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2013年11月18日 (月)

J44 ユダヤ笑話集1

 ユダヤジョークは前にも紹介しました。(→22 ユダヤのジョーク
 今回は『ユダヤ笑話集』(三浦靭郎訳編、現代教養文庫、1975)から拾いました。

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十万ルーブル

 水汲み人ルーベンは神と話すことを許された。そこで、彼は神にお願いした。
 「お尋ねしたいことが、ひとつございます。お答えいただけますでしょうか。」
 「尋ねよ。」
 「全能なるあなたさまには、十万年も一分にすぎない、と物の本に書いてありますが、そのとおりでございましょうか。」
 「そのとおりである。」
 「では重ねてお尋ねしますが、あなたさまには、十万ルーブルも一コペイカにすぎないのでございましょうか。」
 「そのとおりである。」
 「では、お恵みぶかい方よ、どうかあなたの僕(しもべ)のささやかなお願いをお聞き入れくださって、私めに一コペイカお恵みください。」
 「よろしい、一分待つがよい、ルーベン。」 (P72)

カレンダー

 妻、タルムードばかり勉強している夫に向かって、
 「あんたったら、あたしには全然関心がないのね。あんたが夢中になるのは、本だけ。あたし、本だったらよかったと思うわ。」
 夫、溜息をついて、
 「ぼくもそう思うね。それもカレンダーだね。毎月はがしていって、一年たったら新しいのと取りかえる、あれさ。」  (P47)

眼鏡

 老齢のラビ、イチャクは、タルムードの勉強をしているところを、客に邪魔された。また本の前に戻って、眼鏡をさがしたが、いつものように本の間にはさんでない。そこで、彼は考えた。
 毎日、本を読むときには、眼鏡をかける。やめると、眼鏡を本の間にはさむ。毎日そうするのだから、今日もそうしたにちがいない。そうしたとすれば、眼鏡は本の間になければならない。しかし、眼鏡はそこにはない。眼鏡がそこにないということは、どういうことか。そこにないということは、なくなったということだ。眼鏡がなくなったというのとはどういうことだ。眼鏡がひとりでどこかに行くわけがない。とすれば、誰かが取ったにちがいない。眼鏡を取ったのは誰だろう。眼鏡を必要とするものだ。だが、眼鏡を必要とするものは、自分のをもってるはずだから、私のなぞいらない。眼鏡を必要としないものは、もちろん取るはずがない。とすると――誰も取らなかったということになる。誰も取らなかったとすれば、眼鏡はここになければならない。だが、ここにないということは、ちゃんと見て分っている。見て分っているというのは――どういうことだ。眼鏡をかけなければ、私は何も見えない.だから、眼鏡がないということが見て分っているということは――眼鏡をかけているということでなければならない。
 そこで彼は鼻に手をやった―― (P86)

賢者

 レヴィがヘブル語の本をあけて、考えこんでいる。同じところをもう一度読んでみる。
 「賢者は日に七回罪を犯す。」
 それから、首をかしげてつぶやく、
 「この賢者は、ちとほらが過ぎやしないかな。」 (P57)

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