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2013年8月

2013年8月31日 (土)

映画「奇跡のリンゴ」

 8月9日、映画「奇跡のリンゴ」を見た。
 無農薬・無肥料でのリンゴ栽培に挑戦し、失敗の繰り返しで極貧に落ち込みながら、十年かけて成功させた木村秋則さんの物語である。以前本を読んで感想を書いた。(→『奇跡のリンゴ』
 これはその本。

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 映画は、「風立ちぬ」とは違ってわかりやすく、そのうえ成功譚であることもわかっているので安心して楽しめた。
 津軽が舞台なので、先日の東北旅行では見られなかった岩木山の映像をたくさん見られたのもよかった。花盛りのリンゴ畑もきれいだった。
 ひとつだけ、土壌を自然の山と同じように改良することでとうとう成功し、花盛りになったリンゴ畑で、主人公の木村さん(阿部サダヲ)と妻(菅野美穂)が手に手を取り合って喜ぶシーンでは、「チオビタ!」と声をかけたくなって困った。菅野美穂がCMと同じように、男とはしゃいでいるわけだからしょうがないと言えばしょうがないが。CMの力は大きい。

 木村さんは、現在、リンゴに限らず、自然栽培を世にひろめるため、日本中を指導や講演などでまわっているようだ。
 (→木村秋則オフィシャルホームページhttp://www.akinorikimura.net/
 本やDVDもたくさん出ている。そのうち一冊を読んだ。→木村秋則『リンゴが教えてくれたこと』(日本経済新聞出版社、2009)

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 木村さんのいう自然栽培の定義は次のとおり。

外部から化学肥料、合成農薬、除草剤などの資材を投入せず、自然が持っている力を最大限引き出して栽培を行う農業。
 ひょっとすると、こういう農業の方が、TPPにも対抗できるのかもしれない。工業力で大規模にやる農業では、アメリカやオーストラリアにとても勝てるとは思えない。木村さんに期待しよう。
 わが家の枇杷作りは、かなり自然のままになっているけれど、それは手入れを怠っているだけだ。農協で買った肥料を与えているし、カミキリムシが木の幹に穴をあけたときには殺虫剤を注入している。消毒したり除草剤を使ったりはしていないが、自然栽培をしているとは言えない。
 誰か「自然放置栽培法」を開発してくれないものだろうか。

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2013年8月12日 (月)

「風立ちぬ」と「永遠の0」

8月2日、宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」を見た。

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 予想外の作品だった。もっとセンチメンタルな、そしてはっきり反戦の意志を示した映画かと思っていた。最近の憲法改正をめぐる論議の中で、宮崎駿ははっきり改正反対の立場に立っていることが頭にあった。9条改正反対で、零戦の設計者と、堀辰雄の生と死の瀬戸際での愛情物語をくっつけたら、なんとなくそれらしいストーリーができそうな気がするではないか。

 しかし映画は、飛行機賛歌というか大型機械賛歌というか、わたしが圧倒されたのは、人間が精魂かたむけた機械の力強い動き――ドイツのユンカースの巨大な爆撃機?(兵器にはうといのでブランドはよくわからない)や、日本の蒸気機関車の動きだった。宮崎は兵器オタクのような少年だったらしいから、その思いがこんな映像をつくらせたのか。たしかにわたしが見てもわくわくするような映像だった。
 もうひとつわたしが心を奪われたのは、飛行機工場の近くの川原に生えていたオオバコの姿。最近のアニメはものすごく精密で、川原でも山でも、近景になると、本当にその川原や山に生えていた植物をきちんと描き分けている。なんとなく草です、木です、という絵はない。その中にオオバコがあった。
 見た瞬間、ずっと忘れていたのを思い出した。こどもの頃、抜いた茎をからませて友だちと引っ張りあいをして遊んだ、どこにでも生えていた雑草。あの風景を思い出した。

 主人公の堀越二郎は、結核に冒された妻菜穂子をかたわらに置きながら、与えられた新しい飛行機をつくるという仕事にひたすら没頭する。やがて妻は死に、敗戦後、二郎は飛行機の残骸の山の中に立ち尽くす。しかし、それに対する説明は何もない。無駄だったとも悲惨だったとも、無論、二郎は立派だったとも、宮崎は言わない。
 宮崎は、そういうメッセージを伝えようとしたのではないらしい。しかしあの映像は、この時代をあらわすのにふさわしい映像だったのか。印象に残るいくつかの映像が、どういう意味を持つのか、わたしにはよくわからなかった。

 わからないあまり、たわむれによめる。

風立ちぬいざ生きめやもゼロファイター  窮居堂

 二年ほど前に、百田尚樹(ひゃくたなおき)の小説『永遠の0(ぜろ)』を読んだ。これはよくわかる本だった。よく売れており、映画化されて、この12月に公開されるそうだ。

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 「日本軍敗色濃厚ななか、生への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」とさげすまれたゼロ戦パイロットがいた……。」というのが、講談社BOOK倶楽部のこの本の紹介の書き出しである。http://bookclub.kodansha.co.jp/books/topics/eiennozero/
 そしてこのパイロットは想像を絶する凄腕で、生き残るという妻との約束を守るために、汚名も辞さず、卑劣な軍の幹部たちの思惑もものとせず、何度も死線を乗り越えて行く。しかし、最後に戦局は特攻隊としての出陣を余儀なくさせる…。
 おおむねこんな話だったと覚えている。読み返していないので、間違っていたらごめんなさい。
 戦局がどのように展開していったのかもわかり、軍内部に大きな問題があったことも説明されており、よくできた感動的なストーリーである。わたしも泣かされた。
 だからこれはいい本だと思う。否定しない。けなすつもりはない。

 しかし、この本を読んでいる間ずっと微妙な違和感があった。
 ここに書かれた戦争は、わたしの知っている戦争とどこか違う。悲惨な戦況や軍隊の情況が書かれているけれど、どこかきれいに整理されすぎている気がしてならなかった。なにかもっとザラザラしたものがつきまとっているのが戦争ではないか。
 むろん戦後生まれのわたしが実際の戦争を知っているわけがない。だからわたしがこれまでに感じてきた、学んできた戦争とどこかちがうと言っているにすぎないけれど。
 百田尚樹は1956年生まれだから1947年生まれのわたしより9歳若い。9歳のちがいがこの感覚の違いを生んだ、と言っていいのかどうか。よくわからないが、少し考えてみるだけの価値はありそうな気がした。

 宮崎駿は1941年生まれ、わたしより6歳上になる。宮崎の見た戦争、感じ、考えた戦争は、またちがうのだろう。そして「風立ちぬ」は宮崎の考える戦争の一部をあらわしているのだろう。わたしにはうまく感じとることができなかったが…。
 

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2013年8月 3日 (土)

富士登山2

 22:30起床。22:50小屋発。山頂に向かう。
 月はもう出ていない。暗い中、テレビなどで報道されるような光の点の行列が上にも下にも続いている。ヘッドライトをつけ、足元を照らしながら岩場を登っていく。ところどころに照明があり、行列のみんながヘッドライトをつけているので、まわりはそれなりに明るいが、自分の足元は自分で照らして確認しないと凹凸があって危ない。

 最初は寝起きのせいだと思っていた。頭がぼんやりして、身体が重い。三十分ほどで最初の休憩になったとき、これはアレかもしれないと思い始めた。いわゆる高山病というやつだ。頭がハッキリしない。呼吸が重い。足が思ったようにはあがらない。まだ七合目の終わりで2900mくらいなのに。
 身体が慣れさえすれば、と思いつつ八合目、約3000mまで来ても状態は変わらない。深呼吸、腹式呼吸と言い聞かせながら、とにかく前を行く人と同じペースで少しずつ登り続ける。
Dscf8160 この「合目」というのは、誰がどうやって決めたのか。八合目の上にはさらに本八合目というのがあって、このあたりやたら長い。手元の地図の付録を見ると、吉田口ルートはこうなっている。

 五合目  2305m
 六合目  2390m
 七合目  2700m
 八合目  3040m
 本八合目 3370m
 九合目  3600m

 昨日、五合目から七合目まで登って、これなら楽勝だと思っていたが、七合目から九合目の高低差が大きい。これなら八合目泊りにするんだったと思っても後の祭りだ。
 行けども行けども楽にはならない。少し頭がふらついているようで、大きめの岩を登ろうと足をかけて身体をぐっと持ち上げるとき、なんだかそのままあおむけに後ろにひっくり返りそうな気がする。本当にそうなっているなら、まわりが騒ぎそうなものだが、その気配はない。ともかく頭を下げ、前傾姿勢をとることを心がけて登る。
 肺は、平地で強い運動をしたときのようにハアハアとはならない。酸素不足で活動不全なのだろう、ヘエヘエというか、とにかく目一杯呼吸している気がしない。
 足があがらない。ちょっと段差の大きいところは気合いを入れて持ち上げるつもりにしないといけない。ガレ場は少しずつ小刻みに足を運ぶ。とにかく前から遅れないように、それだけを考えて着いていく。
 全力を出し切って疲労困憊、ではなく、全力が出てこない、身体がうまく動かないのである。

 体力には自信があった。この日のためにトレーニングもした。自宅の近くの円海山(えんかいざん、153.2m)・大丸山(おおまるやま、156.8m)を何度もせっせと歩いたのだ。富士山と比べれば小さいけれど、大丸山は横浜市最高峰である。天園から鎌倉市最高峰の大平山(おおひらやま、159m)へも足を延ばした。尾根歩きより、下にある池への登り下りを繰り返して負荷をかけるようにした。
 しかしこれらの山は体力訓練にはなっても、高地訓練にはならなかったようだ。あたりまえか、150mだ。

 九合目に向かうあたりで、山頂まではなんとか行っても、その後お鉢巡りに行けるかどうか心配になってきた。ガイドさんは、お鉢巡りはけっこうきついので、体力のある人しか連れて行きません、と言っていた。ここまで来て行かずに帰れるか、と思うけれど、身体はままならず、ともかく前に遅れないようについて行くのが精一杯である。
 ガイドさんのすぐ後ろは高齢者の女性が数名で、そのペースに合わせてグループ全体が進んでいる。その「ばあさんペース」についていくのがやっとで、「休憩!」の声がかかるとうれしい。へたりこんでしまう。昨日は、こんな遅いペースじゃしょうがない、休憩が多くて長すぎる、と思っていたのに。かなりなさけない。

 それでもなんとか九合目あたりまできた。濃い霧の中で、ガイドさんは、富士山がすっぽり笠雲をかぶった状態です、と言う。そして、この状態では、今日はお鉢巡りは行きません。霧の中では危険なところがあります、とも言った。
 これを聞いてわたしは、まったくだらしない話だが、ああよかった、とホッとしてしまった。それならまもなく山頂だから苦行が終わる。その先一時間半続いただろうお鉢巡りの苦行は、自己責任ではなく免除されたというわけである。
 パックツアーが楽なのは、このあたりの決断をしなくてもいいという点にもよる。この場合も、天候、コースの状態、自分の体力を判断して、行動を自己責任で決定しないといけないところを、そっくりおまかせでいいわけである。お鉢巡りに行きたかったけれど、中止になっちゃったから。十分行けたんだけどね、と言うこともできる。

 霧の中で、御来光を見るのは難しそうだったが、ガイドさんの判断で、山頂の少し前から下山道の方へそれて、下山道を少し登って山頂の手前で待機。
 4:50頃、東の空の雲の切れ目から、少し光がさしてきた。

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 この後何度も、雲で太陽が隠れ、また切れ目から日がさしてくるということを繰り返した。完全な円の太陽を見ることはできなかったが、この霧の中でこれだけ見られたことに、まわりからは喚声が何度もあがった。

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Dscf8141 後で聞いた話では、この道十年のガイドさんの経験により、笠雲のときでもこのあたりなら見えることがあるので、ここへ連れてきたのだそうだ。また、このあたりも普通「山頂」と言っている部分なので、「山頂で御来光を見た」と言ってかまわないとのことであった。感謝します。
 山頂から降りてくる登山客が、われわれの前を「ほうーっ」とか「へえーっ」とか言いながら通り過ぎていく。山頂では見ることができず、あきらめて、もう下り始めたところだったのだろうか。

 5:15。その山頂は、濃い霧と横殴りの強風の中。気温も低い、寒い。何も見えない。

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Dscf8161 いつものわたしならここで、新田次郎の『富士山頂』によれば、とか感慨にふけるところであるが、今回はとてもそんな余裕はない。
 山頂も人が混んでいる。東京屋という小屋で、ホット・コーヒーを注文して朝食を食べる。下の小屋でもらったもので、四角い米粉パンに魚肉ソーセージである。これにカロリーメイトと緑茶のブリックパックがついていた。もらったときは、重いのでおにぎりかと思ったが、そういう時代はとっくに終わっているようだ。
 ともかく登頂した。ごはんを食べて身体があたたまり、これ以上登らなくていいと思うとだんだん元気になってきた。お鉢巡りだって、きっとできるにちがいない。中止になったのが残念だ、と言っておこう。

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 何はともあれ、記念撮影。

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 あとは6:15集合で下山開始だったのに、まだ頭はぼんやりしていたらしい。6:15近くになってから、なぜか6:30までまだ時間があるなと思って、また神社の方へ徘徊をはじめてしまった。
 6:30の集合場所には誰もいない。そうだ6:15だったじゃないか、メモにも書いてある。どうして間違えてしまったのか、自分でもよくわからない。
 しかし後は下りるだけだから、あわてることはない。他にも下山する人たちは大勢いるから、道に迷うことはない。
 一人で下り始めたら、身体が高度に慣れてきたせいなのか、それとももう登らなくていいという安堵感のせいなのか、不思議なくらい元気に下りられた。砂礫の道をどんどん他の人たちを追い越して、なんと6:50には、自分たちのグループに追いついてしまった。
 

 そのうち霧が雨になって、ずっと雨の中を下った。途中まぬけなことに、転んで左膝をぶつけてしまい、最後の二時間は金剛杖にすがって、足をひきずるように降りたが、まあたいしたことはない。吉田口五合目へ無事帰還した。 

 このあとは、バスで鳴沢村の「富士眺望の湯 ゆらり」へ行き、入浴。富士眺望の露天風呂が売り物なのに、ここも雨で富士山は見えなかった。しかし入浴後のビールは最高にうまかった。横浜帰着は18:30頃。
 とうとう最後まで山頂の見えない富士山行だったが、登頂は果たしたし、御来光も見た。ともかく一度は登らなければという目的は達成した。満足はできないが、納得はしよう。

 富士山のきれいな写真が撮れなかったので、かわりに土産の富士山羊羹をどうぞ。

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2013年8月 1日 (木)

富士登山1

Dscf8154 7月28日~29日で、富士山に登ってきた。

 若い頃は、富士山なんかその気になればすぐ登れる山だ、それを行列をつくって登るなんて馬鹿馬鹿しいと、生意気に思っていた。
 それで登る機会のないままこの歳になってしまい、行列は昔よりずっと長くなってしまったようだ。しかし一度くらいは登っておきたいと、以前、学生時代の仲間に富士登山を提案したことがあったが、体力に不安のあるメンバーもあって話がまとまらなかった。
 世界遺産ブームに乗って繰り出したと言われてもしょうがない。ともかく行きたいと思ったときに行ってしまわないと、体力的にもう後がなくなる。ブームだろうが長い行列だろうが行ってこようという気になった。
 6月に急に決心したので、誰も誘わず単独で富士登山のバスツアーを申し込んだ。
 

 最近は登山も様変わりしてパックツアーがいっぱいできている。日本百名山どこでもおまかせで連れて行ってくれるツアーがある。この山に登りたいと思ったら、旅行会社の予定表を見て、○○山何月何日発二泊三日コースをお願いします、でOKである。装備のレンタルもある。
 無論、山は自分で歩かないといけないので、それだけの体力は必要だが、面倒なことは考えなくてもいい。昔は自分でその山のことをガイドブックで勉強して、登山コースを計画し、宿泊の予約、電車の切符の手配まで全部自分でやったもんだ、というのは、今や年寄りの繰り言でしかない。
Dscf8076 富士山ともなると超人気コースなので、首都圏各地からたくさんのバスツアーが出ている。
 わたしもそのひとつにのっかって、7月28日(日)の朝、横浜を出発した。料金は15,100円で、往復運賃に一泊二食の山小屋代、添乗員とガイドの同行、それに帰りの途中の入浴までついている。
 6:30横浜集合、6:45発で、町田へ寄って、町田からの客を乗せ、中央高速から富士スバルライン経由で吉田口五合目へ10:45頃着いた。

 五合目はにぎやかだ。登山者と、このあたりを観光する客とでごった返している。

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 富士山の天気予報は曇りときどき雨だった。残念ながら雲がかかっていて山頂は見えない。

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Dscf8159 ここで各自昼食ををすまして、五合園レストハウスの三階で身支度をする。昼食代は自費だが、レストハウスの使用料は含まれていて、登山に不要の荷物は置いていくことができる。
 12:30広場に集合して出発。ツアーバスの乗客は42人。これをガイドさんが先導し、添乗員さんが最後尾に付くかたちで登っていく。他の団体もいっぱいいるから最初から行列である。

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 まわりに木のある道はしばらく行くとすぐ途切れて、砂礫の山道に入る。ここから頂上までずっと木らしい木はない。
 行列は続いているが、このあたりは砂礫の道で、急な勾配はないから歩きやすい。
 六合目あたりへ来ると、こんなシェルターがところどころにある。

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 そして六合目富士山安全指導センターでは、ちょうど入山料の試験徴収として、「富士山の保存管理に係る協力金」を集めていた。7月25日から8月3日までの10日間だけというから、運がよかったのか悪かったのか。強制されるものではなかったが、支払って、記念の缶バッジをもらった。

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 トイレもここから上は全部有料になる。Dscf80981回200円(頂上は300円だったか?)。わたしは、お出かけ前にはトイレを済ましておきましょう、というよい子のしつけを守ってふだんから生活しているので、休憩のつどトイレに行きたくなって、ずいぶん使った。だから1回あたりの排出量は少ないのに回数は多かったから、ここでも保存管理に少し貢献したのではと思うが、どうだろう。
 山頂を見上げると、上はガスっている。

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 このあたり落石防止の壁がかなり長くつくられている。オンタデという黄色い花の植物が多い。

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 ともかくジグザグに登っていく。ずっと行列で、上はガスである。

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 七合目にとりついたあたりで、溶岩の岩場になってくると、それまでの速度では登れず、ひとりずつ順番にゆっくり登るようになるので、渋滞が発生する。一車線減らされた自動車道路と同じような状態である。

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 これは下を見下ろしたところ。

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Dscf8160_2Dscf8118_3 16:45には、夕食及び仮眠をとる予定の七合目の山小屋、富士一館に着いた。
 小屋はどこも同じように登山道に面した斜面に張り付いていて、敷地に余裕はない。
 ここで高度2800メートルである。体力的にはまだ余裕があるので、もっと上まで行きたいところだが、このツアーはここで仮眠ということになっている。
 この頃は山頂こそ見えないが、少し青空が広がって、明日に期待をもたせた。小屋の上の道には相変わらず行列が続いている。

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 ベッドは二段で、寝袋が隣との隙間なしに並べられている。これは覚悟の上だし、身動きとれないまま八時間もじっと我慢しているわけではなく、三、四時間仮眠するだけだ。
 食事はカレーライス。福神漬けとラッキョウもあった。気圧のせいか、ご飯が少し固めだったが、腹はすいているし、一気に食べた。

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Dscf8126_2 これがその夜の月。18:00に夕食を終え、22:30起床、出発という予定で、しばしまどろんだ。
 やはり隣とぶつかったり、寝づらくてごそごそやってみたりしていたが、昼間の疲れがあるからそれなりに寝た。

 ここまでは快調だった。

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