« 2013年12月 | トップページ | 2014年2月 »

2014年1月

2014年1月31日 (金)

第二十五番 大御堂

 次は筑波山の中腹まで行って、参詣の前にまず昼食です。筑波山神社前の門前町にある筑波山ホテル青木屋で弁当を食べました。

25dscf8626 25dscf8625

 二十五番札所筑波山大御堂(つくばさんおおみどう)は、筑波山神社のすぐ隣りにあります。明治までは筑波山神社と一体でしたが、神仏分離令で切り離され、かなりの被害を被ったとのことです。

25dscf8627_3

 これが大御堂です。

25dscf8630_3

 ここの鰐口にも五色の紐が結びつけられています。これにもちゃんと触ってきました。
 参詣のあと、隣の筑波山神社へ移動しました。神社の方が建物もたくさんあって立派に見えます。廃仏毀釈のせいでしょうか。
 雪が少し残っていましたが、たいしたことはありません。

25dscf8629_2 25dscf8635_2

 こちらが筑波山神社拝殿です。本殿筑波山の二つの峰、男体山女体山のそれぞれの山頂にあります。廃仏毀釈までは、この拝殿の場所に大御堂があったらしい。

25dscf8636_3
 この大きな鈴には紐がついていません。鳴らすものではないようです。

25dscf8637_2
 これは今は随神門(ずいしんもん)と呼ばれていますが、もとは仁王門だったそうです。

25dscf8641

 仁王様のかわりに、倭建命(やまとたけるのみこと)と豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の像が置かれています。
 豊木入日子命崇神天皇の皇子で東国を治め、北関東の豪族である上毛野君(かみつけぬきみ)・下毛野君(しもつけぬきみ)の祖とされています。

25dscf8640  25dscf8642

 倭建命筑波といえば、連歌の発祥とされる

「にいばり筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
「かがなべて夜には九の夜
(ここのよ)日には十日を」

という歌の問答を思い出します。倭建命の像の前の案内にもこのことが書かれていました。
 この歌を教わった高校生の頃は、なんだこれは、「新治・筑波から何日たったかなあ」「九泊十日ですよ」というだけの歌じゃないか、と思っていましたが、今はなかなかいい調べだと思っています。
 

 百人一首には陽成院(ようぜいいん)の

筑波嶺(つくばね)のみねより落つるみなの川
恋ぞつもりて淵となりぬる   

という歌があります。筑波山みなの川と同じように、私の恋はつもりつもって深い淵となってしまった、という恋の歌です。
 落語では、京都の陽成院という寺で、筑波嶺男女ノ川という相撲取りが相撲をとって、男女ノ川が山の下まで投げ飛ばされた。そのとき観客のあげた声(江戸訛りで「コイ」)が天皇の耳に入り、筑波嶺は扶持を賜るようになった、という話になっています。

 有名な歌が二つ出たところでもうひとつ、あまり有名じゃないけど、なぜかわたしが出だしの文句だけ覚えている歌を紹介しておきます。

筑波山(つくばやま)さえ 男体女体
伊太郎かなしや 一本どっこ

というのです。ネットで調べてみると、橋幸夫の歌で「伊太郎旅唄」といって、あの「潮来笠」のB面に入っていたそうです。作詞佐伯孝夫、作曲吉田正です。
→Youtube:http://www.youtube.com/watch?v=cVq_PkW_wMU

 これが大御堂のあたりから見た筑波山男体山(871m)の方です。女体山(877m)はちょうど陰になって見えません。

25dscf8633

 これは筑波山から少し離れてからとった写真。奧の嶺が女体山で、この間に男女ノ川の水源があるそうです。

25dscf8648
 25
 男体山にはケーブルカー、女体山にはロープウェイがあるし、深田久弥日本百名山の一つだし、上まで登ってみたいところですが、もちろん今回のバスツアーには入っていません。またの機会を待つことにしましょう。

ご詠歌は、

大御堂 かねは筑波の 峯にたて
かた夕暮れに くにぞこひしき

25

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月29日 (水)

第二十四番 楽法寺

 第二十四番札所雨引山楽法寺(あまびきさんらくほうじ)(雨引観音(あまびきかんのん))は、小さな山の中腹にあって、大きな石垣の上にあります。

Dscf8587 Dscf8616

 バスはちょっと登ったところにとまりますが、本来の参道はもっと下の黒門から入って仁王門へ向かいます。先達さんが、黒門まで降りると登るのがたいへんだと何度も言うので、あまのじゃくになって降りてみました。それほどのことはありませんでした。

  Dscf8620  Dscf8619

 この仁王門には、表裏それぞれに一対の仁王像があります。ちょっとめずらしい。

Dscf8618

 境内は広くて立派な堂宇が並んでいます。

Dscf8602
 多宝塔の下には孔雀がいました。放し飼いのようです。

Dscf8594 Dscf8597

 観音堂の鰐口には五色の結縁の紐が結ばれています。

Dscf8592_2

Dscf8600 この紐の先は堂の中に入って、ご本尊に結ばれているので、紐にちゃんと触って縁を結ぶように、とのことでした。
 左右にビニールが垂れ下がっているのは、地獄と極楽の様子を描いた木の浮き彫りを雨風から守るためのもののようでしたが、いかにも無粋です。壇上には上がれないので、ビニール越しに見てもよくわかりません。保存の必要もあるだろうけれど、もう少しなんとかならないものでしょうか。

境内の池には鴨やアヒルが泳いでいました。その先には関東平野が一望できる見晴らし台もあります。

Dscf8606 Dscf8607

 関東平野は広い。ここで弁当を食べていたおばさんたちによれば、晴れていると富士山もスカイツリーも見えるそうです。しかし残念ながらこの日はちょっと曇っていました。

Dscf8611_2

 左の端の方には筑波山が見えました。

Dscf8609_2
24_2 江戸幕府から寺領百五十石を与えられたという大きなお寺で、雨引観音といえばこのあたりでは有名なところのようです。また桜の名所でもあって「関東の吉野」と言われているそうですが、わたしは知りませんでした。
 横浜に住んで四十年以上になるけれど北関東のあたりはまるで不案内です。坂東三十三カ所をまわってみようと思いたったのは信仰心ではなくて、そうすればこのあたりを見ることができるというのが大きかったと思います。
 バスツアーで効率よくまわっていると、お寺以外の風景はなかなか見られませんが、ときどきはこうして見ることもでき、バスの車窓からも多少はのぞくことができます。

 ここのご詠歌です。

へだてなき 誓をたれも 仰ぐべし
佛の道に 雨引の寺

24_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月25日 (土)

第二十三番 正福寺

 1月22日、バスツアーで坂東三十三カ所の巡礼に行ってきました。今回は茨城県の4カ寺です。

Photo_3
 ここのところ寒い日が続いています。バスの車窓から見ると、夜から朝のうちに雪がふったらしく、利根川のあたりは、畑だか田んぼだか、一面真っ白になっていて、湯気が立ちのぼってかすんでいました。日が照ってきて蒸発しているのです。
 トイレ休憩に立ち寄った守谷のサービスエリアのまわりは、ちょっと雪が積もっていました。
 筑波山の方まで行く予定なので、この先どうなっているか、ちょっと不安と期待が交錯しました。

Dscf8567_2 Dscf8571

 最初の第二十三番札所佐白山正福寺(さしろざんしょうふくじ)は、笠間焼や笠間稲荷で有名な茨城県笠間市にあります。街道沿いには笠間焼の売店や窯元などがたくさん見られ、笠間稲荷のすぐ近くも通りますが、どこも寄りません。個人で来れば当然立ち寄るところですが、一日四カ所まわらないといけないバスツアーには寄っている時間はありません。

 正福寺の入口。昨年の九月に寺の名前を観世音寺(かんぜおんじ)から、昔からの名前の正福寺に戻したということで、道路の案内板などはまだ観世音寺のままになっています。

Dscf8586
 丸太づくりの階段を登っていきます。雪は日陰にうっすら残っている程度で、たいしたことはありません。

  Dscf8578   Dscf8579_2

Dscf8580
 ここは堂内に上がって畳の上でお参りしました。
 知らなかったのですが、今年は坂東午歳特別結縁巡礼というものが行われていて、それぞれの寺で特別法要とか本尊のご開帳が実施されているのだそうです。
 正福寺は、通常の年は月に一回しか開帳していないご本尊を通年で開帳とのことで、いつもは閉ざされている厨子の扉が開いており、拝観してきました。。
 あたたかいお茶が飲めるようになっていて、お茶うけに金平糖まで置いてありました。いつもは先達さんに従ってあげるおつとめ(般若心経)を、ここでは住職さんと、たまたま東京から来ていた住職さんの師僧だという和尚さんが先導してくれました。師僧のお経は音吐朗々たる立派なもので、その後お説教もありましたが、これもよどみなく上手に聞かせて、しかも長くないというすぐれたものでした。
 山の中の小さなお寺でしたが、なかなか居心地がいいところでした。サービスがいい、ではなく「お・も・て・な・し」がよかったと言っておきましょう。どこのお寺にもお守りやらなにやら置いてありますが、同行のみなさん、ここではけっこう買っていたようです。

Dscf8584 Dscf8582

23_5 これはここでいただいた散華(さんげ)という、紙製の蓮の花びらをかたどったものです。縦9センチくらい。
 散華というと、すぐ特攻隊を思い浮かべてしまいますが、もともとは、仏をたたえ供養するために、仏のまわりをめぐりながら花をまき散らすことを言023_2うのだそうです。
 今は法会のときには、こういう紙で作った花びらを使っていて、この紙そのものも散華と呼ぶらしい。
 カード式のお守りもいただきました。

 散華に書いてあるこの寺のご詠歌は、

夢の世に ねむりもさむる 佐白山
たえなる法や ひびく松風

23_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月20日 (月)

大山詣り2014

 1月18日は恒例の大山詣りに行きました。ここのところお寺詣りやお宮詣りの話が多く、いかにも高齢者のブログらしくなってきました。
 大山詣りは、前にも書きましたが、学生時代の先輩の経営する食堂が小田急線伊勢原駅前にあるので、新年の挨拶をかねてみんなで集まっているものです。商売が商売なので先輩は、忘年会などにほとんど来たことがありません。だから初詣もかねて、こちらから行くようになりました。
 (以前書いたのは→大山詣り大山詣り2011

 今年は、わたしひとり、伊勢原駅からのバスに乗り遅れそうになって、駅の階段をダッシュで登って降り、ゼイゼイ言いながら必死で発車ギリギリに駆け込みました。高齢者には過酷な状況でした。それを先に着いていた同行者たちは、バスの座席に座って大笑いしながら見ていました。永年の友情に一抹の不安を覚える幕開けでした。

 バスを降りてから大山ケーブルカーの駅までは、長い階段の参道になっていて、両脇には名産品の大山豆腐やきゃらぶきなどの売店が並んでいて、豆腐料理店もたくさんあります。ここはいつも帰りにゆっくり見ていきます。この参道が長くて高齢者にはけっこうきつい。

Dscf8553

 大山ケーブル駅は標高400m、終点の阿夫利神社(あふりじんじゃ)駅は標高678mです。
 そこからちょっと行くとこの階段です。これは参道の階段に比べればたいしたことはありません。

Dscf8542_2

 鳥居があって、茅の輪があって、本殿です。

Dscf8544_2

Dscf8548_2 

 ここは阿夫利神社の下社(しもしゃ)で、本来は山頂(1252m)の上社まで行くべきところですが、最近はずっとここまでにしています。

Dscf8546

 ここでもおみくじを引いてみました。「開運招福お守入」で二百円でした。
 「中吉」だったので、これで鶴岡八幡宮の「凶」の卦は帳消しになったことと思います。お守りは銭亀がついてきました。

Dscf8558

 境内の売店のひとつには、こんな「のれん」がかかっていました。
 「ルーメソ?}。

Dscf8552
 おわかりですね。縦の旗を横にして、しかも裏返しというのは、深い意味があるのでしょうか。

(おわり)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月17日 (金)

『大前研一敗戦記』

 東京都知事選は1月23日告示で2月9日が投票日。この1月14には細川元首相が立候補を表明というニュースが流れ、にぎやかになってきた。
 こんなHPができていた。→http://tokyo-tonosama.com/
 若い者にまかせてみたものの、黙って見ていられなくなって、とうとうご隠居さんたちがまた出てきたというところだ。
 しかしご隠居さんたち、口先はともかく足腰は大丈夫だろうか。しっかりしていないと、足元をすくわれたり、すぐコケたりするんじゃないか、心配だ。
 
 

 1995(平成7)年の都知事選に立候補し敗北した大前研一には『大前研一敗戦記』(文藝春秋、1995)というおもしろい本がある。
 青島幸男が170万票を集めて当選した年で、自民党等が推薦した石原信雄が123万票で二位、大前は42万票で四位だった。
 大前はこのあと自分で作った「平成維新の会」から参議院にも出馬したが、そちらも落選し、この本を書いた。

Photo

 アマゾンの内容紹介には 「私財六億円を失い、財界人は手の平を返し、プライドは泥まみれになった。ビジネスから政治の世界に飛び込んだ著者が書き下ろす体験的政治論。」とある。
 選挙の敗北を真摯に受け止めて自分を見直し、さらに選挙制度、マスコミ、政党や政治家の問題点を客観的に述べていて非常に説得力があり、かつおもしろい。
 選挙戦の内幕話もある。ドクター中松が立候補してきて、大前、青島、上田哲の三人を呼び集め、「四身一体」で四人同時に知事になろうという、わけのわからない提案をしてみんな閉口したとか、青島幸男の言ったこと、岩国哲人の経歴の実態とか、とてもおもしろい。
 中でも印象的だったのは、選挙応援をしてくれた加山雄三が、敗北後に「今日は黙って俺の言うことを聞け」と言って、大前に語ったということばである。
「俺は選挙中、お前には何も言わなかった。あんなに一生懸命やっているのを見ると何も言えなかった。だけどね、あんた滑稽だよ」
「あんたの政策は素晴らしい。僕なんかが聞くとその通りだと思う。でも、あんたはまったく『底辺』の人々の心に触れていない。おまえさんの言うことはやっぱり『底辺』が唸るもんじゃねえ。ごく一部の知識人がなるほどと思うだけだ。僕は吉本興業にも、どこのプロダクションにも属してこなかった。それで35年間歌を歌って食べてきた。その意味では、大衆が何を考えているのか、自分が掴まなかったら、すぐに客がこなくなる。だから、あんたより大衆が考えていることには敏感だ」
「あんたがなぜ滑稽なのかというとね、全部1人でやろうとしているからだ。明治維新を見なよ。このまま行ったら日本は欧米列強の植民地になる、大変なことになるという共通認識があった。その危機感が皆にあって、皆がそれぞれの思いで、尊皇だ、いや攘夷だ、いや開国だと百家争鳴した。百家争鳴したけれど、そういう意見の違いを乗り越えて、このままいったら日本は植民地になるという危機意識をバネに、力をあわせてやりとげた。それを後の人が『明治維新』と呼んだだけだ。それと比較すると、大前さんは、全部自分で分析して、全部自分で答えを持ってて、何聞いてもわかってて、そして一人で興ってもいないのに、『平成維新』と言って、『平成維新です。みんなやりましょう』とやっている。それじゃあピエロだ。」
「『平成維新』なんて言葉はやめちまえ。基本的にはね、もっといい国作ろうと。日本というのはこんなもんじゃねえはずだと。我慢できないぞと、こういう言葉で言えば、一般の底辺の人にもわかりやすい。今の日本、家庭をもっと大切にしよう。もっといい国作ろう。それで、その結果として、皆が集まってきてやったものが、後の人が『あれは平成維新だったな』と言ってくれるんじゃない。一回呼びかけかた変えて、『平成維新』だなんだって答えがわかっているようなことを言うのをやめなよ」(P100)

 このあたりについて、大前は「終わりに」でこう書いている。

 思えば、私が選挙に出る前、つきあっていた人というのは日本のごく一握りの人たちだった。財界人、政治家、ジャーナリスト、これらの人々の世界が全ての世界だと考えていた。しかし、むしろこのサークルは一般の国民からすれば、非常に特異な特権的サークルだった。『文藝春秋』や『日経ビジネス』で、自分の言説は広く受け入れられていると早合点していたのだが、六十万の雑誌というのは、九千万人の有権者から見れば、芥子粒みたいなものだった。そのことが、二度選挙に落ちてわかった。
 「敗戦記」を書いてみようと思ったのは、その発見を正直に書くことで、これまで語りかけてこなかった人たちにも、私の声を聞いてもらいたかったからだ。(P284)

 この本は現在品切れで、古本でしか入手できない。ネットでは、大前研一の本の中で一番面白いという評価もあるくらいなのに、ずっと文庫にならないのは、大前氏本人の意向なのか、それとも出版社が何か問題があると考えているのだろうか。
 掲載されている当時の政策提案なども含めて「おもしろくてためになる」、とてもいい本だと思う。今からでも文庫化して、広く読まれるようにしてほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月15日 (水)

鶴岡八幡宮2014

 1月14日は鎌倉鶴岡八幡宮へ行ってきました。毎年恒例のことなので、特別のことはありませんが、定時・定点観測記録として書いておきます。

Dscf8531_2
 2010(平成22)年3月に倒れた大銀杏はこんなになっています。
 ひこばえがたくさん生えていたのを、選抜して一本にしてありました。今は冬なので裸ですが、季節になればちゃんと葉もつけるそうです。

Dscf8532_2

Dscf8536

 お参りしてからおみくじをひいてみました。
Dscf8538_3
 いつもは百円の普通のおみくじですが、今年は奮発して二百円の鳩みくじを引いてみました。そうしたら出たのはなんと「凶」。人生にはいろいろ浮き沈みがあるものだそうです。
 一月三日に引いた横浜の弘明寺のおみくじは「吉」でした。神様と仏様で意見が違っていては、善男善女が困るじゃないか。
Dscf8539_2
 鳩みくじには、小さなストラップのお守りがついていました。
 神様も仏様も正しくて、十日くらいで吉が凶に変わったのかもしれません。それなら、また十日もすれば「大吉」に変わることもありえます。人生にはいろいろ浮き沈みがあるものです。このお守りを携帯につけて、少し様子を見ることにしましょう。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月13日 (月)

『書物狩人』ほか

  最近、前回書いた『ビブリア古書堂の事件手帖』のほかにも「古本の出てくる推理小説」はけっこう出ている。その中からいくつか簡単に紹介しておこう。わたしの趣味とはちょっとずれているうえ、読んでからだいぶ日がたっているものもあるので、こういう本もあるという紹介にとどめる。

書物狩人』 (赤城毅(あかぎ つよし)、講談社ノベルス、2007)

Photo_2

【カバーの文句】
たかが本――だがそこに書かれたことは時として大企業を破滅に導き、国家を転覆させることもある。錚々(そうそう)たる依頼人の願いをうけ、世に出れば世界を揺るがしかねない秘密をはらんだ本を、合法非合法を問わずあらゆる手段を用いて入手する「書物狩人(ル・シャスール)」。歴史の闇に隠されてきたその足跡が今初めて語られる! (講談社文庫)

 書物狩人の活躍する舞台は世界中に広がり、扱う本はケネディ暗殺の秘密を秘めた歴史の教科書、闇に葬られた聖書の第五福音書、ナポレオンの毛髪が隠されているという皇帝の署名入りのヴォルテールなど、いかにも秘本らしいのがぞろぞろ出てきて、道具立ては凄いのだが、あっと驚くトリックとか最後のどんでん返しといったミステリーらしいところが弱く、ちょっと残念だった。

書物迷宮』 (赤城毅、講談社文庫、2011)

 Photo【カバーの文句】
世に出れば歴史の真相を覆しかねない本を、合法非合法を問わずあらゆる手段で入手するプロフェッショナル、“書物狩人(ル・シャスール)”。スペイン内戦末期に出版された、ロルカの幻の詩集獲得のためグラナダ地方を訪れたル・シャスールは、依頼人である老婦人を前に、この本に隠された驚くべき秘密を語り出す。シリーズ第二弾!

 これは第2巻で、第6巻まで出ているようだ。作者は軍事史・ドイツ現代史の研究者でもあるそうで、歴史的な蘊蓄は豊富である。しかし、状況を説明するための不自然な会話が多くて、いかにも固い。それにストーリーがやはりちょっと弱いように思う。
 この本の解説で、歴史学者の加藤陽子が「トレヴェニアンに比すべきもの」と書いているが、トレヴェニアンのファンとしては、いくらなんでもほめ過ぎだと言わざるを得ない。 

 

 

蒼林堂古書店へようこそ』(乾くるみ(いぬい――)、徳間文庫、2010)

Photo

【カバーの文句】
 書評家の林雅賀が店長の蒼林堂古書店は、ミステリファンのパラダイス。バツイチの大村龍雄、高校生の柴田五葉、小学校教師の茅原しのぶ―いつもの面々が日曜になるとこの店にやってきて、ささやかな謎解きを楽しんでいく。かたわらには珈琲と猫、至福の十四か月が過ぎたとき…。乾くるみがかつてなく優しい筆致で描くピュアハート・ミステリ。

 日本の新本格派と言われるミステリが話の中心になっている。わたしはそれらの本を読んでおらず、ほとんど知識がないので、いまいち乗れなかった。

 

古書店アゼリアの死体』(若竹七海(わかたけ ななみ)、光文社文庫、2003)

Photo_2

【カバーの文句】
勤め先は倒産、泊まったホテルは火事、怪しげな新興宗教には追いかけられ…。不幸のどん底にいた相沢真琴は、葉崎市の海岸で溺死体に出合ってしまう。運良く古書店アゼリアの店番にありついた真琴だが、そこにも新たな死体が!事件の陰には、葉崎市の名門・前田家にまつわる秘密があった…。笑いと驚きいっぱいのコージー・ミステリの大傑作。

 カバーにも書いてあるとおり、これは「コージー・ミステリ」というものだそうだ。
 今では女性向きのコメディタッチの推理小説を「コージー・ミステリ」と呼ぶが、もとは、ハードボイルドに対する、日常的で、居心地がいい(cozy)世界に起こるミステリということだったらしい。そういえば「コージーコーナー」というシュークリーム屋があった。
 この本が主に話題にするのは、ロマンス小説――ハーレクインみたいなやつ――だから、これも知識のないわたしにはなかなかついていけない。
 この古書店主のおばあさんは、カバーの絵にあるように、くわえたばこで仕事をしているが、今どきこんなことをしていると、お客さんに本がたばこ臭いと怒られてしまう。この本が出たころはまだよかったんだろうか。

金魚屋古書店』シリーズ(芳﨑せいむ、小学館、イッキコミックス)

Photo
Photo_2

 これはマンガでしかもミステリではないけれど、おまけで入れておく。
 若いころ同時代で読んでいたマンガが、ほとんど古典あつかいされているのがおもしろい。
(この項おわり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月10日 (金)

兄の叙勲祝

 昨年の秋の叙勲で、わたしの兄が旭日双光章という勲章を授与されました。永年にわたる地方自治への貢献ということです。
 兄は町長を三期つとめました。
 「文化町長」と呼ばれていたそうです。褒め言葉ではなく、教育や社会福祉に力を入れていた兄に対して、経済方面の話の方が好きな人たちから、揶揄をこめてつけられたあだ名のようです。
 いろいろなことがあったのでしょうが、東京都の知事のような怪しげな話にはいっさい関わることなく、平成の大合併により「最後の町長」になるまで、きちんとつとめ終えました。誇りに思っています。
 

Bokasi_2
Photo_3 それで今年の正月は、お祝いをかねて、ひさしぶりに兄弟が集まろうということになりました。
 父母が生きているときには毎年の恒例でした。わたしたち夫婦も、よほどのことがなければ、子供たちを連れて愛知県の実家まで行っていました。
 父母が亡くなってからは、どこの家族でもそうなのでしょうが、だんだん兄弟が一堂に会することが少なくなって、法事だとか葬式のときくらいになってしまいました。
 本当は、冠婚葬祭の「婚」のお祝いで一堂に会することがこれまでもっとあってもよかったのですが、わが兄弟の子供たちは時代の波に乗っているのか、いまだに「婚」にいたらない者が、うちの息子たちを含め何人もいます。
 だから貴重なおめでたい機会であり、大事にしなければなりません。

 残念ながら、二年ちょっと前に亡くなった次兄の子供たちは来られませんでしたが、姉や兄の子供たちも集まり、にぎやかに正月と叙勲とを祝うことができました。
 本当に長い間ご苦労様でした。父母が生きていればさぞ喜んだことだろうと思いますが、われわれがもう高齢者の仲間入りしているところなので、そこまで望むのはちょっと無理な話です。
 

 酒を飲むと写真を撮ることを忘れてしまうので、これは借用した写真です。写っていない者もいますが、とりあえずこれで。

Photo_2

 これは横浜中華街のおせち。

Dscf8511
 ひさしぶりに、昼から晩までずっとだらだら飲み続ける正月をやりました。昔は兄弟三人で相当な量を飲んだものですが、さすがにもうそんなことはできません。

 楽しい、いい正月でした。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月 7日 (火)

第十四番弘明寺 ご詠歌

 第十四番札所、横浜弘明寺(ぐみょうじ)のご詠歌について、以前に書いたことが間違っていたので訂正します。

 ここのご詠歌は

ありがたや ちかひの海を かたむけて
そそぐめぐみに さむるほのやみ

というものです。ところが一部の案内書やネットの書込では、最後の句が「さむるほのみや」となっていて、意味がわからない。これは「ほのやみ」が正しい。そして「さむるほのやみ」は、「醒むる仄闇(ほのやみ)」だろう、と書きました。(→第十四番 弘明寺

 しかし最近入手した『西国坂東観音霊場記』(金指正三校注、青蛙房、1973)を見ると、ここは「醒る燄疫ほのやみ)」で、「燄疫とは即ち疫癘(えきれい)の事なり」と書いてありました。燄は焔の異体字で「ほのお」です。焔の疫、高熱の出る流行病ということだったのです。

 後朱雀帝のころ(1040年ころ)、武・相の地に疫癘がはやったので、弘明寺光恵(こうえ)上人が秘法を行った。そうしたら本尊が気高い老僧に身を変じて現れ、家ごとに宝瓶(ほうびょう)から霊水をそそいで人びとを病から救った、というこの寺の伝説を歌ったものでした。

この歌は本尊僧形を現じ、村里の家毎に臨み、宝瓶の水を膨ぎて、諸人の疫癘を除却(のぞ)き玉ふ。利生の掲焉(あらた)なるを述ぶる、光恵上人の自詠なりとぞ。(P280)

     Photo_2 Photo_4

 よく知らないことをわかったように書くものではありません。恥ずかしい。どうも失礼いたしました。

 この本は、『西国三十三所観音霊場記図会』と『三十三所坂東観音霊場記』という二つの江戸時代の刊本を活字化して註をつけたものです。2007年に新装版が出ています。
 『三十三所坂東観音霊場記』は、各札所の縁起や伝説などを詳しく記した書物です。このあと行ったところにおもしろい話があれば紹介したいと思います。

Photo_5                板東巡禮始行之圖(P212)

というわけで、1月3日にはその弘明寺へ初詣に行って来ました。さすがに混んでおり、入場制限をしていて山門前には行列が出来ていました。

Dscf8519 Dscf8520

 本堂もこのとおり。

Dscf8523_2
 ともかくお参りをして、おみくじをひいたら「吉」でした。なんでも、これまでやってきたことが次第に成果となってあらわれてくるということでした。
 これまでたいしたことをやってきてないからなあ、と思いつつ、少し期待して、力をこめてぎゅっと枝にしばったら端がちぎれてしまい、再度結びつけるのに苦労しました。これでもちゃんと成果はあらわれてくれるでしょうか。

Dscf8527 Dscf8526

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月 1日 (水)

謹賀新年2014

  あけましておめでとうございます

 Pc300039

 今年もよろしくお願いします。

めでたさも一茶位や雑煮餅   子規

       2014(平成26)甲午 元旦

              南無谷窮居堂

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年12月 | トップページ | 2014年2月 »