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2016年12月

2016年12月29日 (木)

両国で忘年会3

吉良邸跡

 北斎美術館のあと目指すは本所松坂町、吉良邸跡へ行った。もとはこのあたり一帯が吉良邸で敷地は約2,550坪あったが、現在は普通の街になっており、その一角の30坪たらずだけが本所松坂町公園として、なまこ塀で囲われてある。

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 「赤穂義士遺蹟吉良邸跡」の碑。

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 入ると正面に「吉良上野介義央」像。

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 左側には松坂稲荷吉良上野介義央追慕碑、小さな祠のような吉良家臣二十士の碑が並んでいる。
 一番右は「みしるし洗いの井戸」という看板が立っているが、この写真ではよく見えない。「みしるし」では若い人には理解されないのではと心配になる。「御首級」つまり「首洗いの井戸」である。昔の看板はそうなっていたようだが、今は書き換えられている。
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 これが吉良家臣二十士の碑。小林平八郎と清水一学の他は知らないけれど、名前が書いてあるのはみなここで討たれた人たちということなのだろう。

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 芝居の話ではなく史実として、吉良側は二十人ぐらいが死んだのに、赤穂浪士側はけが人こそあれ一人も死んでいない。
 吉良側の犠牲者数は諸説あって確定してないようだが、二十人内外の死者とやはり二十人くらいの負傷者を出した。これに対し赤穂浪士側は死者なし、負傷者が二人ということだ。吉良側は百人以上いたと言われるがその半分以下の四十七人に一方的にやられている。
 これは夜油断して寝ているところを完全武装の赤穂浪士に襲われたということが大きいのだろうと、なんとなく思っていたが、先日、テレビでやっていた『古舘トーキングヒストリー~忠臣蔵、吉良邸討ち入り完全実況~』ではなるほどそうかと納得できる説明があった。
http://www.tv-asahi.co.jp/talking_history/

 古舘伊知郎が赤穂浪士の討ち入りをプロレスみたいに実況中継しながら、ところどころに歴史学者磯田道史などゲストとのトークをはさむというかたちの、おもしろい番組だった。数的には劣勢の赤穂側が圧勝したのは、完全武装で夜討ちをかけたことの他にもいくつかの理由があり、一番大きかったのは吉良側の大半が寝ていた長屋を封鎖したことだったという。
Photo 大名屋敷はどこも外側をずっと長屋が囲んでいいて、ここに家臣たちが住んでいる。当夜の吉良側の家臣は150人ぐらいいて、長屋にいたのが約130人、上野介のいた母家は約20人だった。忍び込んだ赤穂側は準備していた鎹(かすがい)で、まず長屋の戸口を打ち付け、家臣を閉じ込めてしまった。そのうえ大声で「○○隊五十名配置終了!」などと叫び立てることで討手の数を実数より過大に信じ込ませた。
 家臣といっても大半は渡り奉公の仲間のような一時的に雇用されている、いわば派遣の職員で、主君の為に死ぬことまでは期待されていないし、そこまでの忠誠心もない。だからこれで戦意喪失、敵は多勢いてしかも閉じ込められてしまったんだからしょうがないと、そのまま抵抗しなかった。しかし正規雇用の侍はそうはいかないから戸口を打ち破って出て行ったが、そこを待ち構えていた赤穂側に討ち取られてしまった、というのだ。
 他にも室内戦闘用に短めの槍や小さめの弓を用意して準備万端、そのうえ屋敷内に踏み込んだら真っ先に吉良家の槍や弓を破壊して使えなくしたと、戦術も万全だったという。なるほどこれなら一方的な勝利にもなる。
 この他の討ち入りのとき山鹿流の陣太鼓は鳴らさなかったとか、上野介は炭小屋にはいなかったというような話は、はじめから芝居くさい話だ思っていたので特に感心しなかったが、この長屋封じ込めの話は、正規雇用と派遣雇用のちがいの話も含めて、非常に納得できた。
(屋敷図は山本博文『これが本当の「忠臣蔵」』(小学館101新書、2012)から)

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 このあとは、回向院から両国橋を通って、浅草橋駅へ出た。それほど書くこともないので、写真だけ載せておく。

回向院

 回向院は、昔は吉良邸より広い敷地があったようだが、今ではビルに囲まれて手狭で窮屈な、いかにも都会の寺だった。

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両国橋

 もう夕暮れになってきた。上に高速が走っている。

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 隅田川
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 ここは柳橋で、これは神田川

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 釣り舟の宿があった。

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 あとは浅草橋駅前磯丸水産で軽く二次会をやって、忘年会は終了。お疲れさまでした。

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2016年12月26日 (月)

両国で忘年会2

東京都慰霊堂

 宴会後は両国散歩。まず吉葉の近くの東京都慰霊堂へ行った。

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 関東大震災の犠牲者のための震災記念堂として創建され、戦後、東京大空襲の犠牲者も合祀して、現在の形となっている。

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 ここにはうちの奥さんの祖母も祀られている。昭和20年3月10日の東京大空襲で亡くなっているのだ。

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 祖父母の家は深川にあって、その長男夫婦=うちの奥さんの父母も近くに間借りして住んでいた。3月10日空襲のとき、若夫婦は嫌がる親夫婦を無理矢理連れ出し逃げた。父は祖父と、母は祖母と煙の中を逃げたが、祖母ははぐれてそれきり姿が見えなくなった。遺体も何もない。家もすっかり焼けて、残ったのは茶碗一つだったという。
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 平成も11年になってからの話だが、うちの奥さんが、祖母をこの慰霊堂に祀ってもらおうとしたら、なんと祖母は戸籍上まだ生きていることが判明した。空襲後一家は母の実家のある北海道へ疎開したので、手続きどころではなかったのかもしれない。届け出しようにも役所も焼けて対応できなかったのかもしれない。ともかく戸籍はそのまま生きていた。
 うちの奥さんは、あらためて親から聞いた当時の顛末などの書類に位牌の写真などを添えて区役所へ死亡届を提出し、受理されてようやく犠牲者名簿に記載してもらい、ここに祀ってもらうことができた。
 わたしは丁重にお参りしてきた。

 これは関東大震災の「震災遭難児童弔魂像」。

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 公園内には「東京都復興記念館」もあって、大震災と大空襲の資料が展示されているのだが、宴会後なのでそちらは寄らず、次へ向かった。

 

すみだ北斎美術館

 すみだ北斎美術館は外観からは何の建物かわからない。この11月22日に開館したばかりで、テレビのニュースなどに取り上げられていたので行列ができていた。

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 混んでいたのと、展示品が浮世絵や江戸時代の刊本の挿絵などだから小さいのとでよく見られなかった。
 NHKが「ロスト北斎」という番組で紹介していた、失われた肉筆絵馬の復元も、スライド写真を見ているようで、大きさはともかく質感がなく、あまりピンとこなかった。(下記パンフの写真参照)

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 そういうわけで残念ながら、ここはパンフレットを紹介するだけにとどめる。

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2016年12月22日 (木)

両国で忘年会1

 12月17日(土)、学生時代の友人たちと両国の「割烹吉葉」で忘年会をやった。
 名前の「吉葉」は往年の横綱吉葉山から来ている。そもそもは現役時代に吉葉山道場として建てられ、引退後は宮城野部屋として使っていた建物を改装してちゃんこ料理屋としたもので、木造総檜造りの大きな建物だ。

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 建物の真ん中には本物の土俵がある。柱はみな太くて立派だ。

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 わたしが、現役時代を覚えている古い横綱は、千代の山、鏡里、吉葉山、栃錦、若乃花、朝潮…というところで、わたしは突っ張りの千代の山が好きだった。吉葉山は美男横綱と言われて人気があったが、あまり強くなかったように記憶している。
 ネットで調べてみると、吉葉山は二十二歳、十両の時に兵隊として戦地に行き、銃弾を受けるなどして四年後、戦後になってから復員して相撲界に復帰した。貫通銃創の他に体内に残っている銃弾もあって、後遺症やケガなどで横綱にはなったものの思うような成績を残せなかったのだという。戦争がなければもっと強い横綱だったのだ。今さらだけど、子供の頃弱い横綱だと思っていて悪いことをした。

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 ちゃんこは何品目だったか、いっぱいいろんなものが入っていてうまかった。ボリュームもかなりあって、そのうえ最後は雑炊でしめたので、わたしは腹一杯になって、散歩後の二次会まで腹がもたれていた。
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 宴会風景。

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 医者から酒は一合までときつく言われているというI長老は、焼酎のお湯割りを飲んでいた。日本酒に換算して一合以内でおさまったかどうかは定かでない。

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 歳と共に酒量が減り、髪の毛も減っていく。
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 総勢7人の記念写真。

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 店の中には鉄砲柱とか土俵の俵とかあったのだが、酒が入ると写真を撮るのは忘れてしまう。もらったパンフレットから載せておこう。

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2016年12月19日 (月)

「君の名は。」

 12月8日、地元の映画館で「君の名は。」を見た。
 ポスターを見るだけで、わたしのような高齢者はお呼びでないことはよくわかる。わたしもこのポスターを見ても、見たいという気にはならない。しかし大ヒットしているというので、どんな映画なのか気になって見に行った。

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 なるほど、平日の昼間、いつもなら私と同年配かそれ以上くらいの年齢の客が十数人というところが、三十人ちょっとは入っていて、しかも女子高校生まで含めてけっこう若い人がそこそこいた。
 見る前は宣伝文句などから、単純に東京と田舎の男女高校生の入れ替わり物語で、双方でドタバタがあって、やがて恋が芽生え…みたいな話だろうと思っていた。
 ところが見てみると、基本はそのとおりなのだが、もっとずっと複雑なストーリーになっていて、全体の話を理解できたのは終わり近くになってからだった。

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 (以下ネタバレあり、ご承知を
 はじめのうちは、東京に憧れる田舎の女子高校生三葉(みつは)と東京の男子高校生瀧(たき)が、断続的に入れ替わってしまうことでドタバタを繰り返す。女子高校生は神社の巫女までやっているというカントリーライフで、男子高校生のアーバンライフとは対照的。そして入れ替わりを繰り返す中で徐々にお互いの生活や人となりを知り、やがて惹かれ合うようになる、という想定内の展開である。
 しかし、田舎では祭が行われていて、大きな彗星が大接近した夜以後、二人の入れ替わりは起こらなくなってしまい、瀧は記憶している風景をたよりにあの田舎を探して、三葉に会いに行こうとする。
 ようやくたどりついた場所は、三年前彗星の一部が墜落して住民共々消滅した集落だった……三葉と瀧の間には三年の時間のずれがあった――瀧は三年前の三葉と入れ替わっていたのだった。

 ここがポイントで、わたしは驚き、やられた!これはSFだったんだとようやく気付いた。
 空間も時間も飛び越えて人の意識が交錯し、交流する、そんな話は若い頃読んだSFにはよくあったような気がする。よくあったというと語弊があるかもしれない。そっくり同じような話があったとかいうわけではない。SFのテーマとしてそう珍しいものではなかったと言い直してもいい。
 人間の入れ替わりがそもそもSFなんだから、はじめからSFのつもりで見ればこんな驚きはなかったかもしれないが、高校生の青春純愛ドラマだと思い込んでいたので不意をつかれた。

 瀧は残っていた神社で再び三葉に入れ替わることに成功し、三葉の友人たちと村人たちを避難させようとする。しかし大人たちは言うことを聞いてくれず……あらすじはここまでにしておこう。

 SFなんだと思ってからは、細かいところはともかく、話はよくわかるような気がした。
 田舎の民俗=巫女・伝説などと都会の高校生の生活を対照させ、彗星による大災害―明らかに東日本大震災―を回避しようとする若者たちの奮闘、災害後の人々の結びつき、そして時空を越えての男女の愛。背景にはアニメの美しい風景がたくさん。
 多くの人々の共感を得られるたくさんの要素を盛り込み、入れ替わりや彗星の墜落で、果たして次はどうなるのかと興味を引っ張り、三年の時差というどんでん返しがあって彗星の墜落というクライマックス。さらに月日が経過した後、それらの記憶をすべて失っている二人が出会うという、ちょっと甘いラスト・シーン。
 よく作ってある映画である。 

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 ただわたしは、この映画にいまいち深入りできなかった。全体におとなしいのである。いろんな要素がからんでいてもストーリーの展開にハラハラドキドキ感がない。クライマックスの彗星の墜落シーンにもほとんど驚きはなかった。なんでも波瀾万丈ならいいということではない。描かれている生活や物語に「芯」が欠けているような感じがしたのである。きれいでおとなしく淡々と――「草食系」という言葉が今までよくわからなかったが、こういうのを「草食系」というのかもしれない、と思ったりした。
 映画が大ヒットしているということは、この感覚が広く受け入れられているということで、もう年寄りには理解できないということかもしれない。それもしょうがないか。若い頃、六十、七十の年寄りが時代の先端にあるものを理解できるなどとは思ってもみなかったことだし――

 

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2016年12月15日 (木)

獅子舞の紅葉

 12月6日(火)は鎌倉の紅葉の名所、獅子舞(ししまい)という谷の紅葉を見に行きました。去年は行くのが遅くなって紅葉がほとんど終わっていました。(→獅子舞の紅葉)だから今年は11月に一度偵察に行って、もう見頃になっているだろうと確信して行きました。

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 鎌倉宮(大塔宮)、永福寺跡を過ぎて住宅地を山へ向かいます。赤い色は見えませんが、十分色づいています。

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 山道は一昨夜降った雨でぬかるんで滑りやすくなっていました。

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 この日は降りてくる人たちにたくさん会いました。もう三時近くになっていたので登りの人はまばらでしたが、さすがに紅葉の名所、にぎわっています。中腹のあたりまで来ると、赤いところが見えてきました。

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 どんどん赤い部分が広がっていきます。

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 写真で見ていたのはもっと鮮やかな紅だったような気もします。今年は寒くなるのが早かったので、ピークをちょっと過ぎてしまったのかもしれません。
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 でもきれいなことは間違いない。今年は獅子舞の紅葉を見たと言っていいでしょう。
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 樹上を見上げます。
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 さらに登っていくと、だんだん紅葉は減っていきます。
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 天園の近くまで登ってきました。

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 これは天園のあたりから眺めた景色です。

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 この後、天園から円海山まで尾根道を歩いて、港南台へと帰りました。
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 円海山へ着いた時にはもう4時15分頃で、夕暮れの富士山が見えました。

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2016年12月12日 (月)

瑞泉寺の紅葉

 海蔵寺の次は瑞泉寺(ずいせんじ)へ行ってみました。総門をくぐると裏山など、紅葉しているのがうかがえます。ここも前に瑞泉寺の梅で紹介しました。

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 山門への階段です。

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 ここが山門。

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 本堂のまわりも色づいています。
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 背の高い皇帝ダリアがところどころで咲いていました。

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 夢窓疎石がつくったというこの庭は、何度見てもわたしにはよくわかりません。

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 禅味はわからなくても秋味がわかればいいことにしましょう。

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 ここは梅が有名で、本堂前の庭も基本は梅林です。

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 間にマンリョウもありました。
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 庭から見下ろす谷。空には鳶が舞っていました。

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 そんなに色鮮やかな木はありませんでしたが、緑の混じった渋さが古いお寺によく合うようです。
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 山の下の梅林は寒々しいけれど、山側に紅葉がありました。
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 この日はこれで納得して帰りました。
  

 

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2016年12月 8日 (木)

海蔵寺の紅葉

 12月5日(月)、天気がよかったので、紅葉を見ようと鎌倉へ行きました。まず海蔵寺へ行ってみました。お寺の入口近くに紅葉のトンネルがありました。いい時期だったようです。

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 これは本堂。建物などは以前海蔵寺の萩海蔵寺の水で紹介したので、細かい説明は省きます。

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 本堂の裏の庭です。裏山は黄葉です。

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 池には庭の紅葉が映っています。

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 鐘楼の前の紅葉がきれいでした。
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 晴れて空は青く、飛行機雲が何本も走っていました。暖かな、いい日でした。
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 最初に見た道路沿いの紅葉が一番紅かったので、戻ってゆっくり見ます。

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 足元にも紅葉がいっぱいです。

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 去年の12月はバタバタしていて見頃をはずしてしまいましたが、今年はまず第一弾から当たりだったようです。

 

 


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2016年12月 5日 (月)

JB46 少年倶楽部の笑話

 戦前の人気雑誌『少年倶楽部』に掲載された笑話などを収録した本。戦後、わたしの幼少年時代にも「少年クラブ」と改名して存続していた。
 笑話も和歌も、読者からの投稿を選んで掲載したもので、当時の生活が色濃く反映されている。

176 滑稽和歌と笑話集

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(書名) 滑稽和歌と笑話集(こっけいわかとしょうわしゅう)
      少年倶楽部文庫41
(著者)  少年倶楽部編
(出版者) 講談社
(形状)    文庫
(頁数)   156
(出版年) 1976/10/16

・これは1975~1976にかけて講談社から刊行された「少年倶楽部文庫」全42冊のうちの一冊。
 表紙の絵は、昭和12年3月号付録の『傑作笑話集 笑いの爆弾』からとっているが、滑稽和歌も含まれており、この付録をそのまま復刻したものではないようだ。(下記写真は「177 『少年倶楽部』の笑い話」口絵より)

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・ J50 『滑稽和歌と笑話集』では、この本からとった、本の出てくる笑話・滑稽和歌を紹介した。

・選者の意向によるのだろうけれど、あまりひねったものはない。のどかな、ほのぼのとした感じのものが多い。

・投稿者の住 所には、「朝鮮」や「台北」もあって、これも時代を感じさせる。

片かなの算術(仮題)
一年生の子「お母さん、方かなの算術ってあるんだね?」
お母さん「どうして?」
一年生の子「だってあそこの看板にハ引くモはカだって書いてあるよ」(p54)

T1天下に号令(仮題)
 国史の時間に、
先生「日本で天下に号令した英雄を知っていますか。武雄君」
武雄「はい、豊臣秀吉と徳川家康です」
先生「よろしい、そのほかに?」
一郎「はい!」
先生「一郎君」
一郎「ラジオ体操のアナウンサーです」(p143)

 

滑稽和歌いくつか

喧嘩したあとのさびしさただひとり石ころけりつつ帰り行くなり(p8)

先生はぼくできる時ぼくささずぼくできぬ時ぼくをさすかな(p47)

遊ぶ時狭いと思う運動場掃除の時は広すぎるなり(p59)

世の中は清(す)むと濁るの違いにて墓に香あり馬鹿に甲なし(p84)

 

177 のどかで懐かしい『少年倶楽部』の笑い話

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(書名) のどかで懐かしい『少年倶楽部』の笑い話
(著者)  杉山亮 選・解説
(出版者) 講談社
(形状)    A5判ソフトカバー
(頁数)    269
(出版年) 2004/02/25

・大正3年(1914)から昭和37年(1962)まで48年間続いた少年倶楽部(「少年クラブ」の期間も含む)から、掲載された笑話(しょうわ)を年代別に紹介し、時代ごとに簡単な解説をつけた本。

・最初は読者文芸欄の「一口笑話」として、出された「題」に読者が応募するかたちで始まった。
 この本によれば、大正4年新年号の「お雑煮」の題で一等になったのは次のもの。

 元日の朝、母が五つになる子どもを呼んで
「坊や早くお雑煮を食べて六つにおなりなさい」
「それなら明日も食べて七つになろう」(p46)

 この頃は「数え年」で、正月に老若男女みんな一斉にひとつ歳をとることになっていた。わたしの子どもの頃もまわりの大人はそう言っていた。この笑話では、雑煮を食べ終えることが歳をとるための儀式になっていたようだが、わたしの記憶にはない。「数え年」がすたれつつあったのか、それともその地方によるものか。
 歳の数だけ雑煮の餅を食べるものだとは、わたしの子どもの頃も言われていた。

「お雑煮の餅は年の数だけ食べるものだよ」
「それでは、お雑煮を食べる時だけ、お母さんと、年を取り換えましょうか」(p46) 

 今では、雑煮そのものが廃れつつあるようだ。こういう話は本の題名のように「のどかで懐かしい。

・こんなのもある。

誕生日
テル子『明日は、あたいの誕生日よ。母ちゃんが、さうおつしゃつたわ。』
ミチ子『ほんと。それでは、あたいの誕生日は、いつかしら?』
テル子『ミチ子ちゃんは、三つで、あたいより二年もおそく生まれたんだもの。まだ、なかなかよ。』

 あと2年も待たないと誕生日が来ないのでは、ちょっとかわいそうだが、なんともかわいい。

・時局を反映しているものもある。

將棋をしているおぢいさんが、
『金(きん)があればいゝんだがな――』
それを聞いて、ター坊、
『金なんか、ないよ。政府がみんな買い上げているもの』(p114)

 昭和14年の10月号。この頃、愛国金献運動とか、政府による退蔵金の強制買い上げが行われていた。

砂糖の買ひ方
 砂糖を買ひに行つて、
凸坊『をぢさん、白砂糖一斤ください。』
主人『一斤は賣れないことになつてゐるのです。半斤にしてください。』
凸坊『それでは、半斤のを二つ下さい。』(p148)

 これは昭和14年の12月号。砂糖も統制されていたのだろう。

・時局ではなく時代を感じさせるもの。 

國史
 國史の時間、先生大きな聲でテーブルをたゝきながら、『逆賊北條高時を滅ばしたのは誰ですか。誰か。忘れたのか‥‥吉井君!』
 わき見してゐた吉井君、泣き聲で、
『先生、僕ぢゃありません。』(p67)

『日本の英雄』
先生「日本の英雄を五十人だけ挙げてごらンなさい」
生徒「はい。四十七士と乃木大将、東郷元帥、西郷隆盛です」(p158)

・戦後の、わたしが子どもの頃のものも見ておこう。

原爆まぐろ
太郎「このまぐろのかんづめ新しい?」
店員「へえ、新しまっせ。」
太郎「そしたらやめとこうっと。原爆まぐろだったらかなわんから。」
店員「アジャー」(p222)

 「原爆まぐろ」で第五福竜丸の被爆事件を思い起こす人も少なくなっただろう。当時は子どもの笑い話に出てくるぐらい、まぐろの放射能汚染が騒がれた。

・わたしはずっと少年雑誌の愛読者で、笑い話の欄は大好きだったが、不満だったのは、読んだことがある笑い話が何度も出てくることだった。「少年」にも「少年クラブ」にも「冒険王」にも、まったく同じと言っていい笑い話が、繰り返し何度も載っていた。
 それは、この本の解説の部分にも書いてあるとおり、読者が数年単位で入れ替わるため、編集者も確信犯的に同じ話を載せていたものだろう。
 このブログでも「ジョークの本」の解題みたいなことをやっているけれど、本は違ってもジョークの中身は同工異曲のものが大半、というものが多い。この歳になってようやく、ジョークというのは、他人から聞いた面白い話を次の人に伝えていくものなので、やむをえないことだと理解したが、子どもの頃はちょっと気に入らなかった。
 そのどこにでもあった笑い話のひとつがこれ。

ききちがい
おじいさん「太郎、いま、何時だい。」
太郎「もう、六時だよ。」
おじいさん「なんだとっ。もうろくじじいだとっ。」(p237)

 この笑い話は戦前からずっと続いていたのではないかと思う。しかし現在では祖父母との同居が少なく、「もうろくじい」はほとんど廃語になっているようなので、もう今の子どもたちにはこの笑い話は受け継がれていないだろう。

ザ=ピーナッツ
Aくん「Bくん、ザ=ピーナッツはなにごだかしってるかい。」
Bくん「しってるさ、英語だよ」
Aくん「きみ、頭がわるいなあ、あれはふたごだよ。

 これは昭和37年10月号。子どもに限らず、全国にひろがっていた笑い話である。

 

 

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2016年12月 1日 (木)

J75 『英語のジョーク』から2

 以下は森浩二『英語のジョークⅡ』(創元社、1980)から。

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ポーランドの本?

"I want a Polish dictionary," said the man to the bookstore clerk. A long period of rummaging ensued. Finally the clerk emerged triumphant. "Here you are, sir," he exclaimed, holding up a book entitled "Polish up your English."

「ポーランドの辞書が欲しいのですが」と、ある男が本屋の人に尋ねた。本屋の販売担当は長いこと、ひっかき回して探した後で意気揚々と現れた。「ポリッシュ・アップ・ユア・イングリッシュ(君の英語を磨け)という題の本を抱え、この本屋の売り子は「旦那、ここにありました」と叫んだ。
(p157)

※polish=磨く、洗練する。 Polish=ポーランドの、ポーランド(人、語)

別の料理法?

人食い人種の二人の”社交界の花形女性”が夫婦間のトラブルについて話し合っていた。
 "I simply don't know what to make of my husband these days,
" said one.
「近頃、私は夫をどうしていいか全くわからないわ」と一人が言った。
 "Don't let that bother you," the second reassured her. "I'll send over my new book of recipes."
 「ちっとも困ることなんかないわよ」と二番目の人食い人種の女が言った。「私が新しい料理法の本を送ってあげるから」(p48)

 「亭主をどう料理するか」というような言い回しは日本語にもありますが…

催淫料理本

 A writer noticed that today's best-selling books usually are about sex,pilitics or cooking. So he is now working on a volume which he has entitled:"The Washington Aphrodisiac Cookbook."
 ある作家が気づいたことだが、今日、ベストセラーになっている本は大抵、セックス、政治、それに料理のことを扱っているものだった。そこで、彼は現在、「ワシントン催淫料理の本」と題する本の発行に打ち込んでいるという。(p55)

 おまけに上田明子他『ジョーク冗句Jokes』(中教出版、1988)からもひとつ。

Jokes

ヘアリー・クイーン(仮題)

"I'm reading a difficlt book. It's The Hairy Queen by Spenser."
"Isn't it The Fairy Queen?"

「私は難しい本を読んでいます。スペンサーが書いた『ヘアリークイーン』です。」
「『フェアリークイーン』ではないのですか?」(p88)

 hairy は「毛深い」。同じ「毛がはえている」でも hairy は「毛深く、不愉快な、粗野な」で、furry なら子犬を思わせる「ふわふわと柔らかい、かわいい」感じを与えるそうです。fairy は「妖精」。
これはジョークというより、ダジャレ、おもしろい言い間違いのたぐい。

 

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