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2013年7月16日 (火)

東北7 寺山修司・六ヶ所・横浜

第三日 2013/07/05

Dscf7825  第三日からはバスツアーではなく、八戸駅前でレンタカーを借りて行く。借りたのはトヨタのヴィッツ。三人だから、ちょうど手頃な車である。
 しかしあいにく雨が降っている。強くはないが、天気予報では、今日も明日も雨。しかしとりあえず、当初の予定どおり行くことにする。今日は恐山を見て、それから本州最北端の大間崎まで行って泊まる予定である。

 

寺山修司記念館

Photo  途中、三沢にある寺山修司記念館に寄った。俳人であるから、つまり詩人であるT局長の希望である。
 「廃人といえば死人も同然」、というのは局長のことではない。東海林さだおの旅のエッセイを読んだせいで、わたしも何かおもしろいことを書かねばと書いてみたが、あまりおもしろくない。局長、他意はないのでお許しを。

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 外観から想像されるように、中にはいかにも寺山らしい奇妙なオブジェや映像などが展示されている。
 わたしは寺山のよい読者・観客ではない。いかにも奇をてらった、おどろおどろしい言葉や映像、難解な言い回しなどが好きではない。
 しかし、一つの時代をつくった人であり、それがわたしの若いときと重なるので、見ていくとなつかしくはある。写真撮影が許されていたのはここだけなので、ちょっと見苦しいが載せておこう。

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 庭に出て、道の両脇に大きなフキが生えている松林を抜けていくと、寺山修司の文学碑があった。碑の正面は小川原湖である。水草が広がっていた。

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 碑には

マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや

の他、二つの句が刻まれていた。この句は文句なしにうまい、傑作であると思う。
 庭の道端には、啄木の本歌取りの、こんな句もあった。

ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

 詩人ならざるわたしは、こういうわかりやすいのがいいと思うのであった。

Dscf8003_2 ここで買った「家出のするめ」。ちょっと甘めに味付けしたさきいかが入っていた。
 寺山は「家出のすすめ」とか「書を捨てよ、町へ出よう」とか、若者の煽動も得意だった。林静一のイラストがなつかしい。

 

斗南藩記念館観光村

 寺山修司記念館の近くには「斗南藩記念館観光村」があった。
 明治新政府に敗れた会津藩は下北半島に移され、この地を「斗南(となみ)」と名付け、「斗南藩」と名乗った。「北斗七星の南」という意味である。二十三万石が三万石の地に押し込められ、移住した会津藩士たち1万7千人余りの暮らしは大変だったらしい。廃藩置県で斗南藩はまもなくなくなったが、この地に残り、開拓し、住み着いた人々もいた。
 その頃の建物などが観光施設になっているとは知らなかった。現在のNHKの大河ドラマ「八重の桜」は会津が舞台なので、いずれここもドラマに出てくるかもしれない。(これは見ていないが)
 ちょっとのぞいて行きたいとも思ったが、まだ出発したばかりで、雨も降っていた。この後の旅程も心配だったので通り過ぎただけで寄らなかったが、ひとこと書いておく。

六ヶ所村

 小川原湖の北が、原子燃料サイクル施設、国家石油備蓄基地をもつ六ヶ所村である。六ヶ所村の北の東通村には東通原子力発電所もあって、このあたりちょっとした原子力地帯である。
 下左が日本原燃六ヶ所再処理工場、右は六ケ所原燃PRセンターである。

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Dscf7845  PRセンター内部の展示を見ても、むずかしいことはよくわからないが、なぜここにこういう施設ができたのか、以前、朝日新聞の連載記事『プロメテウスの罠』に書かれていたのを思い出したので、単行本『プロメテウスの罠2』(朝日新聞特別報道部、2012)で、確認してみた。

 それによると、青森県の工業開発は、1979年から1995年まで4期にわたって青森県知事をつとめた木村正哉の悲願だった。木村正哉は前述の斗南藩士の子孫で、県議時代に下北半島の南部を新全国総合開発計画新全総、1969)に盛り込むことに腐心し、その後副知事、知事として一貫して「むつ小川原開発」にあたった。
 新全総に盛り込まれたことで、県は開発公社をつくり、石油化学コンビナートの誘致を目標に、広大な土地を買い集めた。東京から不動産業者が乗り込み、土地の価格は上がった。ところが1973年の石油危機などもあって、民間企業は来なかった。
Photo  『プロメテウスの罠2』は、石油危機がなくてもはじめから民間企業は来る気がなかったという。東京から遠すぎるという理由である。政府が、それまでの太平洋ベルト地帯優先に対する批判をかわすために、新全総でむつ小川原や苫小牧東を対象にしたにすぎなかったのでは、という。
 開発公社は、2,500ヘクタールの売れない土地をかかえて倒産の危機にあった。そこへやってきたのが、核燃料サイクル基地の話だった、というわけである。

 あちこちの地方でよくある話のようであるが、ここはものがものだけに、重く大きく課題が残り続ける。

 

横浜

Dscf7848  雨が降り続ける中、太平洋側から陸奥湾側へ出て、道の駅よこはま「菜の花プラザ」で小休止した。
 ここにも横浜があるのである。青森県上北郡横浜町、人口約5千人の町である。I長老とわたしは横浜市民であるから、ここまできたらちょっとだけでも敬意を表しておかねばならない。
 本当は横浜の「浜」を見たかったが、雨は降るし、先は長いし、ちょっとここで休んだだけで出発した。わたしはささやかに「ほたて味噌」を買った。

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