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2016年5月26日 (木)

鎌倉七口:極楽寺切通

 成就院虚空蔵堂の間の道が極楽寺切通です。

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 この切通はすっかり普通の道路になってしまっているので史跡指定はされていません。

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 永井路子は、もとの道は今の道よりかなり高いところにあって、今の成就院のあたりを通っていた。鎌倉の街や山を見通すことができ、軍事的に重要な場所だった。新田義貞の鎌倉攻めのときもここでは血みどろの戦いがくりかえされた、と書いています。(『鎌倉の寺』、保育社カラーブックス、1967、p135)

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 おなじみ鎌倉町青年団の極楽寺坂の碑があります。

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此所往古畳山ナリシヲ極楽寺開山忍性菩薩疏鑿(そさく)シテ一條ノ路ヲ開キシト云フ  即チ極楽寺切通ト唱フルハ是ナリ 元弘三年ノ鎌倉討入リニ際シ 大館次郎宗氏 江田三郎行義ハ新田軍ノ大将トシテて此便路ニ向ヒ  大佛陸奥守貞直ハ鎌倉軍ノ大将トシテ此所ヲ堅メ相戦フ

 元弘三年は1333年、「いちみさんざん北条氏」の年、新田軍の大館宗氏らがここから鎌倉に討ち入ろうとし、鎌倉軍は大仏貞直を大将としてこれを迎え討ったとあります。
 かなりの激戦で、大館宗氏軍は一度は極楽寺坂を突破するのですが、大仏軍の新手に打ち破られ、宗氏は戦死してしまいます。そしてその後、化粧坂の攻め口にいた新田義貞軍がこちら側にまわって、稲村ヶ崎から鎌倉に攻め入り北条氏を滅ぼします。このとき義貞が海に大刀を投じ神に祈ったら、たちまち潮が引いて干潟があらわれ、そこから攻め込んだ、というのは有名な伝説です。

 『一度は歩きたい鎌倉史跡散歩』(奥富敬之、奥富雅子、新人物往来社、2010)に「新田軍攻撃路」という地図があったので、ちょっと赤で囲ったりしてみました。

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 ここを極楽寺坂というのは極楽寺という寺があるからです。

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 この寺の境内は撮影禁止なので、とりあえず周辺の写真だけ載せておきます。
 極楽寺の入口にある導地蔵(みちびきじぞう)。 

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 江ノ電の極楽寺駅

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 もう40年も前のテレビドラマ『俺たちの朝』など、この周辺が舞台のドラマがいくつかあって、この駅はけっこう有名です。最近では映画「海街diary」がこのあたりを舞台にしているそうです。これは見ていません。
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 長谷側にトンネルがあります。極楽洞といって、鎌倉市景観重要建築物等に指定されています。明治40年(1907)の竣工です。
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 これは日限六地蔵

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 このシャッターはいただけないなと思って見たら、こんな看板がありました。
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 「盗難・悪戯が激しく、こともあろうに心無い酔漢により佛像が破壊されるに至りました。」とあります。末世であります。 合掌。

 

 

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