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2016年4月18日 (月)

八百善の本2

 『食前方丈』は九代目夫人の書いた本だったが、八代目主人の話をまとめた江守奈比古『懐石料理とお茶の話 八代目八百善主人と語る』という本もある(上下、中公文庫、2014。元の本は1964)。

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 カバーの売り文句はこうなっている。

老舗料理屋八百善の八代目主人と茶道研究家。生粋の江戸っ子で、通人の二人が気の向くままに語りゆく。八百善の歴史、ペルリ饗応、江戸料理、かつての魚河岸や吉原の風景、店の常連だった政財界の重鎮たち、懐石料理、茶道、古筆、琳派…。両人の博識と歯切れの良い語り口は読む者を引きこみ、古き良き時代を鮮やかに甦らせる。

 明治の終わりから戦争中までが八代目の時代で、関東大震災で全焼、その後築地に再建した店も空襲で焼失という、激動の時代だったが、八百善の盛名は続いていて、大正・昭和の粋人・通人たちがを主な客だった。大倉喜八郎、益田孝(鈍翁)、安田善次郎、団琢磨、原富太郎(三渓)など、わたしですら知っている財界の大物がどんどんでてくる。
 主人は庖丁を握るようなことはせず、これらの客のお相手をするのが主な仕事だったようだ。八代目は明治26年十歳で養子に来て、やらされた修業が、お茶に書道に漢学、国学だったという。だから八代目も茶人で、茶室の床の間にかける「古筆(こひつ)」という平安朝から鎌倉初期にかけての仮名書きの書のコレクターであり、目利きでもあった。前に紹介した『食前方丈』には、「八代目は「西行になりたいやね」と言うのが口ぐせで、料理屋よりも茶の道、とくに古歌、古筆に熱心な人であった。(p224)」と書かれている。

 だからこの本は、八百善の歴史の他に懐石料理の献立や茶の道具の話が大きな柱にになっている。そのあたりの話はわたしにはほとんどわからないけれど、道具屋どうしの駆け引きの話はおもしろい。玄人相手なら何をやってもかまわない。贋物をつかまされるのは修業が足りないからだという時代があったそうだ。
 道具屋同士の話ではないが、三渓園の話もあった。八百善の茶室には蒔絵の炉縁がはまっていた。お茶の先生が古い炉縁に桃山風の蒔絵を書かせたもので、よく時代が出ていた。あるときそれを見た道具屋が無理矢理高値で買っていった。その後三渓園の臨春閣の茶室へ行ったら、それが立派に桃山時代の高台寺蒔絵としておさまっていた。八百善は贋物として売ったわけではなく、道具屋に原三渓が騙されたのだが、なんだか悪い事をしたような、すまない気がした、と書いてある。

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 上巻に、東京では砂糖を使いすぎで材料本来の味を殺している、という話があって、対談相手の茶人江守奈比古がこう言っている。

「東京の菓子はただ甘いというのが多いです。これが名古屋の両口屋とか大阪の鶴屋八幡とか金沢の森八とかになると、小豆なり、白小豆なり、使用する豆の本来の味と甘みがよく出ているではありませんか。」(p85)

 これを読んで、昔わたしが結婚したときのことを思い出した。父の代理で兄が形ばかりの結納にやってきて、その後義父と一緒に飲んだ。深川の木場の材木屋に生まれた義父は根っからの東京自慢で、話のついでに菓子についても「名古屋になんかうまいものありますか」と言った。
 その場ではそんなそぶりは見せなかったが、後で根っからの尾張人の兄はわたしに怒った。名古屋から土産の菓子を持って来ているのに、なんかうまいものありますかとはなんだ、といいうわけである。単なる東京自慢の一環で、深い意味はないからとなだめたが、兄は納得したかどうか。そのとき手土産に持ってきたのが両口屋の菓子だった。
 義父が亡くなってからもうずいぶんたつなあ、とちょっと感慨にふけったが、これは八百善とは関係ない話。

 話を戻すと、九代目の妻をモデルにして書かれたのが、宮尾登美子の小説『菊亭八百善の妻』である。

Photo_6       (新潮文庫、1994)

 こちらの方のカバーの売り文句はこうだ。

深川木場育ちの汀子は、戦後まもなく料亭八百善の次男に嫁いだ。長い歴史をもち江戸文化の極みと謳われた八百善も、店を戦火で失っていた。やがて再開した店で、江戸文化の粋、味の風雅を現代に伝えたいと懸命に努めるが…。現代の変化のなかで傾いていく老輔を、もちまえの明るい気性で健気に支える汀子を主人公に、滅びゆく文化の最後の輝きと、その再生を遠望する感動の長編小説。

 上記のとおり、これは「細うで繁盛記」ではなく、時代の波にあらがいながらも次第に沈んでいく老舗の物語である。空襲で焼けた八百善は、昭和27年永田町に新しく店を出す。そのとき、八代目が九代目にこう語る。

「いいかい、仮りにも八百善だからね。床の掛物が何かわからないようなお方は、客としては来て欲しくはないやね。
 ここら辺りは国会も近いし、これからは政治家なんかが申込んでくるかもしれないが、くれぐれもそんなの受けちゃいけないよ。
 うちは江戸の昔から風流の判るお方のつどいの場所だった。酔っ払って政治の駆引きの場に使われるようになっちゃおしまいだ。」(p228)

 現代の永田町でこの方針では、とてもやっていけないだろうことは誰にもわかる。関西の料亭の東京進出もあって、八百善は次第に傾いていく。
 板前との恋愛めいた感情のやりとりがサイドストーリーになっている。このあたりが作者の得意分野で、創作なのだろうけれど、わたしには不要の話と感じられた。まあこれがあるからテレビドラマにもなったのだろうけれど。

 これは十代目の本。栗山善四郎『釣り道楽・食道楽 釣った魚をおいしく食べる』(中公文庫、1996)

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 サブタイトルのとおり、季節ごとのに釣れる魚の下ごしらえ、おろし方から料理方法までを紹介した本である。
 写真を見ると、料理を盛った器がみんな、それなりの由来のあるものようだ。八百善伝来の器なのだろう。

 

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