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2017年10月16日 (月)

予約後九カ月

 こんなニュースが流れている。

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  文藝春秋の社長が、図書館で文庫を貸し出すのはやめてくれ、文庫本の売り上げに影響がある。文庫本ぐらいは自分で買って欲しいと訴えたということだ。
 しかし今図書館で文庫を読んでいる人たちが、図書館に置かなくなったら新刊の文庫を買うようになるのかどうか、きわめて疑問だ。
 文庫に出版社の収益がかかっているというが、名作を文庫にするという昔のやり方を変えて、新刊を名作駄作関係なしにすぐ文庫にしてしまうようにしたのいったい誰なのか。
 そもそも文庫に限らず本が売れなくなったのは、スマホなどの普及とか少子化とか他の理由の方が大きいのではないか。

 図書館のおかげで本の売上が減るという主張は以前から繰り返されてきた。
 特にベストセラー小説などは、殺到する市民からのリクエストに応えるため、図書館が何十冊も買い込んで提供することから「複本問題」と呼ばれて、昔から問題にされてきた。
 横浜市は18区あって図書館も18あるが、渡辺淳一の『失楽園』がベストセラーになったころには、横浜市の図書館全部で上下100組以上所蔵していることが取り上げられた。けしからん、図書館は無料貸本屋かと問題になった。(これには「あんなエロ小説を!」という話も付随していたと思う。)

 ちょうど今月の6日、近所の地区センターから、わたしが図書館に予約しておいた本が届いたという連絡があった。
 横浜市の図書館は便利になって、インターネットで予約ができ、場所によっては図書館以外の近所の施設まで配達もしてくれる。わたしは喜んで利用させてもらっている。
 今回届いた本は、宮部みゆき『三鬼』(日本経済新聞出版社、2016)である。

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 宮部みゆきの新刊はたいていベストセラーリストに入る。図書館でも人気だ。
 この本の刊行は2016年12月9日でわたしが予約したのは2017年1月8日だった。このとき予約の順番は601番、つまりわたしの前に順番を待っている人が600人いたわけだ。それが順々に消化されて、ようやくわたしの順番が回ってきたのは2017年10月6日。約9カ月かかったことになる。長い。
 わたしが予約を入れた時点では、横浜市の在庫は全市で14冊だったが、現在の在庫をみると45冊に増えている。予約リクエストに応えるために増やしたものだろう。ちなみにわたしが借りた後の現在でも500人以上の待機者がいる。

 この45冊の在庫は多いか? 45冊ずらっと並んだところを想像するとずいぶん多そうだが。横浜市の人口は(平成29.10.1推計)3,733,234人。人口当たりにすると、3,733,234人÷45冊≓82,961人に1冊。約83,000人ぐらいの都市を調べてみると、秋田県大仙市、熊本県天草市、兵庫県豊岡市、埼玉県行田市といったところが並ぶ。
 これらの都市の図書館に新刊の宮部みゆきを1冊購入したとして、それは問題になるようなことだろうか。借りる方だって9カ月待つのだ。図書館の役割とか存在意義を考えてみれば、許容範囲というか、あたりまえのことではないか。
 出版社だって、図書館に1冊も本が置いてない作家より、たくさん置いてある作家の方が売れるのではないか。
 

 出版社の理屈でいくと、図書館が貸し出さなければ『三鬼』は、これまでに横浜市で約600冊余計に売れていた筈であり、予約残りの分も含めれば千冊以上の売れ行きを逃した、図書館はけしからんということになる。
 しかし前にも書いたように、これらの読者が全部、図書館になければ自前で買ったかどうかはきわめて疑問だ。図書館で借りられるから読んでいるという人が多いのではないか。
 わたしは買わない。この本の定価は1,800円。宮部みゆきは好きな作家だけれど、新刊が出る都度買い込むほどではない。それに現在では新刊から3年くらいで文庫に入る。文庫に入る頃には、単行本はブックオフで100円で売っていたりもする。財布と相談すれば、少し待ってから読もうということになる。
 文庫が出版社の収益の基礎だからという話には、3年くらいの短期間で売れそうなものはみんな文庫に入れてしまうからじゃないかと言いたくなる。
 本が売れない売れないと言いながら、都心の大型書店へ行くと、やたら売り場面積が広くて、色とりどりのいろんな本が所狭しと並べられ積み上げられている。めまいがするくらいだ。最近は鞄だのなんだのいろんなオマケ付きの雑紙まで出ていて驚く。手を変え品を変えこれだけの点数を出版し続けていて、売れないから出版不況だ、図書館はなんとかしろというのはお門違いだろう。
 図書館で本を借りる理由には、本を買い続けていると家に置く場所がなくなるということもある。たまった本を紐で縛って廃品回収に出したり、ブック・オフのような店に持っていったりしていると、図書館で借りられるならそちらの方がいいということになってくる。
 本の好きな人はいろんな事情がある中でやりくりしながら本を読んでいる。その中で出版社も、どのようなかたちで本を届けるか、考えていくしかないだろう。一方的に、こちらの栓を閉めてしまえば向こうの蛇口からたくさん出てくるというわけにはいかない。

 出版社の話ではないけれど、著作権について内田樹が書いた文章を引用しておく。無償で読む読者が増えれば有償で読む読者も増えるだろう、という話だ。
(内田樹の研究室「読者と書籍購入者」から)http://blog.tatsuru.com/2009/01/07_1103.php

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もの書く人間は「購入者」に用があるのか、「読者」に用があるのか。
私は「読者」に用がある。
読者の中には「本を購入しない読者」がいる。
図書館で読む人も、友だちから借りて読む人も、家の書架に家族が並べておいた本を読む人も、ネットで公開されたものを読む人も、さまざまである。
どれも「自分では本を購入しない読者」たちである。
だから、彼らの読書は著作権者に何の利益ももたらさない。
けれども、おそらく「本読む人」の全員はこの「本を購入しない読者」から、その長い読書人生を開始しているはずである。
私たちは無償のテクストを読むところから始めて、やがて有償のテクストを読む読者に育ってゆく。
この変化は不可逆的なものであると私は考えている。
私たちの書架にしだいに本が増えてゆくにつれて、そこにはある種の「個人的傾向」のようなものがくっきりと際だってくる。
書架は私たちの知的傾向を表示する。それは私たちの「頭の中身の一覧表」のようなものである。
だから、「本読む人」は必ず「個人的な書架」を持つことを欲望する。
その場合書架に並べられるのは、おおかたが購入された書物である。
図書館の本や借りた本やネットで読んだ本はそこにずっと置いておくことが出来ないからである。
もし物を書く人間に栄光があるとすれば、それはできるだけ多くの読者によって「それを書架に置くことが私の個人的な趣味のよさと知的卓越性を表示する本」に選ばれることであろう。
「無償で読む読者」が「有償で読む読者」に位相変換するダイナミックなプロセスにはテクストの質が深くコミットしている。
「この本をぜひ私有して書架に置きたい」と思わせることができるかどうか、物書きの力量はそこで試される。
原理的に言えば、「無償で読む読者」が増えれば増えるほど、「有償で読む読者」予備軍は増えるだろう。
だから、ネット上で無償で読める読者が一気に増えることがどうして「著作権者の不利」にみなされるのか、私にはその理路が見えない

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 宮部みゆき三鬼』は期待にたがわず面白い本だった。
 江戸は神田の商店のお嬢さんが、奇怪な体験をした人たちから話を聞き取っていく「百物語」シリーズの第四巻。怪談話が民話のような風景を思い起こさせる。
 おすすめします。お金に余裕のある方はどうぞ新刊を購入してお読みください。

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コメント

それほど面白い本なら、と私も図書館に予約しました(お金に余裕がないもので)。すると、わがO市では蔵書30冊、順番は388人目、人口数を勘案しても文化水準は横浜市の半分程度ということになってしまう。

投稿: Cheope | 2017年10月17日 (火) 12時29分

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