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2014年10月10日 (金)

J60 『ユダヤの笑話と格言』

ユダヤのジョークはこれまでに、22 ユダヤのジョークJ44 ユダヤ笑話集1J45 ユダヤ笑話集2でも紹介した。今回は『ユダヤの笑話と格言』(ザルチア・ラントマン編、三浦靭郎訳、社会思想社、1976)から紹介する。

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聞いてもむだ
 ユダヤの詩人で、随筆も書き、翻訳もしているダヴィド・フリッシマンは、有名な諧謔家だった。
 彼の本を出しているベルリンの出版社の社長と話していたとき、彼の唇が歪んで、皮肉な薄笑いを浮かべた。
 それを見て、社長は言った。
 「あなたが今、何を考えているか、教えていただけたら、二十マルク上げますよ。」
 「私が今考えているのは、一マルクの値打ちもないことなんだ。」
 「何をいったい、考えていらっしゃるんです。」
 「あんたのことだよ。」(p8)

 

新聞の論説
 レンベルクの詩人ヤン・シュトゥフは、しばしば、反ユダヤ系の新聞から攻撃を受けた。
 あるとき彼は、評論家の中でもいちばんしつこい男に、つぎのような手紙を送った。
 「私は今、便所に入って、あなたの論評を読んでいます。まもなく、私はそれをつかわせてもらうことでしょう。」(p9)

絵入りの祈祷書
 ワルシャワのヘブライ人の本屋に、同化したユダヤ人が入ってきて、言う。
 「絵入りの祈祷書が欲しいんだが……」
 本屋の主人はその顔をふしぎそうに見て、言う、
 「あんたの言うのはきっと、ハガダ、絵の入った過越の祭に読むあれでしょう。」
 「違う。」
 「それとも、絵入りのエスター書ですか。」
 「違う。」
 「じゃ、言ってください。祈祷書のどんな絵をあんたに出してみせればいいんですか。」
 「私の欲しいのはね」と、客は答える、「やってはいけないことが表になっている章に、みんながどんな風に罪を犯すのか、絵で説明してあるやつだよ……」(p126)

 

ユダヤの格言

・ユダヤの著作家は、たとえ飢えて死んでも、死後に生きようとする。

・ユダヤ人は、本を買うより、本を書く。

・序文のない本は魂のない肉体と同じだ。 

・ペンは矢よりも鋭い。

・言葉は、重さを計らなければいけない。数をかぞえてはいけない。(p12)

 

 おまけ。これは前に紹介した三浦靭郎・訳編『ユダヤ笑話集』(社会思想社、1975)から。

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祈祷書
 コップシュタインは、木曜日の午後、遊郭で、友だちのチトリンバウムとばったり顔を合わせた。
 コップシュタイン「きみはここで何をしてるんだね。」
 チトリンバウム「いや、家内が湯治場へ出かけたもんでね、それで考えたんだよ、この機会に……その‥ ‥まあ、こんなところに……いや、分ってるじゃないか。」
 コップシュタイン「ああ、その気持はよくわかるよ。だが、小脇にかかえている本は、そりゃ何だい。」
 チトリンバウム「祈祷書だよ。」
 コップシュタイン「冗談はよせよ。なんでまた、選りに選って祈祷書なんかもって行くんだね。」
 チトリンバウム「それがね――こう考えたんだよ、もし居心地がよかったら、安息日まで居続けをしてやろうと。」(p64)

 

誤植
 マルクス・ヘルツは、哲学者であり醫者でもあった。長いあいだ通っていた患者がばったり姿を見せなくなった。人づてに、その患者が医学書を手許において、自分で治療をはじめた、と聞いて、言った、
 「かわいそうに、本の誤植で死んでしまうだろうよ。」(p257)

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