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2016年1月14日 (木)

永福寺の史跡

 昨年は、鎌倉の紅葉をあれこれ見に行こうと思っていましたが、ちょうどその頃いろいろあって、ほとんど行けませんでした。シーズンも終わりかけた12月24日に、ようやく獅子舞(ししまい)という谷へ行きました。ここは全然知りませんでしたが、ネットに、鎌倉で一番紅くなる場所などと書いてあったので、ぜひ行ってみたかったのです。

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 鎌倉駅から鎌倉宮(かまくらぐう=大塔宮(だいとうのみや、おおとうのみや))までバスで行って、あとは歩きます。

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 ここは何度も来ていますが、せっかくここまで来たので、お参りだけしていきます。

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 ちょっとだけ紅葉も見られました。

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 瑞泉寺の方へは行かないで、左手へ進むと、永福寺(ようふくじ)跡があります。テニスコートがあったり、史跡公園として現在整備中です。

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 永福寺(ようふくじ)は、二階建ての壮麗なお寺だったらしい。源頼朝が奥州藤原氏征伐のとき、平泉中尊寺にあった大長寿院(二階大堂)を見て驚き、鎌倉にも同様のものを建てさせたものだといいます。この頃二階建ては珍しかったのか。永福寺は室町時代に焼失しましたが、今もこのあたりの地名を二階堂というのは、その名残です。
 永福寺旧跡の碑。

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永福寺世ニ二階堂ト称ス 今ニ二階堂ナル地名アルハ是ガタメナリ 文治五年頼朝奥州ヨリ凱旋スルヤ彼ノ地大長壽院ノ二階堂ニ擬シテ之ヲ建立ス 輪奐荘厳洵ニ無雙ノ大伽藍タリト云フ 亨徳年間関東管領ノ没落セル頃ヨリ後全ク頽廃ス

 頼朝の奥州征伐(今は奥州合戦というらしい)というのはひどい話です。義経を保護していた藤原氏に、院宣を使って義経を召し捕れと圧力をかけておいて、藤原泰衡が義経の首を差し出したら、今度は「頼朝の弟と知りながら討つとはなにごとか」と因縁をつけて征討軍を出したというのですから。
 このとき泰衡征討の勅許を願い出たけれど、さすがにこれは降りませんでした。しかし「軍中、将軍の令を聞く。天子の詔を聞かず」という理屈で出兵したそうです。これは謹賀新年2016で紹介した、孫子が呉王の命に対し、「将は軍に在りては君命をも受けざる所有り」と聞かなかった故実に基づくものでしょう。
 源氏は前九年の役源頼義以来、東国からさらに奥州にも勢力を張ろうとしてきました。この頼義が鎌倉の由比に八幡宮を勧請したのが鶴岡八幡宮のはじまりです。(→由比若宮は元八幡)源氏は鎌倉を東国経営の根拠地として、やがて頼朝が幕府をつくりました。今度は義経が逃げ込んだのをいい機会として、いよいよ念願の奥州経略、ということになったのでしょう。
 永福寺は義経や奥州藤原氏等の御霊を鎮めるために建立されたといいます。はじめから征伐なんかしなければ、というのは現代人の言い分でしかありません。、

 ここにある看板にはこんな復元想像CGがあります。大きな池があるのは毛越寺を模したものか。平泉には頼朝を驚かせるような文化がありました。
 現場でこの看板を見ると、ここにこれができるのかと思ってしまいますが、鎌倉市のホームページには、永福寺復元CGについて「想像図であり、復元完成予定図ではありません」と注釈がありました。

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 公園としての整備と併せて今も発掘が行われています。

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 柱の跡の石だけ復元されています。お寺まで復元するには、国立競技場まではいかなくても、相当のお金がかかります。鎌倉市だけでは無理でしょうか。
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