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2016年3月21日 (月)

J71 日本小話集

 日本の古い笑い話のたぐいから、本に関係するものを少し。まず森銑三『星取棹』(筑摩叢書、1989)から。

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歌仙と合戦

「筆持つことも知らぬ侍あり。或時朋輩(ほうばい)、三十六人の歌仙を繰返し見る所へ行きかかり、その本何ぞ、と問ふ。是は三十六人の歌仙、と答ふ。侍聞きて、それは幾度見ても飽かぬものぢゃ。楠の合戦の所を読み聴かせられよ、というた。」(節略)
「かせん」を合戦と思ったのである。(p102)

 これは「かせん」を「合戦」と思ったという他愛もない話だが、次のはちょっと難しい。

無点のいろは

「無筆の男が学者の家に行ったら、折ふし同じ仲間の人達が会合して、無点ものは読みにくい。ここのところを道春は、どう点を附けてゐらるる、その附け方で、大分義理が違ふと、無点の本と点のある本とを引合してゐる。点附といふのは、傍に細かなものの附いてゐるのだなと気附いて、わしが倅は当年七つになりまするが、無点のいろはを、けつまづきもなしに読みまする、というた。」(p200

 無点本というのは「訓点のついていない漢籍、素本(すほん)」のことで、いわゆる白文の本である。漢文を日本語として読むためにつけるのが返り点などの訓点。だから、もともと日本語の「いろは」に訓点がついていないのは当たり前なのだが、それを読めると威張っているのがおかしい。

 次は宮尾しげを、比企蟬人共著『日本小話集』(高文社、1956)から。

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論語泥棒

 ある儒者の内へ、盗人忍び入りしが、捕らえられたり。儒者盗人に向い
 「其方、人をして斯様の不義を行う事、言語道断なり。古語にも、渇しても盗泉の水を飲まずと言う。この以後志を改むべし」
とて銀子一包出し
 「早々出て行け」
と言う。盗人銀包(かねづつみ)を見て
 「アヽ、鮮(すくな)い哉、銀(ぎん)」(p48)

 むろんこれは論語の「巧言令色鮮(すくな)し仁」をもじったもの。昔の笑い話はこれくらいは知っていないと笑えない。
 次は百人一首の知識が必要なもの。

風雅

 上方より帰り
 「さて京都は花の都ほどあって、けしからず上品な所じゃ。まず大道を歩く青物売りなどが直垂(ひたたれ)で、足曳きの山の薯/\と呼ぶ。紙屑買は、千早振紙屑買おうと言う。雪駄(せきだ)直しは、知るも知らぬも逢坂の雪駄なおしと申して歩きます」
 「ハテナ、そして足袋屋などは何と呼びますな」
 これには大きに困り、頭をかきながら
 「オウそれ/\、足袋屋は、菅家のこんのたび/\」(P56)

 紙屑に枕詞「千早ぶる」がつくとは知らなかった。
 百人一首の菅家(かんけ)=菅原道真は、
「このたびは 幣(ぬさ)もとりあえず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに」である。「このたび」を無理矢理「紺の足袋」にこじつけている。

みやび

 人丸様の御邸に、日雇で来て見ると、奥は今日は歌の御会で、猿丸太夫様、貫之様、喜撰法師様などが御いでになっている様子。御次の間をのぞいて見ると女中衆が噂話。
 「私は業平様に身をつくしても逢わんと思いますが、あちら様はまだ文も見ず天の橋立さ」
 「それはいずくも同じ秋の夕暮」
 さすがに人丸様の御邸だと感心して、それから仲間(ちゅうげん)部屋をのぞいて見ると、大勢車座にならび、壺皿をあけ乍ら
 「長歌反歌(ちょうかはんか)」(p56)

 柿本人麻呂邸の仲間たちが長歌反歌で大騒ぎ!というのも愉快だ。

 

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