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2016年7月14日 (木)

東北4 田野畑2

 ガイドさんは、本家旅館よりちょっと下のところに家があり、さらにその下にあった郵便局に勤めていたそうだ。

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 震災当日は、ムール貝を取りに行って戻ってきたところに大きな地震が起きた。少し高くて広く見渡せる所で、おまわりさんと一緒に見ていたら、やがて津波の第一波がやって来た。それで高い所に上がったら、さらに第二波、第三波が押し寄せて来た。
 自宅には妻と、埼玉へ嫁に行っている娘が子どもを産みに帰ってきていた。自宅の前まで行っても中へ入る余裕がない。外から大声で「逃げろ!逃げろ!」と叫ぶだけだった。幸い二人とも無事だったが、あのときのお父さんの声は凄かったと、後で言っていた。
 自宅は母屋の他に古い母屋と離れのちょっとした建物の三棟があったが、一番高いところにある母屋の一階まで水に浸かった。母屋の二階だけなんとか残ったが後は全部流されてしまった。自宅よりちょっと高いところは大丈夫だった。ほんのちょっとの差で大きく分かれる。
 それでも自宅やこのあたりは、川から離れているのでこの程度ですんだ。津波は一番低い川へ集中してさかのぼって行き、そちらはすっかり流されてしまった。
 母屋だけ修理したが、今はもっと奥の高い所へ新しく家を建てて住んでいる。
 本家旅館のこの白壁の塀の下まで波が来た。この石垣はすっかり浸かったので色が変わって白くなっている。

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 本家旅館のご主人は、大震災前の一月に病気で亡くなられたが、漁協の組合長などいろんな役職を歴任された方で、いつも津波の対策のことを話され、津波のときは「てんでんこ」だと強く主張されていた。町内会でもいつもその話をするので、またか、とまわりがうるさがるくらいだった。この集落で亡くなられたのが二人というのは、きっとそのおかげだろう。(田野畑村(人口3.968人)では死者23人、行方不明16人) 亡くなったのは、いったん逃げていながら忘れ物を取りに行った人に、船を見に行った人だった。
 ある女性は、知り合いのおばあさんの手を引いて逃げたが、波に足をすくわれて転びそうになり手を離してしまった。そのとき消防士が後ろから抱えてくれて自分は助かったが、おばあさんは流されてしまった。そのおばあさんの息子が、助けてくれた消防士だった。それ以来、あのとき自分が……と考えてずっと長く落ち込んでいた。今は立ち直って、ガイドをしている。
 友人の中には、家と船をなくし、両方の再建のため、金策やなにかで悩んだ挙げ句、鬱状態になって自死してしまった者もいた。震災関連死だ。

 津波は水門を越えて、川をさかのぼって進んだ。この浜にあった家屋は全部流された。今は家は建てられないことになっている。現合い、高さ14.5メートルの防潮堤を工事中である。これについては町内でも、海が見えなくなるなど問題点も話し合われたが……

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 当時の写真をたくさん見、現状と比較しながら、生々しい話を聞いた。ありがとうございました。

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 そういう話を聞いた後で旅館へ戻って宴会、というのもおかしなものだが、こちらがわれわれができるささやかな「貢献」であるので、遠慮せず飲み、食べることにした。

 これが本家旅館でまず出てきた夕食膳。左上は毛ガニ、真ん中はホヤ、右はカレイ。

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 右下の白い魚がなんだかわからない。聞いてみると、「マンボウザメ」との答え。マンボウか。湯がいて酢味噌で食べる。珍味である。
 写真のとおり、夕食としてはこれだけでも多いのに、さらに出た。ホタテに右はどんこ汁。「どんこ」は「エゾイソアイナメ」というのが正式名称らしいが、このあたりの名物だそうだ。けっこう大きいのがまるごと一尾入っている。白身でとろりとしている。

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 飲み始めるとすぐ写真のことなど忘れてしまうので仕方がないのだが、この他に殻付きのウニも出たはずである。トゲがまだ動いていたという記憶があるから出たのは間違いないだろう。
 とにかく量が多すぎて食べきれなかった。若い頃ならこれくらいきちんと片づけられたと思うが、途中で腹がいっぱいになって、お手上げだった。
 量が多いのもおもてなし、ご馳走の内というのはよくわかるが、あまり残してしまうのももったいない。これからはあらかじめ、老人用の分量でとお願いするようにしたほうがいいだろうか。

 本家旅館は、前にも書いたように、御主人が震災の前に亡くなられ、その後の津波の影響もあって、最近はあまり営業していないというところ、たまたま運良く泊めていただいた。三好達治や深田久弥など文人に愛された旅館だったとのこと。ご主人が文学好きだったらしい。館内には古い文学書や雑紙が展示してあり、庭には三好達治と宮沢賢治の詩碑があった。

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 宮沢賢治の詩碑は、もとは他の所にあったもの。津波で流されたが、瓦礫の中から見つかり、ここに再設置したそうだ。割れはしなかったものの、たくさんの傷が残っている。
 奥さんにご主人のことを聞いたところ、「主人は震災前に亡くなってよかった」とみなさんに言われましたが、わたしは大変でした、とのこと。それはまったくそのとおりと申し上げるしかありません。

 

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コメント

なむやさん、こんにちは。磯子からです。
ひょんなことから貴殿のブログを見つけました。
というのは昨日鎌倉円覚寺での座禅の帰りに紅葉坂の県立図書館で「ネット古本屋・・・・」を借りて、ネットで紫式部㈱を検索。あれこれとクリックするうちにこのサイトにを見つけた、というご縁です。
ところで、山寺は小生の生まれた天童のすぐ袂、光栄です。この季節が最高。
あたりは200年以上前と変わらずたたずまい。きっとあの俳聖の句を口ずさみたくなるはずですね。
旅程が許せば、米沢近くにある井上ひさしの蔵書をそのまま移した「遅筆堂」へもどうぞ。ここはこまつ座のありますよ。それではお気をつけて!

投稿: ハルちゃん | 2016年8月15日 (月) 10時43分

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