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2016年8月 8日 (月)

東北11 立石寺1

第四日(16/07/01)

立石寺

 最終日は桜荘の車で野蒜駅まで送ってもらい、仙台経由で山形の立石寺(りっしゃくじ)へ向かった。最初の計画ではさらに南下して、K機長の友人のいる福島県の相馬へ行こうとしたが、うまく調整が取れず、ここで被災地から離れることになった。野蒜から立石寺までは、何もなかったわけではないが、とりあえず省略する。

 立石寺K局長とわたしは初めてである。通称を「山寺(やまでら)」と言い、地名も「山形市山寺」、最寄り駅もJR仙山線の「山寺駅」である。

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 駅を降りると目の前に見える、この山全体が山寺=立石寺で、1,015段の長い階段を登らないと奥の院にはたどり着けない。 

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 『るるぶ情報板 山形'10』(JTBパブリッシング、2009)にはこんな案内図が載っている。
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 門前町を抜けて行くと、登山口に出る。

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 「奥の細道」の看板が目立つ。芭蕉は、元禄二年(1689)、奥の細道の旅で立石寺を訪れている。327年前だ。
 階段を登ってまず最初にたどり着くのは根本中堂(本堂)。

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 ここで招福布袋尊と腹くらべをするI長老。そうそう負けていないところが凄い。

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 このあたりは少し平らで、お地蔵さんや日枝神社などいろいろある。

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 芭蕉の像と一緒に俳人T局長を撮った。隣に弟子の曽良の像もあるのだが、そちらは撮らなくてもいいと言う。ライバルは芭蕉、ということらしい。

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 鐘楼念仏堂

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 ここが山門で、ここから本格的な登りになる。

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 よっこらしょ、よっこらしょと登って行く。

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 これは姥堂(うばどう)で、ここから下が地獄、上が極楽になるのだそうだ。ご本尊は奪衣婆(だつえば)で、衣服の代わりなのか手ぬぐいがたくさんぶら下がっている。

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 いろんなものがあるが、詳しくはわからない。

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 ようやくここまでたどり着いた。「せみ塚」である。

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  閑かさや岩にしみ入る蝉の声

 これが、立石寺で芭蕉が読んだ句であった。
 奥の細道から引用しておく。

山形領に立石寺(りふしゃくじ)といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし人々のすすむるによりて、尾花沢よりとつて返し、その間(あひ)七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。岩に巌(いはほ)を重ねて山とし、松栢年旧(としふ)り、土石老い苔滑らかに、岩上(がんしやう)の院々扉(とびら)を閉(とじ)て物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞(じゃくまく)として心澄みゆくのみ覚ゆ。
 閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声

(『おくのほそ道』(松尾芭蕉 板坂元・白石悌三 校注・現代語訳、講談社文庫、1975)より)

 せみ塚というから、セミを供養してあるのかと思ったら違った。宝暦元年(1751年)に、立石寺を訪れた弟子筋の俳人たちが、この句の着想を得たのはこのあたりではないかと、ここに芭蕉の残した短冊を埋めて石碑を建てたのだという。
 こんな岩壁もあるし、俳人たちが訪れたときは、蝉がしきりに鳴いていたのだろう。わたしたちが訪れたのは7月1日で、まだ早いとみえて、残念ながら蝉の声は聞けなかった。

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 この蝉の種類について、その昔、論争があった。斎藤茂吉がこの蝉はアブラゼミであると言い出し、小宮豊隆がこの句にアブラゼミは合わない、季節も違う、ニイニイゼミだと反論した。その後齋藤茂吉は実地検証の上、アブラゼミは誤りだと認め、ニイニイゼミが正しいと結論づけた。
 ニイニイゼミにはなじみがない。鳴き声がよくわからない。ネットで調べてみたがいまいちピンと来ない。この夏は少し注意して蝉の声を聞くことにしよう。(→「セミの画像と鳴き方」 http://www.m-ecokosha.or.jp/semi/semi_koe_index.html)

 前掲の講談社文庫の『おくのほそ道』には、奥の細道に関連したいろんな作家の紀行文が抜粋してある。立石寺は五木寛之の『にっぽん漂流』からである。

ふと奇怪な疑念が心に湧いた。
「あの蝉の声だけど――」
「何です」
「あれ、地元の観光協会か何かが有線放送で流してるんじゃないだろうか」(p233)

 むろんそんなことはなかった、という落ちがついている。五木寛之も若い頃はけっこう馬鹿なことを書いていたのだ。
 スピーカーで流すのはとんでもないが、季節はずれの時は岩壁の前にヘッドフォンを置いて聞かせてもいいかもしれない。

 

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