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2016年4月 4日 (月)

八百善の本1

 八百善の名前を初めて知ったのは、杉浦民平の『小説渡辺崋山』だったと思う。学生時代、今はない週刊誌「朝日ジャーナル」に連載されていた。その後上下二冊の分厚い単行本になり、文庫本では八冊という大長編である。
 渥美の田原藩の改革に乗り出した崋山に対し、反対派が、崋山は八百善のような豪華料亭に出入りして贅沢しているけしからん奴だと非難する箇所があったような記憶があるが、たしかではない。手元の文庫本第二巻にはこんな箇所があった。崋山渡辺登が藩の重役を誘って八百善へ連れて行くところである。

 長らく賄役やお留守居役をつとめて年寄りに昇進した弥太夫とちがって、生れによって年寄りを嗣いだ佐藤半助は、まだ八百善のような豪勢な料理屋の門をくぐったことがなかった。八百善に出入りするのは貧乏藩の家老のむすこには、むりだった。が登の方は書画会の二次会などでしばしば出入りしている。とくに文晁先生は、”絵師は文晁、詩は五山、料理八百善、きんぱろう わたしゃひら清(せい)がよいわいな”と自作の小唄に詠みこんだだけに、八百善の常連の一人で、よく登におごってくれたものだ。八百善の主人が『料理通』を上梓したときは、抱一上人が扉画にはまぐりの貝殻二枚を描き、鵬斎老人の漢文の序のあとをうけ、
  経冬而不萎  この蕪は冬を過ごしても萎えず、
  採同於松柏  採って見れば松や柏と同じ緑いろ。
  食之即益美  これを食えば、とても美味だ、
  松柏不可食  松や柏は食えないのに。
 というまずい詩仏の画讃の下に文晁先生は蕪を一つなぐり書きしていた。このように文政の文人はよく八百善に通ったものだ。しかし田原藩家老の出入りできる店でなかったのはいうまでもない。
(漢文の返り点は省略。『小説渡辺崋山(二)再起』、朝日文庫、1982、p218)

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 八百善の四代目主人栗山善四郎が『江戸流行料理通』初編を刊行したのは文政五年(1822)のこと。好評で、天保六年(1835)の第四編まで刊行された。

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       (栗山恵津子『食前方丈』より)

 刊本ではわたしには字がよく読めないけれど、これは『翻刻江戸時代料理本集成第十巻』(吉井始子編、臨川書店、1981)に他の本とあわせて収録され、活字化されている。

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 酒井抱一が画いたはまぐりの貝殻の画はこれ。

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 谷文晁の蕪と詩仏の画讃はこれである。文晁は崋山の画の師だった。

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 この本は、季節ごとの本膳料理、精進料理などの献立の紹介が中心で、料理の作り方はそれほど詳しくは載っていないけれど、当時の料理の貴重な資料となっているようだ。

 九代目の妻、栗山恵津子の『食前方丈 八百善ものがたり』(講談社、1986)には、天保の改革の奢侈禁止令で休業させられたり、安政の大地震で全焼したりという八百善の転変が語られている。

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 その中の「鯉庖丁」の話がおもしろい。
 八百善の主人が職人を連れて京都見物に出かけたとき、名古屋の旅籠で、鯛の庖丁を所望された。江戸の料理職人は四条流だ生間流(いかまりゅう)だなんだという儀式ばったことは不得手で、八百善も儀式庖丁のようなことはあまりやらなかった。
 しかし構うことはない、やっつけろと、職人に包丁をとらせた。 職人はずかずかと進んで、俎の鯉を真っ二つに切って、そのまま引き下がった。それ以上何をするでもないから、宿の亭主が「この庖丁は何というのか」と尋ねた。職人は
「別に何の庖丁ってことはねえが、秤で量ってみてくだせえ」
というから、亭主が量ってみると、頭のほうも尾のほうもきっちり二百匁(約800g)だった。
 これだけの話だが、腕は確かだけれど儀式のような格好つけは嫌いだ、という江戸職人の心意気がうかがわれる。

 江戸料理と関西料理とは違う、と書いてあるが、どう違うかはあまり具体的には書いてない。素材を十分吟味したうえ、相当に手の込んだ調理をしたようだ。
 とにかく豪華で料理が多かった。食べきれないから残りは折り詰めで持ち帰った。詰め物にするものは汁気があってはまずい。日持ちがするよう砂糖醤油などでこっくり煮た。醤油は黒かった。ということだから、刺身のようにその場で食べる物と、持って帰るとははじめから区別して作っていたようだ。宴会料理の残りをを折り詰めにして持ち帰るのは日本の伝統であるが、最近は少しすたれてきたような気がする。

 この本の口絵には、酒井抱一の「鶴掛けの松」とその由緒書きが載っている。

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 十一代将軍家斉が、鷹狩りのとき八百善の別荘にお成りになった。そのとき獲物の鶴を庭の松に架けた青竹にぶら下げたところを抱一が写生したものだという。将軍がやってくるほどの店だったのである。

 

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