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2015年2月 2日 (月)

第二十七番 円福寺

 昼食の後は銚子市の第二十七番札所、飯沼山円福寺(いいぬまさんえんぷくじ)飯沼観音です。
 銚子というとまず漁港ですが、町は、この円福寺の門前町として発展したものだそうです。だから広大な敷地がありましたが、太平洋戦争で銚子も空襲にあい、寺の建物は一部を残して焼失しました。戦後、町を再建する時に、大きな道路が寺の敷地を分断してしまい、現在は本堂・飯沼観音エリアと本坊・大師堂エリアに分かれています。
 バスの駐車場は、本坊・大師堂の方にありました。これが大師堂です。

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 観音堂(本堂)へは、少し歩いて道路を渡って行かなければなりません。
 これが入口の仁王門。大きく立派です。

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 本堂(観音堂)の階段の脇には大仏様もあります。ここは戦後に再建された建物ばかりなので、まだ風格はありませんが、みな大きく頑丈そうです。

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 階段を登ったところには、左右に醤油の一斗缶がピラミッド状に積み上げられていました。右はヤマサ醤油、左はヒゲタ醤油の看板がありました。酒の薦被りの代わりに醤油が置いてあるのは初めて見ました。銚子は醤油の産地でもあります。

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 本堂は高いところにあるので、漁港の方を見晴らすことができすが、細かいところまではよくわかりません。境内には平成になってから建てられた、まだ新しい五重塔もありました。

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 また道路を渡って駐車場へ戻りながら、銚子のような町まで空襲したアメリカの意図について考えてしまいました。銚子は、東京(首都)への食料供給の重要拠点だからと、1945年7月に空襲されたそうです。
 銚子にかぎらず、全国の、地方のちょっとした都市にまで空襲の被害がありました。200以上の都市が空襲されたそうです。戦争の帰趨がだいたい決まったころ、非戦闘員に大きな被害が及ぶことも承知の上です。徹底的に日本を痛めつけてやろうという、当時のアメリカの強固な意志を感じます。自分のところがやられたからといって、9・11ぐらいで騒ぐんじゃないよ、と言いたくもなりますが、観音様のお参りに来て、あんまり物騒なことを考えていてはいけません。

 空襲のことはおいといて、駐車場の先の銚子電鉄の「観音駅」へ行きました。江ノ電のように、民家の庭先を走っているそうです。残念ながら電車は見られませんでした。

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 なんとこの駅は「たい焼き」が有名なのだそうです。

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 「たい焼き」と「ぬれ煎餅」を買いました。「たい焼き」はあんこたっぷりでしたが、土産に持ち帰るより、その場で焼きたてを食べるべきでした。「ぬれ煎餅」は醤油がきいていて、おいしかった。

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 ご詠歌は、

このほどは よろずのことを 飯沼に
きくもならはぬ 波の音かな

Photo

 

 アクアラインを通って帰り、途中「海ほたる」で休憩でした。夕方五時半くらいですが、もうすっかり暗く、エスカレーターはイルミネーションきらきらでした。

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 これで行ってないところは三カ寺になりました。結願のためもう一度行かないといけない那古寺を入れて残るは四カ寺です。もうひとふんばりです。

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