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2017年11月

2017年11月30日 (木)

江南8 西湖を歩く1

西湖を歩く

 さてこの日はここからが大変だった。
 例によってバスを停められないからレストランの駐車場に置いていく。目的の浙江省博物館へは、両先生にはタクシーで行っていただくが、その他は歩くことになった。30分ぐらいかかりそうだというが、帰りはみんなタクシーで帰るということで、歩き始めた。
 有名な西湖のほとりの散歩である。景色も道も悪くはなかった。

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 岳王廟の前を通る。岳飛(がくひ)の墓所である。見たかったが、ガイドのSさんはどんどん先へ行ってしまう。ここは予定外であるらしい。

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Dscf6767 近くには岳飛の像も建っていた。岳飛は南宋の武人である。最近は北方謙三の小説『岳飛伝』で日本でも有名なようだ。
 北宋の滅亡後、中国北部は金の支配下にあり、南宋は杭州(臨安)を都としていた。岳飛は金との戦いで何度も戦功を挙げ主戦派の筆頭であったが、宰相の秦檜(しんかい)は金との講和を進め、岳飛を謀殺した。秦檜は毎年大金を金に貢ぐという屈辱的な和議を結んだ。
 岳飛は愛国の英雄とされ、秦檜は売国奴とされる由縁である。岳飛は背に「尽忠報国」の四文字を刺青していたという。
 後生、岳飛廟内には檻に入れられた秦檜夫婦の像が作られ、見物客が唾を吐きかけたり、叩いたりする習いだったそうだ。今は「唾を吐きかけるな」と看板が出ているらしい。
 その秦檜の像も見たかったのだが、かなわなかった。

 西湖の北岸から孤山という小島にある浙江省博物館を目指して歩く。水面に見えるのは蓮。

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 遊覧船が通り過ぎて行く。

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 西湖は中国四大美女の一人西施(せいし)にたとえられる。 蘇軾(そしょく、蘇東坡)の有名な詩がある。

飮湖上初晴後雨二首 蘇軾 

水光瀲灔晴方好

山色空濛雨亦奇

欲把西湖比西子

淡粧濃抹總相宜

 湖上に飲す 初めは晴れ後雨ふる二首   蘇軾 
水光瀲灔(れんえん)として晴れて方に好し
山色空濛として雨も亦奇なり
西湖を把って西子に比せんと欲すれば
淡粧濃抹(たんしょうのうまつ)総べて相宜し

西子西施。春秋時代の越の美人。呉王夫差に愛され呉の滅ぶ一因となった。

 「淡粧濃抹総べて相宜(あいよろ)し」 化粧が薄くても濃くてもすべて美しいということ。
 日本でも芭蕉が「奥の細道」で
  象潟(きさがた) や雨に西施がねぶの花
と詠んでいる。「ねぶの花」は「「眠り」をかけてあって、これは「象潟の雨に濡れたねむの花を見ていると、西施がなやましげに眼を閉じている姿が浮かんでくる」ということだという。
 ちなみに「ひそみにならう」という言葉も、西施が病気になり眉をしかめたのが美しく見えたのを、醜い女が真似をしたことからきているそうだ。主に他人のする通りに自分もすることを謙遜して言う。
 つまり西施は薄化粧でも厚化粧でも、目をつぶっていても、眉をしかめても美人だったというわけだ。是非一度お目にかかりたい。
 ともかく西湖は晴れて好し雨でも好し。この日の西湖もなかなかよかった。

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 蘇軾が杭州の知事時代に作ったという堤防が蘇堤、白居易の知事時代のものが白堤と呼ばれ、現在もあるが、歩いてきたのはそことは違う。

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 やがて浙江省博物館へ着いた。

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Photo 魯迅紀念館でもそうだったが、入館の際、荷物のX線チェックがあった。ガードマンのような人が立ち会っている。高速道路の料金所でも、大型バスは脇へ行ってチェックされていた。中国ではどこもセキュリティチェックが厳しいようだ。 博物館では土器から陶器、青磁の皿だの壺だのをたくさん見た。相当の量があるから、じっくり見ていると時間がかかる。
 わたしは、なんでも鑑定団に出したらいくらぐらいの値段がつくものかぐらいしか考えることがないから、まあ適当に見た。ここでも同行の人たちは熱心に見ていた。

 

 

 

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2017年11月27日 (月)

江南7 霊光菜館

霊光菜館
 昼食は西湖の近くの霊光菜館( 簡体字「灵光菜馆」 )だった。

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 昼間から中華のフルコースという感じで、ずいぶん品数があった。

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 地元の料理がいくつか出た。東坡肉(トンポーロウ)は杭州名物のひとつで、詩人の蘇東坡(蘇軾)が考案したとされる。この後の他の店でもよく出た。
 しかし本場の東坡肉は意外に素っ気ない味で、これなら日本の方がうまいと思われた。わたしはこれが好きなので、ちょっと残念だった。

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 これは叫化鶏(きょうかどり、チャオ・ホア・ジ)。叫化とは物乞いのことで、別名乞食鶏。英語名は”Beggar's Chicken”である。
 その昔、乞食がたまたま鶏を手に入れたが、調理器具がなく泥で鶏を包んで土の中に埋め、その上で焚き火をしたらとてもおいしかったのが始まりだという。
 鶏を蓮の葉でくるんでさらに粘土で全体を包み、丸ごと蒸し焼きにするのだそうだ。これはなかなかいけた。

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2017年11月23日 (木)

江南6 杭州霊隠寺

第2日(10月26日)

杭州へ
 朝6:30に朝食で、7:30にロビー集合・出発と今日も朝が早い。それでももう街には車がたくさん走り始めている。

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 上海を外れると車も空いてきた。今日の目的地は杭州(こうしゅう)。中国には広州もあるので、中国通は「くいの杭州」「広い広州」と呼び分けるらしい。上海から直線で160kmくらいあるが、ずっと平らな道で山がどこにも見えない。長江デルタ地帯は平らで広い。
 ガイドのSさんによれば、上海の人口は2,400万人、蘇州が1060万人で杭州はちょっと少なくて920万人くらいだという。この数字はどこまでを市域に含めるかでだいぶ違ってくるらしいが、それにしても杭州や蘇州に1.000万人もいるとは驚いた。
 漢詩の下調べはしたが、そっち方面の下調べはしてこなかった。なんとなく地方のひなびた風情がある都市だろうと思っていた。まったく認識不足で、どちらも大都会なのだ。横浜の人口は370万人だといっても、それが何か? と言われそうだ。

 二時間近く走って嘉興(かこう)のサービスエリアでトイレ休憩をとった。

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 嘉興あたりは粽(ちまき)が名物だそうで、売店で買って食べてみた。しょうゆ味が濃くてうまい。これに比べると昨日食べた南翔饅頭店の粽は薄味で上品だった。わたしは嘉興に軍配を上げる。

霊隠寺(れいいんじ)
 杭州に入り、目的地の霊隠寺に近くなって、ようやく山影が見えてきた。

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 霊隠寺に近づくと車がずっとつながっている。観光客で渋滞しているらしい。中国では観光地はどこも大賑わいになっているようだ。国にそれだけの余力が生じ、活力があるということだろう。

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 霊隠寺には、その昔インドの慧理和尚(えりおしょう)がこの地に至り、この山は天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)が飛来してきたものではないかと、ここに寺を建てたという伝説がある。だから寺の前の山は飛来峰(ひらいほう)と呼ばれている。
 写真の建物は「霊隠飛来峰售票处」で「售票处」は切符売り場である。ところがここは飛来峰の部分の切符売り場で、霊隠寺の中へ入るのはまた別料金になっていた。中国の観光地もしっかりしている。

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 飛来峰のふもとの渓谷の崖にたくさんの石仏が彫ってある。五代十国の呉越時代から元の時代まで、約340の磨崖仏があるという。

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 中でも有名なのが、巨腹の布袋像で、さっき買った切符にも載っている。

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Dscf6725t_2 これがその現場の写真。

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 腹の大きな布袋さんは中国で人気があるのかと思っていると、これがなんと中国では弥勒菩薩なのだという。
 それはないだろう。弥勒菩薩といえばほっそりと女性的で、いかにも慈悲に満ちたやさしく尊いお姿というのが日本の常識である。広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩像が有名だ。
 しかし中国では本当にこれが弥勒なのである。証拠を見せよう。もう一つ同じような布袋像があった。

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 右足元の看板を拡大してみる。ほら、ちゃんと「布袋弥勒」と書いてある。

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 司馬遼太郎は、『街道をゆく19 中国・江南のみち』に書いている。
 布袋というのは後梁(907~923)のころ実在の禅僧で、家をまわって食を乞い、もらうと大きな布の袋に入れていた。そのため「布袋」と呼ばれた。腹が異様に大きく、常に半裸で、雪の中でもそのまま寝た。いわば異常人であった。だからその死後、布袋は弥勒菩薩の化身だったという伝説が生まれ、やがてそれが定着したのではないか、と。

 このお寺は中国禅宗十刹の一つで中国でも有名なお寺であったらしい。
 天王殿というお堂にかかる「雲林禅寺」の額は、清の康熙帝が書いたものだという。(下の「霊鷲飛来」は違う)

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 康熙帝は、けっこうポップな書体だったのだなあと思い、ここの主仏が金ピカの弥勒菩薩=布袋さんであるのを見ると、同じ仏教でもずいぶん違うと思わざるをえない。

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 いくつもある建物もずいぶん大きくて、色彩豊かである。

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 中の仏像も大きく派手やかだ。こんな大きくカラフルな像がたくさんあった。

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 敬虔な信徒らしい若い人たちがけっこういたのもちょっとした驚きだった。

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 現地の人たちのお参りの仕方は日本とは違う。両手でお線香を持ち頭の上にかざして、二拝三拝する。仏前にはひざまずくためのマットが置いてあって、そこでひざまずいて祈る。寒山寺でも同じだった。
 横浜の関帝廟は道教だが、同じように拝まれていたと思う。これが中国風参拝方式か。
 若い人たちが一生懸命祈っているのを見ると、中国共産党が宗教に寛容になったことはわかる。しかしこの先どうなるのかはまだわからない。
 真面目に祈っている人たちをパチパチ写真に撮るわけにもいかないので、下の写真はおおむね御一行の日本人である。

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 さて長くなった。厲鶚(れいがく)という清の文学者の漢詩を引いて終わりにしよう。

 霊隠寺月夜 厲鶚

夜寒香界白
澗曲寺門通
月在衆峰頂
泉流亂葉中
一燈群動息
孤磬四天空
帰路畏逢虎
況聞岩下風


霊隠寺月夜(れいいんじげつや) 厲鶚(れいがく)

夜寒く 香界白し
澗(たに)曲り 寺門通ず
月 衆峰の頂に在り
泉 乱葉の中を流る
一灯 群動息(や)み
孤磬(こけい) 四天空なり
帰路は畏(おそ)る虎に逢わんこと
況んや岩下の風を聞かんことを

○香界 仏の世界。霊隠寺境内。
○群動息 生き物が動きをとめて休息する。
○弧馨 馨(けい)は古代の楽器。ここでは禅寺の魚板(ぎょばん。たたいて時刻や食事を知らせる木の板)。カーンと鳴った後、四天が静まり返った。

 虎が出るのを心配するほど寂しいところだったらしいが、現在は観光客でにぎやかなところであった。

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2017年11月20日 (月)

江南5 田子坊・錦江飯店

田子坊
 田子坊(でんしぼう)を「たごぼう」と読んでいるガイドブックもある。どちらにせよ日本語読みで拼音(ピンイン)では  tián zǐ fāng だ。「ティエン・ズ・ファン」か。
 ここはいかにも中国風の豫園とは違って、今風の雑貨やブティック、カフェが並んでいる街のようだが、狭くてゴチャゴチャしていて人出が多いのはおんなじだ。

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 中国の若者たちの「こじゃれた街」なんだろうが、雑然感が高すぎる。
 それに日本でも「こじゃれた街」には縁が遠いから意気が上がらない。だいたい「こじゃれた」という感覚が気に入らない。洒落るんなら思い切り「大じゃれ」てみろ。ちょっときれいで、ちょっと高級そうで、値段もちょっとだけお高いけれど…なんてセコイ! これはこの街には関係ない、年寄りの日頃の鬱屈。上海で力んでみても仕方がない。

 ここもゴチャゴチャ全体の面積は相当広い。

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 無計画に街が拡張を続けた結果だろうか、電線が凄いことになっている。

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 表通りはプラタナス並木がきれいだ。バスで通りながら案内してもらったところによると、大きな並木の通りはほとんど外国の租界だったところらしい。バスに枝が触るくらい繁っていた。

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 ここでもひととおり観光が終わって次へ移動というときに、バスがなかなか迎えに来ない。バスを停められる所が限られているから遠くに停めているのに渋滞が加わってさらに遅くなる。
 この後に新天地というさらに現代的な繁華街へ行く予定だったが遅くなってしまったし、朝が早くてみんな疲れてきたので、省略して宿泊予定の錦江飯店へ向かう。

 

錦江飯店
 錦江飯店(ジンジャン・ホテル)は租界時代からのクラシック・ホテルで、アメリカのニクソン大統領も泊まったという。わたしのガイドブックでは5つ星がついている。
 改築・増築さてていて、われわれが泊まった建物はそんなに古そうではなかった。写真は翌朝撮ったもの。

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 夕食はまたバスで、黄埔区九江路の华盛大厦(華盛大廈)というビルの4階にあった「悦来大酒店」という上海料理の店に行った。

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 予約の時間より遅れたせいか、テーブルには料理がすでに全品並んでいた。おいしかったが、スープがぬるくなっていたのは残念だった。上海料理は全体に薄味というか、味がきつくないようだ。

 夜の外灘(ワイタン)の観光は、これも観光バスを停める所がなく、降りると2キロは歩かないといけないというので中止。バスの中から夜景を眺めるだけになった。高層ビルの展望台へ行くオプションも中止になった。
 しょうもない写真しか撮れなかったので小さく載せておこう。

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 ホテルへ戻って、S田先生の部屋でU山さんともどもウイスキーをご馳走になり、ともかく無事ツアーが始まったことを祝う。朝早かったので、けっこう長い一日だった。

 

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2017年11月16日 (木)

江南4 魯迅紀念館

 昼食の後は魯迅紀念館へ行った。魯迅公園の中にある。近くには魯迅故居と魯迅の墓もあるそうだが、そちらは行かなかった。

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 記念館だから型どおり、経歴や作品紹介、当時の写真、作品掲載誌などが並んでいる。わたしはざっと見るだけでよかったが、意外なことに同行の皆さんは熱心にあれこれ見ている。

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 魯迅は高校生のころ、『阿Q正伝』『狂人日記』などを読んだが、どこがいいのかよくわからなかった。若者がどかんと感動するような作品ではない。
 しかし中国ではきわめて評価が高い。革命運動の指導者的存在であったことが大きいのだろう。
 それに、わたしにはよくわからないことだけれども、「中国に近代文学を成立させた」と評価されるのは、文体の問題があるのだろうと思っている。新しい口語の中国語の文体を作った。言ってみれば、革命運動に参加した夏目漱石のような存在であったのではないか、と夢想する。

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 一室には壁の両面に魯迅の研究書ばかり数百冊展示してあった。多すぎる。これだけあると半分ぐらいは中身の薄いヨイショ本に違いない。
 しかし日本の漱石だって研究書や論文はこれに負けないくらいあるだろう。双方とも、文学研究者にとっては欠くことのできないメシのタネというわけだ。
 魯迅も漱石も尊敬している。研究と称する同工異曲で内容のない本が多いのにちょっとうんざりしているだけだ。

 第3日の蘇州の漢詩愛好団体との交流会で、魯迅の漢詩を書いた書をいただいた。

Dscf7137t 魯迅が1931年3月、日本人の劇評家升屋治三郎に贈った詩で、無題であったが、全集などでは「贈日本歌人」と呼ばれているようだ。

 無題 (贈升屋治三郎) 

            魯迅

 春江好景依然在

 遠国征人此際行

 莫向遙天望歌舞

 西遊演了是封神

  
 春江の好景 依然として在り

 遠国の征人 此の際行く

 遙か天に向かい歌舞を望むこと莫れ

 西遊 演じ了する是れ封神

  〇春江 春申江を指す。黄浦江の別名。

 この詩の意味がいまいちつかめない。西遊は京劇の西遊記のことだろうか。
 それはともかく、日本から漢詩好きが来るんだから、日本人にちなんだ詩を、とわざわざ書いてくださったものだ。ありがたい。

 この魯迅公園の近くが昔の日本人居留地で、内山完造の内山書店もあって日中文化人のサロンとなり、魯迅や郭沫若なども出入りしていた。升屋治三郎もその一因だったというわけだ。
 内山書店は今も神田にあって、中国・台湾系の書籍の専門店として有名である。
 

 追記:「贈日本歌人」について、魯迅全集で確認した(第9巻、学習研究社、1988年2刷)。
 読み下しと訳は次のとおり。

 春江の好景 依然として在り

 遠国の征人 此の際(とき)に行く

 遙か天に向かいて歌舞を望む莫(なか)れ

 西遊 演じ了(おわ)れば 是れ封神

 春申江のすばらしい風景は、昔のままに存在するが、遠い国からやってきた旅人たるあなたは、このときに、お国にお帰りになる。
 はるかかなたの日本の空から、中国の歌舞をながめようとは、なさるな。「西遊記」の上演が終われば、つぎは「封神演義」というありさまなのだから。

 起句、承句は升屋治三郎が日本に帰るという話で問題はない。
 転句、結句については、当時の蒋介石政権の状況を「西遊記」や「封神演義」の魔物たちの踊る姿に例えたものだという。
 また当時の京劇が「西遊記」や「封神演義」をゆがめて演劇化しているのを非難したものだという説もあるらしい。
 どちらにせよ、当時の状況を詳しく知らないと、この詩だけではわからない。

 

 

 

 

 

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2017年11月13日 (月)

江南3 上海へ

 さて最初に戻って出発の日から順に書いていくことにする。

第1日(10月25日)

空港バス

 朝が早かった。4時に起きて、港南台駅前5時発の京急リムジンバスに乗った。
 8時40分羽田発の便だから2時間前集合というと6時40分だが、平日でそんなに混んでいないだろうから遅くとも7時までに集合ということになっていた。
 このバスは空港のターミナルまで行くので一番楽だ。JRから京急またはバスへと、荷物を引き摺ってあれこれ乗り換えるのは面倒だ。だからターミナル到着が6時15分と少々早いがこれにした。
 5時前のまだ暗いバス停には数人の客が待っていた。細かい雨が降って風が冷たい。この時間、どのくらいの客があるのか興味があったので数えてみた。始発の港南台が9人、次の上永谷駅で5人、東戸塚駅で8人が乗って、合計22人だった。意外に客がいるものだ。ビジネスマン風が大半。女性も数人。

上海へ

 羽田では一行13人が順調に集合。今回の旅行の手配をお願いしたM社のM山青年も、早くから来てくれて、記入済みの入出国カードを配ってくれ、中国東方航空のカウンターでチェックインを手伝ってくれた。MU576便は無事定刻どおり出発した。
 上海浦東空港到着後、入国審査を終え荷物を引き摺りながら外へ出たときは、ちょっと心配だった。現地の旅行社のガイドさんがちゃんと迎えに来ているかどうか。一応わたしが今回の一行の代表ということになっているが、中国語ができるわけではないし、中国経験は前に一度、万里の長城を見にきたことがあるだけ。もし何かの手違いで行き違って会えなかったら、相当の苦労を背負い込まねばならない。どうかちゃんといてくれますように。
 通路の外には迎えの人たちが大勢待ち受けていて、「〇〇会社様」とか「××一行」とか書いた紙を持ってかざしている人もたくさんいる。
 どれだどれだ。こういうときに「目を皿のようにして」というのだろう。わたしが真っ先に見つけた。左手の方に「K県漢詩連盟13名様」と書いた紙を持った人。駆け寄って「K県漢詩連盟です」と名乗る。日本語が通じる。すぐ見つかってよかった。ガイドはSさんと言った。これであとはおまかせだ。

 バスは高速道路を上海市内へ向かう。Higer(中国語:海格 / ハイグァー)という中国製のバスだ。39人乗りなので、一行13人にガイドのSさんだからゆったり乗れる。

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  道路は広い。車線もたくさんある。中心に近づくにつれて車が多くなる。写真でよく見る風景が見えてくる。

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 上海というと下の写真の左端に見える丸い玉のついた468mのテレビ塔・東方明珠塔がランドマークになっているが、現在一番高いのは右端の上海中心大廈(上海センター)で632mだそうだ。Sさんは、上海には地震がないので高層建築ができるけれど、最近では地盤沈下の問題が出てきていると言っていた。

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 写真には写っていないが、492mで2番目の高さの上海環球金融中心(SWFC)には474mの高さに展望回廊(スカイウォーク)がある。夜のオプションツアーで行こうと思っていたが、このあとだいぶ歩いて皆疲れたのか、参加者が少なく中止になってしまったので、行けなくて残念だった。

豫園(よえん)
 豫園というのは明代の庭園である。今回は中は見ないで、隣接するマーケットである豫園商城へ向かった。
 中国では今、観光地でのバスの乗り降りが厳しく規制されており、離れたところの駐車場から歩かないといけないのだという。
 普通の住宅兼商店街のようなところを歩いて行く。
 公園のフェンスに布団が干してある。

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 高層ビル街の風景とはずいぶん差がある。
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 大都会の中の庶民の街である。よく使い込まれたバイクや自転車がたくさん並んでいる。

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 庭園の豫園の門の一つ。中には入らなかった。
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 ここが豫園商城。凄い人である。これでも水曜日だからすいている方だという。

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 濃いベンガラ色のような木造三階建ての建物が豫園商城で、中に食べ物や工芸品、日用品などの小さな店がいっぱい並んでいる。

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 規模が大きく、とにかく人が多い。建て増しに建て増しを重ねたという感じで、ほとんど迷路になっている。はぐれたら大変だ。最初は横浜の中華街を連想したけれど、歩いてみると規模的にここにはとてもかなわない。厚みがちがう。
 ほとんど中国の店だけど、一角にさりげなくスターバックスが入っていたりもする。

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 われわれの目指すは小籠包で有名な南翔饅頭店での昼食。日本のガイドブックにも「豫園に来たらハズせない小籠包」と書いてある。

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  入店するのも行列、テイクアウトも行列だが、われわれは予約してあったので、待たずに二階の一室に入ることができた。

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 飲茶セットコースの予約になっていたらしく、いろんなものが出てきて、どれもうまい。小籠包は、けっこう待たせてから最後に出てきた。
 日本で食べるものより中のツユが少なかったが、大きくてうまい。満腹になった。

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2017年11月 9日 (木)

江南2 無事帰国

 翌朝は5時発のホテルの巡回バスが来るのを待って乗り込んだ。ところがやっぱり先客ありで、最後に乗ったわたしとH原さんが乗れない。すぐ後のバスが来るからというので、皆と別れて別行動になった。
 まもなく次のバスが来たのでよかったけれど、今度は空港で降りるときに、停留場を間違えてしまった。国内線ターミナルを過ぎて、次が国際線ターミナルというわけで降りたのだけれど、どうもターミナル内の様子がおかしい。昨日搭乗しようとしてやってきたときと似ているけれどなんとなく雰囲気が違うのである。H原さんが受付で聞くと、なんとここは第二ターミナルだから第一ターミナルへ行ってくださいと言う。
 泡を食って外へ出てタクシーに乗ろうとしたが乗り場が見つからない。警官らしい人が、下の通路を通って歩いて行けと教えてくれた。戻ろうと向かうと見知らぬお兄さんが先導してくれた。このお兄さんはなんだ、怪しい人じゃないかと不安でいるうち、エスカレーターを教えてくれて、歩く方向を指し示してさりげなく去って行った。親切な人はどこにでもいるのだ。
 東京の地下鉄によくある長い乗換通路をもっと広くしたような感じだった。なんとか第一ターミナルにたどり着き、受付カウンター前で順番を待っているツアー一行と無事落ち合うことができた。

 あとは出国手続きをして飛行機に乗ってしまえば、というところでまた、ちょっとした波乱があった。
 わたしは先に手荷物検査をすませ出国審査を待つ列にいた。後から来たN野さんたちが、M本さんが手荷物検査で引っかかって別室へ連れて行かれた、何が原因かはわからないという。M本さんが変なものを持ち込むようなことはない。夫婦そろって物静かで上品なM本夫妻は、一行の中では一番怪しまれないタイプだ。
 ところがなかなか来ない。長い行列はじりじりと出国審査の受付へ近づいて行く。もし順番までにM本さんが来なかったらどうしよう。わたしにできることといってないけれど、ともかくこちら側で待っていないといけないだろうか。飛行機の時間はどうだろうか。
 そんなことを考えているうち、行列の彼方に小さくM本夫妻の姿が見えた。来た、来た! みんなで手を振って招き、われわれの列の中入ってもらった。
 なんと原因はカメラの予備のリチウム電池だという。もう使わないからとスーツケースに入れておいたら、それがひっかかって、別室で検査されて大変だったそうだ。
 カメラ用のリチウム電池ならわたしも持っていた。4センチ角くらいの小さなやつである。

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わたしは手荷物のバッグに入れてあった。これはセーフだった。ところが同じものをスーツケースに入れていたら、けしからん、これは何だ! と別室へ連れて行かれてスーツケース内全品洗いざらい検査になったらしい。わけがわからない。
 帰ってから調べてみると、リチウム電池は発熱、爆発の危険性がある。(それは聞いたことがある。)だけど手荷物内なら発熱してもすぐ気がつくからOKで、スーツケースに入れて荷物庫の奧で発熱・爆発を起こすと大惨事につながる恐れがあるからダメだという理屈らしい。
 わかったようで、いまいちストンと落ちないが、そうなっているなら今後は十分気をつけないといけない。酒などの液体は逆に、手荷物はダメでスーツケースならOKだからこんがらがってくる。
 ともかくその場はみんなで、無事済んでよかったねと出国審査を終え、一時間遅れの飛行機に全員搭乗したのであった。めでたし、めでたし。

 朝食を食べてウトウトしていたら、飛行機は少しずつ下がりはじめ、こんな景色が見えてきた。時間からすると伊豆七島のあたりのようだ。

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 これも帰ってから、グーグルマップで調べてみた。
 グーグルマップは素晴らしい。3Dで角度を変えて見る機能まである。地図をまわして、俯角を変えて見ると、左から新島、式根島、神津島だと確認できた。

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 一日遅れたが全員無事帰国。最低限の「団長」の役目は果たせたようで、まずはよかった。
 延泊分の宿泊代と食事代は現在旅行保険に請求中。保険がきくならもっと良いホテルにすればよかったと思うのは、喉元過ぎて熱さを忘れたから。あのときはどこでもよかった。
 世話になった方々へのお礼状など、まだ残務整理が少しあるが、旅行は終わった。

 

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2017年11月 6日 (月)

江南1 飛行機欠航

 まずは記憶に新しい、帰りの飛行機が欠航したところから書いておこう。
 10月29日午後3時頃、バスで上海浦東空港に着くと、帰国予定の中国東方航空MU575便は台風22号のため、欠航となっていた。一行のうちにはスマホで台風情報を見ていた人もいたので、危ないかもしれないとは思っていたが、空港まで来たからもう帰れると少し脱力しかかっていたので、ちょっと衝撃だった。
 ガイドのS兵さんが飛行機を確認してくれた。明朝7:30発のMU575A便に、受付カウンターへパスポートを提示すれば乗れるという。他の航空会社も日本行きは飛ばないし、飛行機はそれしかしょうがない。
 しかし今夜の泊まりはどうする? S兵さんがさっきからなにやらやりあっていた黒いスーツの青年は、なんとホテルの営業マンだという。欠航のニュースと共に空港へやって来て、あぶれた団体客を見つけてはホテルを斡旋しているらしい。「生き馬の目を抜くような」という言葉を思い出した。人の不幸はビジネスチャンス、というわけか。
 S兵さんが言うには、泊まりは一室268元。一室二人でも同じ。空港から車で十分くらい、ホテルのバスで送る。明日の朝も五時発で空港まで送る、という。
 浦東空港内にもホテルはあるが、平常時でも満員で、今からではなかなかとれないだろう、ともいう。
 ここは決断しなければならない。このツアーを始めたいきさつから、わたしが代表ということになっていて、S兵さんからは「団長」と呼ばれていた。
 268元は1元=17円とすれば4,556円。二人で泊まれば一人2,300円足らず。ここまで泊まってきたホテルの半額以下。安ホテルである。しかし、他のホテルを探してうろろしてもどうなるかはわからない。一行の皆さんには、どうせ明日朝早いから泊まれさえすればいいから行ってみましょうと承諾を得て、ホテルの車を待った。

 ところがホテルの車がなかなか来ない。黒スーツの青年もいなくなった。S兵さんは、ここまで乗ってきた大型バスの運転手と所在なげにしている。あとは二人で蘇州へ帰るだけなのに、なかなか帰れないのでちょっと不満というところ。
 やがてマイクロバスがやってきたところ、先客が二人乗っていた。われわれ専用で特別に迎えに来てくれるのだと思い込んでいたら、そうではなかった。飛行機の欠航で悲惨な被害者ムードでいたけれど、そんなことまわりには関係なく、ホテルもバスも通常営業中なのだった。
 S兵さんともバスともここでお別れ。25日に上海に着いて以来ずっとお世話になった。明日までガイドなしになる。ちょっと不安である。

 15分以上かかってホテルへ到着。まあ道路が混んでいたからしょうがないか。日本の不動産屋だって、駅まで10分で15分ならいいほうだ。
 誰かが「アメリカのモーテルのようなところだ」と言った。なるほど映画でこんな建物がいくつも並んでる風景を見たことがあるような気がする。
 ホテル名は「藍舎快捷酒店」。英語で「BLUE HOUSE」とも書いてある。

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 日が暮れるとこんなライトがついて、なるほどブルー・ハウス」である。

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 小さなホテルで玄関を入るとすぐ左がフロントになっている。田舎の小旅館という感じだ。若い男の職員とは英語の片言でなんとか話が通じるが、女の職員は中国語しか通じない。おまけに国際電話が通じないという。自宅への連絡は、空港で一行のH賀さんのスマホを借りて一報だけ入れておいたが、あとはホテルからしようと思っていたのに、それができない。
 部屋は一間に小さな洗面所とトイレ・シャワー室というつくり。わたしの部屋の外はすぐ駐車場である。前日までは一流ホテルだから、いかにも安普請で、通路の音もよく聞こえる。まあ明日の朝までしのげればいいし、中国の庶民の泊まるホテルを見学できたと思えばいい。

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 ホテルの前の通りは、車通りは多いがさびしくて店や家の灯りもまばらだったので、隣にあった、ホテルが経営しているレストランへ入った。
 水槽や生け簀がいくつもあって、良さそうな魚を選んで料理してもらう海鮮料理店である。店名は「藍舎鮮活工場」だった。「鮮活」は「活魚」だろうけれど「工場」はわからない。

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 ここで最後の晩餐のやり直しとなった。

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 面白かったのは、料理を食べ終えて勘定をしたときのこと。
 メニューを見ると、一人98元のコースがあって、料理は一覧表から四品を選択するようになっているようだった。そこで中国語のできるF田先生とH原さんにがんばってもらって四品を決めて注文した。しばい団欒ののち、飲み物や追加料理も含めて無事料理は食べ終えた。だから一人百数十元の支払いになるはずだ。
 ところが勘定をカードで払うと、全部まとめて449元。すこぶる安い。一人37元ぐらいだ。ビールも紹興酒も込みである。17元/円換算で7,633円。12人だから一人636円。
 こちらは一人百元以上のつもりだったから、キツネにつままれたよう。安いのはうれしいけれど、本当にいいのか?
 レシートを見ると、これは四品コースを12人前ではなく、単品を四つ注文したという計算になっている。ああそうか。
 横浜の中華街でも単品を一つ頼むと3、4人分はある。だから単品四つを12人で食べて、それほど不思議にも思わなかったのだろう。もっとも追加で他の料理を何品か頼んだのは、やはりちょっと少なかったということか。
 ともかくこれでいいらしい。みんなで大笑いして納得した。
 中国の庶民はこれくらいの料金で食べているのかもしれない。ビールもここまで一番高いところでは一本20元したのに、ここはなんと一本5元だった。銘柄は哈爾浜(ハルピン)ビールだった。 

 飛行機は欠航したが、ここで無事一夜を過ごすことができたのだった。

 

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2017年11月 2日 (木)

車窓風景

 なかなかブログに手がつかないので、とりあえず中国旅行中、バスの中から撮った写真をいくつか紹介する。

 上海近郊の高速道路。道路は広い。この写真は朝早いのですいているが、その他はいつも混んでいた。

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 上海で見たタイマーつき信号。数字が10、9、8…と減っていって、0になると青に変わる。青の場合も同じように数字が減って0になると赤に変わる。信号待ちのイライラを少しでも抑えるためなのか。

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 新幹線が見えた。

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 これは豚運搬車。日本でもたまに見る風景だけれど、ここのはトラックが大きい。

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 驚いたのはこれ。大きなコンクリートの塊を積んでいるのだが、まわりに囲いもワイヤーロープもない。ただ載せてあるだけだ。

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 重いから安定しているといっても、これでいいんだろうか。

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 これは新婚さんの車のようだった。
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2017年11月 1日 (水)

台風22号で欠航

 10月29日に上海から帰る予定だったのが、台風22号のおかげで予定の飛行機が欠航となり、さらに一泊を余儀なくされ、30日に帰国しました。
 ちょっとブログの予定が狂ってしまいました。落ち着いたらぼちぼち江南漢詩ツアーの報告をします。

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