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2015年1月12日 (月)

清洲城

 1月2日、清洲城(きよすじょう)を見に行った。わたしの育った町からはJRで三駅、名古屋へ行く途中にある。ここは昔から、「清須」と「清洲」の両方の表記が使われていて、昔の町名は「清洲町」だったが、近年合併で「清須市」になった。駅名は「清洲」のままだ。

 

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 高校時代、JRで名古屋まで通っていたので、一度、途中下車で降りたことがあった。わたしの町と同じ、何もない駅前だった。それが今も変わっていないのが、変になつかしかった。当時は城跡があるだけで、城はなかった。
 並行して走る名鉄本線の駅前の方がにぎやかな中心駅になっているそうだから、そこもわが町と同じで、なんとなく親しみを覚える。

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 清洲城まで徒歩で十五分ほどかかる。ときどき雪がちらついたが、だんだんあがっていった。
 平成元年(1989)に再建されたコンクリート造りの城である。このあたりにはそんなに大きな建物はないので、JR東海道線で側を通過すると、橋の赤色がよく目立って見える。派手なものを造ったな、信長当時はこんな城じゃなかっただろう、観光のために変なものを造ったなと、実はちょっと苦々しく思っていた。だからこれまで通り過ぎるだけで、来たことはなかった。

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 それを今回行く気になったのは、12月にテレビで映画「清須会議」をやったから。映画館で見損ねていたので、録画しておいて見たらとてもおもしろかった。映画にこの城がそのまま出てくるわけではないが、ちょっと現場を見ておこうか、という気になった。
 思っていたより立派な城だ。雪が少しある。

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 解説によれば、やはり信長時代はこんな天守閣などなく、平城だったようだ。信長死後、次男織田信雄(のぶかつ)の居城として天守閣も造ったらしい。当時はここが尾張の中心地で、城下町も非常に繁栄していた。その頃の城がこのとおりだったかは、よくわからない。
 徳川家康が関ヶ原を制した後、尾張の本拠地を移すことになり、城を壊して住民もろとも町ごと名古屋に引っ越したのが、「清須越(きよすごし)」である。これがなければここが県都になっていたかもしれないが、湿地帯であるうえ、攻められたとき守りにくいというのが移転の理由だったらしい。

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 城の中は、よくある観光城で、鎧や遺物などが展示されている。目立ったのがNHKの大河ドラマ関係の展示だ。戦国ものに信長はかかせないので、清洲城は何度も大河ドラマに関係している。それとビデオによる短時間の解説が各階にあって、見ているとけっこうよくわかる。
 天守からわが町のある岐阜方面を見た。案内板によれば右奧に御嶽山、乗鞍、左には岐阜城がある筈だが、あいにくの天気で何も見えない。
 映画「清須会議」ではまわりに青々とした尾張平野が広がっていたが、そうもいかない。まわりには工場が多い。ただ、このあたり一面、ずっと平らなことはわかる。高速道路や鉄道のなかった昔はもっとずっと広く見えたんだろうな、ちょっと想像した。

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 城から出ると、入る時にはいなかった鎧武者が入口前に座っていた。せっかくなので写真をとらせてもらった。

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 最後に、この武者入りで城の写真をもう一枚とった。

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 今出来のコンクリートの城は…と思っていたが、けっこう楽しませてもらった。

 お城も、チケット、パンフレットとも「清洲城」になっていた。

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