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2013年12月 5日 (木)

忘年会は笹乃雪 2

Photo_4ねぎし三平堂

 子規庵のすぐ近くに「ねぎし三平堂」があった。落語家林家三平の記念館である。なぜかわたし以外の面々は興味なく、入ろうとしなかったので、一人だけで見てきた。
 三平の遺品、寄席関係の品物、テレビの台本などが展示してあり、ビデオで三平の落語が上映されていて、ちょうど「源平盛衰記」をやっていた。
 前に「28 ちょっと古いジョーク」で書いたけれど、当時ナマで見た人に言わせると、ネタは馬鹿馬鹿しかったけれど、オーラがあってともかくおもしろかったそうだ。
 ここのパンフレットにも、その馬鹿馬鹿しいネタが書いてあった。

節分
二月三日は節分、豆まきをやりましてね、
「フクはうちー、フクはうちー、フクはうちー、」
「あそこはどうしてフクはうちーしか言わないの?」
「あそこの家は洋服屋だよ」

 この三平堂のあたりは、なんとラブホテル街で、ちょっとした壮観だったが、界隈の写真は撮らなかった。出入りする人たちを撮ってしまって、あとで事件に巻きこまれたりしてはいけない。

羽二重団子

 三平堂から日暮里駅の方へ行くと羽二重団子の店がある。ここも老舗で、文政二年(1819)というから二百年近く前の創業である。ホームページがある。→http://www.habutae.jp/

Dscf8392_2

Dscf8390t きめ細かく羽二重のようだから、そう呼ばれるようになったという。けっこう大きめのこしあんの団子と生醤油の焼き団子がセットで税込み525円。
 焼団子が気に入った。わたしはタレをどっぷりつけたみたらし団子が好きなのだが、これは何度かつけ焼しているのか、醤油の色は薄いが味はしっかりしていてうまい。
 日持ちしないというので、持ち帰りはしなかったが、多少固くなってもやはり土産に持って帰ればよかった。

 ホームページに紹介されているように、この団子のことは多くの文人によって書かれている。http://www.habutae.jp/history/literature/

 前述の正岡子規の『仰臥慢録』の明治34年9月4日の記事にはこうある。

間食:
芋坂団子(いもさかだんご)を買来(かいきた)らしむ(これに付悶着(もんちゃく)あり)
あん付三本焼一本を食ふ 麦湯(むぎゆ)一杯
塩煎餅三枚 茶一椀
(岩波文庫、P14)

 団子を買ってこさせるのに一悶着あったというのは、また妹のを叱りつけたのではないか。病人で他に楽しみがなかったせいか、ともかくよく食べている。
 芋坂というのは根岸から谷中へ向かう坂で、昔はこのあたりで自然薯をつくっていたので、そう呼ばれるようになった。芋坂の団子屋として江戸時代から有名だったらしい。
 これもホームページに書いてあるが、夏目漱石の『吾輩は猫である』の第五章にも出てくる。
 猫の飼い主苦沙弥先生の元書生で、法科大学を出て今は六つ井物産の取締役として実業界で活躍している多々良三平君が、泥棒に入られて意気のあがらない先生と上野に散歩にでかけるところである。

「行きましょう。上野にしますか。芋坂(いもざか)へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食ったことがありますか。奥さん一返行って食ってごらん。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁(だべん)をふるってるうちに主人はもう帽子をかぶって沓脱(くつぬぎ)へおりる。(角川文庫改版74版、P201)

Photo_5

Dscf8393 その芋坂は今は鉄道が通って分断され、跨線橋で谷中へ行く。スカイツリーがよく見える。跨線橋のところの道標に、

 芋坂も団子も月のゆかりかな     子規

と書かれてあったような気がするが、ほろ酔い機嫌で通り過ぎたので確信はない。
 子規は「道灌山」という紀行文に「戯れに俚歌を作る」として

   根岸名物芋坂團子賣りきれ申候の笹の雪

と書いているそうだ。根岸名物は二つともこなしたぞ。
(もう少しだけつづく)

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