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2017年3月20日 (月)

漢文の勉強2

 さてそれでは漢文とはいったいなんであるのか。
 前掲の吉川幸次郎『漢文の話』によれば、漢字で表現された中国語の文章を、「訓読」という方法に従って日本語に訳して読むのが「漢文」である、という。(p35)
 訓読に際してはいくつかの処置がほどこされる。おおまかには四つ。

1 語序の変更 「学而時習之」の「習之」を「之を習う」と読む。「習之」などと表記。
2 テニヲハの添加 「 「学而時フレ
3 用言に適宜語尾を付加 「学」…「字ぶ」「学びて」「学ばん」などに。
4 多くの場合、一字の単語は訓読み  「有朋自遠方来 」 「朋」=「とも」
     〃    、二字の連語は音読み  「遠方」=「エンポウ」 

 これらの処置の背後には二つの原則がある。
1 原文にあるすべての字を訳文にあらわそうとする。
  「学而時習之」は「学びて時に…」と通常読むが「学びて而して時に之を習う」のようにあらわすこともできる。
2 一つの字の訓は一つに決めて使おうとする。
  「時」は「とき」、「習」は「ならう」、動詞の「学」は「まなぶ」
 ただし例外もある。
1 句末の強調の用の助字のうちあるものはサイレントとし読まない。
 「矣(イ)」 「焉(エン)」など原中国文にあっても「おき字」として読まない。
2 助字は一字一訓の例外となるものが多い。
  「学而時習之」の「之」=「コレ」、「父母之年」の「之」=「の」 

 漢文の初歩をはじめて習ったのは中学校のときだと思うが、こういう説明は受けなかった。中国ではこれを頭から順番に読むんだということは誰も教えてくれず、ただ文章を見せられて、こう読むんだと教えられて、え、中国語ってひっくり返って読むの?と思った。
 高校生なってようやく、中国語を勉強しているのではなく「漢文」というものを勉強していることを理解した。字を見て、日本語として意味の通るように、ひっくり返すところはひっくり返して読むものなのだと学習した。わたしはわりとこの科目が得意だった。
 しかしはじめから、上記のように中国語を日本語に訳して読んでいるんだと説明してくれれば、もっとわかりやすかったのではないかと思う。漢文のおかげで、今でも中国語はひっくり返って読むんだと思っている人がいるのではないか。

 どうしてこういう漢文ができたのか。これも前掲の高島俊男『漱石の夏やすみ』には「「漢文」について」という章があって、おおむね次のようなことが書かれている。(p103~) 

 奈良平安の最初は当然支那語で音読してそのまま覚えた。そしてそれを日本語に訳すのに、そのころにできつつあった漢字の訓読みを利用して訳した。そこから原文の順序をあまり変えないで訳していく方法、「訓読」というものができてきた。
 これが平安あたりはまだ日本語として声に出して意味のわかる訳だったものが、江戸時代になるとぶっきらぼうに漢字を音読みするだけで、声で聞いたのでは意味がわからないようになってしまう。

 櫂穿波底月 船壓水中天

 これを「土佐日記」では
「さをはうがつなみのうへのつきを、ふねはおそふうみのうちのそらを」
と訳す。
 これが江戸後期の訓読になると、
「かいはうがつハテイのつき ふねはアッすスイチュウのテン」
と読む。「ハテイ」とはなんのことか字を見ないとわからない。 
 なぜこうなったかというと、「土佐日記」の例はあくまで日本語訳なのに、江戸時代の訓読は日本語訳ではなく、「よみ」にすぎないからなのである。もとの文章を覚えるために、もとの発音はわからないから、日本語の訓読み、音読みを駆使してともかく読んでしまう。
 ただし、お経のように全部音読みで頭から読んでしまうと、日本語では同じ音がむやみに多くて、とてももとの文章を喚起できない。だからところどころ順序が狂っても、もとの文章を喚起しやすい訓読が一般に行われるようになった。
 ここで重要なのは、訓読はあくまでもとの文章を喚起するための符牒で、意味はあくまで文字を見て理解するということである。
 「學而時習之」を「まなびてときにこれをならふ」と読む。「まなび・て」と読むのはそこに而があることを覚えるためである。「時」は日本語の「ときに」ではなくしょっちゅうということである。「これ」は日本語の「これ」ではなく、「習」が他動詞であることをしめす語である。だから「まなびてときにこれをならふ」という読みで、この文章の意味を考えてはいけない。意味は「學而時習之」をじっと見て理解する。
 日本人はこうして支那語の本を理解し、支那語の文章を書いてきた。しかし、この方法ははなれわざとしか言いようがない。
 この「漢文訓読」が、一つの単語に一つの訳語しか認めず、重々しい文章も滑稽な文章も同じ荘重風の文体で訳してしまうという「訳語一定、千篇一律荘重体」で、江戸時代末期から明治以降ひろまった。
 しかし、この訓読を日本語訳と考えるのはそもそも間違いで、前にも言ったように「學而時習之」の「ときに」はときどきではないのに、「ときに」にひきずられてそう理解されてしまう。音調を整えるための「以」が、「~を以て」と読むことによって、この「もって」は何を受けるか、というような話になってくる。だから、漢文はもうやめよ、支那語は支那語として読めというのが高島の主張である。

 なるほど、なんとなく平安の昔から「漢文」はあったのだと思っていたが、現在のような形になったのは江戸時代末期から明治以降なのか。日本人が作る「漢詩」というのも同じように江戸時代末から明治が最盛期らしい。

(「支那」について、高島には「「支那」はわるいことばだろうか」という一文がある(『本が好き、悪口言うのはもっと好き』所収)。) 

 

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