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2015年7月

2015年7月30日 (木)

光明寺のハス

 7月26日(日)は鎌倉の光明寺観蓮会(かんれんかい)へ行ってきました。このお寺の建物のことなどは前に書きました。(→「光明寺の桜」)
 大船のフラワーセンター、三溪園のハスは早朝から行きましたが、今回は花よりも朝10時からのお茶会にあわせて行きました。

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 ちょうどこの日の朝、NHKテレビのニュース(関東ローカル)でこの観蓮会が取り上げられていて驚きました。これは混むかもしれない、と覚悟しました。
 やっぱりいつになく境内はにぎやかで、山門前ではフリーマーケットも行われていました。この日は横浜でも35度をこす猛暑日でした。店を出す人も大変です。

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 本堂の大殿(だいでん)前は参道に沿って提灯が飾られています。夕方にはこれに灯がともって「献灯会法要」が行われるそうです。

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 こちらの開山堂前がお茶会の受付になっています。

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 開山堂へあがります。

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 回廊がにぎやかです。

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 回廊と本堂との渡り廊下から記主庭園(きしゅていえん)の蓮池を眺めます。

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 記主庭園の奥にあるのが大聖閣(たいしょうかく)です。

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 蓮池のハスは、今日開花した花はもう閉じている時間です。やっぱり全体的に数が少ないような気がします。

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 回廊から池までちょっと距離があるので、わたしのカメラではいいクローズアップが撮れませんでした。
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 回廊では蓮の葉にお酒やお茶を注いで茎から飲ませる「象鼻杯(ぞうびはい)」が行われていました。葉の中央に穴が開けてあって、そこから注ぎます。茎がちょうど象の鼻に見えるというわけです。

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 わたしもやってみました。車だから酒ではなくお茶です。一杯500円。

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 これがけっこうたいへんでした。茎は長く、かなりの吸引力で吸わないとお茶が口までやってきません。一生懸命何度も吸い込んでようやく飲みました。肺活量が問題です。ハスの香りどころではありませんでした。

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 お坊さんに聞いてみたところ花が少ないのは、今年は花が咲くのが早かったのでもう終わりだからだそうです。毎年観蓮会をやっているが、去年は早かった、今年は盛りをすぎてしまった、天候次第なので設定がむずかしい、とのことでした。

 お茶会は大聖閣の一階で行われます。一回十数人ずつで、回廊で順番待ちです。

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 大聖閣の二階に何か光っているものが見えます。どうも仏像があって、その光背が光っているようです。

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 順番が来ると、庭を通って大聖閣へ向かいます。

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 お茶の席は畳に正座ではなく、小さな椅子が用意されていました。よかった。

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 窓からは記主庭園が見渡せました。

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 お茶の先生からお茶や道具の話に加えて、観蓮会を始めた頃はお客様も少なくて…という話をうかがいました。ここは駅から遠く訪れる人が少ない。なんとかみなさんに来てほしいと当時のご住職がはじめられたそうです。今日は番号札をもらって順番待ちの盛況でした。

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 まずはけっこうなお手前でありました。

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 お茶が終わってから二階にあがり、外から光って見えたあの仏像に参拝してきました。金箔なのでしょうが、丸い光背が光輝いていました。

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 二階の窓からはさらによく記主庭園が見渡せました。

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 テレビに出たのでもっと混んでいるかと思いましたが、適度なにぎわいという程度で、どこにいても混雑に追い立てられるようなことはありませんでした。暑い日だったのに回廊には風が通って、のんびりできました。お坊さんはじめ整理の人たちもどこかおっとりしていて、光明寺はいいところです。

 ここのところ毎週ハスの花を見に出かけました。予定ではまだ鶴岡八幡宮源平池のハスが残っていますが、今回のお坊さんの話では、もうそろそろハスの季節は終わりのようです。連日猛暑が続いているし、ハス巡りはここらで打ち止めにしようかとも思っています。

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2015年7月27日 (月)

東慶寺の漱石碑

 東慶寺の大門を入って山門へ向かう途中に松の木があって、そこに石碑があります。「夏目漱石参禅百年記念碑」です。
 漱石が明治27年(1894)に東慶寺の向かいの円覚寺に参禅したのは有名な話で、小説「」には山門を入って行く情景などが描かれています。それから百年たった平成6年(1994)にその記念碑を建てたということですが、円覚寺ではなく、どうしてここに建てたのか、おもしろい話がありました。

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 大正元年(1912)漱石は友人の満鉄総裁中村是公(ぜこう)などとともに東慶寺を訪れました。円覚寺に参禅した際に教えを受けた釈宗演(しゃくそうえん)が、当時東慶寺の住職となっていたためでした。
 碑の上段は漱石が訪ねてきたことを書いた釈宗演の手紙、下段は漱石の「初秋の一日」という小品の一部が刻まれています。

 
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 碑文の「初秋の一日」の最初はこうなっています。こぬか雨の中を鎌倉駅から人力車でやってきて、東慶寺へ着いたところです。(碑文は旧字旧仮名だが、引用は青空文庫の現代仮名づかいによる。また碑では人名のOがZになっている。)

Dscf0523 やがて車夫が梶棒を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Oは石段を上る前に、門前の稲田の縁に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰《ひん》に倣《なら》った。それから三人前後して濡れた石を踏みながら典座寮《てんぞりょう》と書いた懸札の眼につく庫裡から案内を乞うて座敷へ上った。
 老師に会うのは約二十年ぶりである。東京からわざわざ会いに来た自分には、老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐそれと解ったが先方では自分を全く忘れていた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/797_43523.html

 この碑を建てた当時の東慶寺住職井上禅定(ぜんじょう)師は、『東慶寺と駆込女』(有隣新書、1995)にこう書いています。

漱石が二度目に宗演老師を訪ねたとき、宗演は東慶寺住職であった。同道した満鉄総裁の中村是公が山門の手前の田んぼに向かって立ち小便をするが、漱石もならんで”連れション”をした。「初秋の一日」には「顰に倣った」と洒落て書いている。この日漱石が来山したことを、宗演はその日のうちに阿部無仏に手紙を書き送っている。平成六年十二月は漱石参禅百年にあたるので、「初秋の一日」と宗演の手紙の文章を石碑に刻み、”連れション”をしたと思われる位置に建立した。新聞で「地下の漱石もさぞ苦笑い?」と書かれたが、漱石から「智識」と讃えられた宗演は天上で微笑されているだろう。漱石をダシに、禅を世界のZENにした釈宗演を顕彰することが、私の意図である。(p169)

 傑僧であった釈宗演を顕彰するためとはいえ、なんとこの碑は「連れション記念碑」だったのです。
 釈宗演は若くして円覚寺管長となり、1893年シカゴの万国宗教大会に参加。その後再度渡米し、ヨーロッパを巡り、鈴木大拙とともに禅の世界的発展に寄与したということです。鈴木大拙も宗演の元に参禅し、「大拙」の居士号は宗演が授けたそうですから、かなりえらい人だったのはたしかなようです。
 しかし漱石ともなると、いろんなものができるものです。

この場所がいいねと君がやったから
顰に倣って連れション記念碑    窮居堂

 

 『東慶寺と駆込女』は東慶寺の歴史、江戸時代の駆込の実態などを簡潔にわかりやすく書いておもしろいうえ、東慶寺の境内案内も添えられていて、便利な本です。前に東慶寺のイワタバコでひいた駆込寺の川柳もこの本からとらせてもらいました。

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 わたしの持っている本は井上禅定師のサイン入りです。

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2015年7月23日 (木)

三溪園のハス

 7月20日は横浜本牧にある三渓園(さんけいえん)の早朝観蓮会に行ってきました。大船のフラワーセンターで(→フラワーセンターのハス)、三渓園はもっと混んでいると聞いたので朝早く出かけ、6時開園のところ5時55分頃到着しました。
 この時間だとさすがに行列もたいしたことはなく、駐車場も余裕がありました。
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 三溪園は明治・大正時代の豪商原三溪(本名富太郎)が、本牧三之谷に作った個人の庭園で、今は財団法人が管理運営をしています。五万三千坪あるそうで、山の上に見える三重の塔もその一部です。とにかく広い。
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 蓮池も広い。
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 フラワーセンターでは今年は花が少ないということでしたが、三溪園もちょっと少ないのではと感じました。
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 植物園とは違って、ここは全部同じ種類のハスのようです。古代ハスに似ていますが、ちょっと違うようです。きれいです。
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 ここまで開くともう閉じなくなるようです。
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 これは花びらが落ちはじめました。
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 これはもうばらばらになりつつあります。
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 全部落ちるとこうなります。秋にはこれがふくらんでハチの巣のようになるそうです。丸いつぶつぶがハスの実(種子)で、食べられます。

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 「蓮の体験コーナー」というのがあって、「蓮の葉っぱのシャワー」がありました。

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 ハスの茎と葉の葉脈には空洞があってつながっているので、茎の根元にホースを付けて水を注入すると、シャワーになって噴き出すというわけです。

 

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 蓮の葉に酒やお茶をついで、茎の穴から飲む「象鼻杯(ぞうびはい)」という催しも8月には行われるそうです。この日はやっていませんでした。
 蓮の茎から糸がとれるというコーナーもありました。茎を折って左右にそっと引くと、蜘蛛の糸より細いくらいの糸がすーっと伸びていきます。ひょっとすると芥川龍之介はこれを見て、「蜘蛛の糸」を思いついたのかもしれません。
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 茎を立ててみると、空洞になっているのがよくわかります。
 ミャンマーには、この糸を紡いで織る布があって、高僧の袈裟に使われる貴重なものだそうです。一メートル四方ぐらいの布を織るためにハスの茎が12,000本以上必要とか。
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 隣のスイレンの池は、ここでもあまり注目されていませんでした。
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 この花の名前がわかりません。ご存じの方、教えてください。
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 茶店では早朝観蓮会用に朝食をやっていました。
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 朝がゆ定食です。
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 隣の店は中華粥ですが、こちらは日本のお粥です。
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 食べ終わっても、まだ7時前。休憩してから園内をざっとまわっても、まだ通常開園の9時前でしたが、暑くなってきたのでそのまま帰りました。
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 三溪園のことは、またそのうち書いてみたいと思っています。
 
 

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2015年7月20日 (月)

アメリカ山公園

 先日神奈川近代文学館から帰る途中、元町方面へ坂を降りようとして、こんな公園を見つけました。

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 「アメリカ山公園」? なんだこれは?

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 隣がフランス山で、港の見える丘公園にイギリス館があるのは知っているけど、アメリカ山なんてあったっけ。まあともかく、新しく公園ができたのならひとまわり見ておこう、と入って見ました。
 谷の向こうに見えるこの山がフランス山です。

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 たいしたものがあるわけではない。町中の小公園という感じです。近くの保育園がお散歩に来ていました。
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 これは別の日に撮った写真です。この日は雨でした。

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 マリンタワーが見えますが、奥まで行ってもそれほど眺望がいいわけでもない。
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 なんか半端な公園だなと思っていると、どんづまりにこんなものがありました。

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 なんと横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅へ行くエレベーターです。

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  えっ、これで坂の下まで降りられるの、と驚いて乗ってみると、降りた先は間違いなく駅構内で、エスカレーターもありました。上にエスカレーター乗り場もあったらしい。

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 下は元町・中華街駅の元町口です。上の出入口はアメリカ山公園口というようです。

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 つまりこの駅ができたとき、山手への観光客のための通路をつくったということなのでした。横浜市環境創造局の記者発表資料には、こうありました。

 平成21年8月7日(金)10時から、「アメリカ山公園」が一部オープンします。
 この公園は、みなとみらい線「元町・中華街駅(元町口)」の駅舎上部を増築する全国初の「立体都市公園」で、駅舎上部とアメリカ山部分を一体的に園地として整備しました。
 今回、園地及び建物内通路(エレベーター等含む)をオープンすることにより、高低差が約18mある元町と山手の間のバリアフリー化など移動が円滑・快適になります。
 是非、山手や元町地区にお出かけの際には、ご利用下さい。http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/200907/20090731-020-8357.html

 平成21年だから、もう6年も前にこの通路はできていたのに、わたしはまったく知りませんでした。いつもJR京浜東北線をつかっているので、みなとみらい線とはほとんど縁がないとはいえ、うかつでした。18メートルの高低差は大きい。知らずにいつも息を切らしながら坂を登っていました。この駅の前を通りすぎてから坂を登ったこともありました。

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 みんなが知っていることを、今頃気づいたからといってわざわざ書くには及ばないような気もしますが、わたしとしては大発見だったのでご容赦ください。
 これからの山手散歩はアメリカ山が起点になりそうです。

 

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2015年7月16日 (木)

養老孟司講演会

 7月1日は、養老孟司の講演を聴きに、東京ビッグサイト行った。東京国際ブックフェアの行事の一つである。

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 養老孟司の本はおもしろい。何冊も読んだ。前に内田樹との「戦後マンガ家論」という対談を聞きにいったこともある。(→三遊亭円丈『御乱心』
 『唯脳論(ゆいのうろん)』(1989、青土社)を読んだときには本当に目からウロコが落ちる思いがした。何枚も落ちたと思う。

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 『バカの壁』で売れっ子になって、エッセイ、時評、書評といろんな本が出た。視点が斬新で、しかも飛んでいる。解剖学の細部のような難しい部分はともかく、何冊も読んでいると、書いてあることの基本は同じだから、なんとなくわかるような気がしてくる。
 わたしが理解した、養老先生の主張の一番の基本は、意識=脳はえらそうにしているけれど、意外にたいしたものじゃない、感覚=身体が重要で、身体の言うことをちゃんときかないといけない、脳の考えることは、器官=身体としての脳に基づいており、それ以上のことは考えられない、ということ。
 「バカの壁」というのは、意識=脳がはじめから無関心なことは、それが壁になってちゃんと理解できないということ。現代は社会全体が脳化している。特に都市は脳化している。もっと感覚=身体=自然に目を向けないといけない。
 わたしのおおまかな脳が理解したところはだいたいこんなところである。これも脳のやったことなので、養老先生の言うとおり、あまり信用しないほうがいいかもしれない。

 以下の講演メモは、講演中にちょこちょこっと書いたものをもとに、どういう趣旨だったか、なんとか読めるものにしようとしたもの。自分の書いた字が読めなかったり、ただの単語の羅列で意味がつかめなかったり、意味がつながらなかったり、うまくいかなかった。欠落している部分もある。
 だから、わたし個人の覚書として載せておくけれど、内容に責任はもてないので、読まれる方はその旨御承知ください。これもしょせんは脳のしわざです。

 

<講演メモ>

 大学で「シラバス」を書くのが嫌いだった。今はどこでも講義の予定・内容をこと細かに書いて事前に提出しないといけないことになっている。これが嫌いで、ちゃんとできない。だからこの講演の題もおまかせにしたら、この「「出版」は普遍的な職業か? 」という題になってちょっと困った。
 でも小学二年で終戦を迎えて、教科書に墨を塗らされた世代だから、教科書でもなんでも、気に入らなければ墨を塗ればいいと思っている。朝日新聞も墨塗ればいいんですよ。
 ただし塗らされた世代として、墨を塗らせた公的な側は、それを、昔の学生の言葉で言えば、ちゃんと「総括」したか、とは思っている。してないでしょう。

 「出版」は本だけではない。
 「普遍」は、「ユニバーサル」で、これは西欧的な、天上の神と地上の人間をひっくるめた全体の世界のこと。
 最近は「グローバル」と言って、神様はいなくなった。これは地球のタマを意味する。
 おもしろいのは最近脳の活動をさすのに神経の電気的なものや化学的な反応も含めた全体をグローバルと言っている。
 宇宙も地球も要は「脳」なんです。

 西欧と違って、日本では自分という者はいないと考えられてきた。仏教で言う「無我」。
 こうやって集団相手に講演ができるのもそれぞれの意識に人間共通のものがあるからで、ひとりひとりの活動と共通の「知」とがある。
 知には「プライオリティ」があって、開発者の利益とされてきたが、知的なものは人間全体に共通性がある。グーグルの始まりは知識を全部インターネットに載せて共有しようということ。これは「出版」である。脳の全体がグローバルで、インターネットもグローバル。
 アルファベット二十数字で書かれた書物はランダムに作ることが可能で、そのすべてを収めたというのが「ボルヘスの図書館」である。実現の可能性がでてきた? 

 本も「端末」のひとつである。
 マンガはザラザラした紙で読まないとマンガという感じがしない。アート紙では解剖図だ。それと開いたときの丸みの感覚。これはマンガの社会的地位が関係している。
 パソコンのようなものがポピュラーになるが、本はなくならない。ペーパーレスの時代が来ると言われたが、現在のオフィスは以前より紙が増えている。わたしもプリントアウトして線を引きながら読んでいる。
 ただ昆虫の写真のようなものは印刷するとそれ以上拡大できない。電子データはずっと拡大して見ることができる。だから対象による。

 職業ということでは、わたしの母はいつも「手に職がないと困る」と言っていた。ハンス・セリエというストレス学説を唱えた学者は、オーストリア=ハンガリー帝国の貴族の出身だったが第一次大戦後貴族は崩壊した。セリエは「自分の身についたものはなくならない」と言っている。
 教養は身につけるもので鼻につけてはいけない。
 「アルス・ロンガ、ウィータ・ブレウィス Ars longa, vita brevis」という言葉がある。日本では「芸術は長く、人生は短い」みたいに言われているが、アルスというのは手についたわざのこと。もとはヒポクラテスの言葉で、医術のわざを身につけるには時間がかかる、習得するには人生は短い、「少年老い易く学なり難し」みたいな意味である。
 「出版」が身につくものかどうかはわからない。わたしのやっていた解剖も「アルス・ロンガ」で、こんなことやって何になる、と思ったこともある。長く続けていることで得るものがあるが、それは意識化できない。
 手先でやることをもつことは重要。

 編集というのはクリエイティブな仕事だが、本にするシステムは締切など機械的に動いていかなければならない部分もあって、個人の主張と折り合わせていく。
 それに金がついてくるかどうか。仕事には金にならなくてもやらないといけないことがたくさんある。仕事が先で、その後にお金がある。何かやったらお金になる。わたしの場合もつくったら売れちゃった。
 意識的に作っているが、売れるか売れないかは意識にはよらない。
 意識というのは夜寝ているときにはなくなってしまう。寝ているときは意識がコントロールしていない。自主性がない。
 そのくせ一旦出てくると意識が一番いばっている。意識が中心になっているが、あるとき身体(からだ)に気づく――たとえばガンだとわかったとき。ふだん意識は身体のことを考えていない。

 わたしに血圧はない。計っていないから、ない。胃カメラをのんだことがある。あれは前からのむ予定が決まっているからずっと気になる。当日は朝から何も食べられない。それで検査の結果「先生、急性ストレス性胃炎です」と言われた。検査のせいだろう。
 血圧が高い低いというのは統計値で言っているだけ。真ん中が平均値で、きれいな正規分布になる。センター試験の成績も同じで、東大医学部に入る生徒の成績は、高血圧にあたる。医学部に入るとバカになる、とよく言われるが、高血圧を下げて普通になおしてやってるんだと言っている。

 意識中心の社会になっていくという予想はあたった。
 情報という言葉が使われるようになったのは大学院生のころからで、おもに工学系のコンピュータ関係で使われた。情報というのは何か、考えた。
 本は止まっている。いつ開いても同じことが書いてある。テレビもビデオ化すると止まる。意識で扱うものはみんな止まる。世界は止まっていると意識は思っている。だから地震に驚く。
 本をテレビカメラで上から撮って読んでいくと、画面の本のへりは上にあがっていく。ところが目で見ているときはあがっていかない。脳が中心視野と周辺視野を逆に動かしているからだ。
 静止した世界は脳がつくったもの。目玉がテレビカメラだったら世界がぐらぐら動く。動画をとるときはカメラを動かさない。そうしないと画面が揺れてしまう。目玉は動かしているが世界は止まっている。

 脳のことを考え、身体のことを考える。
 意識はいつ生じたのか? 人間の最初はたった0,2ミリの受精卵。卵があると親ができる。しかしなぜかはわからない。世の中わかったように思っているが、わからないことばかり。知的な世界は終わらない。
 意識の出した結論は相当あてにならない。だから問題があったら墨を塗っておいてください。

 イギリスのことわざに、石や棒なら骨が折れるが言葉で骨が折れることはない、というのがある。だけど現在はうるさくなってある種の言葉はつかえなくなっている。言葉と実体の世界を分けないといけない。脳と感覚を分けないといけない。言葉が死んでしまう。
 意識は自律性を持っていない。実際には感覚入力が人間を動かしている。

 この6月4日に建長寺に「虫塚」を建てて虫供養をやった。6月4日は虫の日で、虫仲間では64歳を「虫寿(ちゅうじゅ)」という。
 今、虫がいなくなっている。五月の蝿とかいて「五月蠅(うるさ)い」と読むが、五月に蝿はいない。今では「めずらしい」と読まないといけない。
 そのうち人間もいなくなる。少子高齢化がそれだ。人間もある環境の中で増えるもので、それを都会に人を集めたら増えなくなった。

 昔と違ってまわりに生物がいないからテレビを楽しんでいる。出版は先細りになっている。

 意識の貧困は、無意識の貧困からきている。だから意識を豊かにするには無意識を豊かにしないといけない。
 人間は何もしないでぼやっとしているとき、人とつきあう状態になっている。人と人のつながりが先で、サルも群れが大きいと脳が大きくなると言う研究がある。人間は道具をつくって脳が大きくなったのではなく、バイプロダクト、副次的に道具をつくった。
 ベースは身体、感覚である。その上に意識が乗っている。その意識が扱うのが情報で、その一部が「出版」である。
 

<以上>

 

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2015年7月13日 (月)

フラワーセンターのハス

 7月11日神奈川県立フラワーセンター大船植物園へ行きました。

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 この日から「はすの花観賞早朝開園」が始まったのです。朝7時開園で、7時10分頃到着すると、行列ができていました。入園するまで十分近くかかりました。

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 入ってすぐのところにハスをいけた「はす樽」がいくつか置いてありました。「はす樽」で展示しているのは希少種だそうです。咲いています。

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 これは有名な古代のハス「大賀蓮(おおがはす)」です。係員さんが「開花二日目の古代ハスです。二日目がいちばんきれいです」と説明してくれました。
 ハスの花は、二日目はお椀型に開いて昼頃に閉じ、三日目には皿型までひらいて半開きで閉じ、四日目には完全開花してもう散り始めるそうです。

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 本当にきれいです。

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 桃色と黄色の取り合わせが鮮やかです。

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 係員さんは、地下茎が蓮根(れんこん)であることも実証して見せてくれました。

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 スイレンの池の向こうが細長いハス沼になっています。行列はそちらへ続いています

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 スイレンだってちゃんと咲いていますが、今日は注目度が低い。

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 行列のお目当てはもちろんハスの花ですが、「今年の池のハスは、生育が良くないため、昨年に比べ花数が少なくなっておりますので、ご了承ください。」とのこと。天候のせいでしょうか。なるほど花はまばらです。

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 だから咲いている一つの花を四方からカメラマンが狙います。

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 これはまだ開いていない花。

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 やっぱりハスの花です。仏像の台座にこんな模様がありました。

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 極楽浄土…

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 極楽の蓮池というと芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を連想します。すかして見てみましたが、カンダタの姿はありせんでした。

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 わたしにはもうひとつ思いだすことがあります。
 小学校低学年くらいか、その前くらいのときでしょうか。家の近くにハスの泥沼があって、その隣に古タイヤの加工を商売にしている家がありました。沼の脇には商売用の古タイヤがいつもたくさん積み上げてありました。子供の目にはずいぶん高く見えましたが、実際は二メートルからせいぜい三メートルくらいだったでしょう。それが三列くらいあって、子供同士、よく登って遊んでいました。
 そしてある日、なにかのはずみでわたしはてっぺんから落ちて、ハスの泥沼へ墜落しました。タイヤが崩れてタイヤと一緒に落ちたような気がしますが、さだかではありません。ともかく極楽往生することはありませんでしたが、頭から泥だらけになって、わんわん泣きながら家へ帰った記憶がおぼろにあります。でもさいわいトラウマにはならず、ハスに恐怖を覚えたり、レンコンが食べられないようなことはありません。

 このフラワーセンターは、昭和37年に県内の観賞植物の生産振興と花卉園芸の普及のために開設されたものだそうです。だから最近の観光地の、大型温室で熱帯植物を中心にした植物園とはちがって、雰囲気が落ち着いています。道の左側は藤棚です。

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 バラ園のバラはもうピークを過ぎていました。、

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 これはミニトマトかと思ったらなんとハマナスの実だそうです。ハマナスにこんな実がなるとは知りませんでした。

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 まだいろいろあるようでしたが、朝早くから出かけてきたので、また来ることにして適当にはしょって帰りました。

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 出口のところにあった神奈川県の花、ヤマユリです。

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2015年7月 9日 (木)

銀の匙

 6月11日に、神奈川近代文学館で「中勘助展」を見た。

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 中勘助といえば『銀の匙』である。作者の少年時代の思い出話で、はじめて読んだ高校生のときは、なんだこのかったるい小説は、と思った。幼い子供が、乳母がわりに面倒をみてくれる伯母さんに甘ったれている話と、女の子と遊んでる話ばかりで、筋らしい筋もない。これがなんで名作なのか理解できなかった。
 それがある程度歳をとってから読み返してみたら、実に文章がいい。ひらがなの多い柔らかな文章で、病弱で、外に出るときも伯母さんの背中にかじりついていた子供の、せつないような甘ったるいような気分がよく出ている。なるほど名作だと納得した。高校生にはもっと刺激的な内容が必要で、こういう微妙なものはわからないのだ。

Photo     (『銀の匙』岩波文庫1993改版98刷)

 わたしの愛読する高島俊男はこう書いている。

 日本の近代の散文作品のなかで、「これが言語の藝術だ」と言い得るものとして、中勘助の「銀の匙」をわたしはあげたい。ちょうどピアニストが一つ一つの音をたいせつに弾くように、一語一語にまでよく神経がゆきとどいた作である。(『お言葉ですが…9 芭蕉のガールフレンド』、文春文庫、2008、p243)

 そしてこの作品の擬声擬態語の使い方のうまさをあげ、いくつか例を挙げている。(p244)

<むつくらした竹の子を洗へばもとのはうの節にそうて短い根と紫の疣(いぼ)がならんでいる>
<百合の雄蕊の頭にこつとりとついてゐる焦げ色の花粉……>
<まぶしい眼をこすりこすりみると、花や葉に露がちろりとたまつて……>

 わたしもこういった言葉遣いに魅せられた。そして、これはわたしの個人的な事情であるが、やわらかな文章の中にときどき出てくる名古屋弁に、自分の幼少期をなつかしむ気分にさせられた。
 中勘助は明治11年東京神田の生まれだが、父は岐阜県今尾藩士(現在の岐阜県海津市にあった小藩)であり、育ててくれた伯母さんなど親族は名古屋弁圏内の人だった。

 例えば神田の明神様のお祭りに、万灯を持って伯母さんにおぶわれて行くと、近所の腕白坊主が「女におぶさって万灯をふってやがら」と石をぶつける。伯母さんが
 「弱い子だにかねしとくれよ」
と言っても腕白どもは許さず、足を引っぱってひきずりおろそうとする。伯母さんは
 「かねせるだ」「かねせるだ」
といって逃げ帰った、という具合。(『銀の匙』p20)
 この「かね」は「堪忍」で、前の文は「堪忍してくれ、堪忍しろ」という意味である。
 暗いところが恐く、天井に魔がいるような気がして寝られないときには、伯母さんは
 「なんにもおれせん、なんにもおれせん」
と言って寝かしつけてくれる。
 「あしたごほうびをあげるにまあねるだよ」
 「まんだ一番烏だにまっとねるだよ」
 他の地方の人にはよくわからないかもしれないが、自分の幼児体験にもこんなことがあったような気がして、郷愁を感じざるをえない。
 十六歳のとき、郷里に帰っていた伯母さんをたずねると、伯母さんは自慢の甥が訪ねてきてくれたと、近所の人を、
 「東京から□さがきたにちゃっといっぺん来てちょうだえんか」
と呼び集めてくる。(「□さ」は「□さん」、主人公をさす)
 こういうしゃべり方をする人も少なくなっただろうけれど、昔わたしのまわりの年寄りたちはこんなふうにしゃべっていた。また、この場面は太宰治の小説『津軽』の、昔の女中たけを小泊に訪ねる場面を思いださせる。
 名古屋弁のおかげでわたしのこの作品への評価は余計高くなっている。高校生のときは、この名古屋弁が逆に抵抗になったのかもしれない。 

 「中勘助展」を見て、中勘助の実生活に少し興味を持ち、随筆集と詩集を読んでみた。

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 随筆集では「夏目先生と私」がおもしろかった。一高と東京帝大で教えを受けており、「銀の匙」も漱石の推薦で朝日新聞に掲載された。そのわりに漱石に恩義を感じている様子はない。漱石に対しては生意気な文学青年であったようだ。

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 若い頃は散文よりも詩を書こうとしたが、断念して散文を書いたのが「銀の匙」だという。言葉に対する感覚はたいしたものだったろうが、当時の日本語では納得のいく詩にならなかったものか。
 中国の古典に題材をとった遊びの詩がおもしろかった。

 陶淵明

 これは古今にかくれない
 からの詩人の陶淵明
 琴もひかれぬぶきよもの
 頭巾で酒こす素寒貧
 柳の五本もうゑたとて
 おつけのみにもなるぢやなし
 しよつちゆう垣根の菊をとり
 千年万年山をみる
 さても根気なかはりもの
 わたしの好きなうつけもの(p44)

 五柳先生陶淵明はしょっちゅう垣根の菊をとっていたのか! 采菊東籬下/悠然見南山
 文壇の動き、世間の流行とは無縁に生き、自由に独創的に書いた人、という定評らしい。

 中勘助の小説の「銀の匙」は、病弱で、生まれて間もないころから毎日薬を飲ませなければならなかったので、小さな口にあうようにと伯母さんがどこかで探してきてくれたものだそうだ。中勘助展には現物が展示されていた。たしかに小さなものだった。

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 「銀の匙」というと、「銀の匙をくわえて生まれてきた」という英語の慣用句
――be born with a silver spoon in one's mouth
を連想する。これは富裕な上流階級の生まれであることを意味する。
 中勘助は、大金持ちではないが、それなりに富裕な家庭に育ったようだ。

 今わが家では「銀の匙」というと、このマンガのことだ。

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 前にもちょっと書いたが(→甲子園ツアー1 遠軽がんばれ)、北海道の農業高校を舞台にした青春酪農マンガで、とてもおもしろい。
 現在第13巻まで出ていて、主人公は三年生になり、近いうちに大団円を迎えそうだ。

 この本の「銀の匙」は、生まれてきた子供のために、職人に頼んで毎年ひとつずつ作ってもらう銀の食器のことを言っている。一年間節約して誕生日ごとに買い足し、大人になる頃には銀の食器セットとして、子供の旅立ちに持たせる。職人は、とても上客とは言えない年に一本の客のために、デザインを変えず念入りに仕事をする。そして完成した仕事は、家の歴史であり、子の歴史であり、職人の歴史でもあるという話。
 職人が学校であり、食器を贈られるのが生徒たちということになるのだろう。ちょっと教訓くさいけれど悪い話ではない。

11        (『銀の匙 第11巻』、少年サンデーコミックス、2014)

 

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2015年7月 6日 (月)

「駆込み女と駆出し男」

 7月2日、映画「駆込み女と駆出し男」を見てきた。

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 井上ひさしの小説『東慶寺花だより』を原案として作られたもので、男から逃れて東慶寺へ駆け込んだ女たちの物語である。
 医者見習いにして戯作者志望の主人公信次郎が東慶寺の御用宿柏屋を手伝いながら、寺に駆け込む女たちのさまざまな事情や人情に触れ、もめ事や秘密を解き明かしていくという連作短篇集。

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 映画は、短篇集の多くを材料として組み立てながら、小説にはない幕府の権力者鳥井耀蔵に対する抵抗と主人公の恋を主筋として全体をまとめている。
 小説を読んでいないとひとつひとつのエピソードがどういうことなのかわかりにくかったかもしれない。小説を読んでいたわたしは逆に、あれ、こんな話だったっけと思わされるところもあった。井上ひさし「原作」ではなくて、「原案」となっているのは、そういうちょっとした筋の改変があるからか。「東慶寺花だより」の方がいいと思うのに、「駆込み女と駆出し男」という不粋なタイトルにしたのもそうためかもしれない。
 全体としてよくまとまっていて、テンポもよく、楽しめた。主人公信次郎(大泉洋)とキムラ緑子の江戸調長台詞の掛け合いや、随所に出てくる端唄だか小唄だか(わたしには区別がつかない)や、わらべ唄の類も意味はよくわからないけれど、雰囲気があっていい。

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 あっと驚いたのが、主人公の伯父さんにあたる柏屋の「源兵衛」が、実は伯母さんで樹木希林だったこと。無論原作では普通に男だったが、映画では「女」で「源兵衛」という名前で「主(あるじ)」であるという設定になっている。そんなことが? と思いながら、樹木希林が出てくると、そういうこともあったかもしれないという気になってくる。
 「駆込女」には当然、当時の横暴な男に対する女の抵抗という意味があった。映画でも東慶寺内での女だけの集団生活を描き、薙刀の稽古をさせたりして「女の力」を全面に出している(考証的には?だが)。その中で樹木希林はいつのまにか象徴的な存在になってしまっている。不思議な役者だ。 
 前に映画「清須会議」をみたときに、鈴木京香がお歯黒をつけていて、えらいと書いた。この映画では満島ひかりがお歯黒ででてきた。あまり違和感はなく、悪くなかった。これなら今後の時代劇ではお歯黒がそれほど珍しくなくなるかもしれない。
 もうひとりのヒロイン「じょご」を演じていた戸田恵梨香という女優は、名前も顔も知らなかったが、どうもどこかで見たことがあるような気がしてしょうがなかった。最後の方でようやく「すき家」の牛丼のCMではないかと思い当たった。帰って調べてみたらそのとおり。スッキリした。

 お寺の境内の画面がきれいだった。どこかでわたしの知っている東慶寺が出てくるかと思って見ていたが、ほとんどなかった。兵庫県姫路市の書写山円教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)で主にロケをしたという。機会があったら姫路城とあわせて行ってみたい。

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 地元の映画館へ入ったとき、三十人くらいの入場者がいて驚いた。いつもは十人くらいだから、これは混んでいると言っていい。この映画、そんなに評判がよかったのか。
 前の週に「龍三と七人の子分たち」を見たときも同じくらいいたが、これはビートたけしの人気だろうと納得がいった。しかし「龍三と七人の子分たち」は残念ながら期待はずれだった。あっと驚くような面白さも、息をつかせぬような面白さもなかった。「駆込み女と駆出し男」の方がずっと面白い。

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 「駆込み女と駆出し男」の客は、いつもどおりわたしと同世代あるいはちょっと上くらいの客がほとんどだが、女性どうしの客が多かったのが特徴だった。いつもはもっと夫婦連れが多い。
 このあたり鎌倉は近いので、みなさん東慶寺になじみがあって見にきたのかとも思う。今さら「駆込寺」に興味があって来たわけではないと思いたい。

 

 

 

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2015年7月 2日 (木)

天空の体験

 「天空の体験」というのはちょっと大げさだけれど、行ったところがここだったので、このタイトルになりました。

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 京浜急行空港線天空橋(てんくうばし)駅。昔はこのあたりが「羽田駅」だったこともありますが、線路が延伸してこの先にターミナル駅ができ、改名したそうです。
 地下駅から登ってすぐの小さな三階建てのビルが、一般財団法人航空振興財団です。

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 ここにある高性能フライト・シミュレーターで飛行機の操縦体験をしようというのです。もと民間航空のパイロットである学生時代の友人から一度やってみないかという話があり、友人たちとともに体験させてもらうことになりました。
 ここのシミュレーターはパイロットの育成や技能審査に使われているとともに、航空少年団の操縦体験も行われています。われわれがやらせてもらうのはだいたいその少年団の方のレベルですが、ゲームセンターの機械とは格が違います。

 どれくらい違うかというと、まずその大きさが違います。これがそのシミュレーターです。タラップを登って部屋へ入ります。

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 ドアがしまり、タラップが離れると、こうなっています。これ全体がシミュレーターなのです。

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 部屋全体が、下にある電動ジャッキのようなもので動きます。「6軸の電動式モーションを装備」しているそうで、右に旋回すれば右に傾き、機種を上げれば前があがります。着陸するときにはドドーンっと衝撃がきます。リアルです。

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 中はこうなっています。操縦席が2席あって、その後ろのコンピューターで空港や時間、天候などの設定をします。ちょっとせまいけれど。

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 これが操縦席。右の副操縦士の席には、この7月1日には民間航空会社にパイロットとして就職するという青年が、教官としてついてくれました。おだやかで物腰の柔らかな好青年でした。
 ともかく計器がいっぱいあって、本来は出力だの高度だのチェックしながらやらないといけないところですが、それはみんな青年がやってくれて、われわれがやったのは機首の上げ下げと右旋回左旋回、機体を水平に保つことくらいでした。それでもなかなか難しい。
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 これは仙台空港に降りるところで、前に見えるのは蔵王山です。
 飛行機の操縦桿を握るというのはすべての少年の夢と言ってもいいくらいで、準本物ではありますが、うれしい体験でした。操縦桿の抵抗を実感し、あたりまえだけれど飛行機は自動車みたいに簡単にくるくるまわったりはしないことを体感しました。

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 ひとり三度ずつ着陸をやりました。わたしは一回「ゴーアラウンド!」と、やり直しをさせられました。機体がどういう状態で飛んでいるのかいまいちよくわからず、かなり傾いたまま突っ込んでいったようです。あのままだと墜落事故になったことでしょう。
 着陸のときは本当にリアルな衝撃があります。下手するとドン、ドンッとはねてしまいます。ここでは「あ、やっちゃった」ですみますが。今度飛行機にのったときには、着陸の瞬間をじっくり味わってみたいと思います。
 財団のホームページには「パソコン・ソフトやFTDでは得られない慣性モーメント及び加速度感が再現されて、より実際に近い操舵感覚が体験できます」とありましたが、なるほど高性能フライト・シミュレーターでした。例えば強い風が吹いて機体が揺れる中で着陸するような設定もでき――これはわれわれではなく教官が降りてみせてくれました。
 ひとりあたりの操縦時間は短いものでしたが、ともかくあこがれの操縦桿を握ったような気分になれ、うれしい体験でした。K機長、S青年、どうもありがとうございました。

 ここが天空橋駅

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 これが駅名の元になった天空橋です。すごい名前なのでどんな橋か実物を確認してきました。駅のすぐ近くで、この川は海老取(えびとり)川といい、多摩川の河口のあたりです。

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 名前から、見上げるような高い橋を想像していたら、ごく普通の人道橋でした。平成5年にできたとき、地元の小学校でのアンケートに基づき命名されたそうです。なるほど気持ちはわかる。そういえば「時天空(ときてんくう」という相撲とりもいます。これも名前はすごい。

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 時間や天空を駆けるようなことは何もしてこなかったなあ、と思いつつの帰路でした。

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