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2015年5月

2015年5月28日 (木)

『古書の来歴』

 ジェラルディン・ブルックッス古書の来歴』(ランダムハウス講談社、2010)を、本の題名にひかれて読んだ。
 帯にはこうある。

まるで古書版CSI(科学捜査班)。
古書を科学捜査することで一つ一つの物語がたちあがってくる。
古書が記憶する五百年の歴史!
ミステリと歴史ロマンが結びついた秀作
――池上冬樹(文芸評論家)

実在する稀覯本と、
その本を手にした人々の数奇な運命
ピューリッツァー賞作家が描く歴史ミステリ!

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 非常におもしろかった。(以下ネタバレあり、注意)
 主人公のハンナはオーストラリア人の女性古書研究者。1894年サラエボで発見され、ボスニア紛争で一時所在がわからなくなっていた「サラエボ・ハガダー」と呼ばれる稀書が、1996年に見つかり、ハンナは、その鑑定と修復を依頼される。「ハガダー(ハッガーダー)」というのはユダヤ教の「過ぎ越しの祭」で読み上げられる祈りのための書。
 ハンナは、羊皮紙のあいだに蝶の羽のかけらや塩の微少な粒、動物の毛などが挟まっていることに気づく。修復のかたわら、それらの物質を世界各地の専門的な研究所で調査してもらうことによって、この本がサラエボへ来るまでにたどった道筋を明らかにしていく。
 例えば蝶の羽は、二千メートル以上の高地に棲息するウスバシロチョウのものであることがわかり、第二次世界大戦中ナチスの略奪を避けるため、サラエボの 国立博物館のイスラム教徒の主任学芸員が山岳地帯のモスクの図書室に隠したという説が裏づけられる、という具合である。塩も、動物の毛も同じようにハガダーの在った場所を示す手がかりとなる。
 このあたりが、帯の「まるで古書版CSI(科学捜査班)」というところ。「CSI科学捜査班」というのはアメリカの連続テレビドラマで、最新科学を駆使して凶悪犯罪を解明していくというものらしい。まあ「科捜研の女」のようなものと理解しておこう。

 一つずつ調査が進むに従い、次第にハガダーの来歴が明らかになり、その時代の物語が時間を遡って語られていく。そして一方では主人公ハンナをとりまく母との葛藤や鑑定結果を巡る謎などの物語が時間軸に沿って進行していく。
 無論蝶の羽だけで来歴の全容が解明されるわけはなく、展開していくのは作者の想像力により紡がれた物語である。一章ごとに過去と現在が交代に語られ、筋は複雑であるが、緻密に構成され、ひとつひとつがしっかりした内容を持っていて、あきさせない。
 過去の物語は、
 1940年 サラエボ
 1894年 ウィーン
 1609年 ヴェネツィア
 1492年 タラゴナ(スペイン)
 1480年 セビリヤ(スペイン)
と遡っていく。

Photo 『古書の来歴』扉絵。ハガダーのたどった行程などが図示されている。

 1940年のサラエボでは、ユーゴスラビアのパルチザンに加わってチトーに裏切られたユダヤ人の少女の物語が語られる。1894年のウィーンでは上層階級を顧客とするユダヤ人医師。1609年のヴェネツィアでは、賭博の悪癖をやめられないユダヤ人ラビと異端審問官。1492年のタラゴナでは、ソフェルという、神の言葉を書き写すことを専門にしているユダヤ人とその一族。1480年のセビリアではユダヤ人が経営する各種の工芸品をつくる工房から物語は始まる。
 だからこれはユダヤ人の歴史の物語でもある。スペインから追われ、ヴェネツィアのゲットーからも追われ、東欧に住み着いたユダヤ人たちの物語。そして時代ごとにイスラム教徒との関わりも描かれている。
 わたしの頭の中では、ユダヤ人の歴史というと旧約聖書のモーゼの物語から一気にナチスによる迫害の話に飛んで、現在のイスラエルは核兵器なんか持ってけしからんという話で完結してしまう。しかしその飛んでる間じゅうずっとユダヤ人はシャイロックをやっていたわけではないのは当然のことで、キリスト教、イスラム教の世界と長い関わり合いを持ちながら、さまざまな歴史と生活があったことを、この本はあらためて考えさせてくれた。

 また過去の物語とないまぜになった現代の物語も、主筋である古書を巡る謎に、高名な医師である母との葛藤、出自の問題、フェミニズムなどもからめて盛りだくさんになっている。
 わたしとしては母との関係にちょっと納得いかなかったが、筋に破綻があるわけではない。綿密な下調べや全体のチェックをしながら書かれているのだろう。緻密に構成されている。海外ミステリはこのあたりがすごい。

 『サラエボ・ハガダー』は実在し、著者あとがきによれば、発見の経緯や学芸員が戦火から守ったことなど一部は歴史に基づいているが、大半は架空のものだという。
 下記のページで画像などが見られる。
 →http://www.talmud.de/sarajevo/detailansicht_einzel.htm
 (本を読んでいない人には何のことかわからないが)上記画面の上段中央、「Familie am Sedertisch」が、最後にハンナが見ていた、ハガダーの絵の作者の黒人女性が描かれている絵のようだ。

 題名にひかれて読んだと書いたが、原題は”People of the Book”で、「古書の来歴」ではない。日本語にすると「啓典の民(けいてんのたみ)」となる。ウィキペディアには「イスラームに屈服し、厳しい制約と差別を受け入れる代わりに、イスラーム国(イスラム世界)に居住することを許される異教徒を指す言葉」と書かれている。もともとは同じ神に由来する啓示の書物=啓典(聖書、コーラン)を持つ人々ということで、イスラム教徒からユダヤ教徒、キリスト教徒を指す言葉だったらしい。
 これらイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共存ということも著者が言いたかったことの一つであろう。

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                 (文庫版:武田ランダムハウスジャパン、2012)

※蛇足をおまけに。
 ユーゴのパルチザンの話で「さらば恋人よ」という歌を思いだしたので、ネットで検索してみたら、トップに堺正章の「さよならと書いた手紙…」という歌が出てきて驚いた。なつかしいが、これじゃない。(これは「さらば恋人」という題で一字違い)
 わたしがさがしていたのはこれ。

ある朝目覚めて
さらばさらば恋人よ
目覚めて我は見ぬ
攻め入る敵を

我をも連れ行け
さらばさらば恋人よ
連れ行けパルチザンよ
やがて死す身を

 こんな歌、今どきの若い者は誰も知らないだろうなあ。
 YouTubeに、9カ国語による「さらば恋人よ」があったので紹介しておく。日本語も含まれているが上の歌詞と違い
「ある朝に目が覚めて
 敵を見つけたぞ」
と直訳体になっていておもしろい。
https://www.youtube.com/watch?v=-nSF40smtgw


 

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2015年5月25日 (月)

総持寺

  5月21日の午後、横浜市鶴見区にある總持寺(そうじじ)へ行ってきました。永平寺と並ぶ曹洞宗大本山として有名なところですが、行ったことのある人は意外に少ない。わたしも四十年ぶりくらいでした。
 行こうと思ったのは、同じ鶴見区内のビルの上からこんな風景を見たからです。住宅がごちゃごちゃ並んでいるところに緑の大屋根がひとつだけ抜きんでて見えます。手前にある十階建てくらいの建物より高そうに見えます。右の奧に見えるのはランドマーク方面です。

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 これはちょっとすごい。四十年前のことはほとんど覚えていないので、行ってみることにしました。

 鶴見駅から歩いて十分もかからないくらいのところにあります。
 これが参道です。とにかく広い。敷地面積は約50万m²(約15万坪)だそうで、總持寺が経営する鶴見大学が一緒にあります。

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 入口の総門まで行くのに、町中の小さな寺なら通り抜けてしまうくらい歩きます。

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 その次が三門。鉄筋コンクリート造の大きな建物です。

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 三門を裏側から見たところ。Dscf0193

 帰ってからネットでみると、ここの仁王様は「元横綱・北の湖関15歳の姿をモデルにしたと伝えられている」ということですが、このときは知らなかったので、北の湖に似ているともいないとも感じませんでした。本人がまだ生きているのに「伝えられている」というのも変な感じです。誰か真偽をちゃんと確かめてほしい。

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 總持寺は、もともと石川県輪島市にあったが、明治末期(1911)火災を機に現在地に移転してきた。そのため鉄筋コンクリートの近代建築が多いということです。
 三門を入って右側にはこんな建物があります。「三松閣(さんしょうかく)」という檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場で、宿泊施設も整っているそうです。ちょっとしたホテルのようです。

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 このあたりに、この向唐門(むかいからもん)があります。これは勅使門のようなもので特別なときに使うらしい。この通路には入れませんでした。

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 メインの通路の途中には百間廊下という渡り廊下がありました。修行中らしい若い坊さんたちが大勢通り過ぎるのを待って、これを横切りました。

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 その奧は公園のようになっています。

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 隅の方にあった待鳳館(たいほうかん)というのは東京千駄ヶ谷の尾張徳川家旧書院を移築した總持寺の迎賓館だそうです。。

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 紫雲臺(しうんだい)は「住持・禅師の表方丈の間。宗門の僧侶、全国の檀信徒と親しく相見する大書院」だそうです。

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 大きな木がいっぱいあります。

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 こんなのもあります。

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 この公園のような庭の奧に、あの巨大な緑色の屋根がありました。大祖堂(だいそどう)です。
 總持寺の開祖である太祖瑩山(けいざん)禅師、曹洞宗の高祖道元(どうげん)禅師などの「頂相(ちんぞう)」と言われる肖像画や、歴代貫首の位牌がまつってあるようです。

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 鉄筋コンクリートの堂々たる大建築です。高さ36メートル。わたしがビルの上から見たのはこの屋根の後ろ側らしい。

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 中は千畳敷きだそうです。上までは上がれませんでした。
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 大祖堂と並ぶようにして、お釈迦様をまつってある仏殿があります。大祖堂と比べるとさすがに小さいけれど、大正期の立派な木造建築です。

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 とにかく大きなお寺でした。敷地が広く建物が高く大きい。

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 わたしのような一般観光客はあまり見かけませんでしたが、幼児の散歩や犬の散歩の人がけっこういました。ここなら広々としているうえ静かでよろしい。わたしも近くにこんなところがあれば散歩に来たい。
 全国から修行に来ているらしい坊さんたちがたくさんいて、最近の言葉で言うとグループ学習だかワークショップみたいなことをやっていましたが、やっぱりあれは修行していたというべきでしょうか。
 夕刻に近づくと、鶴見大の中高校生がぞろぞろ境内を突っ切って帰りはじめました。
 そんな雰囲気なので、拝観料もないけれど観光客用の案内パンフもなくて、どこに何があるのか、これはどういう建物なのかよくわかりません。フリの観光客にはちょっと冷たい感じがしました。
 帰ってからネットで見ると、「諸堂拝観」という修行僧の案内で拝観できるコースがありました。一周約1時間、400円だそうです。また「月例参禅」や「暁天参禅」もやっているので、内部を見るにはこういう行事に参加するのがよさそうです。ただ座禅は腰にきそうなので、わたしには無理かもしれませんが。

 

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2015年5月21日 (木)

J67 『アメリカ小話集』から

 「ジョークの本」での紹介がまだ済んでいないが、上野景福(かげとみ)『アメリカ小話集』(高文社、1975)からの「本のジョーク」をどうぞ。
 はじめの二つは前回のJ66 加島祥造の本からと重複しているが、同じジョークがあちこちのジョーク集に収録されているのはよくあることなので、そのまま入れておいた。

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二トン積

お客「何か面白い読み物を買いたいんだが――」
店員「軽いものがおよろしいですか?」
お客「いや、自動車(くるま)で来たからそれには及ばん」(p28)

 

珍しい本

「稀覯(こう)本てなァに?」
「貸した本で返ってきたものさ」(p60)

 

馬鹿につける薬

 大統領クーリッジは無口としまりやで聞こえていた。大統領になる少し前のこと、夫人が留守をしていると、本の外交員が訪れ、弁舌巧みに『家庭医学宝典』という千八百頁の大冊を十五ドルで売りつけられた。夫人は後になってこんな本を買って何か小言を云われはしないかが頭痛の種だった。夫人は何と口を切ってよいかと迷ったあげく、その本を夫の書斎の中央のテーブルにわざと置いておいた。しかしクーリッジは何とも云わなかった。そのまま数日過ぎたので夫人はかえって薄気味悪く、そっとその本を手にとってみた。すると本の扉に夫の筆跡で次の文句が書いてあった、――
 「千八百頁を熟読してみたが、お芽出たくできた人を治す療法は見付からなかった」(p128)

 

張本人

 米国の劇作家チャニング・ポロクが十四歳の時汽車で旅行した。ちょうと乗り合わせた、がっちりした骨格の紳士が、ポロク少年のバイロンやディッケンズ論に並ならぬ興味を感じているようであった。やがてその紳士が口をきいた、「君は『シャーロック・ホームズ物』は読まないのかね?」
 「探偵物なんて時間つぶしですよ」とポロク少年は|にべ(傍点)もなく云った。
 「わたしはそう思わんね」とその紳士は云った。
 「そう仰っしゃる小父さんは誰なの?」と少年は聞きかえした。
 「わたしかね? わたしはコナン・ドイルだよ」(p132)

 

看板に偽りなし

 ウィリアム・コリアが自作の詩をニューヨークで上演したことがある。初日が十二月の三十日であった。そして一月二日には大々的に次の広告がニューヨークっ子の度肝を抜いた。
 『ニューヨークの興行堂々第二年目に入る!!』(p138)

 

どっちでも困る

 老練な新聞記者アーサー・ブリズバンの記者生活が正に五十年になったとき、社主の新聞王ハーストが半年の有給休暇を与えるから旅行にでも出かけるようにとすすめた。ブリズバンは意外にもこれを一言のもとに謝絶した。その理由はと聞かれて彼は次のように述べた。
 「第一の理由は、もし私の担当欄を六ヵ月も休むと、本誌の売行きに影響があるかもしれないからなんです。………そして第二の理由は売行きに影響が………ないかもしれないからなんです。(p144)

 

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2015年5月18日 (月)

英勝寺のシロフジ

 安国論寺のフジが終わっていたので、英勝寺(えいしょうじ)のシロフジももう遅いかもしれないと思いながら、ちょっと遠いけれど行ってみました。

惣門はいつも閉まっています。

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 その先に拝観入口の通用門があり、「花だより」の看板には「白藤」が出ていました。よかった。他にツツジ、紫蘭、胡蝶花(シャガ)が咲いてるようです。

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 ツツジはこんなもの。それよりシロフジを見ることにして、奧へ行きます。

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 書院の前に、ありました。

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 ここではお茶が飲めるはずですが、この日はやっていないようでした。

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 ちょっと盛りを過ぎてしまったようですが、十分きれいです。

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 藤棚の奧に竹林が見えます。

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 小径もついていますが、すぐ裏山になっていて、それほど広くはありません。

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 敷地には少し段差があって、建物の配置がわかりにくい。惣門からではなくて脇から入るようになっているせいかもしれません。
 これが山門

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 鐘楼

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 唐門仏殿

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 仏殿はガラス戸が閉まっていて愛想がありません。

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 どれも由緒ある建築物らしいのですが、全体にくすんだ感じがします。庭も、手入れがされていないわけではありませんが、なんとなく雑然としています。野趣を楽しむのだという意図でしたらごめんなさい。

 ここにはこの寺を創建した英勝院(えいしょういん)の位牌を納める祠堂(しどう)という建物があるのですが、保護のため鞘堂(さやどう)でおおわれていて、これもまことに愛想がない。はじめて見たときは倉庫かと思いました。お祭りの山車を納めてある建物のようだ、と言うと怒られるでしょうか。 

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 ガラス越しに祠堂が見えますが、よくわからない。

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 英勝院というのは、太田道灌の子孫で、徳川家康の側室「お梶の方」の法名です。「お梶の方」は聡明で家康に寵愛されたそうで、永井路子の『鎌倉の寺』(保育社カラーブックス、1967)にはこう書かれています。

 彼女は晩年の家康のお気に入りで、戦いについてゆくと必ず勝ちいくさだったことから、お勝の方ともよばれたという。といっても彼女が何も魔術師だったわけではなく、戦場でも家康のきげんをそこねない気働きがあったということではないだろうか。家康の側室には氏素性も知れない無教養な女性が多いのだが、彼女が珍しく武士の娘であることもそれを裏づけて居るような気がする。(p56)

 家康は、関ヶ原にもお梶の方をつれていったそうです。
 隆慶一郎の小説『影武者徳川家康』には重要な役どころで出てきました。くわしい筋はもう忘れましたが、関ヶ原で本物の家康は死んでしまい、入れ替わった影武者が、自分の理想実現のために時代を動かしていくという話で、とても面白い小説でした。たしか、お梶の方は最初に偽物だと見破るが、影武者に協力して以降支えていくという話になっていたと思います。
 テレビ東京の2014年「新春ワイド時代劇 影武者徳川家康」では、西田敏行が家康、観月ありさが「お梶の方」をやったそうです。再放送があったら見てみることにしましょう。

 こんなネタがあり、建物にもそれなりの由緒があって、鎌倉唯一の尼寺で、四季それぞれに花も咲くのですが、このお寺は鎌倉ではマイナーで、全体にひっそりとしています。 

 紫蘭(シラン)もありました。

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2015年5月14日 (木)

妙法寺のシャガ

 安養寺の後、すぐ近くにある安国論寺へ行きました。わたしの持っているガイドブックに藤の写真が載っていたので行ったのですが、もう終わっていました。それで次はその隣の妙法寺シャガを見に行きました。柄にもなく今回は花めぐりです。
 安国論といえば立正安国論、妙法といえば蓮華経で、どちらも日蓮ゆかりのお寺です。「日蓮上人辻説法跡」もそう遠くはなく、ここ大町のあたりには日蓮宗のお寺がたくさんあります。

 これが妙法寺総門です。石柱には「松葉谷御小庵霊跡(まつばがやつ・ごしょうあんれいせき)」とあります。

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 本堂です。

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 額には「楞厳山」と難しい字が書かれています。「りょうごんさん」と読み、この寺の実質的な開基である楞厳法親王妙法房日叡(りょうごんほうしんのう みょうほうぼうにちえい)にちなんだもののようです。日叡は「建武の中興」の護良親王(もりなが/もりよし・しんのう)の子で、妙法寺の裏山の山頂にはその護良親王の墓もありました。

 本堂の奧に仁王門があって、更に奧に苔むした階段が見えます。

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 この階段を登るのは禁止されています。写真の右の上の方に白く見えるのがシャガの花です。ちょっとした群落がありました。

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 これがうまく写真が撮れませんでした。あっと驚くほどの群落でもなかったので、気合いが入らなかったせいでしょうか。

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 シャガというのは「射干」、「著莪」と書き、中国渡来の花で「胡蝶花(こちょうか)」とも言うそうですが、わたしには蝶と言うより蛾のように見えます。やっぱり気合いが入らず、うまく撮れていませんでした。
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 苔の階段も有名だそうです。アップを入れておきます。

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 苔の階段の脇にある、登ってもいい階段からどんどん上へ行くと、法華堂鐘楼を経て御小庵(ごしょうあん)跡へつきます。

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 ここが総門前の石柱に「松葉谷御小庵霊跡」とあった御小庵跡です。
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 日蓮は、安房から海を渡って鎌倉へ入り、松葉ヶ谷(まつばがやつ)に草庵を結び、布教の拠点としました。その草庵の跡がここだということですが、実は正確な場所は確定されておらず、隣り合った安国論寺、長勝寺(ちょうしょうじ)も自分のところこそ松葉ヶ谷草庵跡だと称しています。元祖・本家争いがここにもありました。

 ここからさらに登っていくと裏山の頂上に着きます。そこが大塔宮護良親王の墓です。

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 そして海側は少し切り払ってあるので、鎌倉の海が見えました。初夏といっていい陽気でここまで登るのに汗をかきました。

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2015年5月11日 (月)

安養院のツツジ

 咲き誇っていた街路樹の植え込みのツツジにおとろえが見えはじめたところで、坂東三十三ヵ所の巡礼で訪れた鎌倉安養院を思いだしました。(→第三番 安養院田代寺
 あそこはツツジの名所ということでした。今ならまだ間に合うだろう、見に行ってこよう、と5月8日(金)に出かけました。

 鎌倉駅から少し行って大町の四つ角を曲がると、見えてきました。まだ遠いのに前方にはっきりと赤いかたまりが見えました。

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 近づくと、こうなっています。これはちょっとしたものです。

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 これがお寺の入口。

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 巡礼に来たのは秋のことで、こんなでした。わたしはこの入口のあたりだけがツツジなんだろうと思っていました。ところが垣根全部がツツジでした。

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 総門から入ります。

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 門の中から垣根の方を見るとこうなっています。

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 本堂前。ツツジは少し勢力がおとろえはじめているようです。

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 境内には大きな槙の木があります。

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 このお寺の開基は北条政子で、安養院は政子の法名だそうです。本堂の裏に、宝篋印塔(ほうきょういんとう)と並んで政子の墓がありました。

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 これが政子の墓。

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 これは道路側の垣根のツツジの裏です。

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 ツツジの木が大きくてたくさんあることに加えて、全部同じ赤紫のツツジばかりなのがさらに迫力を増しているように感じました。

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 来るのがちょっと遅かったので、この次はもう少し早く、最盛期に来てみようと思います。
  

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2015年5月 7日 (木)

J66 加島祥造の本から

 まず加島祥造西洋ユーモア名句講座』(立風書房、1984)から。

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・「結婚――それは一冊の本であり、その第一章は詩で書かれているが、残りの章は散文である。             ――ビバリー・ニコルズ
 Marriage--A book of whicn the first chapter in poetry and the remaining chapters in prose.            --Beverly Nichols 」(p16)

トウェインの妻

・「彼の妻は彼の諸作品に手を加えたばかりでなく、彼にも手を加えたのである。
    ――ヴァン・ウィク・ブルックス――
 His wife not only edited his works but edited him.
--Van Wyck Brooks, The Ordeal of Mark Twain.」(p52)

 マーク・トウェインの妻オリヴィアは富裕な家庭に育ったしつけのよい美しい娘だった。そして庶民的で自由であったトウェインをあれこれ制約し、トウェインもそれを受け入れた、ということが、ブルックスの本には書いてあるらしい。

 次は加島祥造編『ユーモア名句&ジョーク集』(1986、講談社)から。

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喫煙の害(仮題)
ジャックは喫煙の害についてあらゆる本を読んだ、そしてやめたよ、ついに――。いや、タバコじゃなくて、そういった本を読むのをね。(p212)

料理の本(仮題)
「あなた。あたしの焼いたケーキはどうでした?」
「ひどい味だった」
「あら、おかしいわねえ。料理の本にはすごく美味しいと書いてあったのに」(p201)

 「本と読書の章」(p243~)にある名句集。

・書籍というものは、頭を麻痺させるクロロフォルムのようなものだ。
   ロバート・W・チェンバーズ(p243)

・彼は、独創性を大きく飛躍させるために、読書を完全にやめてしまった。
           チャールズ・ラム(p243)

・読書は自分が考えないための巧妙な方法となることもある。
          アーサー・ヘルプス(p243)

・一つの小説を書くのに六ヵ月もかかるなんて、ちょっと馬鹿げてんじゃない? 三ドル九十八セント出せば一冊買えるのに。(p243)

・ベストセラー作品なんていうものは、たいていその作家の平凡な頭と読者のぼんくら頭とがぴったり合致した結果なのさ。(p244)

・本の洪水が人間を無知にしている。
       ヴォルテール(p244)

・シェークスピアの戯曲なんて、世間の人がいつもいう名文句をつなぎ合わせただけじゃないのか?(p244)

・君の本は大勢の人をひきつけてるね――テレビのほうに。(p244)

・君の本はなかなか立派だ――唯一の欠点はおもて表紙とうら表紙の間が離れすぎてることだよ。(p244)

・君の本はパンチがきいてるね――読みはじめるとすぐ眠らされたものな。(p244)

・君の本はハッピ・ーエンドだね――読み終わったときほっとしたものね。(p245)

・いろいろの変わった癖があるけれど、いつも新しい本ばかり読んでるのはいちばんヘンな癖だと思うねえ。(p245)

・本はのろわしきもの。人類にたたりをもたらすもの。現存の書籍の十分の九はナンセンスである。このナンセンスを論破するものがよい本である。
         ディズレーリ(p245)

・もし、本が役に立つものだったら、
世界は、とうのむかしに改良されていたはずだ。                    ジョージ・ムーア(p245)

・息子「父さん珍書(傍点)ってなあに?」
父親「人に貸してやってもどってきた本のことをいうのさ」(p245)

・客「本を一冊ほしいんだが」
本屋「何か軽いものでも?」
客「軽くっても重くってもかまわないさ。車できたんだからね」(p245)

・「あたし、何か本を買いにいくわ」
「本を?」
「そうよ。主人がね、昨日、読書用のとてもすてきなスタンドを買ってくれたの、だから――」(p246)

・若い女性「あなたの小説、結末がとてもすばらしいわ」
作者「第一章の始まり具合はどう思いました?」
若い女性「まだそこまで読んでませんの」(p246)

・何も考えないでただ本を読むのは、ぜんぜん本を読まないよりもっとわるい。         
           ハリー・ゴールデン(p246)

 これは別の章から

・うそのない歴史本はすべて、退屈きわまりない。             アナトール・フランス(p251)

 

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2015年5月 4日 (月)

漢詩をつくる 2

漢詩をつくる

 先にあげた詩語表や韻字表は、太刀掛呂山(たちかけ・ろざん)『だれにもできる漢詩の作り方』(呂山詩書刊行會、1990、B5ソフトカバー、156p)のものである。この本は現在、漢詩初心者の必携本ということになっていて、通称「だれ漢」と呼ばれているそうだ。

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 さてこれを使って、どうやって漢詩一首をつくったか、あるいはでっちあげたかを書いておこう。前に書いたように、この本にある詩語表から熟語を選んでつなげたわけだが、つなげる前に承知しておかなけらばならない規則がある。
 おおよそこんな規則である。

漢詩の規則
1 二四不同、二六対(にしふどう、にろくつい)
  二字目と四字目は平仄を同じにしない。
  二字目と六字目は平仄を同じにする。
2 一三五不論(いちさんごふろん)
  一字目、三字目、五字目の平仄は公式どおりでなくてもいい。ただし、下三連不許に違反してはいけない。
3 下三連不許(しもさんれんふきょ)
  一番下の三字すべてが同じ平仄になってはいけない。
4 孤平不許(こひょうふきょ)
  七言の四字目、五言の二字目が平のときに、その前後(三字目と五字目)が仄字となり、平字を挟む(「挟み平」)ことは許されない。
  →一三五不論でも、四字目が「孤平」にならないように注意。
5 同字重出を避ける
  一つの詩の中で同じ字を二度使ってはいけない。ただし「悠々」、「凛々」のような「畳字」はいい。
6 冒韻(ぼういん)をしない。
  脚韻につかった韻の字を脚韻以外に使ってはいけない。ただし最近これはうるさく言わないそうである。

 こう言われても、初めは何のことやらよくわからない。しかしこれがみんな「音韻」に関する規則であることはわかる。やっぱり漢詩は「音」が重要なのだ。
 とりあえずいろいろ規則があることだけ承知しておいて、つくったあとで規則にあっているかどうか点検してみるしかない。
 そこで、さてつくろうとすると、前掲『だれにでもできる漢詩の作り方』には、頭からつくるのではなく、終わりからつくれと書いてある。結句、転句からつくれとして、さらにつくる語句の順番まで書いてある。結句の最後の三文字からほぼ逆につくっていくようになっている。

(起句) ○○ ●● ●○◎
      10   9    7
(承句) ●● ○○ ●●◎
      12   11   8
(転句) ●● ○○ ○●●
       6   5    4
(結句) ○○ ●● ●○◎
       3   2    1
(平起式。平声を○、仄声を●であらわす。◎は平声の同韻)

 転句・結句に詠もうとすることの主眼をおいて、それを一つにまとまるようにつくり、起句・承句がそれにつながっていくようにつくれ、ということであるらしい。それが「詩壇千古の定律」であるとも書いてある。
 なるほど、歌謡曲で言えばサビの部分をまず決めて、それにあわせて前後を調えるようなものか、とわたしは勝手に理解した。エクセルで下記のような韻と順番のわかる原稿用紙をつくって、できるだけ本に書いてあるようにやってみた。 

Photo_3

 詩語表から選んで1のところへ「礼空王」、その上は3「鐘声」2「隠々」、次の頁から4「清浄地」、6「古墓」5「苔生」とつなげていった、と書ければいいのだが、そんなに簡単ではなかった。最初に思いついた結句ではまとめられず、何度か書き直したり、順番も後先になったりしながら、ようようたどりついたのが、先に掲げたわたしの詩である。

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 やってみたところ、なんだか絵柄がわからないジグソーパズルをやっているような感じだった。ピースがちゃんとはまったかどうかよくわからない、全体がまとまって一つの絵になっているかどうかもよくわからない。なんとも頼りない。
 ともかく単語をつらねて形をつくろうとしただけで、 自分の感慨や経験を述べようとしたわけでもない。なんだか変なものだが、宿題として提出したときにはちょっと緊張した。
 そうしたら先生から、詩語表で二頁という狭い範囲にある熟語だけでつくったことを評価され、二ヵ所、こうした方がいいと直されただけですんだ。この調子でたくさんつくりなさい、と言われた。どうも「ほめて育てる」タイプの先生のようだ。
 直された後の詩。

Photo_4
 (石磴(せきとう)は石段。)

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