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2015年7月27日 (月)

東慶寺の漱石碑

 東慶寺の大門を入って山門へ向かう途中に松の木があって、そこに石碑があります。「夏目漱石参禅百年記念碑」です。
 漱石が明治27年(1894)に東慶寺の向かいの円覚寺に参禅したのは有名な話で、小説「」には山門を入って行く情景などが描かれています。それから百年たった平成6年(1994)にその記念碑を建てたということですが、円覚寺ではなく、どうしてここに建てたのか、おもしろい話がありました。

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 大正元年(1912)漱石は友人の満鉄総裁中村是公(ぜこう)などとともに東慶寺を訪れました。円覚寺に参禅した際に教えを受けた釈宗演(しゃくそうえん)が、当時東慶寺の住職となっていたためでした。
 碑の上段は漱石が訪ねてきたことを書いた釈宗演の手紙、下段は漱石の「初秋の一日」という小品の一部が刻まれています。

 
Dscf0523_2

 碑文の「初秋の一日」の最初はこうなっています。こぬか雨の中を鎌倉駅から人力車でやってきて、東慶寺へ着いたところです。(碑文は旧字旧仮名だが、引用は青空文庫の現代仮名づかいによる。また碑では人名のOがZになっている。)

Dscf0523 やがて車夫が梶棒を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Oは石段を上る前に、門前の稲田の縁に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰《ひん》に倣《なら》った。それから三人前後して濡れた石を踏みながら典座寮《てんぞりょう》と書いた懸札の眼につく庫裡から案内を乞うて座敷へ上った。
 老師に会うのは約二十年ぶりである。東京からわざわざ会いに来た自分には、老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐそれと解ったが先方では自分を全く忘れていた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/797_43523.html

 この碑を建てた当時の東慶寺住職井上禅定(ぜんじょう)師は、『東慶寺と駆込女』(有隣新書、1995)にこう書いています。

漱石が二度目に宗演老師を訪ねたとき、宗演は東慶寺住職であった。同道した満鉄総裁の中村是公が山門の手前の田んぼに向かって立ち小便をするが、漱石もならんで”連れション”をした。「初秋の一日」には「顰に倣った」と洒落て書いている。この日漱石が来山したことを、宗演はその日のうちに阿部無仏に手紙を書き送っている。平成六年十二月は漱石参禅百年にあたるので、「初秋の一日」と宗演の手紙の文章を石碑に刻み、”連れション”をしたと思われる位置に建立した。新聞で「地下の漱石もさぞ苦笑い?」と書かれたが、漱石から「智識」と讃えられた宗演は天上で微笑されているだろう。漱石をダシに、禅を世界のZENにした釈宗演を顕彰することが、私の意図である。(p169)

 傑僧であった釈宗演を顕彰するためとはいえ、なんとこの碑は「連れション記念碑」だったのです。
 釈宗演は若くして円覚寺管長となり、1893年シカゴの万国宗教大会に参加。その後再度渡米し、ヨーロッパを巡り、鈴木大拙とともに禅の世界的発展に寄与したということです。鈴木大拙も宗演の元に参禅し、「大拙」の居士号は宗演が授けたそうですから、かなりえらい人だったのはたしかなようです。
 しかし漱石ともなると、いろんなものができるものです。

この場所がいいねと君がやったから
顰に倣って連れション記念碑    窮居堂

 

 『東慶寺と駆込女』は東慶寺の歴史、江戸時代の駆込の実態などを簡潔にわかりやすく書いておもしろいうえ、東慶寺の境内案内も添えられていて、便利な本です。前に東慶寺のイワタバコでひいた駆込寺の川柳もこの本からとらせてもらいました。

Photo

 わたしの持っている本は井上禅定師のサイン入りです。

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