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2014年7月15日 (火)

神奈川宿田中家 3/3

 田中家ともお龍とも関係ないが、前掲の『よみがえった老舗料亭』という本について、ついでにひとこと書いておきたい。
 この本は、田中家の歴史が一応の本筋だが、神奈川宿や江戸時代の料亭の話とか、お龍さんの生涯とか、本筋以外の説明の部分が多い。記者が一所懸命勉強した知識で間をつないでいるという感じで、当時の状況を読者に知らせるためにやむをえなかったとしても、少々まとまりにかける。
 中に一箇所、これはいけないと思うところがあった。
 
 明治新政府の要人がなぜ横浜へ足繁く通ったか、当時有名だった横浜の料亭富貴楼(ふうきろう)の「女将お倉はその理由を次のように述べている」として、お倉の言葉を引用してある。

 ”大久保(利通)さん、伊藤(博文)さん、井上(薫)さん、大隈(重信)さん、陸奥(宗光)さん、山県(有朋)さん、皆さん、大層な自信家のように振る舞い、自信ありげにしゃべっておいででしたが、あの頃、本当は自信なんかこれっぽっちもありませんでした。これまでにしたことのないことをしなければならず、……何をするに当たっても、きまって反対だ、してはならない、延期せよという大きな声がありました。(だからこそ)皆さん、自分の決めたことは正しい、自分のやっていることは正しい、自分のやっていることは間違っていない、こう言った自信を持とうとして新橋駅に向かい、汽車に乗りました。
 (そして)六郷川を一気に渡った時には、渡し舟を待って川原に立っていた夏の日、冬の日のことを思いだし、自分のしていることは間違っていないのだと自信が湧いてきます。反対を押しきり、この鉄道をつくったのは正しかったのだ。「開化」の方針は間違っていないのだと思うようになります。……弱気を吹き飛ばし、自信を取り戻そうとして、皆さん、汽車に乗りました。鉄道を建設したのは正しかった、学校を建てる,橋をかける、道路をつくる、港をつくる、工場を建てる、これは間違っていないと考え、自信を回復なさって横浜に着きます”。(P70)

 引用元を書いてないが、これは鳥居民(とりい、たみ)の『横浜富貴楼お倉』(草思社、1997)から取ったものである。適当に省略したり、かなを漢字を変えたりしてあるのもいけないが、一番いけないのは、もとの『横浜富貴楼お倉』(P248)にあるのは、ナマのお倉の言葉ではなく、著者鳥居民が想像で書いたせりふであることだ。
 それを実際の回顧談として「さすがは明治の女傑と呼ばれたお倉で、その観察眼は鋭い」などと書いてしまっている。たしかにここはちょっと感心するところだが、その功は鳥居民の想像力に帰すべきもので、お倉にではない。
 本全体が講演会で話している形で書かれていて、途中で「テープをまわします」と回顧談の録音を講演会場で聞いているように書いてある。引用箇所のすぐ前にも「もういちど、テープをまわします」とあるので、ひっかかってしまったようだが、お倉が死んだのは明治43年(1910)でテープなんかあるわけがない。著者も、テープというのは「冗談です」と前の方に書いている(P38)。
 ひょっとすると記者は、生まれたときにはもうウォークマンがあったくらいの若い世代で、テープなんてずっと昔からあるものだと思っていたのかもしれない。しかし、こういうところがあると、他のところも心配になってしまう。神奈川新聞社、がんばってください。
 

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 さらについでに書いておくと、鳥居民には、『横浜山手―日本にあった外国』(草思社、1977)という明治時代の横浜を描いた著書もある。
 ライフワーク『昭和二十年』(草思社、1985~)は、軍人・政治家から一般市民までの日記や回想録などの膨大な資料をもとに、昭和二十年の日本を1月1日から時間をおって叙述しようとした大河ノンフィクションである。
 残念ながら第13巻7月2日まで刊行したところで、昨年(2013)、84歳で亡くなった。
 とてもおもしろい本であるが、わたしはまだ第2巻3月19日までしか読んでいない。

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