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2016年2月

2016年2月29日 (月)

「母と暮らせば」

 2月16日、映画「母と暮らせば」を見た。山田洋次監督、吉永小百合主演。

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 井上ひさしに「父と暮らせば」という戯曲があって(映画にもなっている)、広島が舞台で、原爆で死んだ父親が幽霊になって、一人暮らしの娘を訪れるという話だった。
 実は井上ひさしは、「父と暮らせば」と対になる「母と暮らせば」という作品を、長崎を舞台にして作りたいと言っていたとのことで、それを聞いた山田洋次が脚本から作り上げたという。
 なるほど舞台は長崎で、今度は死んだ息子が幽霊となって、一人暮らしの母を訪れる設定になっている。 

 原爆がテーマで母物ときたら、これは泣くしかない。その昔「三倍泣けます」が宣伝文句の母物映画があったそうだが、この映画もきちんと泣ける。わたしも泣いてきた。
 医学生だった息子を原爆で亡くした母のもとを、息子の恋人だった娘がしばしば訪れ、かいがいしく面倒を見ていた。そこへ息子の亡霊が現れ、母と楽しかった過去を回想しながら、今は小学校の先生になった娘を見守っていると、やがて娘には新しい恋のきざしが感じられるようになった。
 しかし自分だけ原爆から生き残ったという罪悪感から、恋なんかしない、結婚なんかしないと将来を閉ざそうとする娘に、母は新しい道を歩むようすすめる。恋人の心が自分から離れていくのが辛い息子の亡霊にも、娘の幸せのためだからとなぐさめる。
 そう言い聞かせながら母は、一方で「どうしてあんたが助かって、うちの息子は死ななければならなかったの」という思いを娘にももらさずにはいられない。
 この他にも、兄の戦死の場面、娘が教え子を連れてその子の父親の戦死の通知を受けとりに行く場面など、泣かせる場面がいっぱいだ。

  それでも映画全体が暗くならないのは、息子役の二宮和也がいかにも軽くて明るいからだ。この場合の「軽い」はけなし言葉ではなく、ほめている。井上ひさしの舞台を意識したのか、息子と母の対話の場面が多いので、これが重くなると全体が暗くなるところを、軽妙に話を運びながら、重いテーマをうまく引き出している。
 だから観客は提示される悲劇的な状況で素直に泣いて、素直にカタルシスを得られる。山田洋次らしい映画だ。
 ただ、最後に病気で母が死んで息子の元へ行って、話がきれいに終わってしまうと、これだけのテーマがみんな片付いたような気になって、あまり心に残らないような気がした。映画館を出るときに、もっと心に波風が残っていてもよかったのではないか。

 主演が吉永小百合だからどうしてもこういうおだやかな映画になってしまうのかもしれない。これが樹木希林だったらどんな映画になったか、ちょっと考えた。ゲラゲラ笑いながら、それでいてもっと辛い涙の出る、強烈な、ともかくずっとアクの強い映画になっただろう。

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 井上ひさしの「父と暮らせば」の舞台は、2008年の夏、大船の鎌倉芸術館で見た。(宮沢りえ主演の映画はテレビの再放送で見た)
 そのときの感想をここにも載せておく。

 原爆の被害を訴える芝居というと、なんだか気恥ずかしくなるような左翼系の舞台を想像してしまいますが、井上ひさしの才能は、そんな安直なものはつくりません。客をずっと笑わせながら、それでいて斜に構えるのではなく、まともに原爆の問題に向かわせ、しみじみと情感にも訴えます。わたしも泣きました。

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2016年2月25日 (木)

三渓園の梅

 2月19日は暖かい日で、三渓園の梅が見頃だというので行ってみました。

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 正門を入ったところではまだそれらしいものは見えません。

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 右手のハスの枯池にカメラを持った人が大勢いるので、カメラの先を追いかけたら、カワセミがいました。
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 池をまわって、山のふもとの方へ行ってみると、あちこちに梅がありました。

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 なるほど見頃です。
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 白い梅が多いので、そんなに派手ではありませんが、日ざしは暖かいし、もうすぐ春が来ることはたしかなようです。

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 こうやって手前に花、後ろに三重塔というのが三渓園の写真の定番です。

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 臥龍梅(がりょうばい)というのもあります。幹や枝が地をはうように伸びて、伏した龍のようだという意味ですが、こういう品種の梅なのでしょう。

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 三渓園を作った原三渓は日本画家たちのパトロンとしても有名でした。後援された一人、下村観山の「弱法師(よろぼし)」に描かれた梅は、ここの臥龍梅がモデルだそうです。

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 これは旧天瑞寺寿塔覆堂の前の梅です。

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 天瑞寺寿塔覆堂というのは、豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物で、重要文化財だそうです。そういえば生前に建てた墓を寿墓(じゅぼ)と言いますね。
 園内にはこういういわくのある建造物を移築したものがたくさんあります。三重の塔は京都からです。三渓の財力に感心する一方、手水鉢までどこそこのなんとかから持ってきたという話を聞くと、そこまではいいんじゃないの、という気もしてきます。 

 これは旧東慶寺仏殿。鎌倉からもってきたものです。

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 円覚寺舎利殿と同じ様式の建物で、雰囲気がよく似ています。屋根のかたちがちょっと違うのは後世修理されたものだそうです。
 東慶寺の元住職井上禅定の本『東慶寺と駆け込み女』(有隣新書、1995)には、仏殿についてこんなことが書いてありました。おもしろいので引用しておきます。

仏殿の三渓園移建
 明治四十年に、東慶寺の仏殿が横浜の生糸貿易商・原富太郎(号―三渓)の所望により三渓園に移された。当時は雨漏りもして荒廃していたが、美術に造詣の深い原三渓の目に叶って再建したら、国宝に指定された。昭和二十年六月、戦災に遭い焼夷弾が落下したが、草葺で土間であったから、不発で屋根に大穴があいた。私は除隊した秋、早速見に行った。仏殿の前庭で米兵がパンパンを抱いていた。国破れて山河もなしの思いがした。三渓園の当主原良三郎氏が鎌倉にあれば無事であったろうに、横浜に移したためにこんな目にあって申し訳ない、もとの寺へお返しするという。それならいただこうということになったが、重要文化財であるから解体も慎重にして一々垂木一本にも番号をつけてとやかましいことを文部省が言う。当時戦災で家はなし、食うや食わずの頃で、文藝春秋社長の佐々木茂索氏等とも相談したが実現せず、その後三渓園は横浜市の所有となり、仏殿はそのまま三渓園で改修して現存するが、東慶寺に返納するという故人の言は、ここに記録しておく。そのうち、この宿願は成就したい。(p162)

 「仏殿の前庭で米兵が」云々の話は、若い人には想像もつかないでしょう。横浜は米軍の占領で苦労しました。

 広いので休憩所や茶店がいくつもあります。
 これは初音茶屋。観梅会の期間は、薪でお湯を沸かして、麦茶が振る舞われています。

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 その昔はこんな風情だったそうで、三渓園を訪れた芥川龍之介

    ひとはかりうく香煎や白湯の秋

という句があるそうです。

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 これは待春軒という茶店、原三渓が考案したという三渓麺が名物です。

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 お茶席で食べるのに、つゆがこぼれないように工夫した、汁なしの麺だそうです。湯飲みは昆布茶で、めんつゆではないので麺にかけないようにと注意がありました。細いうどんのような麺に中華風のあんかけ、というところです。よくかきまぜて食べます。 どちらかというとスパゲッティのような感じです。

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 現在、全国にいろんな麺やスパゲッティが普及し、各種の味が追求されているので、それらと比べると、たいしたことはないと感じる人もいるかもしれません。しかし三渓が考案した頃には他に比べるものもなく、かなりの「珍味」だったのではないでしょうか。わたしはおいしくいただきました。

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 のんびり風景を楽しんで帰りました。

(参考↓)

三溪園のハス
三溪は岐阜の人
原三溪の下駄の鼻緒事件

 

 

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2016年2月22日 (月)

丸山議員のユートピア

 2月17日の参院憲法審査会でに自民党丸山和也参院議員の発言が問題になっている。(↓東京新聞2016/02/18)

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 「黒人」「奴隷」という言葉が人種差別にあたると非難されて、発言は撤回されたが、わたしはそのことより、日本がアメリカの一州になることを「ユートピア的」だと言っていること、「憲法上どのような問題があるのか」と言っていることに驚いた。
 アメリカの州になることがユートピアなのかねえ。自民党の人々は日本は「美しい国」だとか「とてつもない国」だとか言っていて、日本が一番じゃなかったのか。
 この人は弁護士だったはずだが、憲法上どのような問題があるのかって、解釈次第ではアメリカの一州になることも可能だとでも言うつもりだろうか。アメリカの州になっても「国体」が護持されるような高等解釈があるのかね。「改憲」どころか「廃憲」にするしかないんじゃないかと思うが、どうだろう。
 アメリカの州になれば上院議員下院議員を選出でき、大統領にもなれる、というけれど、世界中へしょっちゅう戦争をするための兵隊も出さなきゃいけない。若者が日の丸じゃなくて星条旗のもとに出征するのがユートピア的か。

 こういうジョークがある。

 某貧困国の大統領が外相に言った。
「わが国の危機を解決するため、アメリカに宣戦布告する!」

「勝てるわけがありません」
「すぐに降伏して占領してもらえば、食わせてもらえる!」

 日本はもう一度占領してもらわないとやっていけないとでもいうのだろうか。

 内田樹はツイッターにこう書いていた。

丸山議員の「アメリカの51番目の州に」という発言が問題を呼んでおりますが、僕はこのSF的想定は日本の属国性をあらわにするという点ではよい思考訓練だと思います。だってアメリカはどれほどお願いしても絶対日本を51番目の州にしてくれないからです。何が悲しくて属国民を主権国家の国民に格上げしてあげなくちゃいけないのですか。

そんなことしたら「日本州」はアメリカ総人口の30%を占めるアメリカ最大の州になって、上院議員は2名、人口比率で定数を決める下院議員は435議席のうち125が日本州選出議員になっちゃうんですよ

アメリカ市民の頭上にはオスプレイは飛ばせないし、「おもいやり予算」もなくなるし、「年次要望改革書」も「アーミテイジレポ-ト」も出せないし、TPPで収奪もできなくなるし、アメリカにとっては「まる損」にしかならない選択だからいくら念じても実現されないです。 

 アメリカは、便利な属国である日本を対等の州に格上げするようなことは決してしない、ということだ。こちらの方がもっともらしい。

参考:丸山議員の発言全文(ハフィントンポストより)

憲法上の問題でもありますけれど、ややユートピア的かもわかりませんけれども、例えば、日本がですよ、アメリカの第51番目の州になるということについてですね、例えばですよ、憲法上どのような問題があるのかないのか。例えばですね、そうするとですね、例えば集団的自衛権、安保条約、これまったく問題になりませんね。それから今、例えば、拉致問題ってありますけれど、拉致問題って恐らく起こってないでしょう。それからいわゆる国の借金問題についてでも、こういう行政監視の効かないような、ズタズタな状態には絶対なっていないと思うんですね。

これはですね、例えば日本がなくなることじゃなくて、例えばアメリカの制度によれば、人口比において下院議員の数が決まるんですね。比例して。それとですね、恐らく日本州というような、最大の下院議員選出州を持つと思うんです、数でね。上院は、州1個で2人。日本をいくつかの州に分けるとすると、十数人の上院議員もできるとなると、これはですね、世界の中の日本というけれども、日本州の出身が、アメリカの大統領になるという可能性が出てくるようになるんですよ。ということは、世界の中心で行動できる日本という、まあ、その時は日本とは言わないんですけれども、あり得るということなんですね。

バカみたいな話だと思われるかもしれないかもしれませんが、例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。リンカーンが奴隷解放をやったと。でも、公民権も何もない。マーティン・ルーサー・キング(牧師)が出て、公民権運動の中で公民権が与えられた。でもですね、まさか、アメリカの建国、当初の時代に、黒人・奴隷がアメリカの大統領になるとは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックの変革をしていく国なんです。

そういう観点から、例えば日本がですね、そういうことについて、憲法上の問題があるのかないのか、どういうことかとお聞きしたい。http://www.huffingtonpost.jp/2016/02/17/maruyama-slip-of-tongue_n_9251242.html

 ついでにこれも参考に。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説の一部。

I have a Dream by Martin Luther King Jr.

I have a dream that one day, on the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
 I have a dream that one day even the State of Mississippi, a desert state sweltering with the heat of injustice and oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.
 I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
 I have a dream today.

 

 

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2016年2月18日 (木)

最近の中華街

 春節の獅子舞を紹介したついでに、最近の中華街を紹介しておきます。といっても最新の話ではありません。歳を取ったせいで、昔と比べて中華街も変わったな、と思うことがしばしばあるので、そういうものや場所のことです。

 善隣門から入ってすぐ、右側に見えるのがチャイナスクエアです。

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 これは、観光客を対象にした複合商業施設とでも言ったらいいのでしょうか。お土産や食べ物に、カラオケ、それに「ヨコハマおもしろ水族館」という水族館まであります。これはお笑いの吉本興業のプロデュースで「よしもとおもしろ水族館」という名前ではじまりました。名前が変わったのは、もう吉本は関係ないからなのか、行ったことがないので、そのあたりはわかりません。

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 チャイナスクエアからすぐのところに「横浜博覧館」があります。
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 ここも複合施設です。

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 ここにはなんと「ベビースターラーメン」の店があります。これが「中華」だとは思ってもみませんでした。

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 最近は複合施設が多い。関帝廟通りの奥には八階建ての大きな「横浜大世界」というのもあります。ここにはアート+トリックの「アートリックミュージアム」という施設があります。

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 これらの商業施設は、中華街の外から入ってきた資本がやっているもののように感じられます。
  華僑は、1972年の日中国交樹立以前に来日し定住した「老華僑」と、それ以降、主に「改革・開放」以降に来日・定住した「新華僑」に分類されるそうです。さらに新華僑は、最初の頃に借金して来日した「皿洗い世代」と、裕福になってからやってきた「起業世代」とに分類できると、拓殖大学海外事情研究所華僑研究センターニューズレター№16に書いてありました(渋谷司「日本のチャイナタウン」)。
 新華僑、日本の飲食・観光資本が入り乱れて、中華街に進出してきているようです。それだけ稼げる場所ということでしょうか。

 これは崎陽軒(きようけん)。横浜の有名店ですから、他から来た人はこれが中華街の大通りにあっても不思議ではないでしょうが、もとは横浜駅の駅弁屋でした。今は横浜駅の東口には大きなレストランがあり、ここはシウマイやお菓子などの売店になっています。
 「崎陽」というのは長崎のことです。江戸時代に中国商人が長崎を「太陽の当たる岬」として「崎陽」と呼んだそうで、明治時代の創立者が長崎出身だったことからこう名付けられたそうです。

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 ベビースターラーメンやシウマイ弁当は、日本生まれでもともかく中華料理に関係があります。ところが今や大通りには、こんな店もあります。
 マグロの高価落札で名を売った「すしざんまい」です。

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 この近くには、こんな「倭物やカヤ」という店もあります。

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 寿司とか和物は、ここを訪れる外国人観光客を狙っているのでしょう。しかしこの「蒟蒻しゃぼん(こんにゃく――)」というのは、いったいどのあたりがターゲットになっているのでしょう。植物由来100%無添加の洗顔石けんだそうですが、わたしにはよくわかりません。関帝廟通りにあります。

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 この店は京都や鎌倉など全国の観光地に出店しているようです。全国の有名観光地が同じような土産物の店、同じようなこじゃれた食べ物屋に席巻されています。さすがに中華街はそうはならないと思うけれど、それらしい店もいくつかできています。

 この人形が昔はなかったことはたしかです。フカヒレの入った肉まん=「フカヒレまん」が名物の公生和(こうせいわ)の店頭です。この人形はやっぱり「ふかひれマン」というんでしょうね。

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 この人形には絶句しました。トリの唐揚げ屋ではありません。お粥で有名な謝甜記(しゃてんき)の二号店です。季節に関係なく立っているようです。

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 これは中華料理店ではなく横浜銀行です。横浜銀行の店舗はみんなこのデザインです、というのは嘘です。中華街仕様のATMです。

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2016年2月15日 (月)

春節の獅子舞

 2月8日は旧正月=春節です。中華街へ行ってみました。

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 この街はいつもにぎやに飾られているせいか、春節だからといってそれほど特別な飾り付けがあるようには見受けられません。

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 この日は、午後四時から獅子舞があるくらいで、パレードなどは土日祝日に予定されているせいかもしれません。
 四時少し前にその獅子の一頭がやってきました。もう見物も大勢集まっています。

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  太鼓や銅鑼の楽隊もそろい、爆竹が鳴って始まりました。中華学校の校友会がやっているようです。 

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 まず店の前で踊ってから、中へ入ってまた踊ります。

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 この獅子舞を「採青(さいちん)」と言うそうです。Photo_5
 「採青(さいちん)」というのは、「青菜を採る」という意味のようです。青菜が獅子の大好物だそうで、お祭りのときは店の前の高いところにぶら下げられます。

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 上の写真ではわかりにくいけれど、このとおり糸の先にぶら下がっています。

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 本物の青菜です。

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 赤いのは紅包(ほんぱお)といい、祝儀袋です。

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  獅子は帰る前に好物の青菜を紅包ごとパクリと食べます。本当は青より赤の方が好きなんだろう、と思わないでもありません。

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 これだけ高いと、中の人は肩車では届かない。はっきりとは見えませんが、肩の上に立ち上がっているようです。

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 別の場所で、高いところの青菜を取り終えたあと、獅子がうずくまったまましばらく動かないことがありました。着地に失敗したのではないかと心配になりましたが、たいしたことはなかったようで、また動き始ました。

 順に店を回って青菜と紅包を食べていきます。紅包だけ下がっているところもあるようです。

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 獅子舞には爆竹がつきものです。かなり騒々しい。網を張った鉄の箱の中で鳴らします。

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 爆竹は、「邪気を祓い、福をもたらすもの」で、獅子舞と共に爆竹を鳴らすとご利益が何倍にもなるそうですが、うるさいだけでなく、けっこう煙も出ます。北京ではこの時期の大気汚染の一因とされるくらいですから、莫大な量の爆竹が鳴っているのでしょう。

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 爆竹が破裂したあとのカスを掃除しているところ。ちゃんと担当の人がついて歩いています。

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 これは白い獅子です。この日は四頭の獅子が出たそうです。

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 これは「横浜大世界」の前に飾ってあった獅子です。
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 獅子はこんな顔をしています。
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 何度見てもなじめない、不可解な顔ですが、中国の子供たちはこれを見て、「こわーい!」と泣いたり、「かわいい!」と言ったりしているのでしょうか。

 最初の黄色い獅子にしばらくついて歩きましたが、見物客が多く写真を撮るのも大変だったので、途中でやめて街中をざっと見て帰りました。

 これは関帝廟(かんていびょう)。

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 媽祖廟(まそびょう)。

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 ここは山下町公園という街中の小さな公園です。港にある有名な山下公園とは違いますのでご注意下さい。

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 何年も前に春節の中華街で同じように獅子舞を見たのですが、紅包だけで青菜はほとんど見なかったような気がします。最近の流行なのか、伝統の復活なのか、それともわたしが気づかなかったのか、よくわかりません。(→横浜の春節

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2016年2月11日 (木)

もったいない

 この人のこのことばから、昔のことを思い出した。

「私ら昔食べる物が無いもんだから腐ったご飯も洗って食べた。おかしなニオイがしてもこどもの頃は平気で食ってた人間ですから何にも思わんけどね」

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 中学生の頃だった。友人が、「今日はオヤジに腐ったごはんを食わされて、まいった。」と言った。酸っぱくて、ニオイのする、あきらかに腐っている、ごはんを「もったいない、文句を言わずに食え」と、無理矢理食わされたそうだ。
 その友人の父親に面識はあったから、へーえ、あそこのオヤジもけっこうやるじゃないか、と変に感心した記憶がある。
 わが家では腐った物を食べろとまでは言われなかったが、食べる物があるだけで幸せだ、食い物に文句を言うな、好き嫌いを言うな、食べ物を残すなんでもったいない、という感覚は世間に満ちあふれていた。そういう時代に育った。だから、この人のことばにも、一抹の共感を覚えてしまうのだ。
 むろん、この人を弁護するつもりはない。このことばも、もったいないからというより、開き直って言いわけしているだけのようにも聞こえる。酸っぱいごはんを食べたいとも思わない。

 ただ次のような話が流れてくると、時代が変わったことを痛感するとともに、もったいない、と思わざるを得ない。
 以下は、「大量廃棄に「食べ物を無駄にするぐらいなら この習慣はなくしたほうがいい」という声」というnetgeek(ネットギーク)の記事の一部である。→(http://netgeek.biz/archives/65755)

2月3日の節分に食べると縁起が良いとされる恵方巻きについて、全国のスーパーやコンビニで売れ残りが大量に廃棄される事態が起き、「食べ物を無駄にしないでほしい」「こんなことならやめたほうがいい」という声が高まっている。

期間限定のイベントものの食べ物は時間が過ぎると一気に価値が落ちる。全国で起きている驚くべき惨状を画像とともに紹介していきたい。

▼コンビニでは恵方巻きを大々的に取り扱ったものの予想よりも買う人は少なく、大量の売れ残りが出ることに。

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▼全部廃棄処分。厳しいルールがあり、値下げして売ることも許されない。

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 2月3日、節分の当日に近所のショッピング・モールへ行ったら、恵方巻きがあふれているのに驚いた。いつからこんなことになったのか。コンビニやスーパーだけでなく、中華総菜屋やトンカツ屋まで恵方巻きを売っていた。いくら流行っているからといって、これが全部一日で売り切れるわけがない。
 翌日そこらじゅうで半額セールが始まるかと思ったら、どこの店頭からもきれいに恵方巻きはなくなっていた。生ものが入っているから引っ張るわけにはいかず、即日適正に処分しましたということになるのだろうけれど、日本中でいったいどれくらいの恵方巻きが廃棄処分されたのだろうか。うーん、もったいない。

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2016年2月 8日 (月)

十二所神社から近代美術館へ

 光触寺の次は十二所(じゅうにそ)神社です。

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 街道から少し入った、山際のちょっと高いところにあります。

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 このあたりの地名の十二所(じゅうにそ)というのは、昔は十二荘あるいは十二庄という荘園だったんだろうと思っていたら、この神社が、もとは熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)の社だったからだそうです。光触寺の境内にあって荒れ果てていたのを、江戸時代末に明王院の住職が呼びかけて、ここに建て替えたということです(沢寿朗『知られざる鎌倉(1985、鎌倉朝日)』より)。 明王院光触寺と、この日行ってきたところは全部関係があるのでした。
 「家が十二軒しかなかったから」という説もあるそうですが、十二所権現の方がもっともに聞こえます。

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 大きな銀杏の木があって、日本の田舎のどこにでもありそうな神社です。

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 小さな社は山の神だそうです。さらにその隣に山の壁面を削った穴に小さな祠(ほこら)が二つあります。

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 左が疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)、右が宇佐八幡だそうです。

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 疱瘡神というのははじめてみます。その昔、疱瘡(天然痘)を避けるあるいは軽く済ますために、神さまに祀り上げて拝んだものなのでしょう。こんなところにあるとは知りませんでした。

 ここのところ寒かったけれど、この日は晴れて暖かい日でした。本来ならこのままぶらぶら歩いて、朝比奈切り通しを抜けて横浜市金沢区へ出るところですが、この日はもう一箇所行きたいところがあったので、バスに乗って鶴岡八幡宮まで戻りました。境内にある県立近代美術館鎌倉館が1月31日で終了になるのです。

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 数えるほどしか来たことはないけれど、これで終わりとなると、もう一度見ておこうかという気になりました。同じような人が大勢いるらしく、入場の行列ができていました。

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 この池は八幡宮の源平池です。もともと八幡宮の敷地を借りているのです。
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 展示を見終わって外へ出ると、もう四時頃になっていたので、行列は解消されていました。

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 神奈川県立美術館は今後、鎌倉別館と葉山館の二つで運営されていくそうです。この建物はモダニズム建築の傑作として保存する話があるようです。

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2016年2月 4日 (木)

光触寺の塩嘗地蔵

 明王院から光触寺(こうそくじ)まで歩きます。

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 ここも観光客はあまり来ないところです。

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 山門です。

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 山門をくぐると両側にお墓や石仏が並んでいます。鎌倉ではめずらしい。

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 突き当たりには開基と伝えられる一遍上人の像があります。時宗のお寺です。

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 像の前を左に曲がると本堂ですが閉まっていて愛想がありません。

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 ここの本尊は阿弥陀三尊で、「頬焼(ほほやけ)阿弥陀」の伝説があるそうです。
 昔、町の局(まちのつぼね)という女人が、運慶に依頼して阿弥陀仏を作ってもらった。その家で物が紛失し、下人の万歳法師が疑われて、頬に焼き印がおされたが、何度押しても頬には焼き跡がつかなかった。局はある晩、阿弥陀仏が「なぜ私の頬に焼き印を押すのか」と告げる夢を見た。驚いて阿弥陀仏を見ると頬に焼け跡があった。局は、阿弥陀様が無実の法師の身代わりになったことを知って法師を許し、仏像の焼け跡を消そうとしたが消せなかった、というものです。
 本尊の阿弥陀仏には今も傷が残っているそうですが、残念ながら何かの縁日ででもないと見られないようです。

 庭も入れないので、どうなっているのかよくわかりません。

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 こちらの塩嘗地蔵(しおなめじぞう)は、開放されています。

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 こちらにも伝説があって、昔、六浦の方から朝比奈峠を越えて鎌倉へ来る塩商人が、初穂として塩を供えて行くと、それが帰りになくなっていることから、お地蔵様が嘗めた、「塩嘗め地蔵」と呼ばれた、というものです。
 これについて永井路子は『わが町わが旅』(中公文庫、1990)に、「その日の塩にもこと欠いてお地蔵さまにすがる人たちがいたということであろう。してみればお地蔵さまは自然発生的な素朴な相互扶助の仲立ちをしていたことにもなる。(p107)」と書いています。
 今も小さなポリ袋に入れた塩や食卓塩が供えられていますが、埃がつもっていました。現代の日本では塩の相互扶助の必要はなくなったようです。まさかお地蔵さまが塩分控えめにするようになったということではないでしょう。

 永井路子は『鎌倉の寺』(保育社カラーブックス、1967)には、この寺の門からの道に並ぶ石仏たちの顔の彫りが深く、ととのっていて「ご器量よし」だとも書いています。(p29)

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 さてご器量のほどは、どうでしょう。

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2016年2月 1日 (月)

明王院の初不動

 1月28日、明王院(みょうおういん)へ行ってきました。
 鎌倉駅からバスに乗って、昔は六浦道と呼ばれた道路を横浜市の金沢八景方面に向かう途中、泉水橋(せんすいばし)というところで降ります。このあたりの地名を十二所(じゅうにそ)と言います。もう少し先へ行くと鎌倉霊園朝比奈の切り通しがあります。

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 鎌倉の中心部から外れているので、このあたりまではあまり観光客も来ないのですが、この日は門から奥に紅白の幕が張られにぎやかそうです。

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 ここは五大堂明王院(ごだいどうみょうおういん)と言って、鎌倉四代将軍藤原頼経が創建した当時は、五大明王不動、降三世(ごうさんぜ)、軍荼利(ぐんだり  )、大威徳(だいいとく  )、金剛夜叉それぞれのお堂があり、幕府の祈願所として栄えた大寺院だったと伝えられています。しかし江戸時代に火災で焼失し、現在お堂は一つだけで、不動明王像は鎌倉時代のものですが、他の四明王像は火災後につくられたものだそうです。不動明王の他は、そういう明王もいるのかという程度の知識しかありませんが。
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 そんな大寺院だったとは思えません。ひなびた山里のお堂、という感じで、よさそうなところです。

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 今日の人出は、この日が初不動―今年最初の不動明王の縁日だったからです。午後一時からの護摩法要は、本堂に入りきれないくらいでした。
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 檀徒会のような方々による店も出ていて、お菓子なども売られていました。

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 さてその護摩法要ですが、どなたでもご参列くださいとのことだったので、開始少し前に本堂の後ろで立ち見をしていたら、空いてる席がまだありますからどうぞ、と前の方へ押し出されてしまいました。なるほど畳の上の座布団席が少し空いていて、座布団の上にはお経の本がのっています。
 ここに座ったら法要が終わるまで出られないぞ、と思いながら覚悟を決めて座りました。まわりは老若男女ではなく老老男女がぎっしりで、おおむね檀家の方々のようです。わたしのような観光客はほとんどいないみたいで、これは場違いだ、まずかったと思っているうちに護摩法要が始まりました。
 お経がはじまり、本尊の前に小さな炉に護摩木がくべられて、ときどき大きな炎があがります。座ったのが大きな柱の陰だったので、伸びをしないと良くは見えませんでした。先日テレビのニュースで流れていた有名スポーツ選手が参加した護摩法要ほど派手ではないけれど、なかなかのものです。
 お経の本があるくらいですから唱和しなければなりませんが、ここは真言宗で、表紙には「観音経」と書いてあります。法華経の一部で、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」というのが正式の題名のようです。般若心経と並んで広く唱えられているそうですが、わたしの家は浄土真宗で、なじみのあるのは「正信偈(しょうしんげ)」だけです。板東三十三箇所巡礼のツアーに参加したときには先達さんに導かれて般若心経をモゴモゴ唱えてきましたが、観音経はまるで知りません。。
 始まってみると、聞いたことがあるような節で、しかもお経の本を見ていると、かなりわかりやすいお経のようでした。こんなふうです。

呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方
蚖蛇及蝮蝎 気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自回去
雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散

 難しい漢字がいっぱい並んでいますが、字面をじっと見ていると、呪詛や毒薬、毒龍、鬼、悪獣、蛇、蝮など、悪者が悪いことをしようとしても、みんな「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)=観音様の力を心から念ずること」で、去ったり消散してしまう、と理解してよさそうです。観音様の御利益をほめたたえるお経なのでしょう。おぼろにでも意味がわかるとうれしい。
 お経の節はけっこう単調だったので、音痴のわたしも、小声でまわりの迷惑にならない程度に唱和してきました。ただ、真言宗ですから呪文があります。「おんまかきゃろにきゃそわか」などというやつです。呪文の部分はとてもついていけませんでした。
 そして長かった。観音経のあと般若心経もやり、全部で三十分はたっぷりやったのではないでしょうか。
 これだけひたすらお経をよんでいると次第に没頭して頭の中が空っぽになります。そのうえ護摩法要の儀式を見て、堂内には何人もの僧侶の重厚な読経の声が響いています。不信心者のわたしが言うのも恐れ多いけれど、これがいわゆる三昧境(さんまいきょう)の入口か、これをもっと激しく、密度濃く長時間やると、本物の三昧境が訪れるのではないかと思いました。喉がかわいて疲れましたが、いい経験でした。
 お経の後は割り箸くらいの大きさの護摩木を一本ずついただいて、炉にくべ、本尊の不動明王にお参りしてきました。行列で順番だったので、他の四大明王などをゆっくり見る時間はありませんでした。

 本堂の外ではあたたかい蕎麦のふるまいがありました。わたしも行列に並んでいただきました。ちょっとゆですぎ気味でしたが、信徒の方々が一度に大勢に出すため、苦労して作られたものです。ありがたく、おいしくいただきました。ほとんど檀家の一老人の気分です。
 いいところでした。また今度、混んでいないときにゆっくり来てみることにします。

 明王院の参道の入口に「八百善←」の看板が立っています。

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 八百善は、江戸時代後期、江戸一番と言われた料理茶屋で、はじめは神田の八百屋だったのでこの名前だそうです。その十代目が、2013年鎌倉に復活させたのがこの店です。

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 常連だった太田蜀山人の狂歌があります。二つのバージョンがあるようです。

詩は詩仏 書は鵬斎に 狂歌俺 芸者小勝(おかつ)に 料理八百善

詩は五山 役者は杜若(とじゃく) 傾はかの 芸者は小萬 料理八百善

 それぞれが第一人者だということで、「狂歌は俺」と言っているのは、酒の席ででも詠んだものなのでしょう。どちらも料理は八百善です。

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 この日は閉まっていましたが、垣根の上に梅がきれいに咲いていました。

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 そのうちここで食事をしたいと思っています

 

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