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2015年11月12日 (木)

円覚寺は舎利殿

 11月3日は円覚寺(えんがくじ)の宝物風入(ほうもつかぜいれ)を見に行ってきました。年に一度、所蔵の絵画、古文書など貴重な文化財を公開する催しです。同時に建長寺でも開催されていますが、今回は円覚寺だけ行きました。

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 昨日の雨が晴れました。祝日なので混むだろうと早めに出かけ、8:40ころ着きました。風入は9:00からですが、円覚寺へは8:00から入れます。

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 脇にこんな看板もありました。実はわたしの第一のお目当ては、小さく書いてある「国宝舎利殿同時公開」の方です。

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 総門へ階段をのぼります。

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 次は山門です。

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 その奥の正面が仏殿。ここは敷地も広く建物もそれぞれ大きくて立派です。
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 仏殿には本尊の宝冠釈迦如来がおわします。
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 ご本尊におまいりしたら何はともあれ舎利殿へ向かいます。途中、9:00からの宝物風入の開場を待つ行列が見えましたが、舎利殿が先です。
 円覚寺と言えば「舎利殿」と反応してしまうのは、円覚寺の名前をおぼえたのが、中学生の頃、歴史か美術の教科書に載っていた「国宝円覚寺舎利殿」の写真からだったからでしょう。その頃通用していた切手には「円覚寺舎利殿」の図柄のものもありました。国宝シリーズの切手でした。円覚寺という名前はいつも舎利殿とセットになっていたのです。

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 正続院(しょうぞくいん)の門です。普段はこの中へは入れず、舎利殿はこの門の間から屋根を覗くだけでした。それが今日はすぐ前まで行くことができます。
 円覚寺はたくさんの独立した塔頭(たっちゅう)の集合体で、正続院という名前の塔頭に、舎利殿開山堂禅堂などが所属しているということです。

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 中へ入ると受付のテントがあって、そこで宝物風入と舎利殿の特別拝観料を払いました。宝物風入の目録とシールをいただきました。

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 一緒に「鎌倉円覚寺の名宝」(五島美術館、2006)という図録を買いました。テントの後ろの正続院の中で、お坊さんが何人か書き入れをして朱印を押す作業をされていました。

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 「舎利瞻禮」というのは「しゃりせんらい」と読み、舎利殿を仰ぎ見てお参りしましたという意味だそうです。三字目は「膽(たん)」かと思ったら「瞻(せん)」で、「目をあげて見る」という意味でした。

 奥に舎利殿の屋根が見えます。手前の青い屋根は正続院の唐門の屋根です。

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 唐門をくぐって、さあ「国宝円覚寺舎利殿」です。

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 屋根の曲線がとてもいい。優美です。二階建てに見えますが、下の屋根は裳階(もこし)で、一階建てです。

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 「さわら」の板の柿(こけら)葺きです。

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 中へは入れませんが、内部もちょっとのぞけます。

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 真ん中が仏舎利をおさめてあるお宮で、「佛牙舎利(ぶつげしゃり)」というお釈迦様の歯がまつられているそうです。左は地蔵菩薩、右は観音菩薩です。
 世界中にまつられているお釈迦様の仏舎利を合わせたらどのくらいの量になるだろうとか、DNA鑑定はしたんだろうかなどと考えてはなりません。そういう俗世間の考えを超越したところに仏様はおわしますのであります。 
 上の欄間は、「弓欄間 (ゆみらんま)」あるいは「波欄間」と呼ばれています。真ん中にある丸いのは、修行の足りないわたしには蜘蛛に見えてしまいましたが、宝珠だそうです。

 鎌倉の町は戦乱や地震、大火などで何度も焼け、鎌倉時代の建物は残っていません。この舎利殿も、永禄六年 (1563) に円覚寺が全焼した後、鎌倉尼五山の一つであった大平寺の仏殿を、天正年間に移築して舎利殿としたものです。建物そのものは室町時代中期(15世紀)頃の建築物と推定されているようです。
 永井路子の『鎌倉の寺』(保育者カラーブックス、1967)には、こんな話がありました。

応安七年(1374)の秋、円覚寺に薪売りが来たが、会計を預かる僧が値切ったことから大げんかになった。ともかく薪は売って帰ったが、その晩その薪に火がついて、全山猛火につつまれた。それを見るなり、会計係の僧は、「あの薪売りの恨みの放火だ。すべては私の責任だ」と叫ぶやいなや燃えさかる炎の中にとびこんで自殺した。が、薪売りと僧は、実は一味だったらしいのだ。当時建長寺と円覚寺(厳密にいえば二寺のうちの二派)に激しい対立があり、円覚寺に住みながら、建長寺の法系に属するその僧が仕組んだ完全犯罪だったようだ。薪売りとのけんかもはじめからの計画だったのである。(P9)

 これは永井路子の小説ではなく、記録に基づく歴史学者の推測です。円覚寺が発行した正史『圓覚寺史』(玉村竹二・井上禅定、1964)にこのように書かれています。円覚寺と建長寺の対立が背景にあったということですが、現在のこの二寺の関係はどうなんでしょうか。

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 さて舎利殿はこれでしばらくは拝観できませんから、もう一度見ておきます。

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 舎利殿脇の禅堂では、監視の意味もあるのでしょうが、お坊さんがじっと瞑想されていました。
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 次は宝物風入です。

 

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