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2016年7月 4日 (月)

東北1 津々浦々で

2016_2 6月28日から7月1日まで東北旅行へ行ってきた。
 三年前、学生時代の友人たちと、もう歳を取ってボランティアはできないから、わずかばかりでも被災地へ金を落としてこようと旅行をした。(この旅行については、東北1 大人の休日倶楽部以下に書いた。)

 あれから三年、震災からは五年、被災地はどう変わったか、復興は進んだか、この目で見ながら、また少しばかりのお金を落として来たというわけである。
 今回もJRの「大人の休日倶楽部パス」を利用しての旅行だが、前回は総勢三人だったのが四人になり、コースも違う。前回の訪問地で今回も訪れたのは陸前高田だけだった。

 地図に落としたように、基本は岩手県・宮城県の海岸線をずっと南下するというもの。最終日には海を離れて、山形県の山寺=立石寺を訪れた。
 途中まだ鉄道が復旧していないところはバスを乗り継ぎ、あるいは鉄道代替のBRT( Bus Rapid Transit バス・ラピッド・トランジット=バス高速輸送システム )を利用したので、これらのバスに乗っている時間が長い旅だった。

 今回の旅の一番の印象は、ともかく訪れた海岸線のいたるところで大がかりな工事が行われているということ。鉄道やバスの車窓に小さな港が見えれば、そこには必ず黄土色の盛土の大きな山がいくつも見られ、そのまわりでブルドーザーやパワーショベルが何台も忙しく動き回っていた。

 これは久慈田野畑の間。

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 田野畑平井賀

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 これは宮古。湯気のように見えるのは朝霧の消え残りである。

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 釜石の間を走る三陸鉄道南リアス線の三陸駅と甫嶺(ほれい)駅の間。
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 陸前高田の巨大ベルトコンベアーの一部(解体工事中)。

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 「津々浦々」という言葉は「全国いたるところで」という意味で使われているが、このあたりでは、文字通り「いたるところの津や浦」で巨大な土木工事が行われているのだった。

 気仙沼の大島。

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 南三陸町の防災庁舎付近。

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 石巻
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 奥松島でも。

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 奥松島のものは、これまでもあった小さな防波堤を直しただけということだったが、その他の所では巨大な防潮堤や地面のかさ上げ工事、海へ入ってくる川の堤防工事や護岸工事、さらにそれらを繫ぐ道路や高速道路の工事まで、大小さまざまな工事が行われていた。
 とにかく北から南までどこでもだったからその規模に圧倒された。しかし不思議なことに、復興が大きく進んでいるとは感じられなかった。思ったのは、三年前に見た瓦礫の山は片づけられたが、五年たってまだどこも工事中であるということが一つ。もう一つはこれだけそこら中で工事をやっていては資材も人手も不足し、高騰するのはあたりまえだということ。莫大な人手と経費とが費やされる。
 むろん地元の大きな期待を背負って行われている工事であり、無駄遣いだと言うつもりはない。一刻も早くそれぞれの工事が完成することが望ましい。しかしオリンピックの工事も加わるわけだから、そこに至るまではまだまだ相当の時間と経費がかかりそうだと、ため息が出るくらいの光景だった。
 さらに、震災復興もオリンピックも無事終わったときには、土木工事産業がどうなるのかも心配になってくる。人手も資材もあぶれさせないように、日本強靱化計画でまた列島改造をやり続けることになるのだろうか。最近田中角栄をもてはやすような本が売れているのは、そういう意味合いがあるのだろうか。
 わたしごときが心配することでもないので、とりあえずこの問題は棚上げして、次からは旅行の話を始めます。

 

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