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2015年1月 8日 (木)

姉の傘寿祝

1月1日は愛知県の実家で、正月をかねて姉の傘寿の祝いがありました。姉は今年の誕生日で満八十歳になります。わたしより一回り上です。
 兄弟は今では三人です。本来は五人だったのですが、姉のすぐ下の次女が幼いころに亡くなっており、次男の兄が2011年の秋に亡くなりました。

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 姉とは一回り違うので、わたしは幼いころずいぶん面倒を見てもらったようです。うちは商売をやっていたので、中学校から帰ると毎日わたしをおんぶして、三つ上の兄の手を引いて、子守をさせられていたといいます。その頃の記憶はありませんが、この話があるのでずっと頭があがりません。

 わたしが小学校三年か四年の頃、姉は近在の市へお嫁に行きました。
 この尾張地方の当時の風習に、花嫁が嫁入り衣装に着飾って家から出て行く時、集まってきた近所のひとたちに、家の屋根からたくさんのお菓子を投げる「菓子まき」がありました。まかれるのは主に駄菓子です。
 「よーめりよー(嫁入りよう)、菓子おくれ(or まけよ?)」という囃し言葉があったのを覚えています。これは拾う側の、早く菓子をまけという催促だったのでしょうか。
 わが家でも菓子をまきました。叔父達が屋根に登ってまいていた記憶があります。おおぜい人が集まって必死で拾っていました。
 
 この頃はお菓子を一つずつバラでまいていたと思います。当時ポリ袋なんかありませんでした。その後、地面に落ちても大丈夫なように菓子まき用の袋詰めができて、それを袋ごとまいたり、まかないで直接近所にくばったりするようになりました。まかなくなったのは、拾う側の菓子の争奪戦がかなり危険なものだったからでしょう。
 この風習はだいぶすたれたとはいえ、まだ残っているようです。Youtubeにはこんな画像がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=BX3WNRF60oU

 兄たちは、姉がお嫁に行ってしまうのが悲しかったようです。しかし、わたしが覚えているのは姉のことより、菓子まきのときの近所の友達に対する誇らしい気持ち、どうだ凄いだろう、たくさんまいてるぞ、うちがまいてるんだぞといばって、高揚していた気持ちだけです。(もちろん近所の子どもたちはみんな菓子を拾いに来ていました。)
 女の子なら別れが悲しかったり、姉の花嫁姿の美しさを記憶にとどめたりするんでしょうが、このくらいの男の子というのは、ほんとにしょうがなくて、こんなことしか考えていないものなのです。(と、わたし個人ではなく、一般的な話にしておこう。)

 お嫁に行った後も近い所に住んでいたので、なにかとお世話になりました。それに、ずっと母の愚痴の一番の聞き役だったと思います。親の言うことを聞かないバカな弟達の悪口をいっぱい聞かされていたのではないでしょうか。本当にありがとうございました。身体の方は、歳が歳なのでいろいろあるようだけれど、どうか大事にして長生きしてください。

 姉の長女の一家も来てくれました。下の女の子はこの春大学卒業で、就職も決まっているそうです。これもおめでたい。兄の子どもたちも名古屋と沖縄とタイから集まって、にぎやかな正月でした。
 去年の正月は兄の叙勲祝いをかねてやりました。来年も何かお祝いできるでしょうか。

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 この日は、朝からときどき雪がちらちらしていましたが、昼すぎにはあがっていたので、 氏神様の籠守勝手神社(こもりかってじんじゃ)へ初詣に行ってきました。来年もよろしくとお願いしてきました。

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 翌日、二日の朝はこんなになっていました。

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