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2013年8月12日 (月)

「風立ちぬ」と「永遠の0」

8月2日、宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」を見た。

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 予想外の作品だった。もっとセンチメンタルな、そしてはっきり反戦の意志を示した映画かと思っていた。最近の憲法改正をめぐる論議の中で、宮崎駿ははっきり改正反対の立場に立っていることが頭にあった。9条改正反対で、零戦の設計者と、堀辰雄の生と死の瀬戸際での愛情物語をくっつけたら、なんとなくそれらしいストーリーができそうな気がするではないか。

 しかし映画は、飛行機賛歌というか大型機械賛歌というか、わたしが圧倒されたのは、人間が精魂かたむけた機械の力強い動き――ドイツのユンカースの巨大な爆撃機?(兵器にはうといのでブランドはよくわからない)や、日本の蒸気機関車の動きだった。宮崎は兵器オタクのような少年だったらしいから、その思いがこんな映像をつくらせたのか。たしかにわたしが見てもわくわくするような映像だった。
 もうひとつわたしが心を奪われたのは、飛行機工場の近くの川原に生えていたオオバコの姿。最近のアニメはものすごく精密で、川原でも山でも、近景になると、本当にその川原や山に生えていた植物をきちんと描き分けている。なんとなく草です、木です、という絵はない。その中にオオバコがあった。
 見た瞬間、ずっと忘れていたのを思い出した。こどもの頃、抜いた茎をからませて友だちと引っ張りあいをして遊んだ、どこにでも生えていた雑草。あの風景を思い出した。

 主人公の堀越二郎は、結核に冒された妻菜穂子をかたわらに置きながら、与えられた新しい飛行機をつくるという仕事にひたすら没頭する。やがて妻は死に、敗戦後、二郎は飛行機の残骸の山の中に立ち尽くす。しかし、それに対する説明は何もない。無駄だったとも悲惨だったとも、無論、二郎は立派だったとも、宮崎は言わない。
 宮崎は、そういうメッセージを伝えようとしたのではないらしい。しかしあの映像は、この時代をあらわすのにふさわしい映像だったのか。印象に残るいくつかの映像が、どういう意味を持つのか、わたしにはよくわからなかった。

 わからないあまり、たわむれによめる。

風立ちぬいざ生きめやもゼロファイター  窮居堂

 二年ほど前に、百田尚樹(ひゃくたなおき)の小説『永遠の0(ぜろ)』を読んだ。これはよくわかる本だった。よく売れており、映画化されて、この12月に公開されるそうだ。

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 「日本軍敗色濃厚ななか、生への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」とさげすまれたゼロ戦パイロットがいた……。」というのが、講談社BOOK倶楽部のこの本の紹介の書き出しである。http://bookclub.kodansha.co.jp/books/topics/eiennozero/
 そしてこのパイロットは想像を絶する凄腕で、生き残るという妻との約束を守るために、汚名も辞さず、卑劣な軍の幹部たちの思惑もものとせず、何度も死線を乗り越えて行く。しかし、最後に戦局は特攻隊としての出陣を余儀なくさせる…。
 おおむねこんな話だったと覚えている。読み返していないので、間違っていたらごめんなさい。
 戦局がどのように展開していったのかもわかり、軍内部に大きな問題があったことも説明されており、よくできた感動的なストーリーである。わたしも泣かされた。
 だからこれはいい本だと思う。否定しない。けなすつもりはない。

 しかし、この本を読んでいる間ずっと微妙な違和感があった。
 ここに書かれた戦争は、わたしの知っている戦争とどこか違う。悲惨な戦況や軍隊の情況が書かれているけれど、どこかきれいに整理されすぎている気がしてならなかった。なにかもっとザラザラしたものがつきまとっているのが戦争ではないか。
 むろん戦後生まれのわたしが実際の戦争を知っているわけがない。だからわたしがこれまでに感じてきた、学んできた戦争とどこかちがうと言っているにすぎないけれど。
 百田尚樹は1956年生まれだから1947年生まれのわたしより9歳若い。9歳のちがいがこの感覚の違いを生んだ、と言っていいのかどうか。よくわからないが、少し考えてみるだけの価値はありそうな気がした。

 宮崎駿は1941年生まれ、わたしより6歳上になる。宮崎の見た戦争、感じ、考えた戦争は、またちがうのだろう。そして「風立ちぬ」は宮崎の考える戦争の一部をあらわしているのだろう。わたしにはうまく感じとることができなかったが…。
 

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コメント

百田さんは戦後民主主義を着こなして戦争を描いたのだと思います。また宮部久蔵は他者の目(戦争を経験していない世代)を通じて小説内に再構築されたのであり今日的造形であってもよいと思います。

宮崎さんは戦後民主主義をよそよそしく着てその時代を描いたのだと思います。


戦争経験者が特攻(回天)を描いた小説があります。桜島という本です。これは読むのが息苦しい本です。


 風立ちぬは観ていませんが、永遠の0、桜島は読後感が全く異なりますがいずれも傑作だと思います。

投稿: 作品131 | 2013年10月 2日 (水) 23時40分

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