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2015年5月28日 (木)

『古書の来歴』

 ジェラルディン・ブルックッス古書の来歴』(ランダムハウス講談社、2010)を、本の題名にひかれて読んだ。
 帯にはこうある。

まるで古書版CSI(科学捜査班)。
古書を科学捜査することで一つ一つの物語がたちあがってくる。
古書が記憶する五百年の歴史!
ミステリと歴史ロマンが結びついた秀作
――池上冬樹(文芸評論家)

実在する稀覯本と、
その本を手にした人々の数奇な運命
ピューリッツァー賞作家が描く歴史ミステリ!

Photo_2
 非常におもしろかった。(以下ネタバレあり、注意)
 主人公のハンナはオーストラリア人の女性古書研究者。1894年サラエボで発見され、ボスニア紛争で一時所在がわからなくなっていた「サラエボ・ハガダー」と呼ばれる稀書が、1996年に見つかり、ハンナは、その鑑定と修復を依頼される。「ハガダー(ハッガーダー)」というのはユダヤ教の「過ぎ越しの祭」で読み上げられる祈りのための書。
 ハンナは、羊皮紙のあいだに蝶の羽のかけらや塩の微少な粒、動物の毛などが挟まっていることに気づく。修復のかたわら、それらの物質を世界各地の専門的な研究所で調査してもらうことによって、この本がサラエボへ来るまでにたどった道筋を明らかにしていく。
 例えば蝶の羽は、二千メートル以上の高地に棲息するウスバシロチョウのものであることがわかり、第二次世界大戦中ナチスの略奪を避けるため、サラエボの 国立博物館のイスラム教徒の主任学芸員が山岳地帯のモスクの図書室に隠したという説が裏づけられる、という具合である。塩も、動物の毛も同じようにハガダーの在った場所を示す手がかりとなる。
 このあたりが、帯の「まるで古書版CSI(科学捜査班)」というところ。「CSI科学捜査班」というのはアメリカの連続テレビドラマで、最新科学を駆使して凶悪犯罪を解明していくというものらしい。まあ「科捜研の女」のようなものと理解しておこう。

 一つずつ調査が進むに従い、次第にハガダーの来歴が明らかになり、その時代の物語が時間を遡って語られていく。そして一方では主人公ハンナをとりまく母との葛藤や鑑定結果を巡る謎などの物語が時間軸に沿って進行していく。
 無論蝶の羽だけで来歴の全容が解明されるわけはなく、展開していくのは作者の想像力により紡がれた物語である。一章ごとに過去と現在が交代に語られ、筋は複雑であるが、緻密に構成され、ひとつひとつがしっかりした内容を持っていて、あきさせない。
 過去の物語は、
 1940年 サラエボ
 1894年 ウィーン
 1609年 ヴェネツィア
 1492年 タラゴナ(スペイン)
 1480年 セビリヤ(スペイン)
と遡っていく。

Photo 『古書の来歴』扉絵。ハガダーのたどった行程などが図示されている。

 1940年のサラエボでは、ユーゴスラビアのパルチザンに加わってチトーに裏切られたユダヤ人の少女の物語が語られる。1894年のウィーンでは上層階級を顧客とするユダヤ人医師。1609年のヴェネツィアでは、賭博の悪癖をやめられないユダヤ人ラビと異端審問官。1492年のタラゴナでは、ソフェルという、神の言葉を書き写すことを専門にしているユダヤ人とその一族。1480年のセビリアではユダヤ人が経営する各種の工芸品をつくる工房から物語は始まる。
 だからこれはユダヤ人の歴史の物語でもある。スペインから追われ、ヴェネツィアのゲットーからも追われ、東欧に住み着いたユダヤ人たちの物語。そして時代ごとにイスラム教徒との関わりも描かれている。
 わたしの頭の中では、ユダヤ人の歴史というと旧約聖書のモーゼの物語から一気にナチスによる迫害の話に飛んで、現在のイスラエルは核兵器なんか持ってけしからんという話で完結してしまう。しかしその飛んでる間じゅうずっとユダヤ人はシャイロックをやっていたわけではないのは当然のことで、キリスト教、イスラム教の世界と長い関わり合いを持ちながら、さまざまな歴史と生活があったことを、この本はあらためて考えさせてくれた。

 また過去の物語とないまぜになった現代の物語も、主筋である古書を巡る謎に、高名な医師である母との葛藤、出自の問題、フェミニズムなどもからめて盛りだくさんになっている。
 わたしとしては母との関係にちょっと納得いかなかったが、筋に破綻があるわけではない。綿密な下調べや全体のチェックをしながら書かれているのだろう。緻密に構成されている。海外ミステリはこのあたりがすごい。

 『サラエボ・ハガダー』は実在し、著者あとがきによれば、発見の経緯や学芸員が戦火から守ったことなど一部は歴史に基づいているが、大半は架空のものだという。
 下記のページで画像などが見られる。
 →http://www.talmud.de/sarajevo/detailansicht_einzel.htm
 (本を読んでいない人には何のことかわからないが)上記画面の上段中央、「Familie am Sedertisch」が、最後にハンナが見ていた、ハガダーの絵の作者の黒人女性が描かれている絵のようだ。

 題名にひかれて読んだと書いたが、原題は”People of the Book”で、「古書の来歴」ではない。日本語にすると「啓典の民(けいてんのたみ)」となる。ウィキペディアには「イスラームに屈服し、厳しい制約と差別を受け入れる代わりに、イスラーム国(イスラム世界)に居住することを許される異教徒を指す言葉」と書かれている。もともとは同じ神に由来する啓示の書物=啓典(聖書、コーラン)を持つ人々ということで、イスラム教徒からユダヤ教徒、キリスト教徒を指す言葉だったらしい。
 これらイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共存ということも著者が言いたかったことの一つであろう。

Photo
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                 (文庫版:武田ランダムハウスジャパン、2012)

※蛇足をおまけに。
 ユーゴのパルチザンの話で「さらば恋人よ」という歌を思いだしたので、ネットで検索してみたら、トップに堺正章の「さよならと書いた手紙…」という歌が出てきて驚いた。なつかしいが、これじゃない。(これは「さらば恋人」という題で一字違い)
 わたしがさがしていたのはこれ。

ある朝目覚めて
さらばさらば恋人よ
目覚めて我は見ぬ
攻め入る敵を

我をも連れ行け
さらばさらば恋人よ
連れ行けパルチザンよ
やがて死す身を

 こんな歌、今どきの若い者は誰も知らないだろうなあ。
 YouTubeに、9カ国語による「さらば恋人よ」があったので紹介しておく。日本語も含まれているが上の歌詞と違い
「ある朝に目が覚めて
 敵を見つけたぞ」
と直訳体になっていておもしろい。
https://www.youtube.com/watch?v=-nSF40smtgw


 

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