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2015年6月 4日 (木)

漢詩もどき

 田中角栄首相が日中国交回復交渉のとき、漢詩のようなものを書いたという話を前に書いた。(→北京塵天10 北京秋天
 こういう詩だった。読み下しは、わたしがつけたもの。

国交途絶幾星霜   国交途絶して幾星霜
修好再開秋将到   修好再開の秋(とき) 将に到らんとす
隣人眼温吾人迎   隣人の眼は温かく吾人を迎え
北京空晴秋気深   北京の空は晴れて秋気深し

 漢詩の平仄の勉強をしたところなので、あらためてこの詩の平仄を確認してみた。
 こうなるようだ。

國交途絶幾星霜 ●○●
修好再開秋將到 ○
鄰人眼温吾人迎 ○
北京空晴秋氣深 ●

 ○が平声、●が仄声。△は両声あるもの、同じ字でも意味によって音が違ったりするらしい。初心者なので違っていたらごめんなさい。
 七言絶句の公式はこうだ。(◎は平声で押韻)

平起式 (起句第二文字目が平字)
○ ○ ● ● ● ○ ◎
● ● ○ ○ ● ● ◎
● ● ○ ○ ○ ● ●
○ ○ ● ● ● ○ ◎      

仄起式 (起句第二文字目が仄字)
● ● ○ ○ ● ● ◎
○ ○ ● ● ● ○ ◎
○ ○ ● ● ○ ○ ●
● ● ○ ○ ● ● ◎

 比べてみると、どちらでもない。平仄のことはまったく考えないで作られていることがわかる。
 韻も踏んでいない。韻を踏むべき文字の韻はこうだ。
 霜=平声・陽韻、到=去声・号韻、深=平声・侵韻又は去声・沁韻
 同じであるべき三字の韻が全部違う。
 さらに語法として「吾人迎」はおかしい。吾人が迎えるのではなく、吾人を迎えるのだから「迎吾人」とひっくり返るところである。
 「北京空晴」も、中国語で「空」は「からっぽ、むなしい」なので、これでは「北京は空しく晴れて」になってしまうという。 

 これはいただけない。平仄のことをちょっとかじっただけのわたしが言うのも気が引けるが、日本の首相がつくったものとして、いくらなんでも恥ずかしいではないか。
 明治期の外交官、政治家なら決してこんなことはなかっただろう。昭和47年(19672)年の官邸や外務省には漢詩の初歩すらわかる人がいなかったのか。そうでなければわかっていて、これも愛嬌と見過ごしたのか。
 当時のニュースなどでもこの詩は取り上げられたが、ジャーナリズム全体が日中国交回復万歳ムードだったので、これを非難する話はあまりなかったように思う。
 ネットで調べてみると,、今東光や柴田錬三郎が、なんだこれは、土建屋総理が、とか怒っていたそうだが、原文がない。
 

 丸谷才一は『日本語のために』(新潮文庫、1975)にこう書いていた。

Photo_2

 一九七二年の日本でいちばん評判になった詩は、たぶん総理大臣が北京(ペキン)で作つた七言絶句、
「国交途絶幾星霜。修交再開秋将到。隣人眼温吾人迎。北京空晴秋気深」
 だらうと思ふ。漢学の素養が乏しいせゐか、わたしがこの詩を見てまづ思い出したのは、李白(りはく)でも杜甫(とほ)でも、蘇東坡(そとうば)でも陸放翁(りくほうおう)でも、頼山陽でも柏木如亭でもなく、新聞広告の「美邸瓦水日当良」といふ類(たぐひ)の文句だつたが、しかしまあ、それだけ平易明快で現代的だと褒めることもできないわけぢゃない。むやみに故実を踏まへた、わけの判らぬ詩など作らぬあたり、ザックバランな人柄が嬉しいと喜ぶこともできよう。
 もちろん、たとへば伊藤博文の漢詩なんかとくらべて、時代が下れば総理大臣の漢詩もかういふことになるかなどと慨嘆する手もあるけれど、伊藤春畝(しゅんぽ)公の場合には一代の詩宗、森槐南(かいなん)といふ家庭教師がついていゐた。それなのに田中越山公(いや、本当は公ではない)はまつたくの独力で一詩を賦した、すくなくとも、さうとしか考へようがないくらゐの出来ばえである。とすれば、われわれはむしろ彼の健気な努力をたたへるべきであらう。
 それにこの七言絶句には、もともと、上手下手なんかいくら論じてもはじまらないやうな性格がある。言ふだけ野暮な話だが、文学的価値など最初から眼中になく、狙ひはひたすら政治的効用のほうにあつて、しかもその点ではずいぶん効果をあげてゐる……らしいのである。どうもわたしはそんな気がしてならない。(p91)

 この後、丸谷は政治的効用には次の三つがあると書く。
 第一に、まず中国人が喜ぶ。外国の首相が自分の国の詩形をまねてして詩を作ってくれれば、下手でも何でも満足するのは当たり前。毛沢東は詩を作るのが得意だったし。
 第二に、日本人が何となく漠然と尊敬する。漢詩文は和歌や発句より格が上なような伝統があって、これを作る人は、巧拙はともかく偉いという感じがある。選挙区ではそう思われただろう。
 第三に、国際的には、日本と中国が同じ文明圏意に属する二つの大国であることの誇示になる。
 第三点については、それほどのことはなかったと思うが、第一、第二の点は、そういう効用があったまあそうだろうなと思わざるを得ない。日本人だって、もしアメリカの大統領が俳句を作ったといえば、たとえそれが「朝起きて 顔を洗って 歯を磨く」みたいなものでも、喜ぶにちがいないし、マスコミは大騒ぎするだろう。(「朝起きて」は、赤瀬川原平幼少時の作)
 しかしそれにしても角栄の漢詩はちょっとひどいと思うし、丸谷も、上記引用のとおりイヤミたっぷりで、政治的効用があったからこれでよかったと言っているわけではない。 

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