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2016年8月29日 (月)

佐助稲荷のキツネたち

 佐助稲荷(さすけいなり)は銭洗弁天のすぐ近くです。

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 山の下に下社があります。

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 下社の前から参道が山へ延びています。

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 赤い鳥居がずっと続いています。

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 鳥居をくぐって登っていきます。
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 これらの鳥居は信者からの寄付によるものです。信者が願をかけるとき、あるいは願がかなったときのお礼のために寄付します。鳥居のひとつひとつに寄進者の名前がついています。
 ぎっしり並んでいますが、ところどころに隙間があいているところもあります。まだまだ建てられます。
 鳥居1基30万円だそうです。幟(のぼり)は一対1万円、一本なら5千円。お守りなどの授与所に貼紙がありました。

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 奥にさらに階段がありました。

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 階段を登り切ったところが拝殿です。
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 30万円の件はまた今度考えるとして、今回はささやかにお賽銭をあげておきます。
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 拝殿の奥にはまだ階段があって、その上が本殿です。
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 これが本殿
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 本殿の前には陶製の小さなキツネたちがぎっしり並んでいます。この神社には、本殿に限らず、あちこちにこのキツネたちがいます。

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 この陶製のキツネは霊孤と呼ばれ、これも願掛けやお礼に供えるもののようです。一対で大が3,000円、中が2,000円、小が1,500円と、これも授与所に書いてありました。
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 境内には小さな古い祠をあつめて陶製の霊孤を並べ、キツネタウンのようになっているところもあります。祠はみんな苔むしています。
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 霊孤泉という湧き水もあります。

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 この看板には「佐助の稲荷山は往古(むかし)より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊狐の神水と称え家々の神棚に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず湧き出づる霊狐の泉なり。」とあります。
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 近くには「源十郎弥十郎事(佐助稲荷霊験譚)」という看板もありました。
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 読んでみるとこれがなかなかおもしろい。キツネの恩返しです。

 犬に追われていたところを魚屋の源十郎に助けられたキツネが、その夜源十郎の夢にあらわれて告げた。
 「魚屋をやめて左介谷(さすけがやつ)で、蘿蔔(らふく=ダイコン)を作るといいことがある」
 源十郎はよくわからないまま、左介谷に土地を借りてダイコンをつくった。
 その冬鎌倉中に疫病が流行った。するとある人の夢に神様があらわれて「源十郎がつくったダイコンを食べれば病はたちどころにいえるであろう」と告げた。
 われもわれもとダイコンを買いにやってきた。霊験あらたかだったので次第にダイコンも高くなり、源十郎は富者になって、お礼にこの稲荷神社を建てた。

 子供の頃は素直にこういう話を聞きましたが、歳を取るとついつい、この神様が疫病を流行らせたのではないか、マッチポンプじゃないか、と疑ったりしてしまいます。年寄りのひがみとはいえ、お参りにやってきてこんな邪推をしているようでは、いつまでたっても霊験あらかたとはいかないでしょう。
 この話では源十郎が神社を建てたことになっていますが、社伝によれば、神社の起こりは源頼朝だそうです。
 伊豆に流されていたころ、頼朝の夢枕に「隠れ里の稲荷」があらわれて、打倒平家の挙兵を促した。のち幕府を開いた頼朝は、隠れ里に祠(ほこら)を探し当て、畠山重忠に社殿を再興させた、というものです。
 当時頼朝は右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)だったことから「佐殿(すけどの)」と呼ばれていた。その佐殿を助けたから「佐助」という地名になったという説もあります。

 本殿からさらに山を登っていく道が続いています。源氏山や大仏につながるハイキングコースです。いかにも湿潤な感じのする谷戸です。

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