
他界をしのぶ、きままな冥福。
きみが、指導者であろうとも
他人が、殺人者であろうとも
きみも、他人も、恐山!
術数におぼれ、権力をたよりに
風てんになった頭脳に光をとぼし
きみも、他人も、さまよってあるく、
  極楽ヶ浜― 極楽ヶ浜― 極楽ヶ浜―
  賽の河原に石ひとつ― 賽の河原に石ひとつ
(『戦後名詩選Ⅰ 現代詩文庫・特集版1(思潮社、2000)』より)

 読み返してみると、これは恐山の歌ではなく、社会組織の中での個人の陰惨な闘争をよんだ、きわめて左翼的な詩のように読める。恐山は、尋常ではない、非情な、おどろおどろしい場所の比喩になっているのだ。

Dscf7913 ところが現実の恐山は、山の中にからりと開けた、明るいきれいな場所だった。これは驚きだった。二度目の訪問となるI長老から話を聞いていたものの、こんなに大きく開けたところだとは思っていなかった。
 山中から抜けて、三途の川を渡る橋だという赤い太鼓橋の横をすぎると、目の前には、大きな湖が広がっていた。
 あいにくの雨模様で青空とはいかないが、緑の山、すきとおった青い湖、花崗岩だろうか、薄茶がかった白い砂の浜辺も見える。
 その昔、この場所を発見した人たちにとって、ここは素晴らしい別天地だったのではないか。

Dscf7898_3 

Photo  そして湖の前の寺院も、大きく立派な建物で、とても髪振り乱した老婆のイタコなどいそうにない。イタコの伊太郎も、イタコ花嫁さんもいない。
 これがその恐山菩提寺である。
 総門と、総門をくぐった境内、広い。正面に山門が見える。

Dscf7854  Dscf7856

 これが山門。

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 そしてその奥の本尊を安置する地蔵殿

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 これだけなら普通の大きな寺だが、ここには他では決して見られないものがある。
 境内にあるこの掘っ立て小屋はなんと温泉であり、その後ろの岩山には火山ガスの噴出口や温泉の湧出口が各所にあるのである。だから境内には硫黄の匂いがただよっている。

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