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2015年7月 9日 (木)

銀の匙

 6月11日に、神奈川近代文学館で「中勘助展」を見た。

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 中勘助といえば『銀の匙』である。作者の少年時代の思い出話で、はじめて読んだ高校生のときは、なんだこのかったるい小説は、と思った。幼い子供が、乳母がわりに面倒をみてくれる伯母さんに甘ったれている話と、女の子と遊んでる話ばかりで、筋らしい筋もない。これがなんで名作なのか理解できなかった。
 それがある程度歳をとってから読み返してみたら、実に文章がいい。ひらがなの多い柔らかな文章で、病弱で、外に出るときも伯母さんの背中にかじりついていた子供の、せつないような甘ったるいような気分がよく出ている。なるほど名作だと納得した。高校生にはもっと刺激的な内容が必要で、こういう微妙なものはわからないのだ。

Photo     (『銀の匙』岩波文庫1993改版98刷)

 わたしの愛読する高島俊男はこう書いている。

 日本の近代の散文作品のなかで、「これが言語の藝術だ」と言い得るものとして、中勘助の「銀の匙」をわたしはあげたい。ちょうどピアニストが一つ一つの音をたいせつに弾くように、一語一語にまでよく神経がゆきとどいた作である。(『お言葉ですが…9 芭蕉のガールフレンド』、文春文庫、2008、p243)

 そしてこの作品の擬声擬態語の使い方のうまさをあげ、いくつか例を挙げている。(p244)

<むつくらした竹の子を洗へばもとのはうの節にそうて短い根と紫の疣(いぼ)がならんでいる>
<百合の雄蕊の頭にこつとりとついてゐる焦げ色の花粉……>
<まぶしい眼をこすりこすりみると、花や葉に露がちろりとたまつて……>

 わたしもこういった言葉遣いに魅せられた。そして、これはわたしの個人的な事情であるが、やわらかな文章の中にときどき出てくる名古屋弁に、自分の幼少期をなつかしむ気分にさせられた。
 中勘助は明治11年東京神田の生まれだが、父は岐阜県今尾藩士(現在の岐阜県海津市にあった小藩)であり、育ててくれた伯母さんなど親族は名古屋弁圏内の人だった。

 例えば神田の明神様のお祭りに、万灯を持って伯母さんにおぶわれて行くと、近所の腕白坊主が「女におぶさって万灯をふってやがら」と石をぶつける。伯母さんが
 「弱い子だにかねしとくれよ」
と言っても腕白どもは許さず、足を引っぱってひきずりおろそうとする。伯母さんは
 「かねせるだ」「かねせるだ」
といって逃げ帰った、という具合。(『銀の匙』p20)
 この「かね」は「堪忍」で、前の文は「堪忍してくれ、堪忍しろ」という意味である。
 暗いところが恐く、天井に魔がいるような気がして寝られないときには、伯母さんは
 「なんにもおれせん、なんにもおれせん」
と言って寝かしつけてくれる。
 「あしたごほうびをあげるにまあねるだよ」
 「まんだ一番烏だにまっとねるだよ」
 他の地方の人にはよくわからないかもしれないが、自分の幼児体験にもこんなことがあったような気がして、郷愁を感じざるをえない。
 十六歳のとき、郷里に帰っていた伯母さんをたずねると、伯母さんは自慢の甥が訪ねてきてくれたと、近所の人を、
 「東京から□さがきたにちゃっといっぺん来てちょうだえんか」
と呼び集めてくる。(「□さ」は「□さん」、主人公をさす)
 こういうしゃべり方をする人も少なくなっただろうけれど、昔わたしのまわりの年寄りたちはこんなふうにしゃべっていた。また、この場面は太宰治の小説『津軽』の、昔の女中たけを小泊に訪ねる場面を思いださせる。
 名古屋弁のおかげでわたしのこの作品への評価は余計高くなっている。高校生のときは、この名古屋弁が逆に抵抗になったのかもしれない。 

 「中勘助展」を見て、中勘助の実生活に少し興味を持ち、随筆集と詩集を読んでみた。

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 随筆集では「夏目先生と私」がおもしろかった。一高と東京帝大で教えを受けており、「銀の匙」も漱石の推薦で朝日新聞に掲載された。そのわりに漱石に恩義を感じている様子はない。漱石に対しては生意気な文学青年であったようだ。

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 若い頃は散文よりも詩を書こうとしたが、断念して散文を書いたのが「銀の匙」だという。言葉に対する感覚はたいしたものだったろうが、当時の日本語では納得のいく詩にならなかったものか。
 中国の古典に題材をとった遊びの詩がおもしろかった。

 陶淵明

 これは古今にかくれない
 からの詩人の陶淵明
 琴もひかれぬぶきよもの
 頭巾で酒こす素寒貧
 柳の五本もうゑたとて
 おつけのみにもなるぢやなし
 しよつちゆう垣根の菊をとり
 千年万年山をみる
 さても根気なかはりもの
 わたしの好きなうつけもの(p44)

 五柳先生陶淵明はしょっちゅう垣根の菊をとっていたのか! 采菊東籬下/悠然見南山
 文壇の動き、世間の流行とは無縁に生き、自由に独創的に書いた人、という定評らしい。

 中勘助の小説の「銀の匙」は、病弱で、生まれて間もないころから毎日薬を飲ませなければならなかったので、小さな口にあうようにと伯母さんがどこかで探してきてくれたものだそうだ。中勘助展には現物が展示されていた。たしかに小さなものだった。

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 「銀の匙」というと、「銀の匙をくわえて生まれてきた」という英語の慣用句
――be born with a silver spoon in one's mouth
を連想する。これは富裕な上流階級の生まれであることを意味する。
 中勘助は、大金持ちではないが、それなりに富裕な家庭に育ったようだ。

 今わが家では「銀の匙」というと、このマンガのことだ。

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 前にもちょっと書いたが(→甲子園ツアー1 遠軽がんばれ)、北海道の農業高校を舞台にした青春酪農マンガで、とてもおもしろい。
 現在第13巻まで出ていて、主人公は三年生になり、近いうちに大団円を迎えそうだ。

 この本の「銀の匙」は、生まれてきた子供のために、職人に頼んで毎年ひとつずつ作ってもらう銀の食器のことを言っている。一年間節約して誕生日ごとに買い足し、大人になる頃には銀の食器セットとして、子供の旅立ちに持たせる。職人は、とても上客とは言えない年に一本の客のために、デザインを変えず念入りに仕事をする。そして完成した仕事は、家の歴史であり、子の歴史であり、職人の歴史でもあるという話。
 職人が学校であり、食器を贈られるのが生徒たちということになるのだろう。ちょっと教訓くさいけれど悪い話ではない。

11        (『銀の匙 第11巻』、少年サンデーコミックス、2014)

 

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