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2016年7月

2016年7月28日 (木)

東北8 リアス・アーク美術館

第三日(16/06/30)

リアス・アーク美術館

 第三日はホテルから、同じ気仙沼にあるリアス・アーク美術館へタクシーで行った。

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Photo_5 リアス・アーク美術館は、この地域の歴史・文化資料やこの地域出身作家の芸術作品を収蔵・展示することを主な目的として平成6年(1994)に作られた。宮城県が建物を作り、気仙沼市と南三陸町で構成される広域行政事務組合が運営している。
 東日本大震災に遭遇したことで、この被害を継続的に調査記録し、地域の文化的記憶として後世に伝えていくために、本来の目的の展示に加えて、大震災当時の記録写真や被災物などの常設展示を行っている。
 「リアス」はリアス式海岸、「アーク」は「方舟(はこぶね)」で「リアスの方舟」、この地域の文化資産を守り伝えるもの、という意味である。パンフレットの下にある赤いゴンドラのようなものは、方舟を象徴するアートであるらしい。(一番上の写真の上部にも一部写っている)

 この美術館へ来たのは、同行のK機長が昨年(2016)、東京の目黒区美術館で開催された「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク 美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史―」展を見て大きな感銘を受けたので是非行こうと提案があったからだった。
 なぜ目黒区かというと、「目黒のさんま祭」に気仙沼からサンマを提供したことから交流が始まって、震災の前からずっと続いているのだという。なかなかいい話だ。

 その展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」は圧巻だった。
 館内の撮影は禁止だったので、いただいたパンフレットの写真を転載する。 

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 記録写真と「被災物」と呼ばれる現場から収集された瓦礫や日常生活用品の数々が、あの当時を――わたしは横浜でテレビの画面に釘付けになって茫然としていたにすぎないけれど――思い起こさせる。
 大きな記録写真は衝撃を呼び起こし、津波の凄まじかったことを、今さらながら再度記憶に焼き付けさせる。
 被災物には、ひとつずつそれぞれについての物語が添えられていて、中でも小さな日常生活用品についての話は胸に迫ってきた。説明するより、これも『リアス・アーク美術館常設展示図録 東日本大震災の記録と津波の災害史』(2016)から少しだけ転載させてもらう。

Photo_2「郵便受け 2011.12.13 気仙沼市元吉町大谷」
 退職金、前借りしてさ、建てて3年だよ…残ったのは借金と、地盤沈下した土地と、あと郵便受けだけ。
 家族が皆、無事だったのが不幸中の幸いだけども…息子は会社がダメになってさ。そんでも九州の本社で拾ってもらって、今は北九州市に引っ越してしまった。
 帰省したってこっちは狭い仮設だから…悪くすると、宿もこっち取れなくて、帰省なのに泊は一関だよ。(p74)

Photo_3「炊飯器 2012.2.2 気仙沼市朝日町」
 平成元年ころに買った炊飯器なの。じいちゃん、ばあちゃん、わたし、お父さんと息子2人に娘1人の7人だもの。だから8合炊き買ったの。そんでも足りないくらいでね。
 今はね、お父さんと2人だけど、お盆とお正月は子供たち、孫連れて帰ってくるから、やっぱ8合炊きは必要なの。
 普段は2人分だけど、夜の分まで朝に6合、まとめて炊くの。
 裏の竹やぶで炊飯器見つけて、フタ開けてみたら、真っ黒いヘドロが詰まってたの。それ捨てたらね、一緒に真っ白いご飯が出てきたのね…
 夜の分残してたの…
 涙出たよ。(p79)

Photo_4「電子レンジ 2012.3.23 気仙沼市内の脇2丁目」
 オーブンレンジっていうのかな。結婚してアパート暮らしを始めるときに、祖母がお祝いに買ってくれました。
 その祖母は亡くなりました。オーブンレンジは流されずに残りましたが、海水に浸かりましたからダメです。フタを開けてみたら、中にヘドロが詰まっていました。
 祖母のこととか、新婚生活のこととか、頭の中に自然に浮かんできて…涙がとまりませんでした。(p80)

 これらの物語を最初に読んだときには、被災物を収集したときにもとの所有者から話を聞いて、それを書き取ったのか、凄いなと思った。しかしそうではなかった。前掲の図録にはこれらについて、こう書かれている。

 一見すると被災者の肉声を「聞き書き」したような文章は、震災後に様々な被災者と語り合う中で得られた物語をベースとして筆者が創作したものである。このような文を展示資料に添えるという発想は、博物館学的、展示学的に考えて異例のことだと自覚している。しかしこのタブーをあえて犯した。
 特定できない個人を想定し、その個人が「被災物」に宿る記憶を語っているという演出は、被災物を普遍的な存在にすることが目的である。不特定の個人をイメージするためには、自分に身近な誰か、あるいは自分自身を仮想せざるを得ない。それによって当事者が無意識に生み出されるという効果を狙った手法である。
 我われは当初から「共有化」を目的に被災物を収集した。ゆえに可能な限りその普及率が普遍性をもって高いものを選択した。すべては、この震災という出来事を自分自身に置き換えて感じ、考えてもらうためである。(p150)

 なるほどそうだったのか。ちょっと騙されたような気もしたけれど、考えてみれば無理もない。これらひとつひとつの物の持ち主がそう簡単にわかるわけはないし、わかったからと言って話が聞けると決まったものでもない。
 しかし、この調査者たち自身が被害者でもあり、調査のときだけに限らず、まわりのおおぜいの人たちから被災にまつわる膨大なエピソードや思い出話を聞いているのである。それらを背景として、現物の被災物を見たときに浮かんできたあれこれの話を整理し彫琢して物語にしたものなのである。力がないわけがない。物語であることを知った後、読み直してみても感動は変わらない。

Photo 『リアス・アーク美術館常設展示図録 東日本大震災の記録と津波の災害史』(2016)

 平日の朝、開館時間にあわせて行ったら、閑散としていて他の客はほとんどいなかった。駅から遠くて観光客の来そうなところではなかったけれど、大震災の記録・伝承のための施設として極めて有意義で、一見に値する。併設の、本来の目的である地元出身作家の絵画や彫刻の展示も、規模は大きくないが、なかなかよかった。

 
 

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2016年7月25日 (月)

東北7 気仙沼

 BRTで気仙沼へ着いたのが午後四時頃だったので、夕食まで一遊びと、大島(気仙沼大島)行きのフェリーに乗った。

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 発着所近くにあった魚市場。

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 左前方が大島のようだ。

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 大島へ着いた。前は観光地らしい施設がある程度あったらしいが、ここも津波でやられてまだ再建途上のようだ。

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 ともかく島を突っ切る大きな通りをずっと太平洋側まで行ってみた。

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 田中浜というところまで来たが、工事をしていて、特に何もない。

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 時間がないので、残念だがゆっくりはしていられない。フェリーの時間にあわせて気仙沼に戻った。

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 この山の上にあるのが泊まった気仙沼プラザホテル。手前にあるのはエレベーター棟である。
 ここの温泉は強濃度塩水なので、海と同じようにぷかぷか浮かぶことが売りになっている。なるほどたしかに体が軽く浮くし、少しつかってから唇をなめたらしょっぱかった。塩分が濃いのは間違いない。

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 風呂の後はお決まりの宴会コース。

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 ウニづくし香彩膳ふかひれ&ウニ釜飯。
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 これがふかひれ。思っていたより小さいけれど、これは高いのである。
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2016年7月21日 (木)

東北6 南リアス線・陸前高田

南リアス線

 三陸鉄道南リアス線北リアス線と同じく窓の外は海できれいだ。これは唐丹(とうに)か吉浜のあたり。

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 漁港ごとに工事現場が見えるのも変わらない。甫嶺(ほれい)駅のあたり。

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 途中、こんな駅があった。なんと「恋し浜」という。駅名看板の隣には「幸せの鐘」がぶら下がっていた(写真には写っていない)。少し停車するので、ホームに降りて鐘を鳴らすことができる。

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 そしてさらにホタテの貝殻に願いごとを書いて吊すのだという。ホタテの絵馬と呼ばれている。

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 最近あちこちの岬や浜辺あるいは高原の丘の上などに「愛の鐘」や「恋の鐘」をぶら下げるのがはやっているようだ。二人で鐘をならせば幸せになれるとか、怪しげな伝説がついていたりするらしいが、そんなもの二人で旅行に来られるくらいなら幸せに決まっている。独り者の旅行者の気持ちも考えろ、と思っているうちにひらめいた。ここはひょっとしたら「小石浜」だったのではないか。
 帰ってから調べてみると、そのとおり2009年に「小石浜駅」を「恋し浜駅」に改名したそうだ。伝説どころかただのダジャレであるが、三陸鉄道も集客にがんばっているということで、よしとしておこう。

BRT

 南リアス線の終点(さかり)駅に着いて、ここでBRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム )の大船渡線に乗り換える。
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 駅のホームにバスが停まっている。

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 BRTというのは、バスを最優先に通行させる都市交通システムという意味らしいが、日本では、廃線になった鉄道の線路敷を走行する路線バスというイメージが強い。ここでも、大船渡線を復旧させる代わりに、その線路敷をバスが走っている。場所によっては一般道路も通行するが、基本は線路敷きを舗装した専用通路である。

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 これはなかなか面白い。一般道路が交差するところには踏切があるが、通常の踏切とは逆に路線側を遮断している。バスが近づくと踏切が上がって、通過するとまた降りる。路線内に一般車を入らせないための踏切だった。
 もともと単線だったから、バスも基本は一車線道路で、途中すれ違いの停車もある。

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陸前高田

 陸前高田駅。このあたりは一般道路を走っている。三年前来たときには何もなかったがこんな駅ができていた。(→東北2 陸前高田

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 奇跡の一本松が見えてきた。

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 「奇跡の一本松」バス停で降りる。
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 三年前はバスの中から見ただけだったが、今はまわりが整備されて、すぐ下まで行ける。背景に壊れたユースホステルの建物が残っているのが痛々しい。これが防波堤になったから一本松が生き残ったという。
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 しかしその後枯死してしまった松を、幹の防腐処理や枝葉の合成樹脂による複製などで再現させたのがこれ。やはり生きているようには見えない。それがなんだかもの哀しい。
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 一本松の近くには金網の向こうに大小様々の石材がたくさん並べられていた。貼られた札には「字○○○遺失物」とある。遺失物には違いないだろうけれど…引き取る人もいないのだろう。

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 一本松からちょっと離れたところの「道の駅高田松原」。前回も訪れた。これも震災遺構として保存されている。

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ここまで津波が来たという表示がある。

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 道の駅の前のガソリンスタンドの看板も残されていた。これは看板のてっぺん左に水位を示す矢印がある。

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 そしてこれは、あの有名な土砂運搬用のベルトコンベヤーの一部。取り壊しが進んでいて、七月中には終了するらしい。

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 山を削って宅地を造成するとともに、その削った土を低地のもと市街地まで運んで地面をかさ上げするという大工事。コンベアーの高さは約20メートル、総延長は3キロもあったという。もうこれしか残っていないが、これだけでも十分巨大である。
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 巨大な自然災害に人間は巨大な工事で対抗しようとしている。しかしどこまでいったら人間の力が自然の巨大さに太刀打ちできるようになるのか。今はともかく工事を完成させることが一番大事なのだろうけれど、ついついそんなことを考えてしまう。


 

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2016年7月18日 (月)

東北5 宮古・釜石

第二日(16/06/29)

宮古・釜石

 本家旅館で目が覚めると、窓の外の海には濃い霧が立ちこめていた。

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 出かける時間になっても、山側は晴れているけれど海側は霧が漂っている。

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 三陸鉄道北リアス線田野畑から宮古まで行く。これで北リアス線は久慈から全線乗った事になる。

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 ここから釜石まではJR山田線がまだ復旧していないので、岩手県北バス岩手県交通バスを乗り継いで行くことになる。
 宮古湾には朝の霧がまだ残っていた。工事現場がずっと続いているのはここも同じだ。

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 途中、道の駅やまだでバスを乗り換える。直行のバスがないのである。

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 第二日のコースは、宮古から三陸鉄道北リアス線→岩手県北バス→岩手県交通バス→三陸鉄道南リアス線→BRT大船渡線(バス)と、細かく乗り継いで気仙沼へ行くことになっている。

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 こんなバラバラにせずに、JRで一本に繋いでくれればいいのにと思うのだが、そうはいかない。逆にJRは宮古釜石間の山田線を復旧させたら三陸鉄道に移管するのだそうだ。もともとこの路線は大赤字なので、、大金をかけて復旧したうえに、さらに運営赤字が積もるのではかなわない。そんなに鉄道が欲しければ、復旧の経費はJRと復興交付金でなんとかするから、あとは地元で勝手におやりください、ということだ。
 2018年にはこれで三陸鉄道が盛から久慈まで一本でつながることになるらしいが、だからといって大幅な利用者増が見込めるわけでもない。地元自治体からの援助などを受けながらやっていくことになるのだろう、三陸鉄道もまだまだ大変だな、と思いながらバスから見る窓の外は、やっぱり工事現場が続く。
 これは大槌町のあたり。宮古釜石間は高速道路の工事もやっているみたいで、大きなダンプカーがたくさんすれ違って行った。
 大槌町も寄ってみたいのだけれど、今回は素通りである。

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 釜石駅へ着いた。すぐ前が新日鉄の工場というのがいかにも釜石らしかった。

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 ここから今度は三陸鉄道南リアス線だ。

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 釜石駅を出てしばらくは新日鉄の工場が見えていた。

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2016年7月14日 (木)

東北4 田野畑2

 ガイドさんは、本家旅館よりちょっと下のところに家があり、さらにその下にあった郵便局に勤めていたそうだ。

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 震災当日は、ムール貝を取りに行って戻ってきたところに大きな地震が起きた。少し高くて広く見渡せる所で、おまわりさんと一緒に見ていたら、やがて津波の第一波がやって来た。それで高い所に上がったら、さらに第二波、第三波が押し寄せて来た。
 自宅には妻と、埼玉へ嫁に行っている娘が子どもを産みに帰ってきていた。自宅の前まで行っても中へ入る余裕がない。外から大声で「逃げろ!逃げろ!」と叫ぶだけだった。幸い二人とも無事だったが、あのときのお父さんの声は凄かったと、後で言っていた。
 自宅は母屋の他に古い母屋と離れのちょっとした建物の三棟があったが、一番高いところにある母屋の一階まで水に浸かった。母屋の二階だけなんとか残ったが後は全部流されてしまった。自宅よりちょっと高いところは大丈夫だった。ほんのちょっとの差で大きく分かれる。
 それでも自宅やこのあたりは、川から離れているのでこの程度ですんだ。津波は一番低い川へ集中してさかのぼって行き、そちらはすっかり流されてしまった。
 母屋だけ修理したが、今はもっと奥の高い所へ新しく家を建てて住んでいる。
 本家旅館のこの白壁の塀の下まで波が来た。この石垣はすっかり浸かったので色が変わって白くなっている。

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 本家旅館のご主人は、大震災前の一月に病気で亡くなられたが、漁協の組合長などいろんな役職を歴任された方で、いつも津波の対策のことを話され、津波のときは「てんでんこ」だと強く主張されていた。町内会でもいつもその話をするので、またか、とまわりがうるさがるくらいだった。この集落で亡くなられたのが二人というのは、きっとそのおかげだろう。(田野畑村(人口3.968人)では死者23人、行方不明16人) 亡くなったのは、いったん逃げていながら忘れ物を取りに行った人に、船を見に行った人だった。
 ある女性は、知り合いのおばあさんの手を引いて逃げたが、波に足をすくわれて転びそうになり手を離してしまった。そのとき消防士が後ろから抱えてくれて自分は助かったが、おばあさんは流されてしまった。そのおばあさんの息子が、助けてくれた消防士だった。それ以来、あのとき自分が……と考えてずっと長く落ち込んでいた。今は立ち直って、ガイドをしている。
 友人の中には、家と船をなくし、両方の再建のため、金策やなにかで悩んだ挙げ句、鬱状態になって自死してしまった者もいた。震災関連死だ。

 津波は水門を越えて、川をさかのぼって進んだ。この浜にあった家屋は全部流された。今は家は建てられないことになっている。現合い、高さ14.5メートルの防潮堤を工事中である。これについては町内でも、海が見えなくなるなど問題点も話し合われたが……

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 当時の写真をたくさん見、現状と比較しながら、生々しい話を聞いた。ありがとうございました。

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 そういう話を聞いた後で旅館へ戻って宴会、というのもおかしなものだが、こちらがわれわれができるささやかな「貢献」であるので、遠慮せず飲み、食べることにした。

 これが本家旅館でまず出てきた夕食膳。左上は毛ガニ、真ん中はホヤ、右はカレイ。

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 右下の白い魚がなんだかわからない。聞いてみると、「マンボウザメ」との答え。マンボウか。湯がいて酢味噌で食べる。珍味である。
 写真のとおり、夕食としてはこれだけでも多いのに、さらに出た。ホタテに右はどんこ汁。「どんこ」は「エゾイソアイナメ」というのが正式名称らしいが、このあたりの名物だそうだ。けっこう大きいのがまるごと一尾入っている。白身でとろりとしている。

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 飲み始めるとすぐ写真のことなど忘れてしまうので仕方がないのだが、この他に殻付きのウニも出たはずである。トゲがまだ動いていたという記憶があるから出たのは間違いないだろう。
 とにかく量が多すぎて食べきれなかった。若い頃ならこれくらいきちんと片づけられたと思うが、途中で腹がいっぱいになって、お手上げだった。
 量が多いのもおもてなし、ご馳走の内というのはよくわかるが、あまり残してしまうのももったいない。これからはあらかじめ、老人用の分量でとお願いするようにしたほうがいいだろうか。

 本家旅館は、前にも書いたように、御主人が震災の前に亡くなられ、その後の津波の影響もあって、最近はあまり営業していないというところ、たまたま運良く泊めていただいた。三好達治や深田久弥など文人に愛された旅館だったとのこと。ご主人が文学好きだったらしい。館内には古い文学書や雑紙が展示してあり、庭には三好達治と宮沢賢治の詩碑があった。

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 宮沢賢治の詩碑は、もとは他の所にあったもの。津波で流されたが、瓦礫の中から見つかり、ここに再設置したそうだ。割れはしなかったものの、たくさんの傷が残っている。
 奥さんにご主人のことを聞いたところ、「主人は震災前に亡くなってよかった」とみなさんに言われましたが、わたしは大変でした、とのこと。それはまったくそのとおりと申し上げるしかありません。

 

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2016年7月11日 (月)

東北3 田野畑1 

 久慈から三陸鉄道北リアス線で田野畑(たのはた)に向かう。これがホームと田野畑駅舎で、駅舎には「カンパネルラ田野畑」という愛称がついている。乗車券委託販売駅で、売店のおばさんが切符の販売もやっている。広い喫茶店もあって、電車が来るのをのんびり待てそうなところだった。

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 三陸鉄道が駅近くのトンネルへ入って行くところ。こういう光景も「あまちゃん」でよく見た。この近くでもロケが行われたらしい。

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 駅からすぐの平井賀浜にはこんな光景がある。遭難した三陸鉄道がまだ取り残されているのかと、ちょっと驚いた。

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 そうしたら、なんとこれは水門の上部にペンキを塗って三陸鉄道に見せかけただけのものだそうだ。むき出しのコンクリートでは愛想がないからという、ちょっとしたシャレだったわけだ。知らないで見ると震災遺構かと思ってしまう。

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Dscf4513t なるほど、横から見るとこんなに平べったくて電車としては不格好だ。窓があるから機械室でもあるのかと思ったら、そんなものはない、ただのコンクリートの塊だとのことだった。
  後で聞いた話では、津波はこの水門を乗り越えて川をさかのぼり、この浜一帯に大きな被害をにあたえたという。この平井賀漁港の津波遡上高推定は25.5メートルだそうだ。
 だからここでも防潮堤や道路などの工事が行われている。

 田野畑で泊まったのは、この平井賀浜のちょっと高いところにある本家旅館(ほんけりょかん)。その名のとおりこのあたり一帯の本家で地主だったという。旅館は昭和26年に始めたそうだ。
 震災後は、あまり営業していないが、今回はたまたま前日に客があり、そのままお手伝いが確保できるので泊めてもいい、このあたり津波でやられてあまり人が住んでいないのでお手伝いの確保がなかなかできないとのことだった。
 古い旅館である。

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 ここで事前にお願いしてあった「大津波語り部&ガイド」の方と落ち合った。年配の語り部ガイドさんと、アシスタントの若い人の二人が来られて、お話しを聞いた。

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2016年7月 7日 (木)

東北2 久慈

第一日 2016/06/28

久慈

 朝9:08東京発の東北新幹線はやぶさ9号に乗り、二戸でJRバス・スワロー号」に乗り換え、久慈(くじ)へ向かった。新幹線で八戸まで行って八戸線で行くより、この方が一時間近く早く久慈へ着くのである。ただ、このバスは「大人の休日倶楽部パス」を使って無料で乗れると思っていたのに、そうではなく一割引にはなるけれど有料なのだった。

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 二戸から久慈までは深い緑の山の中の道である。盛岡から宮古への道も花巻から釜石への道も、奥羽山脈から太平洋岸へ出る道はどれも同じように緑濃い山の中を抜けて行く。

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 JRの久慈駅と三陸鉄道北リアス線の久慈駅。

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 久慈周辺は、2013年のNHKの朝ドラ「あまちゃん」の舞台である架空の町北三陸市のモデルになった。だから駅前にはこんな看板もあった。

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 そして「あまちゃんハウス」もあった。

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 テレビや映画でヒットするとすぐ作られる、よくある観光施設で、特にどうということはないが、「あまちゃん」は好きだったので、ちょっとなつかしかった。朝ドラをちゃんと見た唯一の番組である。前回の旅行の時にも「あまちゃん」のことは書いている。(→東北5 宮古・三陸鉄道
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 放映から三年もたつと、さすがにブームは終わり、駅前の看板もそうだったが、壁のポスターも色褪せてきている。

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 いつまでも「あまちゃん」に頼ってはいられない。三年前に来たとき北リアス線にはまだ不通の箇所が残っていた。それが今はなくなっている。少しずつ前へ進んでいると思いたい。
 その北リアス線で田野畑へ向かう前に、われわれは駅前広場で昼食をとった。

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 噴水が、われわれの前途を祝して噴き上がった、といいたいところ。

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 ともかく老人旅行会は、缶ビールで名物リアス亭のうに弁当を食べる。予約なしの一般販売は一日20個限定で、窓口ではすぐ売り切れるという人気の弁当。ちゃんとI長老が予約を入れておいてくれた。うまかった。

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 「あまちゃん」でも、うに弁当はしょっちゅう出ていた。その他に「まめぶ汁」という、よくわからない食べ物も出ていて、一度食べたいと思っていたが、食べ損ねてしまった。通りで「まめぶ」の看板を見かけ、後でと思っているうち失念してしまった。

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2016年7月 4日 (月)

東北1 津々浦々で

2016_2 6月28日から7月1日まで東北旅行へ行ってきた。
 三年前、学生時代の友人たちと、もう歳を取ってボランティアはできないから、わずかばかりでも被災地へ金を落としてこようと旅行をした。(この旅行については、東北1 大人の休日倶楽部以下に書いた。)

 あれから三年、震災からは五年、被災地はどう変わったか、復興は進んだか、この目で見ながら、また少しばかりのお金を落として来たというわけである。
 今回もJRの「大人の休日倶楽部パス」を利用しての旅行だが、前回は総勢三人だったのが四人になり、コースも違う。前回の訪問地で今回も訪れたのは陸前高田だけだった。

 地図に落としたように、基本は岩手県・宮城県の海岸線をずっと南下するというもの。最終日には海を離れて、山形県の山寺=立石寺を訪れた。
 途中まだ鉄道が復旧していないところはバスを乗り継ぎ、あるいは鉄道代替のBRT( Bus Rapid Transit バス・ラピッド・トランジット=バス高速輸送システム )を利用したので、これらのバスに乗っている時間が長い旅だった。

 今回の旅の一番の印象は、ともかく訪れた海岸線のいたるところで大がかりな工事が行われているということ。鉄道やバスの車窓に小さな港が見えれば、そこには必ず黄土色の盛土の大きな山がいくつも見られ、そのまわりでブルドーザーやパワーショベルが何台も忙しく動き回っていた。

 これは久慈田野畑の間。

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 田野畑平井賀

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 これは宮古。湯気のように見えるのは朝霧の消え残りである。

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 釜石の間を走る三陸鉄道南リアス線の三陸駅と甫嶺(ほれい)駅の間。
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 陸前高田の巨大ベルトコンベアーの一部(解体工事中)。

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 「津々浦々」という言葉は「全国いたるところで」という意味で使われているが、このあたりでは、文字通り「いたるところの津や浦」で巨大な土木工事が行われているのだった。

 気仙沼の大島。

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 南三陸町の防災庁舎付近。

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 石巻
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 奥松島でも。

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 奥松島のものは、これまでもあった小さな防波堤を直しただけということだったが、その他の所では巨大な防潮堤や地面のかさ上げ工事、海へ入ってくる川の堤防工事や護岸工事、さらにそれらを繫ぐ道路や高速道路の工事まで、大小さまざまな工事が行われていた。
 とにかく北から南までどこでもだったからその規模に圧倒された。しかし不思議なことに、復興が大きく進んでいるとは感じられなかった。思ったのは、三年前に見た瓦礫の山は片づけられたが、五年たってまだどこも工事中であるということが一つ。もう一つはこれだけそこら中で工事をやっていては資材も人手も不足し、高騰するのはあたりまえだということ。莫大な人手と経費とが費やされる。
 むろん地元の大きな期待を背負って行われている工事であり、無駄遣いだと言うつもりはない。一刻も早くそれぞれの工事が完成することが望ましい。しかしオリンピックの工事も加わるわけだから、そこに至るまではまだまだ相当の時間と経費がかかりそうだと、ため息が出るくらいの光景だった。
 さらに、震災復興もオリンピックも無事終わったときには、土木工事産業がどうなるのかも心配になってくる。人手も資材もあぶれさせないように、日本強靱化計画でまた列島改造をやり続けることになるのだろうか。最近田中角栄をもてはやすような本が売れているのは、そういう意味合いがあるのだろうか。
 わたしごときが心配することでもないので、とりあえずこの問題は棚上げして、次からは旅行の話を始めます。

 

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