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2017年4月

2017年4月27日 (木)

正岡子規展

 さて4月21日の本題の神奈川近代文学館正岡子規展

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 年譜などによる経歴の紹介、遺稿・遺品の展示…ということで型どおりの展覧会。

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 病床で書いた『仰臥漫録』の絵がカラフルで印象的だった。わたしの持っている文庫本では挿絵は白黒だったので、こんな色がついているとは思っていなかった。痛みの激しかった死の床で、こんなものを描いていたんだと感心する。
 東京根岸の子規庵へ行ったことは前に書いた。(→ 忘年会は笹乃雪 1 )

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 子規は、司馬遼太郎が『坂の上の雲』の主人公の一人にしたように、明治を代表する青年の一人であった。
 満年齢の三十五歳直前に死ぬという短い生涯にもかかわらず近代文学に大きな影響を与えた。江戸俳諧を「写生」を中心とした近代俳句として革新し、短歌についても王朝和歌の古今集を罵倒して万葉集を称揚し、いずれもそれが時代の風潮になった。

 展覧会の解説にも書いてあったが、子規は最初政治家を志したが、病を得て断念し文学の革新に挑んだ。明治時代は徳川時代を否定し、新しいものをつくろうとした時代だった。その担い手もみな若かった。
 子規も若く、『歌よみに与ふる書』は「貫之(つらゆき)は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候。」といかにも勇ましい。

 この子規の「若さ」がもたらしたものについて、丸谷才一はこう書いている。

子規はわが近代文学の骨格を定めた。この青年兼病人に負ふわが文学の美点はもちろん多いが、しかしまた、とかく幅が狭くなりがちなリアリズム好きも、個人への執着も、何かにつけて大まじめになりがちな青くささも、かなりのところ彼から発している。(『無地のネクタイ』(岩波書店、2013、p26)

 丸谷は子規の功績はきちんと認めている。そのうえで、子規の若さのせいで日本の近代文学はかなり青くさいものになってしまったと歎いているのだ。
 三十四歳で死んだ男に、おまえの考え方が若かったと言ってもはじまるまい。明治の「坂の上の雲」の時代、新しい国をつくろうとしていた時代にふさわしい仕事をしたと言うしかない。ただ、子規が長生きしていたら、どんな俳句や短歌を作ったか。どんな『歌よみに与ふる書』を書いたか。まるで変わらなかったか、それとも円熟とか成熟とか言われるような境地に到っただろうか、興味あるテーマである。

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2017年4月24日 (月)

みなとガーデン

4月21日、港の見える丘公園にある神奈川近代文学館正岡子規展を見に行ったら、ここも全国都市緑化よこはまフェアの「みなとガーデン」の一会場になっていた。

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 山下公園や横浜公園でもやっているが、とりあえず港の見える丘公園で見た花だけ紹介しておく。
 公園入口。

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 展望台の前には、山手の洋館のミニチュアがいくつかあった。

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 この公園はいつ来てもきれいな花が咲いているので、緑化フェアだからといって特別な感じはない。染乃助染太郎の「いつもよりよけいに」ではないが、まわりに、いつもはないバスケットが多少多めに置いてあるくらいだ。

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 大仏次郎記念館の方へ向かう。

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 バラが咲く予定のところはまだこれからだ。
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 花の名前はほとんど知らないが…
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 チューリップはわかる。

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 これはツツジでしょう。

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 最後はアメリカ山の八重桜。

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2017年4月20日 (木)

里山ガーデン

 4月13日(木)、全国都市緑化よこはまフェアの「里山ガーデン」というのを見に行った。緑化フェアの会場が二つあって、山下公園などが「みなとガーデン」、旭区のよこはま動物園ズーラシア)に隣接する場所が「里山ガーデン」になっている。

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 ズーラシアの駐車場に車をとめて会場へ入る。「横浜動物の森公園植物公園予定地」というのがこの場所の正式の名前らしい。
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 テントがたくさんあって、緑化に関するいろんな団体の展示があった。平日なので客はそれほど多くない。学齢前の幼児の親子連れが一部いるほかは、おおむね高齢者である。
 桜はそろそろ終わりだ。

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 鮮度を抑えたパステル調の花畑がきれいだ。

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 敷地はけっこう広いので、こんな乗り物が走っている。
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 乗ってみた。年寄りにはありがたい。
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 なるほど行く手には春の里山風景が広がっている。
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 菜の花畑。

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 菜の花畑の次はカキツバタ園。
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 しかしこのカキツバタやアヤメは定植してない。植木鉢に入ったままだ。フェアが終わったら、他へ持っていくのだろうか。
 いずれにせよ5月頃もう一度来てみる価値はありそうだ。
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 パークトレインの終点から森を抜けて行くと、
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 開けた場所に出る。

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 「横浜の花で彩る大花壇」というらしい。花壇のそれぞれが花や葉の形をしているようだが、高いところから見ないとよくはわからない。

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 ともかく花、花、花…でした。

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2017年4月17日 (月)

武相荘

 4月6日、東京都町田市鶴川にある旧白洲次郎邸「武相荘(ぶあいそう)」へ行ってきた。
 武蔵と相模の国境にあって、主が無愛想だからこう名付けたという。

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   最初、わたしは白洲次郎(しらすじろう)をあまり良く思っていなかった。
 「占領軍に抵抗した男」というけれど、晩年は軽井沢のゴルフ場でえらいさんとして君臨し、マナーの悪い客を怒鳴りつけていたという話を断片的に読んで、ただの癇癪持ちの傲慢な爺じゃないかくらいに思っていた。
 しかしちょっと本を読んでみると、どうも筋の通った立派な男だったと思わざるを得なくなってきた。それであらためて敬意を表するためにやってきたというわけだ。

 これが屋敷への入口の長屋門。

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 入って右手がレストランになっており、奧の母屋が資料館になっている。
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 これが母屋。

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 レストランのベランダにはちょうどオウバイが咲いていた。

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 昔よくあった農家の建物で、ここは養蚕農家だったらしい。
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 母屋の中はミュージアムとして、妻の正子の書斎や所蔵品なども展示してある。撮影禁止なので、パンフレットの写真を掲げておく。

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 どうして白洲はこの家を買ったのか。
 若い頃にケンブリッジ大学に留学し、実業界に身を置きながら近衛内閣のブレーンのようなこともしていた白洲は、日独伊防共協定が結ばれるような国際情勢から、このままいけばアメリカとの戦争は必至だと考えた。そうなれば東京は爆撃に遭い、日本は敗れると予測し、来たるべき食糧難に供えて、昭和15年、39歳の時にこの建物と農地を買い、政治や実業の一線から離れてここで農業に励んだのだという。
 また戦争を避けさせることはできなかったが、英国流の「カントリー・ジェントルマン」として、「いざ鎌倉という時は、中央へ出ていって、彼らの姿勢を正す」というつもりでもあったという。見事な「読み」であり、身の処し方である。

 そして敗戦後の昭和20年には、知己であった当時の外相吉田茂から請われて終戦連絡事務局に籍を置き、ほぼ占領の全期間中、GHQ当局との交渉に当たることになる。
 この間、マッカーサーを叱りつけたとか、イエスマンが多い日本人の中で「従順ならざる唯一の日本人」と言われたとかの伝説が残っている。
 芦屋の金持ちの家に生まれて驕慢に育ち、英国貴族流の教育を受けて英語に堪能だったうえ、「プリンシプル」にこだわる白洲にとっては、GHQの若くて無経験で、幼稚な理想論をふりかざすアメリカ人などどれほどのものか、というところだったのだろう。
 戦争に負けたのだから力関係は歴然としているので、最終的には言うことを聞かざるをえないとしても、その前に言うべきことはきちんと言っておかなければならないというのが、白洲の「プリンシプル」であったようだ。
 GHQからの口頭の指示をそのまま実施したものが多々あった。中には後日物笑いになるような馬鹿なものがあっても、口頭では証拠がないから日本政府が勝手にやったことにされてしまう。白洲は、口頭での指示には徹頭徹尾紙に書いてくれと食い下がって嫌われたと書いている。(『プリンシプルのない日本』(新潮文庫、2006))

 白洲について書くと長くなってしまう.。今回は武相荘の紹介に留めることにする。
 庭の古仏と塔。

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 裏の小さな山。散策路がある。農地はもうないようで、それほど広くはない。

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 長屋門の前には納屋があって、1916年型ペイジSix-38というクラシックのアメリカ車が置いてある。白洲次郎がまだ17歳のときに父親から買ってもらったものの同型車で、エンジンは3.7リッター、5座席とかなり大きい。当時これで神戸を走り回っていたというから庶民とはスケールが違う。

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 軽井沢ゴルフ倶楽部で威張っていたという話も、倶楽部のメンバーだったT首相が新任のアメリカ大使と日曜日にプレーしたいという申し出を「ウチは日曜日にはビジターを入れない」と断ったとか、護衛が必要ならゴルフなんかするなとN首相の護衛をコースから追い出したという話になると、威張り方のスケールが大きすぎて、ただ威張りん坊だったのではなく、ここでも「プリンシプル」に非常に厳しかったのだという話かと思わざるをえない。キャディや従業員にはやさしくて、とても慕われていたという。
 とにかくなかなかの人物だったと言わざるを得ない。

(参考)

Photo_4       文藝別冊『総特集 白洲次郎』(河出書房新社、2002)
  Photo    青柳恵介『風の男 白洲次郎』(新潮文庫、2000)
Photo_2      白洲次郎『プリンシプルのない日本』(新潮文庫、20006)

Photo_6      鶴見紘『白洲次郎の日本国憲法』(光文社知恵の森文庫、2007)

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2017年4月13日 (木)

目黒不動尊

 3月30日、友人の墓参りのあと、同級生たちを誘って、すぐ近くの目黒不動尊へ行ってみた。泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)といい、江戸時代にはにぎやかなところだったらしい。
 まず仁王門がある。なかなか立派だ。

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 門をくぐると広場があって右には大きな白い木があり、奧は小高い丘になっている。

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 白い木は鈴懸(プラタナス)だそうだ。

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 こんもり繁った木々の奧の階段を上がると本堂がある。

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 本堂の脇は、早咲きのが満開。

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 これが本堂。
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 なるほど敷地も広く、いろいろなお堂や仏像などがある。今、まわりは建て込んでいるが、昔は相当のものだったことは想像できる。
 本堂裏の大日如来。

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 本堂脇の方にある愛染明王。

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 階段の下には池がある。「独鈷の滝」といい、平安の昔、慈覚大師この地にいたり、独鈷(密教の法具の一)を投じると湧き出たという霊泉である。

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 ここには水掛不動もある。
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 まだいろいろあり、墓地には甘藷先生青木昆陽の墓もあるということだが、お昼時で天気もよく、同行者たちは「ノドがかわいた!」という。参詣は早々に切り上げて、参道へ精進落としに向かった。
 参道では「八つ目や にしむら」といううなぎやに行列ができているのが目を引いた。しかし「ノドがかわいている」からのんびり行列しているわけにはいかない。近くの蕎麦屋に入ってノドをうるおした。

 ここも『江戸名所図会』にある。
 「この地は遙かに都下を離るゝといへども、詣人常に絶えず。(中略)門前五六町が間、左右貨食(あきなひ)店軒端をつどへて詣人をいこはしむ。粟餅・飴、および餅花の類ひを鬻(ひさ)ぐ家多し。(p118)」とあるから、かなりにぎわっていたようだ。
 

S_2 (鈴木棠三、朝倉治彦校注『江戸名所図会(三)』角川文庫、1967、p116)より


  

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2017年4月10日 (月)

目黒で墓参り

 3月30日、目黒まで高校時代の友人K君の墓参りに行ってきました。昨年の9月に肺がんで亡くなったということでしたが、奥さんから喪中ハガキが届くまで知らずにいました。驚いて昔の仲間たちと、どうして亡くなった? おまえ知ってたか等々の電話やメールをあわただしく交換しました。他の病気があったのは知っていましたが、こんなに急に亡くなるとはみんな思っていませんでした。
 目黒の安養院という古くからのお寺が作った「ひかり陵苑」という納骨堂がお墓でした。
 写真の奥に見える5階建ての建物が「ひかり陵苑」です。

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 これは門前で帰りに撮った写真。十代での同級生四人。五十年後の今となっては老人会の記念写真です。

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 ひかり陵苑を横から見たところ。

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 この陵苑、首都圏ではテレビコマーシャルもやっています。

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 納骨堂というのコインロッカーのようになっているものを想像しますが、ここのような最新のものは違います。各階にいくつもの参拝用のブース(仕切り)が設けられていて、あらかじめ決められたブースへ参拝します。各ブースは何軒だか何十て軒だかの共同使用です。

Photo_4           ブース(パンフレットより)

 一階の受け付けで誰々の墓参りだと申し出て指定のブースへ行くまでに、裏側でコンベアーのようなものが動いて骨箱が移動し、表には「○○家」と表示されるようになっています。

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 K君の冥福を祈ります。              合掌

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   わたし以外はこういうお墓は始めてだったようで、ちょっと驚いていました。わたしも何年か前に、大学時代の友人が初めてこういうお墓に入ったときは驚きました。落ち着かない、違和感、子供のころからのお墓のイメージが壊れる―苔むした墓、夜にはお化けが出る―これでは幽霊も出られないじゃないか… しかし、最近ではこれはこれなりに考えられたシステムではないかと思うようになってきました。
 経費のこともありますが、なにより墓守の面倒が違います。わたしたちの年代はまだ家とお寺、お墓とのつきあいのようなものを経験していますが、子供たちはたまに帰省した時に連れて行かれたところでしかありません。お寺と檀家のつきあいなど意識の外です。
 一気に、自分たちからは墓はなし、と決断できればともかく、とりあえずはこういうかたちて繋いでいくのが簡便でいいような気もしてきます。子どもたちが親の墓のことなど心配してくれそうもないので、そろそろ本気で考えないといけません。

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 この安養院というお寺、『江戸名所図会』に載っていました。

臥竜山安養院 能仁寺と号す。同じ所にあり。天台宗にして瀧泉寺に属せり。本尊寝釈迦堂は空誉上人の作なり。当寺は法華読誦、称名念仏の道場なり。(鈴木棠三、朝倉治彦校注『江戸名所図会(三)』角川文庫、1967、p105)

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 上の写真の門が赤丸の門にあたるようです。寝釈迦像は今もあるようですが、今回は見て来ませんでした。

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2017年4月 6日 (木)

J83 本のジョークあれこれ3

 本の出てくるジョーク。最近はすでに掲載したかジョークかどうか、よくわからなくなってきました。一度全部まとめて整理しなければと思っています。前にも出ていましたら、ごめんなさい。

烏賀陽正弘『世界がわかるアメリカ・ジョーク集』(三笠書房知的生きかた文庫、2008)から。

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代金はいただきません
ニューヨークでの散髪屋の話。アメリカでは散髪屋と言えば、イタリア系アメリカ人を連想するほど、多くのイタリア系アメリカ人がその職業に従事している。彼らの多くはカトリック教徒である。
ある日、散髪にやってきた客が、プロテスタントの牧師だと知ると、主人は言った。
「私はプロテスタントではありませんが、神の教えを布教する人を尊敬します。ですから代金はいただきません」
1時間後、その牧師がやってきて、お礼の印として、豪華な革表紙の新約聖書1冊を、彼にプレゼントした。
やがて、白いカラーを首につけたカトリックの神父が入ってきた。
「神父さま、私はもちろんカトリック教徒です。ですからお金は頂戴しません」
1時間後、その神父がやってきて、お礼の印として、見事な細工を施した十字架のペンダントを、彼にプレゼントした。
数日後、ユダヤ教のラバイ(聖職者)がやってきた。
「私はユダヤ教徒ではありませんが、どんな宗教でもその指導者を心から尊敬します。ですから代金はいただきません。
1時間後、そのラバイがやってきて、仲間のラバイを10人連れてきた。(p133)

 

 関楠生・編訳『わんぱくジョーク』(河出文庫、1981)から。

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書き取り
 先生はまった絶望してしまった。
「マルチン、きみの書き取りは悪くなる一方だよ。字をどう書くのかあやしくなったら、辞書をひきなさい」
「でもぼく、あやしくなったことなんか一度もないんです」(p35)

進級
「パパ、パパは運がよかったよ」
「どうして?」
「今年は新しい教科書を買わずにすむんだもの」(p90)

 『続・世界のジョーク・警句集』(田辺貞之助他、自由国民社、1986)から。

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逆であったら
 ソ連人の観光団がロンドンに着いた。早速一行は、マルクスが『資本論』を書いた家を訪れたが、見学が終わると、一同は大きな溜息をついてこう思った。
「マルクスがモスコーで『資本論』を書いて、革命がイギリスで起こればよかったのに……」(p187)

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2017年4月 3日 (月)

森友サーカス

 3月23日(木)は森友学園の籠池理事長の国会証人喚問テレビ中継をずっと見ていた。午前10時からの参議院での喚問を見て、あんまり面白いので午後からの予定を変更して、午後3時からの衆議院での喚問も見た。そのあと余韻を求めて、夜はインターネットのアーカイブで外国人特派員協会での記者会見まで見てしまった。
 古代ローマでは、権力者が市民に「パンとサーカス(見世物)」を提供することで政治の安定をはかったというが、現代日本では国会でサーカスをやっていて、政治が少しばかり不安定になってきた。

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 何がそんなに面白かったのかというと、まず第一に右派(具体的には政権与党+維新)と左派(民進党ほかの野党)の籠池理事に対する立場がそれまでと逆転していたことがあげられる。
 2月上旬に森友学園への国有地払い下げ価格が異常に安かったことが判明した当初は、権力批判につながってしまうからか、大手メディアはなかなか取り上げようとしなかった。しかし幼稚園では特異な愛国教育を行っている、小学校開設の認可過程にも問題がある、理事長は印象的なキャラクターの持ち主であることなどが少しずつ明らかになり、これは視聴率が稼げる、みんなで渡れば怖くないと連日連夜各社から報道されるにいたった。
 ここまでは、右派は森友学園・籠池理事長をかばう姿勢で、教育勅語に問題はない、払い下げは適正に行われた、小学校認可も問題ないという立場だった。それに対し左派は、払い下げ価格や小学校認可手続きにおおいに疑義がある、学園の教育内容にも問題があり、籠池理事長は怪しげな人物であるという立場だった。
 それが23日の喚問では、右派が籠池理事長はインチキだ、詐欺師だと徹底的に叩く方にまわり、左派は、籠池理事長を壊れ物でも扱うように、理事長も大変ですけどがんばって、この際なにかしゃべってくださいね、と教育内容などにはいっさい触れることなくすり寄っていた。双方ともあきれるくらい見事なてのひら返しだった。
 第二に喚問の登場人物にそれぞれにキャラクターがたっていて、見ごたえがあった。
 最初に出てきた自民党議員は大声で理事長を恫喝。安倍さんこんなに叩いてますよ、と見てもらいたいのか。これまで思想的には同志だったんじゃないかと思うのにこんなに居丈高だと、逆に理事長がかわいそうな気がしてくる。
 警察官僚出身だという自民党議員は、ねちねちという感じで責め立てて理事長に「たたみかけて失礼だ」と言わしめた。テレビドラマ「相棒」に出てくる、主人公杉下右京をなんとか排除しようとたくらむキャリア官僚たちを彷彿とさせ、あれはリアリズムだったのかと思わず手をうった。
 維新の議員は恫喝しながら「大阪府知事がはしごをかけてあげたのに、あんたが自分ではしごから落ちたんじゃないか」と、気のきいたことを言ったつもりで、ついついはしごをかけてあげたと言ってしまったのは道化のようなものか。
  理事長の、小学校の申請書類に書類に間違いがあったのなら、受付時に言ってくれればこんなことにはならなかったのに、というのは完全な逆恨みだから維新が怒るのも無理はない。
 他の党が理事長が教員免許を持っていないことを非難していたが、そういえば、免許のない民間人校長がいろいろ問題を起こしたのは維新の大阪だった。人を見る目がないのではないか。
 キャラ不足だったのは民進党。いかにも頼りなく、理事長の機嫌を損じないように、思想や教育内容などには触れもせず、おそるおそる誰かの名前を出してくれないかと聞いていた。証拠になりそうなFAXの話が出てくると、ほんとにこれ出していいですかと大慌て。こんな頼りないキャラではとても政権はとれそうにない。
 主役の籠池理事長は、午前午後の長時間の緊張をしいられる質問に耐えて、おじず臆せず堂々としていた。タフである。怪しい三種類の契約書の話は「刑事刑事訴追の恐れ」で逃れながら、そのほかの質問にはひとつずつ明確に答えていた。
 たまに国会中継のテレビを見ると、質問はまず自分のアピールが中心で、答弁ははぐらかしばかりとちっともかみ合っていない。国会の質問・答弁もこれくらいちゃんとやったらどうかと思うくらいだった。
 契約書の他にも経歴や推薦入学枠の話とか、どう考えても怪しげな人なのだが、それがいつのまにか国家権力に素手で雄々しく立ち向かう個人みたいな立場に立ってしまっている。うまいというか、タフというか、主役にふさわしい怪人物だ。
 それに質問のあちこちには、首相夫人という、いまだ表舞台に登場しないヒロインの姿が見え隠れして、続編での登場が期待されるという筋立てにもなっていた。記憶のあやしい防衛相という露払いもいたし、豪華絢爛である。

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 国有地の払い下げや教育行政が縁故でねじ曲げられているのではないかという主題はきわめてわかりやすい。お代官様と越後屋の「おぬしもワルよのう」という話と同じである。それに首相夫人という彩りまで添えられている。これで盛り上がらないわけがない。
 もっと大事なことがいくらもある。国会もマスコミもいつまでもこんな下世話なつまらないことにかまけているんじゃない、という識者の意見もあるようだ。たしかに北朝鮮のミサイルだ、安保法制だという話に比べれば、一小学校の認可云々(うんぬん)ははるかに小さい。
 しかし一国の行政が、「私人」であるという首相夫人の「私的な」意向で動いてしまうことを、そのまま見過ごしておくわけにはいかない。国民が政治家や官僚に権力を委ねているのは、彼らが恣意的にその権力を行使することはない、してはならないと考えられているからである。「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」(日本国憲法第15条2項)――その前提が崩れてしまうな話は、きちんと究明されなければならない。でなければ安保など難しい問題を委託することはできない。
 たたただ下世話でスキャンダラスだから、みんなが喜んで騒いでいるだけではない。基本にそういう問題があるからこそ、これだけの事件になっているのだ。
 というのはおもしろがって予定をさぼってまでずっとテレビを見ていた自分への弁解でもあるが、奥方様のお声がかりひとつで御政道がゆがめられてしまうような世の中は、黄門様だってよしとはしないだろう。

 

 

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