« J80 大爆笑ネタ | トップページ | J81 ポケットユーモア »

2017年3月 9日 (木)

「この世界の片隅に」

 2月28日、アニメ映画「この世界の片隅に」を地元の映画館で見た。
 平日の昼間だったが、「君の名は。」のときよりたくさん、40人ぐらいは入っていた。

Photo_2

 「君の名は。」のときは、いったいこれはどういう話なのか品定めをするまでに時間がかかったが。これはずっとわかりやすく、そのまますっと映画の世界に入っていけた。

簡単なあらすじ(以下ネタバレ注意)
  広島育ちの主人公すずは、絵を描くのが好きでうまいが、ぼうーっとしたところのあるごく普通の少女。やがて成長して呉へ嫁ぐ。呉は海軍工廠があり戦艦大和などが建造された軍港都市で、夫は海軍軍法会議(=裁判所)の録事(ろくじ=書記)をしていた。
 すずは、炊事、洗濯、繕い物、義父母の世話などにあけくれながら、徐々に嫁ぎ先になじんでいき、ごく普通のささやかながら楽しい生活をおくるようになる。しかしそれとともに戦争が進行して行く。
 出征した兄は戦死し、やがて呉も空襲に襲われるようになる。ある日姪(義姉の子)の手を引いていたすずは、不発弾の爆発により姪を死なせるとともに自分も右手を失ってしまう。
 義姉から子供を死なせたと責められたすずが広島の実家に帰ろうとしていた頃、原爆が投下され、広島の母と父が死亡、妹はケロイドを負う。そして終戦となる。
 やがて焼け跡の広島を訪れたすず夫妻は、たまたま出会った戦災孤児を連れて帰り、新しい生活を始める。

 あらすじだけだと、戦争の悲劇を訴える反戦映画のように見える。しかしそう単純ではない。この映画は戦争反対と声高に訴えたりしない。
 この映画は、当時の日常、すずの普通の生活を細かく描くことに徹している。風景は、多くの資料を参照して当時を忠実に再現しているという。画もきれいだ。
 戦争が激しくなって物資が乏しくなり、空襲にみまわれるようになっても、戦死の公報が隣近所に届くようになっても、日常生活は続いていく。それが普通の、苦しさや悲しみだけでなく、ちょっとした笑いもある生活として続いていく。
 終戦の玉音放送を聞いたすずは、本土決戦じゃなかったのか、まだ左手がある、戦えると怒る。そうだと信じていたから、これまでの戦争の中の日常をみんなで必死に耐えてきたのに、それをいっさい無にされた怒りなのだろう。普通の人間の感覚として十分納得できる。
 当時の日常を描くことで、見る人にあの時代を考えさせる、そういう映画だとわたしは受け取った。

 ある時代の雰囲気を描くのはむつかしい。戦後生まれのわたしは戦争の時代は知らない。この映画の原作者も監督もわたしよりさらに若い(監督:片渕須直1960年、原作者こうの史代1968年生)。親たちの世代からの話や多くの資料などを比較考量することによって、自分なりのイメージを作っていくことになる。
 それが実際にその時代に生きた人々の共感を得られるものになるのはとてもむずかしいことだと思う。特に戦争に関するものについては、映画やテレビドラマについて、実際の戦争はあんなもんじゃなかった、という年長の世代の人たちのつぶやきを何度も聞いている。
 だからこの映画も、体験者には画面がきれいすぎるとか、実感が伴わないものでしかないのかもしれない。しかしわたしにはうなずけるものだった。実際の世界を知らない人間には、知識や想像力を駆使してある世界を作っていくしかない。大勢の人の共感を得られる世界ができていたと思う。いい映画だった。

Photo_4

 安倍首相とか稲田防衛相のような人たちはこの映画をどう見るのだろう。
 お涙頂戴の軟弱反戦映画と見るのだろうか、あるいはこういう悲劇を繰り返さないように防衛力の強化に努めてまいりますと決意をあらたにするのか。今度は勝ってみせます、ということはなさそうだが。

 

 

|

« J80 大爆笑ネタ | トップページ | J81 ポケットユーモア »

芸能鑑賞」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/217746/64961705

この記事へのトラックバック一覧です: 「この世界の片隅に」:

« J80 大爆笑ネタ | トップページ | J81 ポケットユーモア »