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2015年6月11日 (木)

明月院のハナショウブ

 明月院の本堂裏の後庭は今の時期と紅葉の時期だけ公開されます。拝観料はまた別に500円でした。

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 まず池があります。

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 池の奥に芝生があります。後庭がこの時期公開されるのは、さらに奥にある菖蒲田が花盛りになるからです。奥が深い。

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 これが菖蒲田です。

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 ハナショウブが咲いています。ちょうど花盛りの時期のようです。

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 菖蒲田の奥はこんな裏山になっています。

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 いかにも湿潤そうな鎌倉の谷戸(やと)です。

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 ここから元へ戻って、本堂までの通常拝観区域の建物などを見てきました。
 これが茅葺きの開山堂

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 これは瓶の井(つるべのい)という井戸です。その昔、「鎌倉十井(かまくらじっせい)」と言われた井戸のひとつで、今でも使える貴重な存在である、と看板にはあります。

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 本堂の前にはこんな枯山水庭園がありました。

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 中央の島には蟹がいました。これは作り物で、わたしは金属製かと思いましたが、ネットに竹製と書いてあるものがありました。

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 鎌倉の崖には、「やぐら」と呼ばれる崖を掘った横穴がたくさんあります。主に納骨、供養のために使われたところだそうです。明月院やぐらは鎌倉最大級で、足利時代の関東管領上杉憲方の墓だと伝えられているそうです。仏像が掘ってありましたが、この写真にはよく写っていません。
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 北条時頼の墓もあります。鎌倉幕府の第5代執権で、出家して最明寺入道(さいみょうじにゅうどう)と呼ばれた人です。
 もらったパンフレットによれば、時頼が創建した最明寺は今の明月院の西北に当たる場所にあり、のち時頼の子、時宗が「禅興寺」として再興した。その塔頭の筆頭が明月院だった。禅興寺は明治に廃寺になり、明月院だけが残った、ということです。

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 これが墓の前にある時頼の廟所。

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 参拝してお賽銭を入れるとき、ピカピカ光るきれいな十円玉を選んだつもりが、間違って五百円玉を放り込んでしまいました。あ、と思っても遅い。おつりもでてきません。この先、最明寺入道殿の御加護厚からんことを祈るばかりです。
 でも最明寺入道時頼といえば、「鉢の木」の伝説で有名な人です。貴重な盆栽でさえ燃やしてくれる人があるくらいだから、五百円では問題にならないかもしれません。悟りの道は遠い。
 暗くてよくわかりませんでしたが、廟所の向かって左側にこの像があったように思います。北条時頼座像です。写真はパンフレットからとりました。

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 この他に、うさぎ小屋や野鳥の餌台があったり、こんなお地蔵様があったりしました。
 花想い地蔵はネックレスをしています。

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 これは赤地蔵。このほかに着せ替え地蔵みたいなのもいました。

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 こういうのを「かわいい!」と喜ぶ拝観者もずいぶんいるようです。しかし禅寺の地蔵さんがネックレスをして「かわいい!」でいいのか、年寄りはちょっと疑問に思います。鎌倉のあちこちで「かわいい系」がはびこっています。円窓の幽玄や枯山水の庭と、これら「かわいい系」は、この先どう調和をとっていくのでしょうか。

 それはともかく、明月院はなかなかいいところでありました。
 アジサイや紅葉の時期をはずして来てみるのもいいかもしれません。

Photo_3        (パンフレットの表)



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コメント

ネックレスは後から誰かがかけたように見えますね、、

投稿: jiseizai | 2015年6月11日 (木) 09時47分

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