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2015年10月 1日 (木)

円応寺は閻魔寺

 9月14日(月)、鎌倉の円応寺(えんのうじ、圓應寺)へ行ってきました。北鎌倉駅から行くと建長寺のちょっと先です。

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 道路の石垣にはこんな閻魔大王の顔入りで円応寺(閻魔寺)と書いた看板があります。入口の階段には赤い旗が見えます。

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 旗の文字は「南無延命地蔵菩薩」です。

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 山門があります。
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 階段の上にこんな碑がありました。「あらい 子そだて 閻魔王」とあるようです。山号が新居山で昔は「新居閻魔堂」と呼ばれていたそうです。

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 中はあまり広いところではありません。左の建物で拝観料200円を払います。ススキがのびています。
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 突き当たりがすぐ本堂です。

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 ここの本尊は閻魔大王だから、閻魔堂、閻魔寺というわけで、内部はこうなっています。写真撮影は禁止なので、いただいたパンフレットの写真です。中央に閻魔大王、その左右に冥界の十王像が並んでいます。Img_20150929_0004
 これが閻魔大王像、これもパンフレットからです。Img_20150929_0006

 運慶作と伝えられるということですが、頭部のみ鎌倉時代のもので、胴体は江戸時代に作られたものらしい。これだけほかの像より大きくて彩色されています。
 運慶は、死んで閻魔大王の前に引き出されたとき、「閻魔様の彫像を作って人々を善縁に導くなら娑婆へ返してやろう」と言われて、現世へ戻された。生き返った運慶は、喜んで笑いながら彫刻したので、どことなく笑っているような顔になり「笑い閻魔」と呼ばれている、という話があるそうです。
 わたしにはあまり笑っているようには見えませんでした。そういえば板東三十三カ所巡礼で行った栃木県益子町の「笑い閻魔」様も笑っているようには見えませんでした(→第二十番 西明寺)。やっぱり信心が足りないからでしょうね。

 ここへ来るまでよく知りませんでしたが、冥界の十王というのは、地獄で死者の審判を行う裁判官で、死後の日数に応じて次のように担当が決まっているらしい。(ウィキペディアより)

十王読み本地審理
秦広王  しんこうおう 不動明王  初七日(7日目・6日後)
初江王  しょこうおう 釈迦如来  二七日(14日目・13日後)
宋帝王  そうていおう 文殊菩薩  三七日(21日目・20日後)
五官王  ごかんおう 普賢菩薩  四七日(28日目・27日後)
閻魔王  えんまおう 地蔵菩薩  五七日(35日目・34日後)
変成王  へんじょうおう 弥勒菩薩  六七日(42日目・41日後)
泰山王  たいざんおう 薬師如来  七七日(49日目・48日後)
平等王  びょうどうおう 観音菩薩  百か日(100日目・99日後)
都市王  としおう 勢至菩薩  一周忌(2年目・1年後)
五道転輪王  ごどうてんりんおう 阿弥陀如来  三回忌(3年目・2年後)

 こんなに何回も取り調べがあるとは、大変です。とてもしらを切り通せるとは思えません。
 この「本地」は、鎌倉時代に日本仏教が考え出したものだそうで、閻魔大王は地蔵菩薩の化身ということになっています。
 円応寺の十王像の中で一番いいのは初江王像のようですが、現在これは鎌倉国宝館に置いてあるとのことで現物は見られませんでした。あるものの中では宋帝王像がちょっといいなと思いました。
 永井路子『鎌倉の寺』(保育者カラーブックス、1967)には初江王像のこんな写真がありました。いちど鎌倉国宝館で見てみたいと思わせる写真です。

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 十王像の他にはあまり見るものはありません。小さな、落ち着いた感じの寺です。茅葺きの鐘楼があります。

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 庭です。
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 萩が咲いていました。
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