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2017年6月 8日 (木)

田吾作先生

 ここのところ高校時代の友人たちと何度か会っている。6月3日(土)も名古屋へ行き、同級生たちと、三年前に亡くなられた山田先生の家を訪れた。

 「山田田吾作です」
 本名は俊作だが、初任校だったわたしたちの高校の最初の授業で、先生は生徒にそう自己紹介した。これが受けないわけがない。以来「田吾作」があだ名になった。先生の必殺つかみネタだったのかもしれない。
 早稲田大学文学部露文科を卒業したばかりの二十三歳、わたしたちにいちばん歳の近い先生だった。スポーツ刈りのような短い髪で、色がとても白かったが、いわゆる優男ではない。ひげ剃り後が青く鼻が高く、彫りが深くて男らしい。今の言葉で言えばなかなかのイケメンだった。たいていスーツではなくジャケットを着てスニーカーを履き、鞄ではなく風呂敷包みを持っていた記憶がある。あまり冗談はいわなかったが、話す言葉は明快率直、明るい人だった。

 先生の家で仏壇を拝み、奥さんと娘さんの話をうかがう中で、少しずつ昔のことを思い出した。同行の三人は三年のとき先生が担任だったが、わたしは別のクラスで、二年、三年のときに現代国語を教えてもらった。

 いつも活気のあるにぎやかな授業だった。というのも、生意気盛りのわれわれが、なんとか先生を言い負かしてやろうと、あれこれ質問や議論をふっかけるのに対して、先生がいちいちきちんと回答や反証を返してくれていたからだった。
 今考えると、かなり馬鹿な質問や青くさい議論が多かったと思う。歳が近く親しみがあり、そのうえみんな生意気だったので、ついつい屁理屈をこね、えらそうなことを言っていた。思い出すと恥ずかしい。しかしそれをバカにしたり怒ったりしないで、いつもそれはこうだ、ここが違う、と本気で答えてもらった。
 さすがに五十年以上前のことなので具体的なやりとりまでは思い出せないが、あるとき先生との論争の途中で自分が間違っていることに気づき、焦ったことがあった。しかしそのまま自分の間違いは認めないで、まあ先生の言い分も認めてやらんでもない、くらいのことを言って引き下がった。まったく馬鹿だった。
 真面目で、生徒に真剣に向かいあってくれる、いい先生だった。県立なので、わたしたちの学校の後、転勤でいくつかの学校をまわられたが、奥さんの話では、どこでも、問題があるとされる生徒によく慕われたそうだ。

 前に書いたように、若くてなかなかのイケメンだったから女子にも人気があった。
 当時、一年先輩の女子二人が、先生が古典の授業で平安時代の恋の歌の説明をしているうちに、色白の顔がぽっと赤くなって…と話しているのを聞いた。そのとき「うふふ、かわいい」と言ったかどうかは記憶にないが、そう言わんばかりの雰囲気だった。先生、若くて純情だったのである。

 同じ頃やはり新卒の化学の先生がいた。こちらはおとなしく内向的で、黒板に板書しながら小さな声で説明するので言っていることが聞き取れず、男子生徒の評判は悪かった。でもいかにも優しそうでこちらもイケメンだったので、女子の評価はちょっと違っていたようだ。
 わたしの化学の成績が悪かったのはあの先生のおかげである――わけではないかもしれない。

 露文科の出身が関係あるのかどうかわからないが、思想的には左翼で、それを隠そうとはしなかった。生徒をオルグするようなことはしないが、立場ははっきりしていた。
 中野重治と魯迅が好きだった。新任したばかりの年には中野重治、中野重治と吹聴していたらしい。それが翌年、わたしが初めて先生の授業を聞いた二年生のときには、あまり中野重治のことを言わなくなっていた。
  ちょうどその頃中野重治らが共産党と対立して除名されたのだった。先生が「近頃は中野重治もヤキがまわってあかんけれど…」と、さみしそうに言ったことを覚えている。思想の対立が文学の趣味にまで影響を及ぼすのか、大人の世界は難しい。ちょっと先生が可哀想だった。

 その頃同級生の一人が先生の自宅を訪れた。
 そうしたら、いつもプロレタリアート云々と言っている先生の家が、大きな立派な家で驚いた。先生は地主でブルジョワの息子ではないか。上げてもらってさっそく、これは日頃の言動と矛盾する、おかしくないですか、と例によって議論に及んだというが、その内容までは聞いていない。
 彼は当時生徒会の役員をやって左翼思想をかじりつつ、一方では日の丸大好きの軍事オタクという複雑な二足のわらじだった。卒業後、東京でばったり会ったときに右の方の学生の全国組織委員長という肩書きの名刺をもらって驚いた。
 二年生のときの担任だった西洋史の先生の自宅も訪問しており、そちらは「赤貧洗うが如く」だったと言う。さすがにこの表現は失礼だろう。ただ高校二年のときは昭和39年(1964)、東京オリンピックの年で、まだあちこちに今にも壊れそうなバラックのような家があった。生活ではなく建物を形容したものと理解しよう。
 今回訪れた先生の家は建て替えられていて、地主を連想させるほど豪壮なものではなかったが、やはり大きくて敷地はかなり広かった。それなりの家のお坊ちゃまだったのだろう。そういえば名古屋では有名な私立の進学校の出身だった。

 レポートだったかに小林秀雄の悪口を書いて、先生にほめられたことがあった。「花の美しさなどない、美しい花があるだけだ」という有名な小林の言葉を、カッコつけだけで中身がないと生意気なことを書いたような気がする。ともかく小林はダメだということで先生と意見が一致したのだろう。

 おぼろげな記憶で事実確認はしていないけれど、先生はわたしたちの入学とともにやってきて、卒業と同時に転勤していったように思う。それが先生の希望だったのか、学校内で何かあったのかよくわからなかったが、勤務状況に問題があったとは思われず、わたしたちはそれを「田吾作が三年で飛ばされた」と形容した。
 何年かたって、先生が二番目の高校での教え子と結婚したという話を聞いた。
「飛ばされてよかったじゃないか。あのまま残ってたら嫁さんなんか見つからなかったぞ」
 友人たちとそう言って先生の結婚を喜んだ。

 わたしたちの高校は女子が少なく、一クラス五十人ぐらいのうち十人ぐらいだった。女子クラスをつくらず平等に配置してあったのは戦後民主主義のせいだったろうか。一クラス五十人いたというのはたしかに戦後、団塊の世代のしるしで、われわれは小さいころからずっとこれくらいの人数の教室で育ってきた。今は高校で三十人から四十人くらい、小中はもっと少なく、二十人から三十人くらいのようだ。
 進学校だったせいで、わが校の女子はガリ勉でブスという定評・風評があった。同級生女子の名誉のために言っておくが、けっしてそんなことはない。ただ絶対数が少なかったからそれだけ美人も少なかっただけである。
 美人の分布を、ちょうどそのころ数学で習った「正規分布」と考えれば、平均から離れるに従ってその個体数は少なくなっていく。集団の絶対数そのものが小さい場合には、平均から離れたところにある美しい個体数はずっと少なくなる理屈である。あまり弁護になっていないか。

 先生はその後も何度か学校を移られた。先生の著作をインターネットで検索したとき、そのうちのひとつである高校のフェイスブックの頁に先生の名前を見つけた。→https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=609371775807958&id=266706006692667
 ここでは先生は「俊作さん」と呼ばれていたらしい。わたしたちにとってはずっと「田吾作」先生だったけれど、先生もいつまでも十五、六の高校生から田吾作と呼ばれたくはなかったのだろう。受け狙いの「田吾作です」はやめていたのだ。
 ではいつから田吾作をやめたのか。ひょっとしてわたしたちとの三年間だけ田吾作だったのかもしれない。転校を機にイメージ・チェンジをはかったことは十分考えられる。奥さんに当時のあだ名を聞いておけばよかった。

 教頭や校長になることはなく、一教師として生涯を全うされたそうだ。亡くなる前にご自分で書いて遺されたという逝去告知の文章には次のように書かれている。

 非常勤を含め、四十九年間国語教師として高校の教壇に立ち、国語科教育法、また日本語表現法の講師として九年間、大学の教鞭を執り、著作を三冊上梓し、万葉集を初めとする日本文学やプーシキンやゴーゴリを祖とするロシア・ソヴィエト文学を中心に、数えられぬほど本を読んだ生涯でした。

 卒業以来お目にかかることもなく、おそらく先生の記憶にはわたしのことなど残っていなかったでしょうが、わたしの記憶には先生のことがいろいろ残っていました。お世話になりました。本当にありがとうございました。
                         合掌

 

Photo
   アマゾンで検索して出てきた二冊のうち一冊を購入した。
 山田俊作ほんのきれっぱし 読書案内293』(同時代社、1993)。
 内容紹介に「 古典、必読書、話題の書…。古今東西の293冊の「粋」を引き出して、本好きにさせてくれる本。」とある。あとがきによれば、1985、1986年度に先生が自分のクラスの生徒宛に毎日配った読書案内のプリントを基に、再編集・書き直しをしてまとめたものらしい。
 まえがきにはいきなり「昔々、高校生のころ、わたしは明けても暮れても中野重治、チェーホフ、魯迅だった。」とある。先生の本だ。ゆっくり読もう。

 

 

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