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2013年12月23日 (月)

第十二番 慈恩寺

 今回の最後は、埼玉県の東の方の岩槻にある第12番華林山慈恩寺(かりんざんじおんじ、慈恩寺観音)です。岩槻市は今ではさいたま市岩槻区になっているんですね。知りませんでした。
 ここは慈覚大師(円仁)の開基だといいます。読んだことはありませんが、円仁には『入唐求法巡礼行記』(にっとうぐほうじゅんれいこうき)という、遣唐使としてへわたったときの記録があります。慈恩寺という名は円仁が学んだ長安大慈恩寺にちなんでつけられたそうです。

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Photo_2 ここへ着いたのが午後四時半過ぎで、もう薄暗くなっている本堂でおつとめをしました。
 おつとめというのは、先達さんの唱導のもと、みんなで般若心経などをあげます。バスが動き出してすぐあげ、各寺院であげ、帰りのバスの中でもあげたので、この日は六回あげました。みんなバスツアーの第一回目にもらった文庫判の『板東三十三所勤行次第』を片手に一生懸命です。
 わたしはそのたびに、途中どこで息を継いだらいいのかわからなくなって、息が苦しくなりました。家で練習しないとだめでしょうか。

 おつとめを終えて外へ出ると、もう暗くなっていました。まもなく冬至で、一番日の短い時期です。

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Dscf8510 ここには玄奘三蔵霊骨塔があって、遺骨が納められています。疑り深いわたしは、お釈迦様の骨(仏舎利)と同じような話かと思ったのですが、どうもこれはかなりの確度で本当らしい。

 昭和十七年南京占領中の日本軍が土木工事中に石棺を発掘し、専門家が鑑定したところ玄奘三蔵の遺骨であることが確認された。そして南京政府と相談して日本にも分骨してもらい、昭和19年に持ち帰った。ところが東京では空襲がはじまり危ないというので、埼玉のこの慈恩寺に疎開した。慈恩寺が選ばれたのは、玄奘三蔵への帰国後、持ち帰った仏典の翻訳にあたったのが長安大慈恩寺であり、そのゆかりの寺だからという理由。
 戦後、日本仏教連合会が正式にここを奉安の場所と定め、十三重の石塔を建てて、あらためて納骨した。(慈恩寺のHPの「三蔵法師」の頁を参照→http://www.jionji.com/

 というおもしろい話なのですが、残念ながらこの塔は本堂から300メートルくらい離れたところにあり、もう帰る時間になってしまったので、行って見ることはできませんでした。

 ご詠歌は

慈恩寺へ 詣(まい)る我が身も たのもしや

うかぶ夏島(げじま)を 見るにつけても

 この歌の夏島(げじま)というのは、慈覚大師の開基にまつわる伝説のひとつです。
 大師がここに草庵を結んだころ、池の主の大蛇が少女に身を変えてやってきて、一夏(いちげ)の間、回向してくれと頼んだ。そのとおりしてやると大蛇は得脱し、池に七つの島が浮かんできた。これを夏島(げじま)と名付けたというものです。

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 さてこれで行ったところは十五箇所になりました。あと十八箇所、北関東の群馬、栃木、茨城県で十二箇所と千葉県の六箇所です。バスツアーじゃないと大変なようです。さいわい港南台発のバスツアー、引き続き実施されていくようです。来年なんとか十箇所くらいはまわるようにしたいと思います。

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