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2014年11月 6日 (木)

坂本龍馬未亡人龍子 2/2

第五回(明治37年12月21日)

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◎祝言を了って、龍馬は龍子と其母の貞子に對し、自分の奔走は國事の為なるが。動(やや)もすれば反對黨の危害を免れぬ、實に旦夕を知らざる命だからとて其決心を語つた。
◎斯様(こん)な事情(わけ)だから、龍子を表向き女房として世帯を持つなどは迚(とて)も出來ぬ、いっそ自分の定宿として居る寺田屋に女中として住はせ、敵味方の虚實を探らするが得策であると考へ、母貞子諸共龍子を寺田屋へ連れ行き寺田屋の女将とも密議の上トウトウそれを取極めた。
○寺田屋の女将おトセと云ふは歳三十を超ゆる僅かに二三、才色兼備の女豪傑で、龍馬夫婦と母貞子の志に感じ、龍子が龍馬の妻たることは堅く隠し、表向き養女として貰ひ受け、常に他の女中と一所に他に侍らしめたので、何人も此内情を知つた者はなかつた。
◎龍馬は其當時深く本名を秘して種々(いろいろ)に名前を偽り、此頃は齊田梅太郎と稱して政界に出没し龍子は女中お春と稱して女将及び龍馬の指導の下に密偵をなし、龍馬の為め實に必要なる探偵機關となった。
◎龍子が女中お春と化けて入つたる寺田屋と云ふは、御承知の通り京都の宿屋で、諸國の旅人――殊に浪人共がお得意の宿で、幕府方の新選組なども能く飲みに行つたのである。
◎女将のおトセは女中のお春が龍馬の妻であると云ふのを蔽ふ為めには却々の 苦心したもので、新選組の客などの面前で叱りもし打擲もすると云ふが、毎々の事であったので、三好を除くの外、龍馬の腹心の者すら容易に之を發見し得なかつたとの事である。
◎さて寺田屋のお春おとく二人は評判の美人で、殊にお春は才氣の勝れて居る為め、諸國の豪傑連をして恍惚たらしめる勢で、此美人を見る為めに態々用を拵えて出入した者も少なくは無かつた。
◎血氣壯(さかん)の豪傑連の中には、お春を掌中の花にせんと執心した者も數多あつたが、中にも以前楢崎の家に出入して面識ある薩摩の豪傑某は、特に熱心の度が高かつたので龍子のお春も宛然(さながら)許したかの如く見せ掛けてサンザン翻弄したとは、さてさて罪深い心根、凄い腕ではあつた。
◎薩摩組で新納(にひろ)と云ふ豪傑も横恋慕の一人である、彼はお春を挑んだが、案外手輕く靡きさうに見えたので、一夕お春の寝所へ奇襲を試みた。所がお春は靡くどころか、失敬千萬と言はぬばかりに枕頭(まくらもと)に隠し置いたる短刀を抜き翳し、寄らば斬らんと云ふ意氣込を見せたので、流石の豪傑も度膽を抜かれ、二足三足後へたぢろき、ハヽヽヽと高笑ひするお春を尻目にかけ、女の分際短刀など持ち居るは怪しい奴に相違ない、直ぐ河原へ連出して首を斬(きる)と騒ぎ出した。

第六回(明治37年12月23日)

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◎さてお春は平氣であったが、女將は心配して詫びる、新納は如何(どう)あつても許さぬと威張り返って居る。所へ西郷、大山(綱良)等が遣つて來て其仔細を聴き取り、兎に角その短刀から檢(あらた)めんとて大山が先づ手に取つて見始めた。豈に圖らんや、此短刀は紛れもなく龍馬が實の姉から貰った愛刀なので、一同これは不思議と首を傾け居ると、三好はお春と龍馬の關係を知つて居るから、今更隠し立てすることも出來ず、チョット大山に耳打ちした。
◎スルト大山は新納に對し、極厳めしい調子で『お春どんは坂本殿(どん)の夫人ぢや無禮をし玉ふな』と遣つたので、居合はした人々は一時呆気にとられ、是迄再三お春を挑んだ三四の豪傑連は膽を潰したとの事である。
◎其翌日でもあつたか、西郷、新納を始めお春を挑んだ四人の者は、當時居合はした同志に連れられ、齋田梅太郎即ち龍馬の面前で無禮を謝し、龍馬も龍子の事を披露に及んで。圓満に局を結んだと云ふ事である。
◎此待設けざる珍事より漸々(だんだん)お春の素性も世間に知れ渡つたのみならず、また龍馬の信用した下男某は其後新選組に裏切りをした為め、お春が龍馬の妻たる事も敵方に知れる様になつたので、お春は密偵としての働きが出來ない様になつた。
◎併し龍馬の為めに手足となつて働いた事は大したもので、龍馬が寺田屋で新選組に夜襲せられた時、若しお春の龍子が居らなかつたなら、龍馬と三好の運命は、彼(あ)の時定まつたのであらうと思はれる。其寺田屋騒動に於ける龍子の働きをチヨツト話さう。
◎さて龍馬等が畫策した薩長連衡策も略(ほ)ぼ成就したので、幕府は一通ならぬ恐慌を起し、之に奔走せる志士に對する迫害の度を加へたので、幕府方の壯士新選組十三名は、遂に寺田屋に龍馬を襲ふたのである。
◎其晩龍馬は來合せて居つた三好と入浴を了へ、おはるの龍子を侍べらせて、晩酌を傾けながら、色々時務に就て熟談を試み、午後十時頃に龍子は『ちよいと風呂へ入つて参りますさかい……』とて、浴槽に入つて居つた所、ゴツンと云ふ物音と共に閃く鎗の穂先が龍子の髻(たぶさ)を掠めた。
◎これが尋常(なみ)の婦人ならば、膽を潰ぶして気絶でもする所だらうが、龍子は天性豪膽なるが上に龍馬の薫陶があるので少しも騒がず。ハテ來たなと感付き、直様(すぐさま)鎗の柄を捕まへて揮(ふ)り搖(うごか)しながら『女に手向ひする卑怯者め』と叫んだが、外では女ぢゃ〈とて鎗を抜き、今度は戸口へ向かつた様子。
◎龍子は所天(をつと)の一大事と、身體も拭はずに着物を纏ひ、捷路(ちかみち)の梯子を登り二階の所天に急報しやうとしたが、廊下でバツタリ敵の先鋒に會あつて胸倉を取られ『二階に客が居るだらう、案内しろ……ナニ虚言(うそ)だ居るに相違ない』と嚇されたが、其處は度胸の据わつた女丈夫だけに平氣なものであつた。
◎『成程先刻迄客が居りました……確か西郷とか云ふ薩摩のお方』『イヤ齋田梅太郎が居るに相違ない』『イヽエ其様(そん)な方の名もお聞き申しません』と遣って見たが、其内の一人は『薩州でも構はん上れ〈〈』とて先刻(さつき)まで客の居つたと云ふ部屋へ案内なしに打入ろうとした。

第七回(明治37年12月27日)

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◎こヽに至つて龍子は勢(いきほひ)窮つたので、好い加減に饒舌(しやべり)つヽ態々遠くの方を教へて遣り、自分は捷路(ちかみち)から一直線に龍馬の部屋へ行き、唐突(いきなり)龍馬の背中をたヽき『新選組が亂暴しに來ましたさかい御仕度なされ』と告げた。龍馬は此時三好と差向ひで密議を凝らして居たので、トント新選組の龍來に気が付かずに居った上に、廣い家ではあるし、女将其他の家族は大抵縛られたり、監視を付けられたりして居たので、龍子の外に注進する者がなかつたのである。
◎さて新選組の連中は方々の部屋をば靜かに家捜して廻り、遂に裏の梯子から上つて行つたのだが、龍馬は最早(もう)龍子の急報によつて其邊の障子を外させ邪魔者を取片付けさせて、悠々と傍らにあつた袴を着け、三好も曲者御参(ござん)なれと云ふ調子で羽織を脱ぎ襷を綾どり、部屋に用意してある槍を操(と)つて身支度をした。龍馬は最(いと)鷹揚に床の間を背に身構へ、龍子に向かつて『お龍お前は乃公(おれ)の脇に居つて如何(どう)なるか観て居れ』と如何にも敵を呑んだ言分であつた。
◎斯くて坂本三好の両人は今や遅しと待つて居る所へ、階子(はしご)を上つて來た曲者の龕燈提灯がパツと映つるや否や直ぐドカ〈遣って來た。龍子の大膽不敵なる、斯様(こん)な危機一髪の場合にも沈着(おちつき)佛つて少しも騒がず、直ぐに己が着て居た袢纏を脱いで行燈に被らせ、燈光(あかり)を先方(さき)へ向けた早速の氣轉、聞く者誰でも舌を巻いて驚嘆した。
◎龍馬は曲者の姿を見るや、大喝一聲、『無禮者控へろ』と怒鳴り、打込んで來る敵の先鋒一人を第一發のピストル弾に斃した。龍子もこれと前後して側にあつた二個の火桶を抛り投げたところ、一個は見事に第二番目の曲者の顔へ當つたので、曲者は忽ち氣絶した。 ◎三好は槍を操つて縦横に突入り、敵に數多の傷を負はせ、龍馬のピストルは六發のうち五發まで敵を斃したが、横合から來た曲者の一刀に身を躱(かわ)したる一刹那、ピストルを持たる右の拇指(おやゆび)と人さし指を切(きら)れた。
◎此時代のピストルと云ふのは、ちょつと珍しい利器なので、如何に豪膽な士(さむらい)でも、これには大に恐がつ居つたのだが、此晩の曲者も此のピストルの為に多大の損害を被って退却し、龍馬も指に疵を負ふたので、曲者等の退却に次いで、一方の路から隣屋敷へ身を避けた。
◎三好は餘勇勃々(よゆうぼつ〈)、血に塗れたる鎗を提(ひつさ)げて、敵を追駆けやうとしたが、其時龍子は危險已に去つたことゆゑ、此上進んで萬一(もしか)大切(だいじ)の身體に怪我でもあつてはならぬと引き留めたので、三好も成程と其儘追窮を見合せ、多くの時間を費して途中忍びつヽ薩摩邸に避けた。龍子も床間にある所天が大切にして居る、掛物を抱へて薩邸に逃げ落ちる途中、新選組の逆襲に會つた。其一節は次號に書かう。

第八回(明治37年12月28日)

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◎龍子は所天(をつと)龍馬の身上を気遣ひ、多分薩州邸だらうと思つたが、近所に懇意な醫者があるから、或は其家に龍馬が居るかも知れぬと考へたので、先づ其醫者を尋ねた。所が其家では、若し寺田屋の騒動が此方(こちら)まで及んでは大變と云ふので、家族は悉皆(すっかり)出拂ひ、家中真闇で寂然(ひつそり)してあつたゆゑ、直に薩州邸へと足を向けた。
◎龍子が凡そ三四丁も行くと、先方(むかふ)から抜身の槍を提(ひつさ)げた者を案内として遣って來る十數人の一隊を見た。所が先方(さき)では早くも龍子を寺田屋のお春と猜して『お前はお春だらう』と詰問した。けれども龍子はビクともせず、『イヤ其様(そん)な者ではありません、私は此邊の醫者の娘で今使(つかい)の歸りです……ハテ其様(さう)いふ婦人なら唯今一人跣足(はだし)で向ふへ行きましたが……』と騙して切り抜けたる膽力機知、實に男子も及ばぬ所なので、新選組の逆襲連はツカリ乘せられ、先を急げ〈と寺田屋指して駆け出した。
◎斯くて龍子は漸く虎口を脱し、薩州邸の門衛に斯く〈と告げて邸内に入り込み、丁度邸内に來合わして居た豪傑連に寺田屋騒動を話したが、西郷を始め一同大に立腹し、何れも早速出掛けやうと袴を股立にそれぞれ身繕ひした。時しも三好は途中を忍びつつ漸く薩邸に達したので、共に寺田屋へ出掛けることになった。
◎龍子は龍馬の居らぬ為め大心配して居つたのであるが、併し最早大した怪我をせずに逃げ延びたことは確かに見届けたので、心當りを話して、寺田屋の附近を捜して貰つた。豪傑連は寺田屋へ出掛けては見たとこと、敵味方の影も無かつたが、龍馬は材木の陰に身を潜めて居つたので、互に無事を祝し、兎に角連れ立つて薩州邸へ歸つた。 ◎龍馬は薩邸へ歸つて龍子の無事な顔を見るや、喜(よろこび)極まつて『お前最早(もう)來て居つたか』と叫び、人前も憚らず寺田屋に於ける龍子の働きを歎賞したが、西郷等も『お春殿(どん)は尋常(ただ)の婦人ぢゃなか』とて大に褒めた。
◎龍馬は更に竜子に向ひ、『お前は掛物を持って來たか』と聞いたので、龍子は『ハイ此處に』と言ふと共に出した。死ぬるか生きるかと云ふ騒動の際にも、所天の秘蔵品を持ち出すなどは、實に沈着(おちつ)いた擧動(ふるまひ)である。
◎さて此掛物と云ふは、長藩の重役岡三橋と云ふ學者の筆なので、龍馬が長府に居つた時に三橋が龍馬の為人(ひとヽなり)に傾倒して作つた絶句を書いたものだが、龍馬は其詩を愛して酔ふ毎に之を吟誦して居た位に大切な物であつた。
◎其後近江屋で襲撃を受けた時、龍馬は一刀の下に脳天を砕かれ、其脳漿が床間に掛けてあった此掛物に迸り、稀世の俊傑が最期の惨状を追想さるべき紀念物として遺された。其一幅は現に龍子の保護者たる工藤外太郎氏の手許に在る。記者もこれを一見したが、當時の血痕斑々(はんぱん)として紙上颯然(さつぜん)腥風(せいふう)を生じ來るのぢゃ。
◎龍子の生涯に於ける沈着剛勇出没變幻なる巨細の逸事を調べたらば、尚ほ多くを書き得るであらうが、茲に一先づ筆を擱き、他日を待つて書くことにした。要するに龍子は亂世の女丈夫として比類稀なる者であるが、所天の早く死んだのと。日本の舞臺が急に一轉した為に、忽ち閑却されたのである。嗚呼、時世の變遷とは言ふものヽ、活きながら葬られた坂本未亡人の現状は、實に心ある者をして同情の涙を禁じ得ざらしめるでは無いか。(完)

 

横浜市中央図書館所蔵の、東京二六新聞のコピーを製本したものによる。公開書庫にあった。

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