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2016年2月 4日 (木)

光触寺の塩嘗地蔵

 明王院から光触寺(こうそくじ)まで歩きます。

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 ここも観光客はあまり来ないところです。

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 山門です。

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 山門をくぐると両側にお墓や石仏が並んでいます。鎌倉ではめずらしい。

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 突き当たりには開基と伝えられる一遍上人の像があります。時宗のお寺です。

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 像の前を左に曲がると本堂ですが閉まっていて愛想がありません。

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 ここの本尊は阿弥陀三尊で、「頬焼(ほほやけ)阿弥陀」の伝説があるそうです。
 昔、町の局(まちのつぼね)という女人が、運慶に依頼して阿弥陀仏を作ってもらった。その家で物が紛失し、下人の万歳法師が疑われて、頬に焼き印がおされたが、何度押しても頬には焼き跡がつかなかった。局はある晩、阿弥陀仏が「なぜ私の頬に焼き印を押すのか」と告げる夢を見た。驚いて阿弥陀仏を見ると頬に焼け跡があった。局は、阿弥陀様が無実の法師の身代わりになったことを知って法師を許し、仏像の焼け跡を消そうとしたが消せなかった、というものです。
 本尊の阿弥陀仏には今も傷が残っているそうですが、残念ながら何かの縁日ででもないと見られないようです。

 庭も入れないので、どうなっているのかよくわかりません。

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 こちらの塩嘗地蔵(しおなめじぞう)は、開放されています。

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 こちらにも伝説があって、昔、六浦の方から朝比奈峠を越えて鎌倉へ来る塩商人が、初穂として塩を供えて行くと、それが帰りになくなっていることから、お地蔵様が嘗めた、「塩嘗め地蔵」と呼ばれた、というものです。
 これについて永井路子は『わが町わが旅』(中公文庫、1990)に、「その日の塩にもこと欠いてお地蔵さまにすがる人たちがいたということであろう。してみればお地蔵さまは自然発生的な素朴な相互扶助の仲立ちをしていたことにもなる。(p107)」と書いています。
 今も小さなポリ袋に入れた塩や食卓塩が供えられていますが、埃がつもっていました。現代の日本では塩の相互扶助の必要はなくなったようです。まさかお地蔵さまが塩分控えめにするようになったということではないでしょう。

 永井路子は『鎌倉の寺』(保育社カラーブックス、1967)には、この寺の門からの道に並ぶ石仏たちの顔の彫りが深く、ととのっていて「ご器量よし」だとも書いています。(p29)

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 さてご器量のほどは、どうでしょう。

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