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2017年2月

2017年2月27日 (月)

JB47 ジョーク集あれこれ1

 これまでジョーク本を少しずつグループに分けて紹介してきたが、グループ分けがうまくできないものがある。「あれこれ」ということで、そういうものも少しずつ紹介していきたい。

178 ショート・ジョークじゃものたりない

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    (書名)  ショート・ジョークじゃものたりない
          キションのストーリー・ジョーク1
      (著者)   E・キション
           原 ゆう 訳
      (出版者) 角川書店
      (形状)     文庫
      (頁数)    212
      (出版年)  1985/05/10

・題名どおり、ジョークというには長い、短い小説のような、おもしろエッセイのようなものを集めてある。

・筒井康隆が帯と巻末に推薦文を書いている。なるほど筒井好みの、シュールで馬鹿馬鹿しい話がある。
 「ナポレオンが降伏したわけ」は、ナポレオンが作戦会議や戦争で忙しいさなかに、そんなことは眼中になく妻はひたすら「片付かないからさっさと食事をすませて!」と言い続けるという話。筒井の作品にありそうだ。
 「ご贈答用原子爆弾はいかが?」は、いとこから原子爆弾が贈られることになって、核軍縮会議に出るのは面倒だとか、こわれたらどこで修理しようかと悩んだりする話。これもシュールで筒井風だが、落ちが「届いたら玩具だった」というのはいただけない。

・作者はハンガリー出身のイスラエル人だという。生活や文化の違いか、わたしにはピンとこなかった。だからこの作者の他の本は手放してしまい、これしか残っていない。

 

179 ジョークの方程式

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    (書名)  ジョークの方程式
          完全無欠なお笑いのサイエンス
      (著者)   ジョーク東郷
      (出版者) 同文書院
      (形状)     B6変形
      (頁数)    207
      (出版年)  1997/03/08

・ジョークの紹介をしながら構造を分析して、さらにジョークの作り方まで教えようということ。 しかし残念ながら肝心の用例がおもしろくない。だから構造だのなんだの言われてもさっぱりアタマに入らないし、納得もいかない。
 だから引用なし。

180 もし世界が80問のジョークだったら

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    (書名)  もし世界が80問のジョークだったら
          アタマのこりをほぐす笑いの泉
      (著者)  竹村健一、田澤拓也
      (出版者) 太陽企画出版
      (形状)    四六判ソフトカバー
      (頁数)    189
      (出版年)  2002/04/25

・題名から、『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス、2001)がベストセラーになったので、人気のおこぼれを狙った本だと思われる。

・ジョークの落ちがどうなるかを質問の形にしてある。使われているジョークはいずれもどこかで聞いたことがあるようなものばかり。もとのジョークは4、5行じゃないかと思われるものが、ジョーク1問で見開き2頁にするためにか、やたら長くなっている。そのためか、登場人物を「アメリカの著名ジャーナリスト、ハルバルキターゼ」とか「大泉純二郞首相」と名付けたり、余計な描写がくっつけたりして、かえって興ざめになっている。
 長いので引用なし。
 

 「あれこれ」の一回目は、わたしがあまり感心しなかった本ばかり並べることになってしまった。

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2017年2月23日 (木)

一人の方の本

 大阪の私立小学校への国有地の払い下げをめぐって、国税のトリクルダウンが起こっているのではないかと騒がれている。最近ようやく大手メディアも取り上げるようになってきた。安倍首相は「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と国会で述べたそうだ。。
http://www.asahi.com/articles/ASK2K562KK2KUTFK00Z.html

 同じような答弁が、この本が発行されたときにもあった。金正男暗殺事件もあったので、ちょっと引っ張り出してみた。
 『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社、2015)
 拉致被害者の蓮池薫さんの兄、もと家族会の事務局長でもあった蓮池透氏の本である。

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 こんな題の本を出して大丈夫か、というのが本屋で見かけた時の最初の感想で、下手すると出版差し止めになるかもしれない、早めに買っておこうとその場で買った。

 著者がこの題名で言おうとしたことは、次の文章に要約される

 世間では、北朝鮮に対して当初から強硬な姿勢をとり続けてきたと思われている安倍首相は、実は平壌で日本人奪還を主張したわけではない。(中略)安倍首相は拉致被害者の帰国後、むしろ一貫して、彼らを北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた。弟を筆頭に拉致被害者が北朝鮮に戻ることを拒むようになったのを見て、まさにその流れに乗ったのだ。そうして自分の政治的パワーを増大させようとしたとしか思えない。
 いままで拉致問題は、これでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は、実は安倍首相によるものなのである。(p53)

 この本について国会で民主党の緒方議員からの質問を受けた安倍首相とのやりとりが産経ニュースの頁にある。(2016年1月12日の衆院予算委員会)

安倍晋三首相は12日午前の衆院予算委員会で、北朝鮮による日本人拉致問題をめぐり、民主党の緒方林太郎氏から「拉致を使ってのし上がったのか」と問われ、「議論する気すら起きない。そういう質問をすること自体、この問題を政治利用している」と切り捨てた。また、この問題を巡る自身の発言について「真実だ。バッジをかける。言っていることが違っていたら、国会議員を辞める」と覚悟を示した。
http://www.sankei.com/politics/news/160112/plt1601120061-n1.html

 最後に首相は「政治利用」との指摘に対し、「こんな質問で、大切な時間を使って答えるのは本当に残念だ。1人の方の本だけで誹謗中傷をするのは、少し無責任ではないか」と述べ、怒りがさめやらぬ様子だった。
http://www.sankei.com/politics/news/160112/plt1601120061-n4.html

 「1人の方の本だけで」云々(うんぬん)というのは、まったくそのとおりだ。民主党の議員は「この本に書いてあることは本当か」と聞いているだけで、他に裏付け資料やその他の証言もなく、まるで芸がない。少しは調べたらどうか。簡単にあしらわれて終わってしまった。
 一人の方の本とはいえ、読んでみると、弟の行方不明以来ずっと苦労してきたことだけでなく、役所・政府の対応から「家族会」や「救う会」の運動の内情まで、具体的に書かれていて、テレビや新聞では報道されてこなかった裏側をかいまみることができる。
 無論違う立場からの違う見方もあるだろうが、拉致に翻弄されながら立ち向かってきた「一人の方の本」として貴重なものである。
 現在も安倍首相は辞めてないし、蓮池氏もこの本が誤りだったとは言っていないから、真相はあきらかになっていない。
 真相が明らかになるより、拉致問題が解決することの方が重要だけれど、そちらもさっぱり進展していない。最近の報道は北朝鮮と言えば核にミサイルで、さらにこの連日は金正男事件ばっかり。拉致問題のことはほとんど忘れ去られたように見える。
 しかし今日(2017/02/22)の東京新聞朝刊には「家族会きょう首相と面会」という記事があった。もう待てない。救出期限を「今年中」と決めて対応してほしいとの趣旨である。家族の苦難は続いている。

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 上の記事の担当大臣の言葉には「安倍政権は拉致問題に最優先で取り組む」とある。以前、拉致問題の解決は安倍政権の「一丁目一番地」だと言っていた記憶がある。最近はさっぱり聞かない。どうかがんばっていただきたい。

 話は変わるが、この「一丁目一番地」という表現が嫌いだ。最優先課題がどうして「一丁目一番地」なのか、二丁目三番地はどうでもいいのか。気のきいた表現とはとても感じられない。
 「一丁目一番地」と言えば昔のNHKのラジオドラマを思い出す。「ちょっと失礼おたずねしたい、ここらは何丁目何番地…」という主題歌があった。
 志村けんを思い出す人もいるらしい。あれは「イッチョメ、イッチョメ」で番地は出てこない。どちらにしてももう若い人は知らないけれど。

 おまけ:東京新聞の斎藤美奈子の「本音のコラム」切り抜き、2016/07/17「泥沼化の背景」

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2017年2月20日 (月)

J79 本のジョークあれこれ2

 まず 赤尾泰子、C・カッチャプオティ『抱腹!! イタリアン・ジョーク』(遊学社、2013)から

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点字
男がジェノヴァ人の友人に図書館で会った。
「おい、図書館に何しに来たんだ」
「点字を学びたいので本を借りようと思ってね」
「目が悪くなったのか」
「違うよ。点字を覚えれば、夜、本を読むとき、電気代の節約になるからね」(p122)

注:イタリアではジェノヴァ人はケチということになっている。


 次は米原万里『必笑小咄のテクニック』(集英社新書、2005)から。

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図書館にて
「自殺に関する本はどこですか?」
「左から五番目の棚のはずですが」
「今見てきたところなんですが、一冊もありませんでしたよ」
「そういえば、借りていった人、誰も返しに来ないわねえ」

 大森純 訳編『東欧ジョーク集』(実業之日本社、1978)。

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評価
 二〇五〇年に中華人民共和国で百科事典が刊行された。そのなかの一項目。
 フルシチョフ-毛沢東時代における二流の芸術批評家。(p104)

 これは解説が必要。60年代ソビエト連邦の最高権力者であったフルシチョフが、抽象絵画展覧会を見て、「ロバの尻尾で描いたみたいな絵だ」と酷評したために、ソ連では抽象画が受け入れられなかったことを指している。現代美術を理解しなかったから二流だということ。
 わたしが覚えているくらい当時はけっこう有名な話だった。今となっては何がおもしろいのか、何を言っているのかわからない人の方が多いだろう。

 最後は唐沢俊一『雑学プロファイル 日中韓お笑い不一致』(徳間書店、2012)から。

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アフリカ象の研究(仮題)
英国人、フランス人、日本人の動物学の権威が、アフリカのサバンナで三ヵ月にわたってアフリカ象の生態を研究した。
帰国後それぞれが、その成果をもとに本を書いた。
英国人は『アフリカ象の生態』
フランス人は『アフリカ象のセックス』
そして日本人は『アフリカ象から見た日本人』という本だった。(P144)

 これにはたくさんのバリエーションがある。
 中国人『象の料理法』
 韓国人『アフリカ象の起源は韓国』
 ドイツ人は注釈がいっぱいついた大部の『象研究』
 アメリカ人『家庭での象の飼い方』
 ユダヤ人『象と反ユダヤ主義』
 …
というようなもの。

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2017年2月16日 (木)

カオハガンの記憶3

 小さな小道を行くとあちこちに民家がある。

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 大きな瓶がは水を蓄えるためのもの。
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 子どもたちが遊んでいる。みんな愛想がいい。

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 これは誕生日パーティだった筈だけれど、よく覚えていない。
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 真ん中の左側の子の誕生日だったと思う。
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 誕生日のご馳走は――ご相伴にあずからなかったのでわからない。

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 後ろの囲いは闘鶏場ではないかと思う。

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 これが闘鶏かどうかもわからないが、島の男たちは闘鶏などをして遊んでいることが多いらしかった。

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 これはキルトを作っているところ。女性は働き者であるらしい。
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 これは夫婦。

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 散歩中、シャコを焼いていたので見ていたら、「食うか?」と聞かれ、「うん」と言ったら、酒も出てきて、とうとうミニ宴会風になってしまった。ギターを持ち出して歌も歌ってくれた。金はわたしが払った。
 「おれは「ナンベル・ワン・シンガー」だと言っていたので、何のことかと思ったら「ナンバー・ワン」のことだった。スペイン語なまりか?

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 これは帰りの船から見たカオハガン島。
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 ともかくきれいなかわいい島だった。

参考:カオハガンの本
 この他にも出版されているけれど、とりあえず手元にある本。文庫本になっているものもある。

1 『何もなくて豊かな島 ―南海の小島カオハガンに暮らす』崎山克彦、新潮社、1995)

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2 『青い鳥の住む島』(崎山克彦、新潮社、1997)

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3 『南の島のゆかいな仲間たち ―風とキルトと動物と』吉川順子、メディアファクトリー、1997)

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4 『南太平洋の旅 ―何もなくて豊かな島』崎山克彦、新潮社、1999) 

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5 『何もない島の豊かな料理』(崎山克彦、角川書店、1999)

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6 『南の島カオハガン島主の夢のかなえかた』(崎山克彦、講談社、2000) 

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7 『世界でいちばん住みたい島―南の島カオハガンに楽園を創る』(崎山克彦、熊切圭介写真、PHP研究所、2001)

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2017年2月13日 (月)

カオハガンの記憶2

 カオハガンの景色の美しさはわたしの写真では十分伝えきれないが、ちょっとみておくと、これがポントグとよばれる砂州。ここは観光客に開放されていて、ときどき船が寄ってくる。

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 観光客が休む小屋が造ってある。

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 観光船が着くと島民がここで土産物を売ったりするようだったが、このときは犬が遊んでいた。

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 この砂州から、わたしが泊まったFロッジが見える。台風も津波も来なくてよかった。

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 空も海もきれいだ。

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 珊瑚礁の中なので海は浅い。
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 ダイビング教室を申し込んでおいたが、潮の加減で中止になって体験できなかったのが残念だった。
 海にいたオニヒトデの表と裏。

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 これはクモヒトデ(茶色いの)がナマコか何かの下にもぐっているところと思われる。
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 カニ。シオマネキだろうか。

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 これは島民の生け簀で、シャコがいる。

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 シャコは、けっこう大きいのを後で焼いて食べさせてもらった。









 

 










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2017年2月 9日 (木)

カオハガンの記憶1

 カオハガンへ行ったあと、記録を残しておきたいと思っていたけれど、当時はまだ仕事をしていたこともあって、そのまま何年も放っておいたら次第に記憶が薄れ、具体的なことがよくわからなくなってしまった。
 いつもその場ではほとんどメモをとらない。帰ってからそれほど時間のたたないうちなら、写真や地図などをたよりにあれこれ思い出してそれなりに行動をたどれるのだが、さすがに何年もたつと忘れてしまう。十五年前となると絶望だ。残念だが詳しい話はできない。
 久しぶりに取り出してみた当時の写真を見ながら、思い出せることだけ少し紹介する。

 行ったのは2001年8月24日から28日の4泊5日で、カオハガンで3泊、そのあとセブ島に1泊してセブ島を一回りしてから帰った。
 セブ島の空港はセブ島にくっついた小さなマクタン島にあって、カオハガンはさらにその隣の環礁にある小さな小さな島である。

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 夕方マクタン空港に着いたあと、お迎えの人と車でどこだかよくわからない港に行き、船に乗せられた。それがアウトリガーのついた、ちょっと頼りないボートで、もう日も暮れて夜になっており、いささか不安を覚えた。潮の都合とかで遠回りして一時間くらいかかったと思う。

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 こうやって写真を並べると島に近づいて行く様子らしく見えるが、当日は夜だったのでよくわからなかった。月が出ていたかどうかも覚えていないし、写真も撮っていない。
 翌日になってから、昨夜着いたのはここだったと教えてもらった。

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 これは乗ってきた船ではないと思うが、アウトリガーつきの船。

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 カオハガンは写真で見たとおりの小さくてかわいい島だった。約5万㎡、東京ドームが4万6,755㎡というから東京ドームよりひとまわり大きいくらいか。外周2キロ、歩いて30分で一周できる。丘と言えるほどのな高地もない。(地図は崎山克彦著、熊切圭介写真『世界でいちばん住みたい島』(PHP研究所、2001)より)

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 ここが母屋で、宿泊客はここでみんな一緒に食事をする。崎山さんも一緒であった。宿泊もでき、トイレ、シャワーがある。

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 昼間はやっぱり暑いが、ここは日陰で風が吹き抜ける。犬たちが昼寝をしていた。
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 3泊したあいだ何をしていたのかよく覚えていない。犬たちのようにゴロゴロしていたのだろう。これは夜、みんなでラミーというゲームをしているところ。

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 同宿者のみなさん。山形から来たという若夫婦と、その他は申しわけないがよく覚えておりません。ごめんなさい。

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 わたしが泊まったFロッジ。現地仕様でトイレもシャワーもない。カオハガンでは水が貴重なのだ。

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 風通しがいいのは見てのとおり。

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 窓からの景色。幸い台風が来るようなことはなかった。

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 こちらはトイレもシャワーもあるコテージ。建物もしっかりしている。新婚さん向きだそうだ。
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2017年2月 6日 (月)

カオハガン講演会

 2月4日(土)、「2050年のカオハガン島への望み」という講演会に行ってきた。カオハガン島はフィリピンのセブ島のそばにある小さな島で、日本人の崎山克彦さんが買い取って、美しい自然の中で住民と一緒に楽しく暮らしていることで知られている。島での生活を書いた崎山さんの著書『何もなくて豊かな島』(新潮社、1995)は、発売当時ベストセラーになった。

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 わたしは週刊誌の巻頭カラーグラビアに紹介されたきれいな島の姿に驚き、この本を読んでとても感動した。
 そして宿泊ツアーがあるのを知って2001年にカオハガン島を訪れた。本のとおりの小さなかわいい島で、緑の林、白砂の浜辺、エメラルドグリーンに透き通る珊瑚礁の海、点在する家、どれもみな本当に美しかった。
 だからなつかしく、また、その後や今後の話を聞こうと講演会へやって来た。
 会場は横浜の本郷台にある「あーすぷらざ」という、いったい何をするところなのかよくわからない施設。正式名称は「神奈川県立地球市民かながわプラザ」というそうだが、正式名称を聞いてもわからないのは同じだ。役所が率先してこういうわけのわからない名前をつけたがるのは困ったものだ。「文化会館」「文化センター」と言ってくれればわかるのに。

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 カオハガンの展示もあわせて行われており、島の写真や島の特産品であるカオハガン・キルトがたくさん展示されていた。

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 講演会のタイトルは「2050年のカオハガン島への望み」だが、話の大半は、島で暮らし始めてからこれまで島の住民たちとどんなことをやってきたかという話だった。わたしは崎山さんの本は何冊も読んでいるので特に驚くような話はなかったが、島を訪れたときのことを思い出しながら楽しく聴いた。
 現況などについては、カオハガンのオフィシャルサイトもある。
カオハガン島オフィシャルサイト

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 崎山さんがえらいのは、この南海の楽園ともいうべき島を手に入れても、法的な所有権はないが以前からそこに住みついていた三百人あまりの住民を追い出そうとしなかったこと。できるだけ彼らの暮らしをこわさないように一緒に生きてきて、現在島民は六百人以上になっているそうだ。
 日本人がこんなところを手に入れたら、崎山さんも『南海の小島カオハガン島主の夢のかなえかた』(2000、講談社)に書いているように、まず考えるのは自然の一部を切り取って囲い込み、リゾートにして金を儲けることだろう。原住民は安い労働力として使われるが、現地の暮らしとの交流はない。
 あるいは最近はあまり聞かないが、昔「シルバー・コロンビア」計画というのがあって外国の安い労働力を使って日本人高齢者のための居住区をつくるという話があった。この場合も居住区は頑丈な塀で囲われて現地の暮らしとは隔絶される。カオハガンの帰りにセブ島でこの種の施設を少し見て来たが、ガードマンが銃を持っているところがあったように記憶している。
 しかし崎山さんは25年前、現金を使う必要もあまりなかった彼らの暮らしを大きく変えるようなことはしなかった。そのままの暮らすことを容認し、欠けていた教育や医療というニーズを少しずつ満たすようにした。そうしながら少しずつ押し寄せてくる近代化に飲み込まれてしまわないようにすることも考えながら対処してきた。
 これは口で言うほどたやすいことではない。小学校2年までしか受けられなかった島内の小学校をまず6年制にし、優秀な子には奨学金を出して島外のハイスクールにも行かせるようにした。そしてさらに大学まで行く生徒も出ているとのことだが、中には高い教育を受けさせた結果、島のこれまでの生活がいやになってしまうな子供も出ているという。
 日本には都会に憧れて田舎から出て行く子供はいくらでもいる。海で小魚や貝を自分たちが食べる分とトウモロコシとの交換に必要なだけ捕っていて、お金がほとんど不要な暮らしをしていたが、今では少しずつお金もになってきているそうだ。近代化の波は避けられない。その中でカオハガンの自然と暮らしをできるかぎり守っていくのは大変なことのように思える。

 十数年ぶりにの崎山さんはお元気で、講演会はしっかりつとめられた。しかしだいぶお年を召したように見えた。現在81歳だというから、島でお会いした2001年には65歳ぐらいで今の私より若かった。わたしに老けて見えるのも無理はないと許してもらおう。
 島には住み続けるけれど今年の6月の誕生日には細かい実務からは引退して、今も手伝ってくれている若者たちに後はまかせるそうだ。この先どうなっていくのか、機会があったらまた訪れたいとは思っているが、はたしてかなうかどうか、心もとない。

 

 

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2017年2月 2日 (木)

自家製本5 年賀状

 製本を習っていたときには年賀状の製本もやった。
 下はその頃つくったもので、大きさがちがうのは作り方が違うからである。

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 年賀状は直接穴を開けて綴じるわけにはいかない。用紙が厚いから端をとめてもそのままでは開けにくいし、せっかくの年賀状の一部が隠れてしまう。補助手段が必要になる。
 左はまずハガキを二枚ずつ見開きの状態で真ん中を和紙でつなぎ、それを4枚で一つの折り丁にしてから普通に糸綴じしたもの。折り丁にしたときのハガキの順番を考えてつなぐ必要がある。
 ハガキが厚いせいかそれとも綴じ方が悪いのか、ちょっと開きが悪い。

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 右の大きい方は、製本教室で教えてもらったもので、不要のハガキを1㎝の幅に切ったものを年賀状とつないで足にする。そしてその足に穴を開けて四つ目綴じにしたもの。

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 これだと十分に開く。

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 しかしどちらもハガキに和紙を貼る手間があって面倒なので、もう十年以上も年賀状は束にして段ボールに入れたままだった。
 久しぶりに自家製本をやってみたついでに、また年賀状もやってみることにした。

 今回は和紙のつなぎを省いて背中を糊でくっつける無線綴じにする。現在の出版はこれが主流で、糸綴じの単行本はほとんど貴重品扱いだ。

 年賀状を自分の好きな順番に並べて、同じ大きさの扉をつける。

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 さらにA4の用紙を二つ折りにして、ハガキの大きさに切りそろえたものを見返しとして表裏に加える。 

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 小口をよくつき揃えて、クリップなどで固定して背に糊を厚く塗る。
  製本用の糊を使ったが、ホットメルト糊をグルーガンで塗ってもいい。ボンドでもかまわない。
 このとき背に、糸綴じのときのような切れ目を入れてもいい。(→自家製本2 綴じ)単行本などはたいてい切れ目が入っている。切れ目に糊がたまって接合の強度が増す。

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 背に寒冷紗、花布(はなぎれ)をつけ、さらにハトロン紙でつくったクータを貼る。
  インターネットを見ると、寒冷紗のかわりにティッシュを貼ってもいけるらしい。ガムテープで貼ってしまうという例もあったが、さすがにそれは美観的におすすめしかねる。

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 表紙をつけるのは前回の自家製本4 表紙2と同じ。あとは背に題箋を貼ってできあがり。

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 糊なので、あまり力を入れて開くと背が割れそうだが、頻繁に見るものでもなし、製本しないと困るほど年賀状がくるわけでもない。ただこうするとなんとなく片付いた気がするので、これでいいことにする。


   

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