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2017年3月

2017年3月30日 (木)

荒れたるわが家2

 3月19、20日は気温が17~18度に上がってあたたかかく、もうすっかり春になった気がしました。近所を散歩すると、菜の花がきれいです。上空にはトンビが舞っていました。

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 プラムの花も咲いています。

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 これはもう盛を過ぎたらしいミモザ。

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 のどかでのんびりします。
 わが家の庭では、いつものようにいろんな種類の水仙が花を開いていました。

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 のんびりとしながらも、久しぶりの家と庭を見て考えました。

 この家を買う前は、別荘というのは気の向いたときにやってきて、自然に親しみながら、のんびり都会での疲れをとるものだと思っていました。
 南無谷は海もあるし、夏は海水浴をして昼寝、夕方はそよ風に吹かれながらベランダで読書、それがわたしのあこがれのリゾートライフでした。
 ところが家を手に入れてみると、横浜でやっていた日常の家事、炊事洗濯買い物はもちろん、家の手入れから庭の草取り、畑の草むしり、垣根の枝切りまでみんな自分たちでやらなけらばなりません。
 軽井沢に別荘を持っているような人は、こんな苦労はないのでしょうが、わたしたちには別荘番のじいややばあやを雇うような余裕はありません。
 それでもこの家を買ったときには、わたしたち夫婦も元気でした。毎週のようにやって来て、家の掃除や手入れ、畑づくりなどに励みました。けっこうたいへんだったけれど、それなりに充実はしていました。身体をつかうので、ビールを飲むとすぐ寝てしい、読書はさっぱりはかどりませんでしたが。ビワやスイカなどの収穫は大きな喜びでした。季節ごとにいろんな花も目を楽しませてくれました。
 それが歳とともに体調やらなにやらで、一カ月、二カ月と訪問の間があくようになり、とうとう畑はあきらめて、代わりに果樹を植えるようになりました。その果樹もさらに何カ月も間があくようになっては、十分な収穫は得られません。家も手入れをしていないとだんだんいたんできます。垣根の木が大きくなりすぎて隣の敷地に枝を広げていきます。

 この先、考えないといけない「荒れたるわが家」でした。



   

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2017年3月27日 (月)

J82 パン屋再襲撃

 ノーベル賞は無理でも、これで文科大臣賞は間違いない!

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2017年3月23日 (木)

荒れたるわが家1

 3月19日から20日の一泊二日で南無谷へ行ってきました。なんと昨年七月に行って以来だから八ヶ月ぶり。最長不在記録です。

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 上の写真は門前の掃除をしたあとなのでまだきれいですが、着いた時は落葉や枯れ枝が吹きだまっていて、庭も落葉や雑草だらけ、閉めきった雨戸のペンキははげちょろけ、というわけで、最近問題になっている空き家みたいなありさまでした。
 それでも、あるじなしとて春な忘れそ、で梅が咲いていました。

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 もう終わりですが。

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 ビワは花もぎをしていなかったので、ほとんどこうなっています。今年の冬が寒かった影響もあるかもしれません。

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 これでは摘花しても、いくらも大きくなりません。
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 日当たりのいいところではこの程度のものも少しあったので、摘果して数を減らしましたが、どこまで大きくなってくれることか。
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 今年はビワはほぼ全滅、ということになりそうです。手入れをしなかったむくいなので仕方ありません。
 いつもビワをお送りしている方も、今年はダメのようです。あしからずご了承ください。

 相変わらず元気なのは柑橘系。
 夏みかん。

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 レモン。ゆうに百個をこえる実がついています。

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 しかもけっこうきれいです。横浜の街で売っている有機栽培レモンはもっと汚れています。これは完全無農薬・無手入れのレモン、なかなかです。
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 百個ぐらい穫って持ち帰りました。まだ五十個くらい残っています。

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 温州ミカンはとっくに終わりで、実は全部落ちていました。百個ぐらいはあったはず、とうちの奥さんが残念がっていました。

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 獅子ユズも全部落ちていました。

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 普通のユズは大丈夫。収穫しました。

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 そして今年の新成果。甘夏です。

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 十二個なったうち七個を穫りました。来年はもっとたくさん穫れるでしょう。

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2017年3月20日 (月)

漢文の勉強2

 さてそれでは漢文とはいったいなんであるのか。
 前掲の吉川幸次郎『漢文の話』によれば、漢字で表現された中国語の文章を、「訓読」という方法に従って日本語に訳して読むのが「漢文」である、という。(p35)
 訓読に際してはいくつかの処置がほどこされる。おおまかには四つ。

1 語序の変更 「学而時習之」の「習之」を「之を習う」と読む。「習之」などと表記。
2 テニヲハの添加 「 「学而時フレ
3 用言に適宜語尾を付加 「学」…「字ぶ」「学びて」「学ばん」などに。
4 多くの場合、一字の単語は訓読み  「有朋自遠方来 」 「朋」=「とも」
     〃    、二字の連語は音読み  「遠方」=「エンポウ」 

 これらの処置の背後には二つの原則がある。
1 原文にあるすべての字を訳文にあらわそうとする。
  「学而時習之」は「学びて時に…」と通常読むが「学びて而して時に之を習う」のようにあらわすこともできる。
2 一つの字の訓は一つに決めて使おうとする。
  「時」は「とき」、「習」は「ならう」、動詞の「学」は「まなぶ」
 ただし例外もある。
1 句末の強調の用の助字のうちあるものはサイレントとし読まない。
 「矣(イ)」 「焉(エン)」など原中国文にあっても「おき字」として読まない。
2 助字は一字一訓の例外となるものが多い。
  「学而時習之」の「之」=「コレ」、「父母之年」の「之」=「の」 

 漢文の初歩をはじめて習ったのは中学校のときだと思うが、こういう説明は受けなかった。中国ではこれを頭から順番に読むんだということは誰も教えてくれず、ただ文章を見せられて、こう読むんだと教えられて、え、中国語ってひっくり返って読むの?と思った。
 高校生なってようやく、中国語を勉強しているのではなく「漢文」というものを勉強していることを理解した。字を見て、日本語として意味の通るように、ひっくり返すところはひっくり返して読むものなのだと学習した。わたしはわりとこの科目が得意だった。
 しかしはじめから、上記のように中国語を日本語に訳して読んでいるんだと説明してくれれば、もっとわかりやすかったのではないかと思う。漢文のおかげで、今でも中国語はひっくり返って読むんだと思っている人がいるのではないか。

 どうしてこういう漢文ができたのか。これも前掲の高島俊男『漱石の夏やすみ』には「「漢文」について」という章があって、おおむね次のようなことが書かれている。(p103~) 

 奈良平安の最初は当然支那語で音読してそのまま覚えた。そしてそれを日本語に訳すのに、そのころにできつつあった漢字の訓読みを利用して訳した。そこから原文の順序をあまり変えないで訳していく方法、「訓読」というものができてきた。
 これが平安あたりはまだ日本語として声に出して意味のわかる訳だったものが、江戸時代になるとぶっきらぼうに漢字を音読みするだけで、声で聞いたのでは意味がわからないようになってしまう。

 櫂穿波底月 船壓水中天

 これを「土佐日記」では
「さをはうがつなみのうへのつきを、ふねはおそふうみのうちのそらを」
と訳す。
 これが江戸後期の訓読になると、
「かいはうがつハテイのつき ふねはアッすスイチュウのテン」
と読む。「ハテイ」とはなんのことか字を見ないとわからない。 
 なぜこうなったかというと、「土佐日記」の例はあくまで日本語訳なのに、江戸時代の訓読は日本語訳ではなく、「よみ」にすぎないからなのである。もとの文章を覚えるために、もとの発音はわからないから、日本語の訓読み、音読みを駆使してともかく読んでしまう。
 ただし、お経のように全部音読みで頭から読んでしまうと、日本語では同じ音がむやみに多くて、とてももとの文章を喚起できない。だからところどころ順序が狂っても、もとの文章を喚起しやすい訓読が一般に行われるようになった。
 ここで重要なのは、訓読はあくまでもとの文章を喚起するための符牒で、意味はあくまで文字を見て理解するということである。
 「學而時習之」を「まなびてときにこれをならふ」と読む。「まなび・て」と読むのはそこに而があることを覚えるためである。「時」は日本語の「ときに」ではなくしょっちゅうということである。「これ」は日本語の「これ」ではなく、「習」が他動詞であることをしめす語である。だから「まなびてときにこれをならふ」という読みで、この文章の意味を考えてはいけない。意味は「學而時習之」をじっと見て理解する。
 日本人はこうして支那語の本を理解し、支那語の文章を書いてきた。しかし、この方法ははなれわざとしか言いようがない。
 この「漢文訓読」が、一つの単語に一つの訳語しか認めず、重々しい文章も滑稽な文章も同じ荘重風の文体で訳してしまうという「訳語一定、千篇一律荘重体」で、江戸時代末期から明治以降ひろまった。
 しかし、この訓読を日本語訳と考えるのはそもそも間違いで、前にも言ったように「學而時習之」の「ときに」はときどきではないのに、「ときに」にひきずられてそう理解されてしまう。音調を整えるための「以」が、「~を以て」と読むことによって、この「もって」は何を受けるか、というような話になってくる。だから、漢文はもうやめよ、支那語は支那語として読めというのが高島の主張である。

 なるほど、なんとなく平安の昔から「漢文」はあったのだと思っていたが、現在のような形になったのは江戸時代末期から明治以降なのか。日本人が作る「漢詩」というのも同じように江戸時代末から明治が最盛期らしい。

(「支那」について、高島には「「支那」はわるいことばだろうか」という一文がある(『本が好き、悪口言うのはもっと好き』所収)。) 

 

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2017年3月16日 (木)

漢文の勉強1

 漢文について勉強したことを少しまとめておくことにする。

 夏目漱石は、明治22年、数え年23歳のとき「木屑録(ぼくせつろく)」という漢文の紀行文を書いた。その年の夏休みの房総旅行の記録で、同級生の正岡子規に見せるためだったという。その書き出しは次のとおり。(原文は句読点なし。旧漢字は新漢字に改めた。)

余児時誦唐宋数千言、喜作為文章、或極意彫琢、経旬而始成、或咄嗟衝口而発、自覚澹然有樸気、竊謂古作者豈難臻哉、遂有意于以文立身、自是遊覧登臨、必有記焉。

 これについて、吉川幸次郎は『漢文の話』(ちくま文庫、1986)に、次のように読み下し、こう書いている。

余児時(じじ)唐宋の数千言を誦し、文章を作為するを喜ぶ。或いは意を極めて彫琢(ちょうたく)し、旬(じゅん)を経て始めて成る。或いは咄嗟(とっさ)に口を衝(つ)いて発し、自(み)ずから澹然(たんぜん)として樸気(ぼくき)有るを覚ゆ。窃(ひそ)かに謂(おも)えらく古(いにしえ)の作者も豈(あに)臻(いた)り難からん哉(や)と。遂に文を以って身を立つるに意有り。是自(よ)り遊覧登臨、必ず記有り。

 いおうとすることは、私は子供のころから、唐人(ひと)宋人(ひと)の数千字の文章を暗誦し、それを模範として漢文を作るのが好きであった。ある場合には一生懸命にねりあげ、十日ばかりもかかってやっと完成した。ある場合にはとっさに口から飛び出したのを、かえってあっさり素朴であると感じた。ひそかな自負として、古代の作者だって到達に困難であろうかと、そう考え、かくて文章で身を立てる気もちを抱いた。それ以来、どこかへ遊びに行き、山に登り、水を前にするたびに、紀行文を作った。というのであるが、それを漢文として右のように表現している。文法的な誤りがないばかりでなく、後にしばしばふれるように、漢文はリズムが大切であるが、日本語の訓読としてのリズムが大へんよいばかりでなく、中国人に見せて、中国音で読んでもらっても、高い評価をうるであろう。明治の漢文としてもっともすぐれたものの一つであり、同時の漢学専門家でも、これだけの筆力は普遍でなかったと思われる。高等学校の漢文の教科書に、採録したものがないよしであるのは、ふしぎである。(P14)

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 べたぼめである。中国文学の大家吉川幸次郎先生のお言葉だから、われわれ素人はへへーっとかしこまってうけたまわるしかない。なるほど漱石は若いころから漢文の達人で、文章で身を立てるつもりがあったんだ、たいしたもんだと思わざるを得ない。

 ところが同じく中国文学研究家の高島俊男は『漱石の夏やすみ』(朔北社、2000)に次のように書いた。
 まず冒頭の部分をこう訳した。

 我輩ガキの時分より、唐宋二朝の傑作名篇、よみならつたる数千言、文章つくるをもつともこのんだ。精魂かたむけねりにねり、十日もかけたる苦心の作あり、時にまた、心にうかびし名文句、そのままほれぼれ瀟洒のできばえ。むかしの大家もおそるるにたらんや、お茶の子さいさいあさめしまへ、これはいつちよう文章で、身を立てるべしと心にきめた。
 さあそれからは、どこかに行つてものぼつても、かならず文章つくつたものさ。(P18)

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 文の大意は吉川が示したものと変わらないが、大きく異なるのは文章の調子である。子供のころからせっせと文章修行に励んだという真面目な話が、高島訳ではちょっとふさけた、冗談ぽい話になっている。
 高島はこれがこの文章の真意であるという。同じ頃に漱石から子規へあてた手紙を見ても、「先頃手紙を以て依頼されたる點數一條おつと承知皆迄云ひ給ふな萬事拙の方寸にありやす先づ江戸つ子の為す所を御覧じろ」など江戸の通人ぶった口吻でふざけたものなどがある。こういうふざけを通じてお互いのセンスを比べあっていた。漱石も子規も笑いながら文章を交換していたのだという。
 なるほど学生同士のやりとりで、学識のあるところをひけらかしあったり、戯文を書いて見せあったりというのはままあることである。現代の若者だってやっているだろう。
 また高島は、この文章を吉川のようには称賛せず、あちこち手直しすべきところがあるとしている。(p190~197)

 漢語の文章には真面目な文章もふざけた文章もある。それをみんな「窃(ひそ)かに謂(おも)えらく古(いにしえ)の作者も豈(あに)臻(いた)り難からん哉(や)」などと一律に荘重体のチンプン漢文で読んで、ありがたがっていてはいけないというのが高島の主張である。
 なるほどもっともだ。『木屑録』の読み方は、高島のいうとおりだろう。
 
 

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2017年3月13日 (月)

J81 ポケットユーモア

 『わたしのポケットユーモア 世界おもしろ小話』(H・E・シュタイン編、個人出版)から本の出てくるジョークを。
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料理本(仮題)
 めづらしく本屋の店頭に立った若い主婦が店員をつかまえて、たづねた。
「あの、お料理の本を買い」たいんですけど― ―」
「ああ、それでしたらこちらにございますが。豪華大型本と小型本といろいろですが、どちらがよろしいですか」
 若い主婦は少し考えてから
「小型本の方にするわ」
「でもこっちの大型本の方はボリュームたっぷりの料理が載っていますよ」
「いいのよ、小型の方で。だってわたしも主人も小食なんですもの」(p4)
 
返品(仮題)
 若い女が本屋にやって来て、店主をつかまえた。
「この間、買った本、私とても気に入らないのよ。返品したいんだけど、引きとっていただけるかしら?」
「場合によっては引きとりますよ。製本が間違っていたり、破れていたりしたんですか」
「いえいえ、それは立派に出来ていますわ」
 店主はけげんそうに
「じゃあ、どうしたんです?」
「あの本の結末がね。とっても気に入らないの。だってハッピーエンドじゃないんですもの」(p102)
 
 
率直に言うと(仮題)
 老医師が若い見習い看護婦を呼んでいった。
「キミは、わしに呼ばれたわけがわかるかね?」
「いいえ、わかりませんわ、先生」
「そうか、それなら言ってあげよう。キミはいつもハキハキしてとても真面目でいい子なんだがね。少し率直すぎるところが玉にきずなんだよ」
「どういうことですか、先生」
 見習い看護婦は首をかしげた。
「看護婦の役目はね、患者を元気づけ、生きる意欲を持たせることでなくちゃいけない.。ところがこの間、あの患者にキミが雑紙を持っていってやったとき、キミが何て言ったか覚えてるかい?」
「はい、先生。『わたしだったらもう連載小説など読み始めませんわ』って――」(p114)
 
 
二倍(仮題)
 あるホテルのラウンジで、二人の詩人がバッタリ出くわした。二人はともに売れない詩を書いているにもかかわらず、とても競争意識が強かった。
「やあ、あれから一年ぶりだな」
 話題は自然と、自分たちの本の売れゆきになった、
「おかげでオレの読者は二倍になったよ」
「そりゃよかった。おめでとう。キミが結婚したとは全然知らなかった」(p127)
 

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2017年3月 9日 (木)

「この世界の片隅に」

 2月28日、アニメ映画「この世界の片隅に」を地元の映画館で見た。
 平日の昼間だったが、「君の名は。」のときよりたくさん、40人ぐらいは入っていた。

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 「君の名は。」のときは、いったいこれはどういう話なのか品定めをするまでに時間がかかったが。これはずっとわかりやすく、そのまますっと映画の世界に入っていけた。

簡単なあらすじ(以下ネタバレ注意)
  広島育ちの主人公すずは、絵を描くのが好きでうまいが、ぼうーっとしたところのあるごく普通の少女。やがて成長して呉へ嫁ぐ。呉は海軍工廠があり戦艦大和などが建造された軍港都市で、夫は海軍軍法会議(=裁判所)の録事(ろくじ=書記)をしていた。
 すずは、炊事、洗濯、繕い物、義父母の世話などにあけくれながら、徐々に嫁ぎ先になじんでいき、ごく普通のささやかながら楽しい生活をおくるようになる。しかしそれとともに戦争が進行して行く。
 出征した兄は戦死し、やがて呉も空襲に襲われるようになる。ある日姪(義姉の子)の手を引いていたすずは、不発弾の爆発により姪を死なせるとともに自分も右手を失ってしまう。
 義姉から子供を死なせたと責められたすずが広島の実家に帰ろうとしていた頃、原爆が投下され、広島の母と父が死亡、妹はケロイドを負う。そして終戦となる。
 やがて焼け跡の広島を訪れたすず夫妻は、たまたま出会った戦災孤児を連れて帰り、新しい生活を始める。

 あらすじだけだと、戦争の悲劇を訴える反戦映画のように見える。しかしそう単純ではない。この映画は戦争反対と声高に訴えたりしない。
 この映画は、当時の日常、すずの普通の生活を細かく描くことに徹している。風景は、多くの資料を参照して当時を忠実に再現しているという。画もきれいだ。
 戦争が激しくなって物資が乏しくなり、空襲にみまわれるようになっても、戦死の公報が隣近所に届くようになっても、日常生活は続いていく。それが普通の、苦しさや悲しみだけでなく、ちょっとした笑いもある生活として続いていく。
 終戦の玉音放送を聞いたすずは、本土決戦じゃなかったのか、まだ左手がある、戦えると怒る。そうだと信じていたから、これまでの戦争の中の日常をみんなで必死に耐えてきたのに、それをいっさい無にされた怒りなのだろう。普通の人間の感覚として十分納得できる。
 当時の日常を描くことで、見る人にあの時代を考えさせる、そういう映画だとわたしは受け取った。

 ある時代の雰囲気を描くのはむつかしい。戦後生まれのわたしは戦争の時代は知らない。この映画の原作者も監督もわたしよりさらに若い(監督:片渕須直1960年、原作者こうの史代1968年生)。親たちの世代からの話や多くの資料などを比較考量することによって、自分なりのイメージを作っていくことになる。
 それが実際にその時代に生きた人々の共感を得られるものになるのはとてもむずかしいことだと思う。特に戦争に関するものについては、映画やテレビドラマについて、実際の戦争はあんなもんじゃなかった、という年長の世代の人たちのつぶやきを何度も聞いている。
 だからこの映画も、体験者には画面がきれいすぎるとか、実感が伴わないものでしかないのかもしれない。しかしわたしにはうなずけるものだった。実際の世界を知らない人間には、知識や想像力を駆使してある世界を作っていくしかない。大勢の人の共感を得られる世界ができていたと思う。いい映画だった。

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 安倍首相とか稲田防衛相のような人たちはこの映画をどう見るのだろう。
 お涙頂戴の軟弱反戦映画と見るのだろうか、あるいはこういう悲劇を繰り返さないように防衛力の強化に努めてまいりますと決意をあらたにするのか。今度は勝ってみせます、ということはなさそうだが。

 

 

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2017年3月 6日 (月)

J80 大爆笑ネタ

 「大爆笑ネタ」というのは本の題名から。そんなに笑えるかどうかはともかく、本の出てくるネタをどうぞ。
 トナミ・ゲン大爆笑ネタ772連発 みんなを笑わせるポケット・ジョーク』(二見書房、1999)

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それから……
 国語の授業中に、先生が「夏目漱石の三部作」といって、「三四郎、門、それから……」と紹介した。すると、ある生徒が「先生、あとひとつを早くいってください」といった。(p43)

のりしろ
 私は小さいころ、雑誌の付録に「のりしろ」と書いてあるのを見て、「なんて乱暴ないい方なんだろう、『のりしなさい』って書けばいいのに」と思っていた。(p61)

下巻
 本屋で「この本の上巻を探しているのですが……」といった人が持っていた本は「車輪の下」だった。(p73)

道路マップ
 古本屋から帰ってきた夫が、「新品同様の道路マップを安く買ったぞ」と自慢げにいった。しかし、なかを開くと古い版の地図だった。(p89)

ボケ予防の本
 うちのおじいちゃんは、老人ボケを防ぐための本を買ってきたが、つぎの日にまたおなじ本を買ってきた。(p113)

ど忘れ
 テレビショッピングの「ど忘れ辞典十巻セット」を注文した父が、届いた際に「これ、だれが頼んだの?」。これはど忘れどころじゃないかもしれない。(p113)

薄着
 育児書には「赤ちゃんは大人より一枚薄着させるのがちょうどいい」と書いてあるが、赤ちゃんに薄着させるのはかわいそうでなかなかできない。そこで、ちょっと暑いと思いながら、自分が一枚多く着ることにしている。(p193)

落丁・乱丁本
 本に「落丁・乱丁本はお取り替えします」と書かれていたが、連絡先が書いてあるはずのページが落丁しており、連絡できなかった。

三倍
 参考書の宣伝文句に、「これ一冊で、他の参考書の三倍よくわかる」とあった。本屋で実物を見ると、厚さが三倍くらいあった。(p209)

 

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2017年3月 2日 (木)

JB48 ジョーク集あれこれ2

181 わたしのポケットユーモア集

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    (書名)  わたしのポケットユーモア
          世界おもしろ小話"
      (著者)   H・E・シュタイン 編
      (出版者) 個人出版
      (形状)     新書
      (頁数)    142
      (出版年)  記載なし

・奥付は「個人出版¥940」となっていて、出版社や出版年月日の記載がない。
 ジョークの好きな人が「シュタイン」の名前で出したというかたち。
 刊行年月日がわからないけれど、内容や「ポケット」という題名からすると、角川文庫の「ポケット・ジョーク・シリーズ」が当たった頃、刺激されての企画だったのだろうか。違っていたらごめんなさい。

・内容は、よく見かけるネタが多く、しかも下ネタが多い。

死に場所(仮題)
 ある金持ちが占い師にたづねた
「どうぞ教えてください。私の死に場所を。一生のお願いです」
「妙なことをおたづねですね。重大なことですよ」
「ええ、その通りです。教えてくださったらお礼はいくらでも致します」
「それでどうするんです?」
「決まっているじゃありませんか。私は一生その場へ近づきません」(p5)

 

182 わんぱくジョーク

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    (書名)  わんぱくジョーク
      (著者)   関 楠生 編訳
      (出版者) 河出書房新社
      (形状)     文庫
      (頁数)    194
      (出版年)  1981/08/04

・半分くらいは子供を題材にしたジョークで、カバーには「子どもを主人公にしたホノボノとしたジョークを集めてみた」とある。あとの半分はふつうの大人のジョーク集。

宗教の時間
「よい子のみなさん」と、宗教の先生が尋ねた。
「神さまに私たちの罪を許していただくためには、まず何をしなければいけないでしょうか?」
「まず第一に、罪を犯さなければいけません」(p49)

専用
 ダックスフントがウーウーうなって、おそろしげに歯をむき出した。お客はこわくて、食べつづけられななくなった。
「この犬、どうしたんだろう?」
と、お客が尋ねた。
「あたしも知らないけど」
と、その家の小さい女の子が答えた。
「もしかしたら、自分用のお皿でお客さんが食べているものだから、おこっているのかもしれないわ」)p71)

 

183 ジョーク雑学大百科

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    (書名)  ジョーク雑学大百科
      (著者)   塩田丸男
      (出版者) 新潮社
      (形状)    文庫
      (頁数)    280
      (出版年)  1984/11/25

・これはジョーク本とは言えないが、題に「ジョーク」とあるので挙げておく。
 内容は「下ネタの雑学百科」である。

 

184 大爆笑ネタ772連発

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    (書名)  大爆笑ネタ772連発
          みんなを笑わせるポケット・ジョーク
      (著者)   トナミ・ゲン
      (出版者) 二見書房
      (形状)     文庫
      (頁数)    254
      (出版年) 1999/10/25

・これは『月刊ひざねた』というミニコミ誌に投稿されたお笑いネタを集めたものらしい。詳細はわからない。「ひざねた」というのは「思わずひざを打ちたくなるような、斬新な発想を持つ話のねた」の略だそうだ。

・だからこれもいわゆるジョークとは違うが、なかなかおもしろい。

どんより……
 弟は、国語のテストで「『どんより』を使って短文をつくりなさい」という問題でバツをもらったのを不思議がっていた。答案には。「うどんよりそばが好き」と書いてあった。(p19)

まさか……
 先生の話によると「『まさか……ろう』を使って短文をつくれ」という問題に、「まさかりかついだ金たろう」」と書いた生徒がいたらしい。(p21)

目立たない服
 高校生の弟が「洋服を買いに行く」というと、母は「目立たないのにしておきなさい」といっていた。夕方、弟は迷彩色のシャツを買ってきた。(p183)

 

185 思わず使いたくなる粋なジョークとキメゼリフ

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    (書名)  思わず使いたくなる粋なジョークとキメゼリフ
          ハリウッド映画に学ぶ会話術
      (著者)   トナミ・ゲン
      (出版者) アクタスソリューション
      (形状)     B6変形
      (頁数)    127
      (出版年) 2007/06/27

・これも題に「ジョーク」とあるが、ジョークがない。
 見開きの右側に映画のキメゼリフとイラスト、左側に実際にそのセリフをどう使うかが書いてある。キメゼリフは映画のどういうシーンで使われたのかが書いてないので、いまいちピンとこない。使い方の解説より映画のその場面の説明が欲しかった。

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 今回の後半3冊はジョーク本とはいいにくい本ばかりになってしまった。

 

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