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2016年2月29日 (月)

「母と暮らせば」

 2月16日、映画「母と暮らせば」を見た。山田洋次監督、吉永小百合主演。

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 井上ひさしに「父と暮らせば」という戯曲があって(映画にもなっている)、広島が舞台で、原爆で死んだ父親が幽霊になって、一人暮らしの娘を訪れるという話だった。
 実は井上ひさしは、「父と暮らせば」と対になる「母と暮らせば」という作品を、長崎を舞台にして作りたいと言っていたとのことで、それを聞いた山田洋次が脚本から作り上げたという。
 なるほど舞台は長崎で、今度は死んだ息子が幽霊となって、一人暮らしの母を訪れる設定になっている。 

 原爆がテーマで母物ときたら、これは泣くしかない。その昔「三倍泣けます」が宣伝文句の母物映画があったそうだが、この映画もきちんと泣ける。わたしも泣いてきた。
 医学生だった息子を原爆で亡くした母のもとを、息子の恋人だった娘がしばしば訪れ、かいがいしく面倒を見ていた。そこへ息子の亡霊が現れ、母と楽しかった過去を回想しながら、今は小学校の先生になった娘を見守っていると、やがて娘には新しい恋のきざしが感じられるようになった。
 しかし自分だけ原爆から生き残ったという罪悪感から、恋なんかしない、結婚なんかしないと将来を閉ざそうとする娘に、母は新しい道を歩むようすすめる。恋人の心が自分から離れていくのが辛い息子の亡霊にも、娘の幸せのためだからとなぐさめる。
 そう言い聞かせながら母は、一方で「どうしてあんたが助かって、うちの息子は死ななければならなかったの」という思いを娘にももらさずにはいられない。
 この他にも、兄の戦死の場面、娘が教え子を連れてその子の父親の戦死の通知を受けとりに行く場面など、泣かせる場面がいっぱいだ。

  それでも映画全体が暗くならないのは、息子役の二宮和也がいかにも軽くて明るいからだ。この場合の「軽い」はけなし言葉ではなく、ほめている。井上ひさしの舞台を意識したのか、息子と母の対話の場面が多いので、これが重くなると全体が暗くなるところを、軽妙に話を運びながら、重いテーマをうまく引き出している。
 だから観客は提示される悲劇的な状況で素直に泣いて、素直にカタルシスを得られる。山田洋次らしい映画だ。
 ただ、最後に病気で母が死んで息子の元へ行って、話がきれいに終わってしまうと、これだけのテーマがみんな片付いたような気になって、あまり心に残らないような気がした。映画館を出るときに、もっと心に波風が残っていてもよかったのではないか。

 主演が吉永小百合だからどうしてもこういうおだやかな映画になってしまうのかもしれない。これが樹木希林だったらどんな映画になったか、ちょっと考えた。ゲラゲラ笑いながら、それでいてもっと辛い涙の出る、強烈な、ともかくずっとアクの強い映画になっただろう。

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 井上ひさしの「父と暮らせば」の舞台は、2008年の夏、大船の鎌倉芸術館で見た。(宮沢りえ主演の映画はテレビの再放送で見た)
 そのときの感想をここにも載せておく。

 原爆の被害を訴える芝居というと、なんだか気恥ずかしくなるような左翼系の舞台を想像してしまいますが、井上ひさしの才能は、そんな安直なものはつくりません。客をずっと笑わせながら、それでいて斜に構えるのではなく、まともに原爆の問題に向かわせ、しみじみと情感にも訴えます。わたしも泣きました。

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