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2016年9月22日 (木)

『私家版』

 『悲しみのイレーヌ』を読んで思い出したのが、やはりフランスのミステリー『私家版』だ。(ジャン=ジャック・フィシュテル、創元推理文庫、2000)
  これも無名作家の世に出ていない本が焦点になる。
 犯人が自分の犯行を語りながらストーリーが展開する、いわゆる「倒叙(とうじょ)もの」なので、はじめからネタバレの作品と言えなくもないけれど、あらすじなど書くと、やはり読んでない人にはネタバレになるので、あらかじめご承知ください。

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あらすじ
 イギリス人のエドワード・ラムとフランス人のニコラ・ファブリは十代の後半、エジプトのアレクサンドリアで、文学を通じて知り合った。醜男で内向的なエドワードは、美男子で自己中心的かつ女たらしのニコラに圧倒されてしまい、いいなりに引き回されようになる。それまでの友を失う目にもあい、内心忸怩たるものがありながら、離れることはできなかった。
 やがて第二次大戦がはじまり、エドワードはイギリス情報部で働き、ニコラはフランス空軍の花形パイロットとして活躍した。
 戦後、エドワードは出版社に職を得て、やがて自分で経営するようになる。ニコラは外交官を経て作家になり、エドワードはニコラの小説を自分で英訳し、英語版を出版するようになった。ニコラは相変わらず傍若無人で、エドワードがそれに従うという関係は変わらない。
 ニコラに転機が訪れ、それまでの作品から脱皮した独創的な作品「愛の学校」を書き、フランスの権威ある文学賞ゴンクール賞を受賞する。
 作品を読んだエドワードは、それが真正の傑作であることを認めるとともに、自分が人生でたった一度だけ愛した女性―アレクサンドリアのベドウィン族の族長の娘が死亡した原因を知ることになる。小説のモデルとなった美少女は、ニコラに妊娠させられ、それに気づいた族長によって刺殺されたのだった。(いわゆる「名誉殺人」というやつである)
 これまでの人生、ずっとニコラに不当に苦しめられてきたと感じているエドワードは、これを知って復讐を誓い、緻密な計画を立てて、徐々に実行に移す。
 それは、受賞作『愛の学校』が盗作であるとされるような、偽の原作本を作ることだった。以前買い取った小さな古い出版社には戦前の未使用の用紙や製本材料が残されていた。そして無名のうちに戦死した有能な作家―ニコラの書いたような傑作を書いたかもしれない―を発見し、すでになくなっているが、その作家の本を出していても不思議ではない出版社を探す。
 エドワードは、ニコラの作品を少しずつ書き換えて、盗作前の英語の原作を創作し、古い印刷機を買い込んで印刷する。大戦中の情報部で資料の偽造をやっていたし、出版社で印刷の知識も取得していた。製本は、戦前の製本機械が残っているエジプトでやらせた。さらに古色をつけて、六冊の偽書『愛こそすべて』が完成した。
  エドワードは、うち一冊をニコラと仲の悪い女流文芸評論家に匿名で送りつけ、二冊はそっと古書店に売りつけ、一冊はニコラ自身の書棚の奧に忍ばせた。、
 文芸評論家が盗作疑惑を書き立てて大騒動になり、ニコラは名誉毀損だと訴えて裁判になる。裁判では、文芸評論家が提出した本も、古書店で発見された本も本物だと鑑定され、そのうえ新聞に大戦中飛行機の事故でニコラには記憶障害があるという診断書が暴露される。疑惑は深まり、ニコラの名声は地に落ちる。
 やがてニコラは失意から立ち直って、雄々しく再び創作に取りかかろうとした。しかしある日、自分の書棚の中に『愛こそすべて』があるのを見つけ、自分の書くものが信じられなくなり、自殺した…

 倒叙ものは、やがて犯人の計画のほころびが見つかって失敗するものが多いが、成功に終わるものもある。この小説が最後どちらになるのか、それは書かないでおこう。

 まず感心したのは、原作から盗作という通常の過程をひっくり返して、現在の作品から原作を偽造してしまうというアイデアだ。
 そしてこの偽作の過程を詳細に書き込んでいる。いい加減な推理小説だと、情報部で偽の資料をつくっていたから偽書もできた、くらいですませてしまうところ、古い用紙や製本材料の入手、関係者が死亡していて露見する恐れのない出版社を探し、いかにもその出版社らしいレイアウトをするとか、細々と偽作の精度を高めている。
 ニコラを陥れる方法も緻密で周到、作品全体に伏線を張りめぐらせて、じわじわと追いつめていく。底意地の悪さを感じるくらいだ。
 ニコラに反感を感じながら、劣等感からついつい引き摺られてしまうエドワードの心理描写も、純文学風でちょっとうるさいくらいだが、犯行に及ばざるをえないくらいの被害者意識があったと、十分納得させる。

 あとがきによれば、作者の本業は歴史学者だそうだ。構成がしっかりしているのはそのせいか。中身の濃い、面白い本だったが、日本ではあまり評判にならなかったようだ。重苦しいところが受け入れられなかったのか。他にもミステリ作品があるのに邦訳が出ていない。
 またニコラにはモデルがあって、ロマン・ガリという作家だそうだ。ゴンクール賞作家で、偽作ではなく偽名(別名?)でも小説を書き、一度しか受賞できないゴンクール賞を二度受賞したことで騒動になった。アメリカの女優ジーン・セバーグと結婚し離婚したという。知らなかった。

 ・原題“TIRÉ À PART”は、「抜き刷り」「別刷り」の意味。

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