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2015年10月12日 (月)

海蔵寺の水

 永井路子は前掲の『鎌倉の寺』で、海蔵寺の項をこう書き出しています。

 海蔵寺は水の寺である。こじんまりした山門のわきには鎌倉十名水のひとつ「底ぬけの井」があり、左手の山には「十六の井」があるし、本堂脇には小さいながら水量ゆたかな池がある。(p60)

 まず「底脱の井(そこぬけのい)」です。山門より手前の入口のところの道路脇にあります。鎌倉十井のひとつです。

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 この井戸の底が抜けているわけではなく、その昔、尼さんがこの井戸で桶に水をくんだら桶の底が脱けてしまった。ところがそのときなんと悟りを開いたので、「底脱の井」と呼ばれるようになったといいます。
 石碑には

「千代能がいただく桶の底ぬけて 水たまらねば月もやどらじ 如大禅尼」

とあるそうです。千代能というのは、安達泰盛の娘で北条(金沢)顕時の妻、無着禅尼です。
 一説には、悟りを開いたのは上杉家の尼で、

「賎の女が戴く桶の底ぬけて ひた身にかかる有明の月」

がそのときの歌だ、といいいます。どちらにせよ、桶の底を抜いたのが下女だったらきつく怒られたことでしょうが、身分の高い方は悟りを開いてしまいます。とても下々の及ぶところではありません

 「十六の井」へは、岩肌をくりぬいたトンネルを通って行きます。

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 民家の前を通り過ぎて行くと、崖をうがったやぐらのようなところに扉がついています。これが十六の井です。

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 奥には観音菩薩像、その手前の小さいのは弘法大師像だそうです。弘法大師が掘ったものという伝承があります。
 直径70センチくらいの穴が十六あって、深さは4、50センチだそうです。
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 どれにも冷たそうな透き通った水がたまっています。湧き水が自然にたまるようです。

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 永井路子は、先の文章に続けてこう書いています。

 鎌倉はもともと水の悪いところで、「十名井」などがあるというのも、じつはそこしかいい水がなかったことの裏返しなのに、ここの水のゆたかさは珍しい。しかも水道の普及したいまはその名井の多くが、なごりをとどめているにすぎないのだが、この十六の井はそうではない。
 「あの水はいまも生きています」というご住職の言葉どおり、いまも清らかな水をたたえているのだ。(p60)

 この穴を納骨穴だとする説もあるようですが、いただいたパンフレットには、湧水地であり、十六という数は十六菩薩を象徴しているもので、墓所とは考えられない、と書いてありました。

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 これは岩船地蔵堂(いわふねじぞうどう)といい、源頼朝北条政子の娘大姫(おおひめ)の守り本尊だった石造のお地蔵様を祀っているそうです。海蔵寺から戻って、横須賀線のガードをくぐった先にありますが、海蔵寺が管理しているそうなので、ここに載せておきます。

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 大姫が六歳の時、木曾義仲の息子義高(十一歳)との婚約が成立し、義高は鎌倉へやってきます。人質ですが、大姫と仲良く暮らしていました。しかし翌年義仲は頼朝軍に敗れて殺されてしまいます。大姫は鎌倉から義高を逃がしますが、義高もやがて捕らえられ殺害されました。これを聞いた大姫は悲しみのあまり心身を病み、成長後も縁談を拒み通して、二十歳で早世したといいいます。悲劇の物語です。
 この大姫の墓と木曽義高の首塚が大船の常楽寺にあるそうです。近いうちに行ってみることにしましょう。

 

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