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2013年12月 6日 (金)

忘年会は笹乃雪 3

Dscf8396谷中墓地

 谷中墓地は、都立谷中霊園寛永寺天王寺の墓地が一体となった広い墓地だった。もっと鬱蒼とした、昼なお暗いところかと思っていたが、明るく開けたところだった。
 どこにどんな墓があるか、ちゃんと下調べをしておらず、宴会の後でそんなことはどうでもよくなってもいたので、ざっと見ただけで通り抜けてしまった。幸田露伴の小説の五重塔の跡地を見たいと思っていたのに、それもすっかり忘れていた。

 通り抜けるだけでも、聞いたことのある名前はあちこちで見つかる。下左は明治の法学者津田真道、右は民権思想家の馬場辰猪と英文学者の馬場弧蝶兄弟の墓。

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 中によくわからないのがあった。墓の下の壇になんと相合い傘が刻んである。落書きではなく、本人がそのようにつくったものらしい。よく読めないが雪庵居士とナントカ大姉が相合い傘に入っていて、脇に「相合傘イエス○釈迦○笑○○」とか彫ってある。

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 帰ってからネットで調べてみると、尾竹越堂(おだけえつどう)という日本画家の墓らしい。「谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー」というホームページ」の谷中墓地の有名人一覧の尾竹越堂のところに、「墓石裏に越堂雪庵居士と竹窓妙庵大姉が相相傘の中に入る図を描き、「相々傘イエスも釈迦も笑わせる」といういたずら書きのような句がある。」と書いてあった。
http://www17.ocn.ne.jp/~ya-na-ka/odakeEtsudo.htm
 洒落でやったのだろうか、よくわからない。
 

 これは最後の将軍徳川慶喜の墓。

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谷中なる慶喜の廟に年惜しむ   俳爺

 これは寛永寺根本中堂

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Dscf8408ターナー展

 墓地から秋色の上野公園へ向かい、ターナー展の開かれている東京都美術館へ。今回の忘年会は、まずこれを見たいと俳人T局長から希望があったので、上野界隈で開催となったものだった。
 みんな林家三平は見ないくせにターナーは見ようというのである。スノッブである。
Dscf8410 全員が65歳以上なので、当日券1,600円のところ、割引の1,000円で入館できた。はじめて65歳以上の割引をつかって、しみじみ年齢を実感した者もいた。

 ターナーがイギリスの風景画家であることは知っていたが、絵を見るのははじめてだ。無論、名前だけ知っていたのは、漱石の『坊ちゃん』に出てくるからである。
 会場には、主催者のひとつ朝日新聞のこんなPR用の別刷り版が置いてあった。わたしのような、漱石で名前だけは知っている客を呼び込もうというわけである。
 

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 この新聞に載っているのは、西洋かぶれの赤シャツと野だいこのセリフで、坊ちゃんは「ターナーとは何のことだか知らないが、聞かないでも困らないことだから黙っていた」のだが、誰もそんなことは気にしていないらしい。
 

 見てきたターナーの絵は、古典的な隅々まできっちり写実的に描かれた絵から、次第に、中心部以外はぼやけさせて描くようになり、晩年には全体がぼやけたような絵になっていったようだ。その晩年の絵を「光と大気を描いた」というらしい。
 わたしの趣味としては、何が書いてあるのかよくわかる絵が好きだが、これが印象派につながる絵であるというのは十分納得できる。

 それなりに混んでいて、ちょっと疲れた。美術展は疲れる。

冬館ターナー展の人いきれ    俳爺

Photo_3
     

 いつもなら、このあと駅の近くで軽く二次会をやっておひらきとなるところ、今回は特別に横浜のK機長宅で「民宿K」を営業してもらうことになり、みんなでさらに横浜へ向かった。
 そこでの話は次の句から想像してもらうことにして、これで「忘年会は笹乃雪」は終わりとします。

満面の笑みでおでんの湯気囲む  俳爺

酔うて臥す夢路豊かな冬の宿   俳爺

 

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