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2014年1月31日 (金)

第二十五番 大御堂

 次は筑波山の中腹まで行って、参詣の前にまず昼食です。筑波山神社前の門前町にある筑波山ホテル青木屋で弁当を食べました。

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 二十五番札所筑波山大御堂(つくばさんおおみどう)は、筑波山神社のすぐ隣りにあります。明治までは筑波山神社と一体でしたが、神仏分離令で切り離され、かなりの被害を被ったとのことです。

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 これが大御堂です。

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 ここの鰐口にも五色の紐が結びつけられています。これにもちゃんと触ってきました。
 参詣のあと、隣の筑波山神社へ移動しました。神社の方が建物もたくさんあって立派に見えます。廃仏毀釈のせいでしょうか。
 雪が少し残っていましたが、たいしたことはありません。

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 こちらが筑波山神社拝殿です。本殿筑波山の二つの峰、男体山女体山のそれぞれの山頂にあります。廃仏毀釈までは、この拝殿の場所に大御堂があったらしい。

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 この大きな鈴には紐がついていません。鳴らすものではないようです。

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 これは今は随神門(ずいしんもん)と呼ばれていますが、もとは仁王門だったそうです。

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 仁王様のかわりに、倭建命(やまとたけるのみこと)と豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の像が置かれています。
 豊木入日子命崇神天皇の皇子で東国を治め、北関東の豪族である上毛野君(かみつけぬきみ)・下毛野君(しもつけぬきみ)の祖とされています。

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 倭建命筑波といえば、連歌の発祥とされる

「にいばり筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
「かがなべて夜には九の夜
(ここのよ)日には十日を」

という歌の問答を思い出します。倭建命の像の前の案内にもこのことが書かれていました。
 この歌を教わった高校生の頃は、なんだこれは、「新治・筑波から何日たったかなあ」「九泊十日ですよ」というだけの歌じゃないか、と思っていましたが、今はなかなかいい調べだと思っています。
 

 百人一首には陽成院(ようぜいいん)の

筑波嶺(つくばね)のみねより落つるみなの川
恋ぞつもりて淵となりぬる   

という歌があります。筑波山みなの川と同じように、私の恋はつもりつもって深い淵となってしまった、という恋の歌です。
 落語では、京都の陽成院という寺で、筑波嶺男女ノ川という相撲取りが相撲をとって、男女ノ川が山の下まで投げ飛ばされた。そのとき観客のあげた声(江戸訛りで「コイ」)が天皇の耳に入り、筑波嶺は扶持を賜るようになった、という話になっています。

 有名な歌が二つ出たところでもうひとつ、あまり有名じゃないけど、なぜかわたしが出だしの文句だけ覚えている歌を紹介しておきます。

筑波山(つくばやま)さえ 男体女体
伊太郎かなしや 一本どっこ

というのです。ネットで調べてみると、橋幸夫の歌で「伊太郎旅唄」といって、あの「潮来笠」のB面に入っていたそうです。作詞佐伯孝夫、作曲吉田正です。
→Youtube:http://www.youtube.com/watch?v=cVq_PkW_wMU

 これが大御堂のあたりから見た筑波山男体山(871m)の方です。女体山(877m)はちょうど陰になって見えません。

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 これは筑波山から少し離れてからとった写真。奧の嶺が女体山で、この間に男女ノ川の水源があるそうです。

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 男体山にはケーブルカー、女体山にはロープウェイがあるし、深田久弥日本百名山の一つだし、上まで登ってみたいところですが、もちろん今回のバスツアーには入っていません。またの機会を待つことにしましょう。

ご詠歌は、

大御堂 かねは筑波の 峯にたて
かた夕暮れに くにぞこひしき

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